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対峙━4

 緑の森の一角を覆う、膨大な砂塵。その幕が晴れていく。そこで明らかになるのは、先の攻防における勝者と敗者だ。

「ぐ――げほ……ッ」

 エレナの口から、粘り気のある赤い液体が零れる。彼女の腹部を中心とした部位には、毒々しい紫を帯びた針が幾本も突き刺さっている。

「はぁ――ちょっと、無理しすぎたかな……」

 口の端から滴る血に、彼女の白いコートが徐々に赤黒く染められていく。堪らず、片膝を地面へと突いてしまう。

 その眼前には、巨大な影。

 時折聞こえる湿った音は、細胞が蠢き、増殖することで〈死者の王〉の両腕が再生していく音だ。おそらくは、あと数十秒で元通りになってしまうだろう。

「お姉さん本当に人間? ほとんど相殺されていたあれでも、喰らったら普通死ぬんだけど」

 巨大な影の後方に、エレナよりも小さな影が窺える。少年の表情が引き攣っていることを、エレナは知らない。針に塗られた神経毒によって、その視力は著しく低下していた。

 少年の視線が向けられているのは、エレナの右腕。

 それは、ほとんど原形を留めないまでに破壊されている。降り注ぐ重力場を、右腕を犠牲にすることで軌道を逸らしたのだ。単純な腕力だけで魔術を逸らすなど、はっきり言って人間業ではない。常人ならば、まず考えることすらしないだろう。

 王国騎士団長のロイと並んで評される彼女の実力もまた、人間の領域からはみ出していると言える。

「本当に、化け物だよ。仲間になってくれない以上、生かしておくと危ないかな……ちょっと惜しいけど」

 少年はしもべであるアンデッドに一言、単純な指示を与える。

――殺せ、と。

 虚ろな赤い光が、エレナへと向けられる。命令に従うべく、それが一歩を踏み出した時だった。


「――怖いのかい?」

 毒によって動くこともままならない彼女の口が、僅かに開かれた。

「……なんだと?」

「自分じゃやらないっていうことは、そういうことだろう? 君は、人を殺すのが怖いんだ。それとも、それだけの力もないのかな」

「馬鹿言わないでよ。ただ、僕がやるまでもないってだけの話だ」

 注意しなければ分からないほどに、少年の眉が顰められる。当然、エレナにそれは見えていない。それでも、彼女は口角を吊り上げる。

「へぇ、手下がいないと何もできないんだ?」

「……黙れよ。おい、早くこいつを――」

「自分でも分かっているんだろう? ハッ……君なんかより、リンの方がずっと勇敢――」

「黙れよッ!」

 怒声が、彼女の声を掻き消した。

「お前も……お前も僕を馬鹿にするのか!? 力が強いってだけで威張る、あの馬鹿たちみたいに……ッ!」

「あ、図星?」

「……殺せッ!」

 主の怒気を理解したのか、〈死者の王〉の巨腕が振り上げられる。そのまま叩き潰そうという考えなのだろう。

 ただ無慈悲に、無造作に、死がエレナに振り下ろされる――刹那。

 一筋の光芒が、その大樹のような腕を穿った。

「……は?」

 間の抜けたような少年の声が、そこにいた一同の心境を代弁していた。

 直線の軌跡を描き、鉄の硬度を誇る鱗に易々とめりこんだ小さな球体。それは、膨大なエネルギーを秘めた銃弾に他ならなかった。

 

 次の瞬間、爆発が〈死者の王〉の腕を吹き飛ばした。

 悲鳴とも取れる唸りと共に、その腕が分断されてはじけ飛ぶ。遅れて、森に銃声が木霊した。

「狙撃……? 一体どこから!?」

 目に見えてうろたえ始める少年。同じように、エレナもまた苦笑いを浮かべていた。

「はは……そうか、シリウスって……。フリージアのやつか」

 そんな二人を余所に、榴弾の雨は降り続ける。〈死者の王〉の頭部を、腹を、左の脚を。正確に叩き込まれる弾丸が、爆発と共に血と肉片の混じった飛沫へと変えていく。バランスを崩した巨体が傾き、その大地を揺るがした。

「ふん……命拾いしたね、お姉さん」

 分が悪くなったと判断したのか、いつの間にか少年は新たな魔方陣をくみ上げていた。生み出されたのは〈見えざる狩人(ハイド・ハンター)〉。全長一メートルほどのトカゲで、自らとその周囲の空間の可視光線を捻じ曲げ、不可視化できる魔術を持つ。

