戦備━6
エンシャントラの四方に貫く、巨大な四つの大通り。それが交わる中心にある広大な土地。そこに、この国のシンボルともいえる王城がそびえたっている。
国の中央に行くにつれて、民家が減り、巨大な邸宅が増える。貴族の権力を示すためだけに存在するようなその建築物よりも、更に一際威容を誇る白亜の建物がそれだ。アースラの建物もかなりの大きさではあるが、これに比べれば見劣りしてしまうほど、巨大だ。
エンシャントラ王城。まるでおとぎ話に出てくるような、とでも形容するべきか。
尖塔をいくつも組み合わせた、横長の建物。鉄冊でぐるりと囲まれた広大な敷地には、整備された芝が広がっており、中央には巨大な噴水が見える。
それを囲むように張り巡らされた鉄冊の前から、イルミナとセロはただその威容に圧倒されていた。
「うわあ……」
「まさに、王様の住むところってかんじだな……イテっ」
そんな二人の背が、不意に叩かれる。振り返れば、自分達をこの場所に連れてきた張本人がにやにや笑いながら立っていた。
「おら、早く行くぞ。あんまり相手を待たせたくねぇ」
「……時間ぎりぎりまで寝てたのは誰ですか」
「あーあー、覚えてねぇな」
二人分のジト目をさらっと流しながら、ウルスはそそくさと衛兵たちのところへと向かって歩いていく。その格好は普段通りのくたびれたシャツに色褪せたジーンズ。羽織った山桃色のコートもかなり使い込まれた印象を受ける。
社長という肩書だけでなく、実際に王城に呼ばれるくらいだ、おそらくすごい人物なのだろうと分かってはいるのだが、セロはそれらしいところをあまり見たことがない。
恐らくずぼらさで言えば、セロを上回るだろう。
「あの人、緊張感とかないのかよ……」
「まあ、ウルスさんはいつもああだからね。というか、私たちもこれでいいのかな……?」
イルミナの言葉で、二人はそれぞれの服を見下ろす。
セロの格好は、上にシャツと黒色のジャケット、下には同じく黒のカーゴパンツ。はっきり言って、普段と変わり映えしない格好だ。ほとんど服を持っていないのが現状であるので、さほど悩む必要もなかった。
ただ、若干頬を赤くしているイルミナは青の袖付きドレス。普段は束ねているだけの髪もティアラのように編みこんでおり、どうやら相当ここへ来ることを意識したらしいことが窺える。そういえば朝からエレナやリンが彼女の部屋にやたらと楽しそうに出入りしていた気がしたが、こういうことだったのかと今理解した。
此方の視線に気が付くと、ぷい、と横を向かれてしまう。
「……何よ、どこかヘン?」
「いや、俺はまだしもお前はそれでいいんじゃないか? 似合ってると思うけど」
「…………ありがと」
そう言って、足早にセロの隣を抜け、ウルスの元へと言ってしまうイルミナ。
もしかして、何かまずいことを言ってしまったのだろうか。そんなことを考えながら、セロも二人の元へ急ぐ。
二人と合流した時に、ちょうど門が見えてきた。両端には槍を構えた騎士。
しかしセロが、おそらくはイルミナも、思わずと言った様子で表情を歪めてしまったのは彼らが原因ではない。
セロ達の到着に合わせて開かれた門。その中央に、見覚えのある男が立っていたのだ。
騎士を示す緑色の軍服に身を包み、三人の前で、儀礼的な仕草で礼をする男。その動作に合わせ、腰に差した宝刀の鞘が、鋭い輝きを発する。
王国騎士団長、ロイ・クロウラー。王国屈指の実力者。相変わらず、その瞳に感情はない。
彼はその名に違わぬ剣呑な雰囲気を発しながら、元の姿勢へと戻る。
「何だ、わざわざ出迎えに来てくれたのか? 騎士団長様直々ってのは恐縮だな」
「心にもない言葉を……まあいい。主から、貴様らを連れてくるように仰せつかっている。だが――」
瞬間、ロイの双眸が剣と同じ鋭さを帯びた。それが合図であったかのように、後方に控える二人の騎士も槍を構える。
「後ろにいる白髪の男は別だ。危険だと分かっている者を、主に近づけるわけにはいかない」
言葉の途中で、その視線が僅かな間セロの方を捉える。やはり、よくは思われていないらしい。横のイルミナが、心配そうな視線を向けてくるのを感じる。
言われっぱなしは癪だ。何よりも、ここで言い返さなければアースラの仲間たちの信頼を侮辱されたままになってしまう。
そう思って口を開こうとしたセロだったが、その前に、ウルスの手がそれを制した。
「それはお前の独断だろう? 前にも言ったが、ジェインはくだらない噂話で他人を判断する男じゃない。さっさと通せ」
「独断も何も、主を危険から守るのが我々騎士の仕事だ」
「こいつはもう暴走なんかしねぇよ。俺が保証する。命賭けたっていいぜ?」
「貴様の首ごときと主を同じ秤に掛けるな、傭兵風情が」
湖面のような太海に、僅かに嫌悪が滲む。そして、吐き捨てるようにつぶやかれた言葉に、ウルスは目を細めた。
「……何だと?」
