戦備━4
突発的に開始された模擬戦。
周囲の者――今はバスクとリンしかいないが――からすれば、賭けにもならないような、言ってしまえば消化試合にも等しいだろう。
二人が見守る中で、同時に動き出す両者。
だが意外にも、先手を取ったのは黒衣の少年だった。
存在していた間合いは、刹那の時間で消滅した。
瞬間的な加速、得物のリーチ、そして気迫――全てにおいて、エレナの方が上。
当然のことながら、より長大な武器を操る彼女の方が初撃に入る動作は早い。セロが持つ真紅の剣の二倍以上の間合いで、彼女は体を捻り、大鎌を体の左側で限界まで引き絞る。
そこに手を抜いているような様子はない。
少しでもしくじれば、死。
しかしセロの頭の中にあったのは、敗北の未来ではない。以前の訓練でバスクから教わった、たった一つの言葉だけ。
「見るのは――武器じゃない」
全神経を、両目に集中する。瞬間、僅かに時間の流れが遅くなったかのような感覚が訪れた。
相手の視線、腕の角度、踏み込みの深さ――さらにそれより多くの、相手の一撃を教えてくれる動きだけに注意を絞る。
右手を前に出した構え。僅かに沈み込んだ刃。
そこから、斜め下から飛んでくる一撃を予測する。
「――ここだッ!」
瞬間的に予測した軌道に、セロは剣を合わせるように動かす。
狙い通り、爆発的な勢いで動き出した鎌は、吸い込まれるようにセロの剣へと接近。ガードとしては、ほぼ満点に近い流れだ。
が――エレナの目が、僅かに細められた。まるで、失望したと言わんばかりに。
その理由は簡単だ。彼女の一撃が、防ぎきるにはあまりにも重すぎるから。
そもそも、大鎌と細身の剣では重量がかなり違う。加えて、身体強化を施されたエレナの一撃は、重装備の騎士を数人まとめて軽々と吹き飛ばす破壊力を持つ。だから、セロが弾き飛ばされることは明らかだった。
そして、だからこそ――セロが選択したのは、防御ではない。
「――ッ⁉」
少年の行動に、エレナは思わず息を詰めた。
大鎌の描く弧に重ねるようにして構えられた真紅の刃。衝撃の直前、それが僅かに沈められ、下から押し上げるように鎌の側面をかちあげたのだ。
使い手の意に反して速度を加えられたそれは、エレナの体勢を崩すには十分だった。慌てて両足に力を込めるエレナだったが、それよりも早く、紅の剣が閃いた。
「お……おおッ!」
紅の尾を引いた半円が、風切り音を立てて上へと振りきられる。同時に、エレナが後ろへ跳躍した。
開いた距離は、試合が始まる前のそれと、全く同じ。
再びセロが剣を構えると、対峙するエレナが小さく息を吐いた。
「……驚いたな」
彼女は左頬に手をやり、指先に付着した朱色を見て苦笑する。
「まさか、受け流されるとはね。いつもこんな感じ?」
「いえ……攻撃を見極めるやり方は、この前バスクから教えてもらいました。でも受け流すのは初めてです」
「……そっか」
エレナは視線を上げ、上のフロアにいる狼型の獣人を見やる。彼も同じように、もしくはそれ以上の驚愕を覚えているのを雰囲気で察すると、エレナは思わず口角を吊り上げてしまう。
「まったく、面白いやつだ……」
その小さな呟きを聞き取れなかったのか、セロの眉が僅かに顰められた。しかし聞き返すべく言葉が紡がれる前に、エレナの視線が一層の鋭さを帯びる。
「本気って言っていながら、どうもまだ私は本気になりきれていなかったみたいだ。謝るよ」
「……あれで、まだまだなんですね」
僅かに頬を引きつらせる少年。そんな彼に向けて、エレナは右の掌を向けた。瞬く間に、薄緑色の魔力がそこに集中する。
「できれば、これも避けてくれることを願うよ――もっと、楽しめるように」
言い終えると同時、輝いていた魔力光が消え失せた。つまり、魔術が発動したということ。