 少年がそれに跨った瞬間から、その姿は空間に溶け込み始めた。

「馬鹿にされたことは忘れないからね。次に会ったら、お姉さんを必ず殺すよ」

「……エレナだ」

「僕はイズル。せいぜい、それまで頑張ってよ」

 それだけ告げ、銀髪の少年――イズルは虚空へと消えた。間髪入れずにその一帯に弾丸が降り注ぐが、おそらく既にその場にはいないだろうことをエレナは悟っていた。

「……まぁ、何とかなった、か」

 溜め息と共にそう零すと、深々と刺さった毒針に目をやる。こういったものは早めに摘出するに越したことはないのだが、彼女の表情には躊躇いの色が色濃く浮き出ていた

「うぅ、絶対痛いよこれ。こんなに刺しやがって……イズルめ覚えてろよぉ……」

 最早涙目である。先ほどまでのぎらついた視線は消え失せ、代わりにどす黒い負のオーラのようなものが見えるほどの恨みに満ちた目をしている。

「あ、あの……大丈夫ですか?」

 おずおずとした声に振り返れば、エレナの後ろにリンが立っていた。どうやら歩ける程度には回復したらしい。

「……これ、痛くないように抜けないかな……?」

「痛みはちょっと……でも早く抜いた方がいいですよ? そうしないと解毒もできませんし。取りあえずは腕を――」

「針! 先に針を何とかして! 腕なんて唾つけとけば治るからッ!」

「え、えぇ……?」

 見るからに右腕の方が重症だ。なんというか、もう名状しがたいぐらいのレベルで酷いことになっている。

 しかし心優しいリンとしては、患者にそう言われてしまえばどうしようもない。では早速、とリンが腹部に刺さった針に手を掛ける。

「あ……んぅ、ひぅ……ッ!」

「変な悲鳴出さないでもらえます!?」

「うぅ、針は……針だけは駄目なのぉ……」

 あぁそういうことか、とリンは内心で納得した。

「意外と、子どもみたいなところが……」

「だ、駄目だよ!? 絶対に誰にも言っちゃ駄目だからねッ!?」

「はいはい分かりましたから、静かにしてくださいね」

 こんなやり取りをしている中、エレナに〈通話コンタクト〉の魔術が繋がった。流れてきたのは凛とした響きを持った女性の声だった。

『すまない、術者らしき者を逃がしてしまったが……うん、大丈夫か?』

「大丈夫じゃない、全然大丈夫じゃない」

『……元気そうで何よりだ。それより、うちの馬鹿レインが見当たらないのだが』

 その言葉と同時、数百メートルほど先の地点で巨大な爆発が起こった。天にも届かんばかりの粉塵が巻き上がる。無論、あまり良い状況ではないのだろう。

『……何となく分かったよ。あいつを回収したらまた連絡する。多分、まとまって行動した方がいい』

「私もそんな気がする。私の仲間も心配だし、探すのを手伝ってくれると嬉しいな」

『了解した』

 その言葉を最後に、魔力によって造られた回線が切断される。エレナの前では今の通信内容を知らぬリンが首を傾げていた。

「誰ですか? 今の」

「シリウスの社長。まぁ、ちょっとした知り合いでね……それより、イルミナ達が心配だ。向こうにも教団の奴らがいるみたい」

 いつの間にか元の彼女に戻っている。

言うが早いか、再び〈通話コンタクト〉の魔術を起動するエレナ。一定範囲の〈通話〉を習得した相手にしか繋がらないが、バスクとイルミナはどちらも習得している。選んだのはバスクだ。

 魔術を成功させるべく、エレナは意識を集中させる。見えない細い糸が伸びていき、繋がるようなイメージだ。思いがけず、応答はすぐにあった。

『エレ――様ですか!? そちらは大丈――』

 接続の調子が悪い。言葉の節々にノイズが入り、完全に聞き取ることができない。

 考えられる原因は戦闘中であるということ。戦闘時は魔力の流れが乱れるため、〈通話〉も影響を受ける。

「こっちは大丈夫! そっちは!?」

『こちらは――ぐっ、ルイス下がれ!』

『熱ぃ!? クソッ、あの野郎バカみたいに撃ちまくりやがって!』

 言葉を、一際大きいノイズが遮る。強力な魔術が行使されたということしか分からない。一瞬、見知った王国騎士団の男の声が聞こえた気がしたが、彼が何故そこにいるのかは不明である。