「ここは本来、貴様らのような者達が足を踏み入れることさえ許されない場所だ。金さえ積まれれば何でもやるような輩が――身の程をわきまえろ」
「私たちはそんなことしない! この前無茶苦茶やったのはあんたたちでしょ⁉」
堪えられなくなったのか、イルミナが割って入る。
しかし足を踏みだした途端、その鼻先に槍の穂先が突きつけられた。
「ご自愛を、貴婦人」
「……あんたこそ、怪我したくなきゃそれをしまいなさい」
下がるよう促す衛兵に、イルミナは引く気配を見せない。徐々に、周囲の空気が張りつめていく。
まさに一触即発。
セロの頭に浮かんだのは、自分が入場を辞退することだ。何故ウルスがここまでセロを入れることに拘るのかは分からないが、もうこれしかない。
しかし、セロが口を開くよりも早く、別の者の声が彼らの耳に届いた。
「――双方、そこまでだ」
突然響いた静かな声に、全員の視線が中庭に伸びる広い道と向けられる。目にしたのはこちらへ向かってゆっくりと歩いてくる壮年の男。そしてその隣に立つは、見覚えのある少女だった。
瞬間、騎士たちの間に先ほどとは別種の緊張が広がっていく。衛兵は慌てて道の端に寄り、その場に膝間づいてしまう。あのロイやウルスでさえも、同じような行動を取る。それは、二人の正体を予感させるには十分だった。
男の服装自体は、それほど華美というわけではない。平民がきている物と形はさほど変わらないだろう。ただ、その素材は彼らには手が届かないような上質なものと一目で判断できた。
対して、少女の蒼いバラを思わせるドレスには金糸が編みこまれている。そんな華美なほどの意匠に引けを取らぬほど、その容姿は整っていた。
陽光を受け、金色に映える髪。選ばれた者のみが頂くその御髪から覗くは、澄み切った海色の瞳。
男はセロ達の前に来ると、傍らに膝間づいたロイに目をやり、小さな溜め息を吐いた。
「やけに遅いと思って様子を見にきてみれば……どうやら、正解だったようだ」
「……護衛も連れずに外出することはお控えください」
傍らで膝間づくロイの苦言に、男は辟易した表情を浮かべる。
「その護衛が、こんなところで問題を起こしているからだろう? それに――」
「――私が、父を連れてきたのです」
唐突に生まれた、まるで鈴を転がしたように澄んだ声。再び、その声がロイへと向けられる。
「ロイ、早くこの方たちを御通ししなさい」
「しかし、あの男を入れるわけには――」
「私が許可します。意見は認めません」
一呼吸おいて、その海色の瞳はセロの視線と交差した。その視線は、何か強い意志が秘められているようにも感じられた。
「――あの方は、これからの戦いに必要です」
「……仰せの、ままに」
騎士団長が一瞬だけこちらを睨んだような気がしたが、すぐその視線は下へと向けられた。
ただ、それでさえも今のセロにはどうでもよかった。先日と同じ衝撃に見舞われ、動けなかったのだ。
セロは彼女が先ほど告げた言葉の意味も忘れ、ただ縫い付けられてしまったかのように呆然と佇んでいた。
「君は、まさか――」
「ちょっと……セロ!」
隣に突っ立ったままの少年の袖を強く引っ張るイルミナ。ただ、セロにはその言葉すらも聞こえていなかった。
その様子に、男は苦笑を浮かべる。
「いや、あまり畏まられるのは好きじゃなくてね。それに……ウルス、君がそんな態度をとっていると、明日雪でも降らないか不安になるよ」
そう言う男の視線は、衛兵と同じように跪くウルスに向けられていた。その視線を真っ向から受け止める彼の顔には、不敵な笑みが浮かべられている。
「ジェイン、ゾンビ連れた神様気取りが戦争仕掛けてくる時代だ。雪くらい降ってもおかしくないぜ」
「まったくだ。機嫌をこじらせた神様より、異常気象の方が遥かにマシだよ」
ジェインと呼ばれた男は、本気で困った様子で肩を竦める。
ジェイン・エルド・マクシミリオン。目の前にいる男が、エンシャントラ王国の現国王。ならば、彼を「父」と呼ぶ少女は――。
その考えを読んだかのように、少女はセロの前で歩みを止める。少年の視線を正面から見据えると、その笑みを深めた。
「ロゼットと申します。お待ちしておりました、傭兵会社アースラ代表、ウルス様、イルミナ様、そして――」
そこで言葉が区切られると同時。とん、という軽い衝撃がセロの胸を叩いた。
最初は、何が起こったのか分からなかった。しかしくすみの無い金色が、不思議な甘い香りが、そして心地のよい温もりが、それをまごうことなき事実として突きつけてくる。
何故、どうしてこうなったのかは理解できない。ただ、現在自分の置かれている状況ははっきりと認識できた。
――女の子に抱き着かれている。
「――私の、運命の人」
耳元の囁きも、どこか遠くで聞こえた掠れた声も、全てが夢でありますように。セロは全力でそう願わずにはいられなかった。