すぐさま、セロは何が来ても躱せるように僅かに腰を落とした。
だが、何も起こらない。
「不発……?」
そんな考えが、口を突いた時。
冷たい何かが背を撫でた。
「――ッ⁉」
意識するでもなく、セロは全力で右へと跳んだ。僅かに遅れて、左の肩口が熱を帯びる。見れば、まるで研ぎ澄まされた刀で斬りつけられたかのように、黒衣が裂けていた。その切れ間から、胸から肩にかけて一筋の赤い直線が引かれているのが窺える。
まさかあの大鎌かと視線を移すも、それはエレナの左手に収まったまま、先ほどから微動だにしていない。ならば、一体何か。
思い当たるのは、先ほどの薄緑色の光。以前聞いた話だが、エレナの操る魔術の属性は、「風」。
そこまで考えたところで、セロは似たような自然界の現象に思い当たった。
主に雪国で見られるという、突然の不可思議な現象。
真空の刃。
「……鎌鼬」
思わず口を突いて出た言葉に、エレナが小さく頷いた。
「そ、大正解。もっとも、これは自然現象じゃなくて魔力で疑似的に再現しただけなんだけどね」
言い終えると、彼女の右手に再びの輝きが宿る。しかも、先ほどよりも強く。
即座に走り出すセロ。先ほどと同じように光が消失した後、射出された不可視の刃のうちいくつかは壁や地面を抉るだけに留まるも、最後の一つがセロの右脚を捕らえた。黒衣の断片と鮮血が入り混じり、赤と黒のコントラストを床に散らす。
幸い傷は浅いが、回避が不可能だという事実を突きつけられてしまう。
「ぐっ……」
痛みに顔をしかめながらエレナを見れば、三度目の魔力光が消えたところだった。これでは近づけないどころか、間違いなく負ける。
今までは魔力の消耗を懸念して使っていなかったが、こうなってはそう言っていられない。セロは今まさに己を切り刻もうと向かってきているであろう不可視の刃へ、同じように右手を突き出した。
「――『黒霧』!」
詠唱と同時、腕を這うようにして密度をもった黒煙が出現する。微かな擦過音が数度聞こえ、飛来した刃を打ち消したのだと分かる。
だが。
「――甘いよ」
すぐ近くから聞こえてきた声。見れば右手側に、凶暴な光を湛えた目。鎌鼬に気を取られていたせいで、彼女の接近に気が付かなかったのだ。
セロの魔術、『黒霧』は相手の魔術を打ち消す力を持つ。魔術を主体とする者同士の戦いにおいてそれは反則と言えるまでの効果を発揮するが、しかし欠点も多い。
第一に、体力の消耗が激しいこと。
第二に、これが効果を発揮するのはあくまでも「魔術のみ」であること。よって相手の肉体ごと消滅させたり、魔術に関係のない武器を消すことはできない。
つまり、接近戦に持ち込まれると途端にその魔術は力をなくしてしまう。
そうした理由から回避行動に映ろうとしたセロだが、既に遅すぎる。観念し、もう一度一か八かの受け流し作戦を取ろうとしたのだが――。
それを読んでいたのか、エレナは鎌を振りかぶることなく、そのまま突進してきたのだ。
突き出された鎌の柄を辛うじて剣で受けるが、突進の勢いに押され、盛大な衝突音を響かせながら、背後の壁に叩きつけられた。
「が……っは⁉」
予想以上の衝撃に、背骨が軋む。肺の空気が全て抜け出たせいで、一瞬だけ視界がブラックアウトした。
当然、その一瞬を見逃すエレナではない。
セロが視界を回復させたときには、彼女は右手で握る柄を押しつけながら、左手を離していた。腰だめに引かれた手は、拳へ。
「せあッ!」
どっ、という鈍い衝撃が、セロの腹部を貫く。今度こそ手放しそうになる意識を、セロは必死に掻き抱いた。
再び半分ほど停止した意識の中、不意に感じる横向きのベクトル。刃と柄の接合部に引っ掛けられ放られたのだと理解した時には、強かに背を床に打ち付けていた。
