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対峙━2

――天才とは、何か。

 その問いに、多くの者はこう答えるだろう。

 生まれながらにして、類まれなる才能を持った者、と。それはある程度心身が成熟すれば自然と開花するものであったり、努力をきっかけにして開花するものでもあったりする。

 古今東西、歴史にその名を刻む者は当然の如くそれらを持ち、この世に生を受ける。持たざる者には彼らを超えることはできない。

 誰もが知る通り、世界は平等足りえない。才能とは、人が生まれて最初にかけられるふるいだ。

 そこから落とされながらも、尚も上を見る少年がいた。

 悠然と自らの上を歩く者達を見上げ、彼はそれに手を伸ばした。

 上を見ることを止め、下を向く者達など気にもせず、届かぬと知りながらも、這い上がろうとした。

 もう少しだ。

 死に物狂いの努力の果てに、彼は上にいたはずの者達を近づいていくのを感じた。

 あと一歩。それで、彼らに追いつける。

 だが、次の足掛かりが見つからない。何をどうすればいいのか、分からない。


 そこに、ある男の目を見た。

 死を目前にしても怯まぬ強者の目。出会ったことのないそれに、恐怖を覚えた。

 自分にはないもの。何故強いはずの自分が持っていないものを、こんなにも弱い者が持っているのか。


――お前、何なんだよ。


 男は叫ぶ。意味の分からぬことを抜かす獣人に、苛立ちを覚えた。

 嫉妬とは違う。では、何か。

 ようやくその答えに行き着くと、彼はそれを全力で否定した。

 そんなはずはない。バスクという獣人は、自分より弱いのだから。

 だから、生まれるはずはないのだ。


――憧憬などという、感情は。



 今や宙を舞う蛇の数は、一から二、二から四へと増えていた。それぞれが別個の意志で動いているかのように、縦横無尽にせわしなく動き回っている。

 圧倒的優勢。相手は手負い、しかも既に左腕は使えないときている。

 それなのに。何故、仕留めきれずにいるのか。

 自分の視線の先、バスクは最早満足に動かないであろう身体でこちらの攻撃を躱し続けている。ともすれば直撃してしまうのではないかというほど危うい避け方ではあるが、事実、先ほどから一撃も食らわせられていない。

 口から血を零し、全身の痛みに必死に耐えながら。その目だけは、変わらぬ覇気を宿している。


――俺は、あれほど必死になったことがあっただろうか?


 自身に問うも、その答えは出ない。出せない。

 しかしそれこそが、ルイスにとっては答えだった。

 苛立ちに、歯を軋ませる。

 何だというのか。あの男は、一体何を持っている。


「何が俺に足りないっていうんだよ……ッ!」


 さっさと倒れろ。そうすれば、ただの思い過ごしで済ませられる。

 そんな懇願にも近い思いを込め、もう一度、四本の鞭による追撃を行おうとした時。

 獣人の動きに変化があった。

 今までは避けるためだけに動き回っていたものが、一瞬だけ深く体勢を沈めた。突進の前に見せる、ばねが引き絞られるような短い動作。

 遂に向こうから仕掛けてくる。

 そんな相手を見て、ルイスは焦りが引いていくのを感じていた。

 反撃を警戒して攻めきれなかったが、突っ込んでくるのならばこちらも攻撃を当てやすくなる。


――確実に、仕留める。


 鞭のグリップを握りしめたのと同時、獣人の体が弾かれたように加速する。

 獣人が有する野生の並外れた膂力。加えて身体強化の魔術が掛けられた脚力。その二つによって生み出された速さは、凄まじいものだ。

 踏み込まれた床は抉れ、音をさえ超えて爆散する。

 フェイントを交え、変則的な動きで肉薄するバスク。その姿は方向転換の際の一瞬しか視認できない。しかも、それすらも影のように映る程度。


 しかし、それを狩るのがかりうどというもの。


「――目覚めろ、〈蛇神(オロチ)〉」


 それは彼の武器に込められた、〈起動〉の文言。ルイスの呼びかけに応じ、手にした得物が、太く、長大にその形状を変えていく。

 手元で四本に分かれていた鞭は、更にその倍、八本へと増える。

 ルイスの愛用する武器の名は、〈ヤマタノオロチ〉。遥か昔に人間の前に顕現したという八頭を持つ怪物の名を冠する鞭。

 魔術によって疑似的に再現されたそれは、怪物という存在でありながら、神々しさを纏っていた。くすみのない蒼色の鱗は一種の芸術品であるかのような美しさを有し、眼窩で輝くルビーのような八対の目に射竦められれば、蛙でなくとも委縮してしまうだろう。