 次に飛び込んできたのは、轟音の余韻と、知らぬ男の叫びだった。


『水の女と白髪のガキは……どこだぁあああああ!』


 再びの轟音。

 同時、不協和音が通信の切断を告げた。


「なっ……バスク!?」

 エレナは呼びかけるも、言葉は返ってこない。通信途絶を知らせるノイズだけが、不吉な予感だけを募らせていく。もどかしさに、エレナは思わず歯を軋ませる。

 不穏な空気を察してか、リンの表情も強張っていた。

「エレナさん……バスクさん達は大丈夫なんですか!?」

「……通信が、切れた」

「それって――」

「よほど高位の魔術が使われたか、あるいは――」

 続く言葉を察し、少女は言葉を失った。

「そんな……」

「とにかく、治療を急いで。終わり次第追いかけよう」

 僅かに頷き、解毒を再開するエルフの少女。だが、胸中の不安を表わしてか、魔術がうまく制御できていない。

 二人には、先に行った者達の無事を祈ることしか許されなかった。



 真っ白な空間。狭いようでいて、広いようにも見えるそんな場所を、漆黒の弾丸が駆ける。

「この――当たれッ!」

 振り抜かれる真紅の剣。しかし〈真紅の王〉は易々とその一撃を躱す。

 軽く跳躍しただけにも見えるが、彼の体は大きく後方へと跳ね上がった。

「はは……当たれって、神にでも祈ってるのかい? 面白いことするね」

「何が、面白いってッ!?」

 飛び上がった少年に突き出すように、セロは掌を突き出す。その延長線上に、黒の魔弾がばら撒かれた。黒い霧を圧縮したそれは、さながら黒の流星。それらが、抉るような角度で少年へと襲い掛かる。

「面白いに決まってるじゃないか――だってさ」

 不敵な笑みのまま、彼はセロと同じように掌を突き出す。余裕を持った、いっそ優雅にさえも見える動作だ。

「――神を前にして、誰に祈るというんだ」

〈真紅の王〉の掌が、空を掴むように握られる。たった、それだけで。

 今にも直撃しようといている黒の群れが、音もなく消失した。

「くそ……通じないか」

 いとも容易く攻撃を防がれたことに、セロは歯噛みする。今まで考えられるあらゆる方法で攻撃を通そうと試みたが、未だそれが掠った試しもない。

 実はこの戦いにおいては、セロの方が圧倒的に有利な条件であった。目の前にいる〈真紅の王〉は、本物ではない。セロの中に埋め込まれた彼の細胞が、その意識の中に現れているのだ。

 いわば、魔力で作られた幻影。そのため、ともすれば本物が有するその桁外れた力量に制限が掛かっている状態である。それならば、セロの魔術を当てさえすれば倒すことは容易なのだ。

 たったの一撃。しかし、それが果てしなく遠い。

 頭の中では、既に次の攻撃が組み立てられ始めていた。諦めてしまえば終わり。それは、おそらく自分のために戦ってくれているのだろうイルミナ達を裏切る行いでもある。

 それだけは、もうできない。

「……神を自称するなんて、随分と大きく出るんだな。アンデッドだけじゃなく、人類もお前がつくった、って言いたいのか?」

「そうとも言えるし、そうではないとも言える」

 返ってきたのはからかうような笑みと、肯定と否定を意味する答え。セロの時間稼ぎという目的を理解していながら、乗っている可能性が高い。

 神を名乗る少年は、何かを指し示すように両腕を大きく広げる。

「この世界には、人の想像では及ばないほどのことがたくさんある。科学でも、魔術でも解明できない、そんな現象がね。人間をつくったのは、それ――世界の意志だ」

「世界に、意志……?」

 困惑に、セロの表情が歪む。今は一刻でも早く〈真紅の王〉を倒さなくてはならない。それを分かっていても、目の前の少年が発する言葉自体が磁力を持っているかのように、その意思を引きつける。

「君たちの言葉で言えば何だろう……そう、〈運命〉というのが一番近いかもしれない。世界をあるべき姿に保つ、絶対の力だよ。それが介入するときは、たった一つしかない」

 そこで言葉を切り、〈真紅の王〉はセロを試すように眺める。

「……世界にとって邪魔な存在を消すとき、か」

 セロの答えに満足そうに頷く。まるで教師が生徒の成長を喜んでいるようであった。

「それで、世界が人類を産み落としたとき、同時にその管理役として僕も生み出された。人間が、世界にとって脅威であるかどうかを見定めるために」

 そう言って、少年は愉快そうに笑む。どこにでもいる子どものように、ただ、無邪気に。

 人類という種の誕生から、〈真紅の王〉は自分たちをどういった存在か見定めるために生きてきた存在、〈真紅の王〉。コールドスリープを経たセロからしても考えられない時間を、彼は過ごしてきたのだ。