即座に身体が酸素を求め、むせながらも肺一杯に空気を吸うことに成功する。
「ま、剣を手放さなかったことは褒めてあげようかな」
微かに滲んだ視界で前を見れば、先ほどと同じように右手を突き出した状態のエレナが確認できる。薄緑色の輝きが、再び集まり始めているのが確認できた。
「さあ、次はどうするのかな? 逃げても駄目、得意な魔術でも駄目……降参する?」
「……まだ、認めてくれてはいないんですよね」
「そうだね、せめてもう一発もらったら考えてもいいよ」
口角を吊り上げ挑発してくるエレナに、起き上がったセロもまた、微かに笑みを滲ませることで応えた。
「じゃあ、まだやります。解決策も……なんとなく、分かりましたから」
「へぇ、じゃあ見せてみなよッ!」
言うが早いか、エレナの手から魔力光が消滅した。同時に、その足が地面を蹴る。
それを合図に、セロも先ほどと同じように右手を突き出す。しかしそれが向けられた先は迫りくる刃ではなく、己の足元。
次いで、漆黒の奔流が訓練場の床に叩きつけられる。高く舞い上がったそれは、瞬く間に黒衣の少年の姿を覆い隠した。
「煙幕……?」
放った不可視の刃がかき消されていくのを確認しつつ、訝し気にエレナは呟く。おそらく自らの姿を隠し、真空の刃で狙われないようにするのが目的だろう。
霧が薄れるまで待つのも手だが、それは性に合わない。何より、全力でぶつかってきている少年に対してその行動は気が引ける。
ならば、とエレナは駆ける両足にさらに力を込めた。
「広がる前に勝負をつける……!」
舞い上がる黒煙の根元へと踏み込みざま、彼女は大きく得物を振りかぶった。まだ煙の大して幅がない今なら、彼はここにいるはずだ。
「ぜあッ!」
風を断ち、水平に振り抜かれた刃。生まれた風圧が、周辺の黒煙ごと薙ぎ払った。
しかし予想していた手ごたえはない。そこに、少年の姿はなかった。
「なっ……⁉」
どこに消えたのか。
一瞬遅れてその答えに辿り着いたエレナは、未だ濛々と霧が立ち込める上空を仰いだ。
そこには、大上段に真紅の剣を振りかぶったセロの姿。
「お――おぉおおおおッ!」
裂帛の気合いと共に振り下ろされる一撃。既に、エレナに回避という選択肢はない。
「ぐっ……」
しかし流石というべきか、一瞬早く鎌の柄が突き出された。
直後、金属同士が激しくぶつかった音が大気を震わせた。
己の体重と落下の力を加えた一撃。それでも、残念ながらその結果は大鎌の柄を軋ませるに留まった。だが、これで終わりではない。
セロは地に足が着くや、即座に距離を取ろうとするエレナに肉薄する。相手の武器である鎌は近接戦闘には向いていない。間合いを殺すことができれば、セロに勝機が見える。
もう同じ手は通じないだろう。つまり、これが最初で最後のチャンスなのだ。
セロの意図に気が付いたのか、エレナが舌打ちするのが聞こえる。間髪入れずに打ち込んだ振り下ろしは、鎌を水平にして防がれた。
再びの金属音。更に連撃は続く。
即座に剣を引いて放った突きは、持ち手を弾かれたことで軌道を逸らされる。
それでも、すぐに次の攻撃へ。当たらなければ、当たるまで繰り返すだけだ。
あらゆる角度から振るわれる剣線を、まるで読んでいるかの如くいなすエレナ。しかしその表情は真剣そのもので、先ほど浮かんでいた飄々とした笑みはもう存在しない。
あのアースラのナンバーワンと渡り合えているのだという喜びを意識することなく、セロはただひたすらに剣戟を繋げ続けた。
だが、この集中力も永遠に続くわけではない。隙を与えたが最後、容赦ない一撃がセロを地面に沈めることだろう。決定打を与えるためには、もっと早く連撃を叩き込まなくてはならない。