 だが、白狼は怯むことなく地を駆ける。

 足を止めれば、その先に待つたった一つの結末を知っているから。


「――喰らえ」


 短く、しかし冷淡さを十二分に感じさせる命令。

 同時、鎌首をもたげた八対の邪眼が、獲物へと跳び掛かる。


 一撃目、二撃目。

 バスクの進路を予測し、蛇がその咢を開く。

 毒牙が突き立てられたのは階層を隔てる硬質な床。

 だが、進路は大幅に絞られた。


 三撃目、四撃目。

 さらに進路を絞るべく、二頭が宙を駆ける。

 荒く硬質な鱗が擦れるたびに、壁面が大きく抉られる。

 残された彼我の距離は半分。


 五撃目、六撃目。

 白狼の行動範囲はほとんど絞られたと言ってもいい。

 高速で襲い掛かる二頭が、無理やり体勢を傾けたバスクの身を掠め、浅く皮膚を削いだ。

 もう、回避は不可能。


「――チェックメイトだ、狼さん」


 時間差で、残された蛇が襲い掛かる。

 肩口に喰らいつこうとした一頭は、バスクの振り抜かれた右腕でその軌道を逸らされる。

 だが最後の一頭。胴に鋭牙を突き立てようとするそれを、左腕が使えないバスクには防ぐ術がない。

 

 一瞬遅れて聞こえてきた、肉が穿たれる音。

 だが、ルイスが目にした光景は、予期していたものとは違った。

「折れた腕を……盾にッ!?」

 毒牙が突き立てられた場所。それは先ほどの一撃で骨を砕かれた左腕だった。


――何で、そこまで……ッ!?

 

 今、バスクを襲っている激痛は計り知れないものだろう。腕の中は砕けた骨が筋繊維を傷つけ、そこに〈ヤマタノオロチ〉が持つ麻痺毒も加わっている。

 それにもかかわらず、彼の目には痛苦も憤激も浮かんでいない。いや、それすらも押しつぶす何かがあるのだ。

 ルイスの知らない感情が、刺す様な眼光となって宿されていた。


 気が付けば、巌のような巨躯が目の前に立ち、無感情に彼を睥睨していた。

「――ようやくだな、優男」

「なっ……!?」 

 反応の間もなく、強烈な前蹴りが腹部にめりこんだ。衝撃が身体を抜け、吐き出される苦い体液と共に意識まで抜けていきそうになる。


――やばい。これは、マジでやばい。


 脳が、警鐘をこれでもかというくらいに打ち鳴らしている。

 この至近距離は明らかにバスクの間合いだ。ここでは自分の武器である鞭を使えない。

 反射的に、後退するべくありったけの力を脚にかき集める――だが。

 メキッ、という怖気だつ音が、痛みと共に生まれた。

 見れば、踏み出した足がバスクの踵によって縫い留められている。

「まぁ、そう遠慮するな。これくらいで礼を終える気はないんでな」

 そう言って、意地悪く口角を吊り上げる狼。いつもの間にやら右の拳が振り上げられている。しかも、魔力によって最大限に硬質化された拳が。

「……趣味悪ぃぞ、お前」

 言い終えると同時、全力の一撃がルイスの体に叩き込まれた。

 気が付けば、その痩身は広間の隔壁をぶち抜いていた。連続で襲った前後からの衝撃。全身の骨がばらばらになったのではないかと錯覚するほどだった。


「手加減なしかよ……まぁ人のこと言えねぇけど」 

 自らの体で作った瓦礫の山から何とか抜け出して立とうとするが、視界がぐらついて上手く立ち上がれない。頭を軽く振ると、少しは楽になった。その時になり、ようやく気が付く。