 ドクターの話とつなぎ合わせれば、結果として人類は彼を失望させた。だから、彼は人類を、同じように争いを繰り広げてきた獣人、エルフをも滅ぼすことを決めた。

「それなら、僕は人間にとっての神だよね? 危うく見つかりかけて、〈魔法使い〉とか〈吸血鬼〉とか、いろんな場所でいろんなふうに呼ばれたりもしたけど」

「……なるほどね」

 何かを納得したように、セロは小さく頷く。それを見て、少年は喜々とした表情を見せる。

「分かってくれたんなら、嬉しいなぁ。それならどう? ドクターが言ったみたいに、僕らに協力してみないかな」

「……あぁ、よく分かったよ」

 セロは腰を落とし、赤い剣を体の左側に隠すようにして引き寄せる。居合のような構えは、セロが無意識の内に学んだものだ。

「神だの、管理者だの、勝手に言ってろ。やっぱりお前は間違ってる。それがよく分かった」

「……やっぱり、君も愚かな人間の一人、か」

 残念だ、と溜め息を吐く少年は、セロと同じように、右手に剣を具現化する。純白といえるほど、穢れのない剣。神を名乗る少年の姿が、そこに映し出される。

 慣れた動作で左半身を前に。剣の柄を上げてその切っ先を、セロに向けるようにして構える。


 同時、セロが大地を蹴った。埋め込まれた細胞は、身体強化の魔術を掛けずして爆発的な加速を生み出す。

 距離は、無いも同然だった。

 セロが〈真紅の王〉に肉薄した瞬間には、純白の剣はその眼前に振り下ろされていた。それを切り上げた剣で受け止め、左へと落とすようにして流す。そのまま時計とは逆回りに体を回していく。

 遠心力の十分についた回転切り。しかしそれが相手の少年の胴を捉える前に、剣を握る手が蹴り上げられた。跳ね上がった刃は少年の白い髪を掠め、虚空にその軌跡を描く。

 流れるセロの体の前には、既に戻った白銀の剣。それが、一瞬の後に首をはねようと待ち構えている。

「まだ――負けられるかッ!」

 強引に、セロは左手を無色の床へと。その意図を悟った〈真紅の王〉は、悔しそうに後方へと跳んだ。

「〈消失の煙(ブラック・ミスト)!〉

 詠唱と同時、勢い良く噴出された黒煙が、セロの周囲を覆うように立ち込める。セロの体は、完全に黒煙の中に包まれた。


「……この空間にいる自分も魔力体だって、忘れてるんじゃないの?」

 立ち込める黒煙を眺め、〈真紅の王〉は吐息と共に、つまらなさそうに零す。セロは自滅した。自らの魔術で、自身を敗北へと追いやったのだ。

「つまんないの――ッ!?」

 薄れゆく霧の中から、不意に何かが飛び出した。それは、消滅したはずのセロだ。

 慌てて前に出した剣が、セロの上段からの一撃を受け止める。

「何で……!? あの魔術の中で、無事なはずが――」

 よく見れば、うねる黒の塊の中に一点だけ、霧が避けている場所がある。いや、押しのけられているのだ――握りこぶし大ほどの、小さな黒い球体に。

終焉世界エンド・オブ・ワールド〉。全てを飲み込む深淵の塊。その応用で、逆に魔術を反発させることで安全地帯を作った。

 それはセロが使用できる方陣魔術である。だが、その縮小版とはいえ、まだ魔術を上手く扱えないセロが行使できるものではなかった。

 そんな〈真紅の王〉の困惑も、白銀の剣も、セロは息もつかせぬ連撃で押しのける。

「とどッ――けぇえええ!」

 赤い軌跡が幾重にも重なり、〈真紅の王〉の防御を掻い潜ろうと金属音を飛沫として散らす。繋がるような連音とセロの叫びが、無の空間を満たしていく。

 だが、この猛攻には理由があった。セロの体の至る所から、じりじりと消滅が始まっているのだ。不完全な〈終焉世界〉では、完全に防ぎきることはできなかった。ゆっくりとではあるが、それは間違いなく彼の体を蝕んでいる。