左下から振り上げた一撃から、すぐさま踏み込んで真逆からの振り下ろしへ。更に弾かれた勢いを利用した回転切り――。
「ぐ……おお……ッ!」
食いしばった歯から、低い唸りが洩れる。
――まだ、足りない。もっと速く。
金属同士が打ち合わされる硬音が重なり、徐々に、徐々にその音が重なっていく。
もっとだ。もっと、もっと速く――。
ちりっ、と頭の奥で何かが焼ける音がした。
そこで生まれた熱が、体を伝っていく。向かう先は、剣を持たぬ左の手。今までは剣戟でぶれる重心を制御していたそこに、熱が収束していく。
セロは、以前に一度この感覚を味わっていた。
それは、己の意識の中で真紅の王と激闘を繰り広げた時。
それが何かを理解した時には、セロは右手の水平斬りの直後、迷わず左手を振りかぶった――いつの間にか握られていた、「二本目の剣」と共に。
予想していない角度から不意に繰り出された一撃に、当然エレナは目を見開いた。鎌を握る両手は先ほどの一撃を防ぐために彼女の左側にある。もう防ぐ手立てすらない。無抵抗に、ただ一撃を甘受するしかないはずだ――そう、普通ならば。
ぼっ、という軽い破裂音。それは、魔術で生み出した気流によって無理やり腕を振るった証だ。
限界ぎりぎりの可動域で捻られた腕が、鎌の刃先を紅の弧に重なる。
その、寸前。
「痛ッ……⁉」
エレナの表情が、痛苦に歪められた。直後、僅かに速度を落とした鎌のすぐ下を、剣が突破する。
一瞬だけ、訪れた静寂。
先ほどからの攻防が嘘のように思えるほどの静けさ。それを破ったのはエレナだった。
視線を己の首元にあてがわれた薄刃にやり、小さく舌を出して苦笑。
「あはは。まーけちゃった」
「……はぁああああ⁉」
思わず、勝ったはずのセロ自身が叫んでいた。いや、多分その叫びには上部フロアにいるリンとバスクのものも混ざっていただろう。
「いや、だってエレナさんアースラで一位……絶対本気じゃなかったですよね⁉」
「んん? いや、そうでもなかったよ。最後なんかはわりとマジになってたけどねぇ」
「いやいや、でも……」
勝利と言うものが全く実感として湧いてこない。左手を見れば、さっきまであったはずの剣はきれいに無くなっている。やはり、まだ制御は完全ではない。つまり、あれはただの偶然だ。
とは言え、それでも勝ったと言ってしまっていいのか。そうだとすると、アースラ最強の称号を頂けるのだろうかなどと益体もないことを考えていた時だ。
「……まぁ、私も『模擬戦』では勝ったり負けたりだけど」
先ほどと同じように、何でもないようにエレナが笑ったかと思えば。
「――『殺し合い』じゃ、負ける気はしないけどね」
そこに浮かべられた、猛獣ですらも逃げ出しそうな笑みに。
セロはやはり彼女が全力ではなかったことを悟り、一瞬浮上しかけた「セロ、アースラ最強説」は掻き消した。いつの間にか大鎌を魔力に分解している彼女に倣い、セロも右手の剣を消滅させる。
エレナの左手が、だらりと垂らされた右手を抑えているのに気が付いたのはその時だった。
セロが覚えている限り、エレナの右腕に攻撃を当てた記憶はない。といっても、後半はほとんど無意識に剣を振っていたため、その時の記憶は定かではないが。
「エレナさん、それ……」
右手、どうしたんですか。
そう続けようとした時、セロの脳裏をよぎった記憶がその言葉を押し留めた。
それは、先ほどの模擬戦ではない。「あの日」に聞いた、エレナたちの報告だ。
――『死者の王』を従えた教団員と激しい戦闘になり、彼女は右腕に重度の損傷を負った。
セロの視線に気が付いたのか、エレナが右腕を持ち上げ、再び苦笑する。
「……リンには言うなよ」
「そんな……だって治してもらったんでしょう⁉」
セロの言葉に、エレナは視線を泳がせ、バツが悪そうに頬を掻く。