「おいおい、ここって……」

 広間に隣接した、小さな部屋。

 得体のしれない図が広げられた巨大なデスク。装飾など皆無の味気ないそれが、部屋の半分を占めている。それだけなら、ここまでの衝撃を受けない。

 ルイスが凝視しているものは、その部屋の両側に並べられた、卵形のカプセルだった。人間一人は軽く収納できそうな大きさのそれは、全てが何者かによる破壊の被害を被っていた。

「実験室……か?」

 全身を襲う痛みも忘れ、引き寄せられるようにカプセルへと近寄っていくルイス。よく見れば、下には何かを意味する文字が刻まれている。左端のものは比較的破壊されたのが最近らしく、そこには「試作品 NO.0(ゼロ)」と書かれていた。何を意味するのかまでは分からない。

 さらにその下には、その実験が行われた時期を表わしたらしい数字が羅列している。

「あ……? おかしくねぇか、これ」 

 それを順にみていくうちに、ルイスはある違和感を抱いた。しかしそれが何なのかは上手く言葉として表せない。そんなもどかしさとしばらく向き合い、もう一度カプセルを順に眺めていく。

 そして、遂にその正体を突き止めた。足を止めたのは、先ほどの試作品と書かれたカプセルの前。

「……試作品って、最初に作られたってことだよな」

 解けぬ疑問に、ルイスは首を傾げる。


「――じゃあ何で、実験が行われたのが一番新しいんだ……?」



 木々が密集する樹海。様々な樹木が群生するその場所を疾走する白い影があった。

「あぁーもう、しつこいなぁ!」

 振り向きざまにエレナは魔術を発動する。生み出される不可視の魔弾。

 大気を穿ち、木々を薙ぎ進むそれらは、果たして彼女を追う標的目掛けて正確に飛来していった。着弾と同時、解放された魔力が、肉片を、鮮血を、赤い花のように散らす。

 しかし、穿たれた部位はまるで時間が戻るようにして修復されていく。一瞬の後には攻撃された後さえも残らない。

 高速再生。〈死者の王〉が持つとされる、厄介な能力の一つだ。どれだけのダメージを与えようが、一瞬後には無駄になってしまう。

「しかもさっきのも全然効いてないとか……もう泣きそうだよ私は」

 もしこの言葉を聞くものがあれば、眉を顰めずにはいられまい。その言葉とは裏腹に、彼女からは諦念や絶望といったものが一切窺えないのだから。


 視界に迫る木々を躱し、ぬかるみを飛び越え、一定の速度で走り続けるエレナ。その十メートルほど後方には樹木を踏み倒しながら進む巨大な影が迫っている。

 体躯から考えれば、歩幅の差によってすぐに追いつかれてしまいそうなものだ。しかし、その大きさこそがここでは逆の効果をもたらしている。エレナは木々に隠れるようにして走り続けることで、この逃避行を可能にしていた。


 だが、大きさとは最も単純な力量の差でもある。

 古来より、肉体の巨大さとは強者の象徴としてのイメージが強い。何故か。

 当然だろう――強者は、身を隠す必要などないのだから。


 樹海に響き渡る、全身が粟立つような声にならぬ叫び。

 その発生源は、〈死者の王〉によって集められた膨大な魔力。まるで大気が悲鳴を上げているようにも聞こえる。

 振り向けば、彼女の目は自分に向けられた巨腕を捉える。

 その手の先には、一転に凝縮された魔力の塊が渦巻いていた。

「やっば……ッ!」

 エレナはすぐさま両脚に強化魔術を掛け、その場から飛びのいた。

 同時、せき止められていた力が解き放たれる。 

 それは、攻撃などという生易しいものでない。

 方向性を与えられて放出された重力場は木々を叩き潰し、大地をも砕く。さらには落雷を何倍にも重複させたような爆音が、質量を持って周囲のものを震えさせる。

 