「ハッ……自分で不利になってどうするのさ」

 嘲笑を向ける〈真紅の王〉の声も、セロの耳には入らない。

 ただ一撃を通すこと。それだけに彼の意識は集約されていた。


 上段からの切り下ろし。右からの切り上げ。左薙ぎ。刺突。下段への切りはらい。回転斬り――。

 苛烈を極める乱舞。赤と白銀の軌跡がぶつかり合い、弾かれ、再び切り結ぶ。しかし不意打ちによって押されていた〈真紅の王〉も、今ではその体勢を立て直しつつあった。

「ほらほら、もっと頑張らないと届かないよッ!」

 少年の切り返しによるカウンターが、更にセロの肉体を削っていく。形勢は、完全に逆転していた。

 そして、その瞬間は訪れた。

「ぐっ……!?」

 右脚をほとんど浸食されたセロの体が、僅かに、バランスを崩したのだ。刹那における攻防の、ほんの一瞬の空白。どんな信念も、思いも、覚悟でさえも、死には抗えない。

 銀弧が、セロの右腕に重なった。赤い剣を持った右腕は、切り上げによって宙へと撥ねられる。続けざまに、白銀の剣が跳ね上がり、セロの首を狙う。

 敗北。その二文字が、セロの心を染めていく。

 負ければ、戦っている仲間たちはどうなるか。そんな思いと共に、彼らの顔が脳裏をよぎる。最後に浮かんだのは、ゼイナードをともに倒した時の、少女の表情。自らの命をセロに預け、信頼した彼女の笑みだった。

 一瞬、本当に隣に彼女が存在しているような感覚を得た。その手が、自分の左手に重ねられるのを、確かに感じた。

 先ほど、〈終焉世界〉を発動した時と同じように。

「そうだ……まだ、終われるかッ!」

 残されたセロの左腕。その先から、一筋の赤光が生まれる。


――人を理解した? ふざけるな。


 遠くから眺めているだけで人間を理解できるなら、それほど楽はない。それだけで理解できない複雑な心を持つ生き物が、人間だ。

 生きる意味など知らない。時に間違い、時に傷つけ合い、それでも前に進めるのが、人間だ。

 離れていても繋がっている。死を恐れながらも、それに立ち向かう。そんな矛盾が、人間だ。

 たとえ何千年生きていようが、それだけで人を理解したという傲慢を、セロは許さない。

 神などと言っているうちは、絶対に人は理解できないのだ。


「人を――ナメてんじゃねぇぞぉおおおおッ!」


 叫びと共に、突き出されたそれは二本目の剣。それが、〈真紅の王〉の胸を刺し貫いた。

 勝利を確信していた少年の笑みが、驚愕に歪む。その動きは完全に停止した。

 そして一瞬の間の後、貫かれた場所を中心にして〈真紅の王〉の体が弾けた。セロへと向けられた剣は、虚しい音をたてて地へと落下する。

 

「ははっ……これは一本、取られたかな」

 乾いた笑い声を漏らし、少年の体が仰向けに倒れこんだ。どさり、という音が虚しく白亜の空間に響く。

「どうやら、まだ君を舐めていたみたいだね……」

「うっせーよ……ってか、これで本気じゃないとか、どうなってんだよお前」

 斬りつけられた右腕を庇いながら、セロはげんなりとした表情を見せる。

 今回は勝ちを収めたが、これは〈真紅の王〉にとっては遊びに過ぎない。全力ではないし、次は今回のように、精神空間の中での戦いではなく現実での実戦だ。このような捨て身の戦法はもう通じない。

 少年の体は、既にほとんど消えかかっていた。胸から上が、ゆっくりと無の空間に消えていく。

「人は消える。消えなきゃいけない……それだけは、運命が定めている。なのに、まだ人類の味方をする気?」

「……あぁ、決めたからな」

「決めた……何を?」

 セロを見上げる少年の首が、小さく傾げられた。これだけ見ていれば、本当にただの少年と変わりない。


「お前たちには誰も殺させない。それで、どんな事情があるかは知らねぇけど〈赤の教団〉も、お前も、絶対死なせねぇ。ぶん殴ってでもお前らを止めて、その罪を償わせる」

 今決めたんだけどな、ときまりが悪そうに鼻の頭を掻くセロ。

 一瞬きょとんとした表情を浮かべていた〈真紅の王〉だが、しばらくするとくすくすと笑い始めた。

「本当面白いね、君は。それ多分、世界を救うより大変だよ?」

「できないって決まったわけじゃねーだろ」

「……まぁどうでもいいけどさ」

 ぎらり、と真紅の瞳が獰猛な輝きを発する。

「……今度は、勝ちは貰うよ」

 その言葉を最後に、〈真紅の王〉は消えていった。

 それを見届けると、黒衣の少年も同じように倒れこむ。あと数分の後、自分の体も完全に消え去るだろう。その後は、どうなるか分からない。

 体が消えていくのを感じながら、少年の意識は再び闇の中に沈んでいった。



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