「いやぁ、どうも完全に治るレベルじゃなかったらしくてね。でもあれだよ、リンよりももっと上級の治癒魔術師があの場所にいたらな、なんて思ってないからね?」
「……そう、ですか」
気づかぬうちに、セロは顔を俯けていた。
エレナの言う通り、リンに非はない。むしろ、彼女以上の治癒魔術使いなど、そうそういないはずだ。ならば、誰の責任か。
答えは簡単だ。
「……俺の、せいじゃないですか」
自分があの時暴走などしなければ。
中途半端にイルミナたちと関係を築いてしまったばかりに、彼女たちまでも巻き込んでしまった。そう、「イルミナを守る」など、自分にはそんなことを言う資格は――。
「――なに落ち込んでんのさ、バーカ」
ぽん、と。不意に、頭の上に感じた重さ。それが、かなり雑に、しかしどこか優しさを感じさせる動きで、セロの髪をわしゃわしゃと乱した。
「私らは自分たちで勝手に動いただけで、君に頼まれたわけじゃない。だから、全部自己責任! オーケー?」
「エレナ、さん……」
顔を上げれば、予想よりも近くに彼女の微笑む顔があった。それは思わず別の感情でセロが俯いてしまうほどに。
「――あー! もう、本当にイルミナさんに言いつけますからね!」
「えー、これくらいいいじゃんか。リンはお子様だな」
子どもじゃないですッ! という可愛らしい叫びに、思わずセロも笑ってしまった。
「もう、頭きました! バスクさん、私ももう一回身体強化の練習します!」
「まぁ付き合ってもいいが……次は倒れないようにな」
苦い笑みを浮かべつつ、上階にいる二人の姿が見えなくなる。おそらく、下へ続く階段に向かったのだろう。
すると、エレナが面白そうに顔を寄せてきた。
「……あの二人、いい師弟コンビになると思わないかい?」
「そうですか? バスクはむしろエレナさんが師匠みたいに言ってましたけど……」
「いやいや、乗り気なのはバスクの方だから。型もどちらかと言えばあいつに似てるし……そんなことよりお腹へった! 二人の特訓終わったら、食堂行こうよ」
「ああ、いいですね。そのころにはイルミナも戻ってると思います」
「ん、じゃあ五人で夕飯だ」
早くも「今日のメニューは何だろなー」と鼻歌交じりに呟くエレナに、思わずセロは吹き出してしまった。
「何笑ってんのさ? それより、また今度模擬戦やろうよ。今度は私が勝つかんね」
「はは……それまでに、もっと魔術練習しときます」
そんな答えに満足したのか、頷くと、再びエレナは機嫌よさそうに階段へと歩いていく。反対側から降りてくるであろうバスクたちのことを考え、セロもエレナと同じ階段を使った方がいいだろう。
「……また今度、か」
呟き、セロはもう一度だけ自分の両手に視線を落とす。不健康にも見えるその白い掌を、軽く握りこむ。
次は、もっと強くなっていたい。二刀流も、方陣魔術も、更に新しい魔術も習得して。そしてできれば真紅の王との決着を付けた後、今度は皆で集まって。
そう意気込んで、歩き出そうとした時だ。
――本当に、そんな日が来ると思ってるの?
まるで背に氷の塊を入れられたよう、そんな表現すらも生ぬるいほどの怖気。
反射的に、真後ろにある通路を見やる。
しかし、そこにはただ薄暗い空間が広がっているばかり。あと少しすれば、そこからバスクたちが姿を見せるだろう。
「今の……」
「おーい。早く上がらないと、リンに怒られるよー」
視線を戻せば、ちょうどエレナが階段を上がっていくところだった。通路の闇に呑まれるその背から、もう一度だけ後方の通路へと視線をやる。
「……気のせい、だよな」
自分に言い聞かせるように呟き、セロはエレナの後を追った。
それでもしばらくの間、心の内に生まれた不安は消えることはなかった。