 叩きつけられた爆風に、エレナの細身は容易く吹き飛ばされた。二転三転してようやくその勢いは止まり、自らの無事に安堵することすらも忘れ、慌てて顔を上げる。

 その目に飛び込んでくる光景に、エレナは思わず呻くしかなかった。

 〈死者の王〉の前方、幅にして五メートルはくだらない更地が、先も見えず続いていたのだ。

「おい、これは……ないだろうよ」

 攻城兵器ですら為せない惨状を、たった一体のアンデッドが容易く作り出した。その事実に、恐れ以外の何の感情を抱けと言うのか。自らが戦おうとしている存在が化け物だということを、改めて認識させられる。

 再びの叫喚が、エレナの思考を戦場へと呼び戻した。

 轟音を上げて振るわれる巨腕を、身を屈めることで何とか避ける。風圧だけで周囲の木々が薙ぎ倒され、 そのうちのいくつかがエレナの体を掠めていく。幸い、直撃には至らなかった。

 だが、問題はその後。

 振るわれた者とは逆の腕が、エレナの真上にあった――先端には、先ほど以上の暴力の渦。

 直後、腑の底に響くような重い衝撃音が森を貫く。

 重力によってつくられた矢が深々と大地を抉り、瞬間的に砂塵へと変えられた粉塵が高く上空に吹き上げられる。さらに収束しきらぬ魔力の奔流が、その周辺さえも焦土へと変えていった。


 砂埃も晴れたころ、巨大な影が真新しいクレーターを前に蠢く。

 自らが作り成した破壊の痕跡を前に、アンデッドの統括者は歓喜に打ち震え、吼えた。

 空に、大地に、そして全ての生者に。自らの存在を、いずれ滅ぼされる敵全てに知らしめようとして――だが。


「――何喜んでるのさ、肉ダルマ」


 死したはずの者の声が、その咆哮を止めた。

 爆砕と焼失。一帯を蹂躙したそれを受けずに済む唯一の空間――〈死者の王〉の背後に、彼女は佇んでいた。その手に、自らの得物である大鎌を持って。

 巨体が振り向くよりも早く、彼女は飛び上がり、半身をねじることでその鎌を大きく振りかぶる。その刃先は淡い光を宿し、何らかの魔術が使われていることを示していた。


「ふ――ッ!」


 短く吐き出した呼気と共に、力を一瞬先の刹那へと集約する。

 醜悪な肉塊が振り向いた瞬間目掛け、〈死者の王〉の右腕に大鎌を叩きつけた。外皮を覆う鱗を散らせたが、しかしその一撃は肉を断つまでには至らない。

 お返しと言わんばかりに、彼女を視認した〈死者の王〉の腕が、彼女を叩き潰そうと振り上げられた。

 しかし、それは叶わない。次の瞬間にその腕は、見えぬ斬撃によって斬り落されたのだから。

 鮮血を噴き上げながら、重力に引かれて腕が落下していく。肉腫の中央のくぼみから漏れ出る光の瞬きが、顔のない化け物の驚きを如実に物語っていた。


 エレナの発動した魔術、〈鎌鼬かまいたち〉。大気中で真空状態が発生した際に見られる現象。それが疑似的に再現されているのだ。


「大地を統べる風の力――お前に、止められるかい?」


 不敵な笑みが、彼女から零れる。

 先ほどの一撃で斜めに振り下ろされた大鎌。それを体ごと回転させることで、止めることなく再び振り上げる。

 それは流れるように袈裟切りの一撃へ。それに追随するかのように、不可視の斬撃が鱗のむき出しになった部位を的確に削いでいく。その衝撃も覚めぬうちに、再びの鎌による一閃が続いた。

 一撃を、更なる一撃への加速へ。彼女の流れるような動きは、一瞬たりとも途切れることがない。むしろ、加速度的にその激しさを増していく。

 その激しさは、まさに暴風。

 万物を飲み込み、無慈悲に吹き飛ばし、無へと帰す抗いようのない力。

 自然によって産み落とされた破壊者。

 怒涛の乱撃に、巨体が堪えきれず後ろへ下がる。だが、エレナはそれを許さない。離れられると同時に距離を詰め、更なる連撃を叩き込む。


 当然その異常な再生能力によって、切り刻まれた傷は瞬く間に塞がっていく。だが、その再生能力も欠点がないわけではない。

 事実、先ほど切り落とした腕は未だ再生する素振りを見せない。再生のたびにその速度は遅くなり、傷の治りも悪くなるのだ。

 それが、前回の戦闘で得た唯一といっていい情報。そのたった一つの情報と引き換えに、エレナの部隊は、それが守ろうとした村は、犠牲となった。


 苦し紛れに打ち出された拳が、エレナの斬撃を掻い潜って迫る。だが、闇雲に放たれた攻撃など彼女にとっては脅威にすらならない。小回りの良さを活かして動き、そのまま素早く巨体の裏側へと回りこむと、鎌の刃を頭部である肉腫に引っ掛ける。


「ぶっ……倒れろぉ!」


 全身全霊の力で鎌を振り抜き、その歪な巨体を地面へと叩きつけた。その超重量の衝撃に、大地が放射状にひび割れる。

 エレナは即座にその上に飛び乗り、残された左腕を鎌で大地に縫い留めた。これで完全とは言わないが、無力化に成功した。


「……随分と、大人しいじゃないか」

 人間の言葉など、通じているかどうかも怪しい。当然、言葉を話すことができない〈死者の王〉からの反応はない。

 エレナは怪訝そうに眉をひそめる。

 何かがおかしい。そのことを彼女は敏感に感じ取っていた。

 不気味なほどに、目の前の怪物からの抵抗がない。弱すぎるのだ。この程度のアンデッドに、急揃えだったとはいえ、最強とさえ謡われた部隊が壊滅させられるなどありえない。

 

 ざわり、という何かが背を這うような感覚。

 風が、背後の何かに警告を発している。

 振り向きざま、エレナは後ろ手に魔弾を撃ち出した。宙を滑走するそれは、標的が即座に回避行動をとったために当たることはなかった。

 彼女のいる場所から少し離れた場所。そこに直立する大木が伸ばす枝に、赤いローブが風に揺られていた。足が僅かに見える程度で、それ以外は外見からの情報は得られない。

「気配を消していたつもりなのに、これに気が付くって……お姉さんすごいね」

「今の躱されたんじゃあ、あまり褒められた気にならないんだけど?」

 まだ幼さが残された声。その主が、大地へと降り立つ。

 すると、その背後の闇の中からいくつもの影が現れた。


「〈サルベージ・ウルフ〉……」

 鋭く立ち並んだ牙、荒々しい眼光。見た目のとおり、その凶暴さで知られる獣だ。しかも、実力も決して侮れない。そんな存在が、数にして十はいる。

 エレナだけにその敵意が向けられているところを見ると、少年が操っているのだろう。

「教団の……召喚士、か」

 この世界に数多存在する魔術師。その中で治癒魔術師と並べられる稀有な存在の名称だ。召喚とは言うが、実際は魔力によって疑似生命を新しく作り出すものだ。完全に命を作り出すわけではないので、生み出された者は時間が経てば自然消滅する。

 エレナは実際には扱えないため真偽は分からないが、何故か既存の存在しか作り出せないらしい。その皮肉を込め、〈召喚魔術〉と呼ばれているのだとか。


 〈死者の王〉の動きにも気を付けながら、エレナはその少年らしき人物に話しかける。まずは情報が欲しいところだ。

「もしかして、ずっと見ていたのかい? あんまりいい趣味じゃあないね」

「まぁね。すごかったなぁ、お姉さん、血の海の中に普通に入っていくんだもん。僕なら絶対にやりたくないね」

 べらべらと、屈託もなく、何でもないことのように話す少年。しかし、そこにはある事実が含まれていた。エレナが恐れていた嫌な予感に直結する、ある情報が。

「でもさぁ、お姉さんも迂闊だったよねー」

 フードの中の見えぬ顔。エレナにはそれが、ぎぃ、と音をたてて醜悪に歪んだ――そんな気が、した。


「――か弱い女の子を、一人にしちゃ駄目だよねぇ?」


 漠然とした予感は、確信へと。

 エレナの口から、掠れた吐息が漏れる。

 同時、一頭の〈サルベージ・ウルフ〉が、闇の中から進み出た。

 その口に咥えられたもの。何か――正確には、誰か、だ。

 ボロボロになった、よく知っている青の制服。所々が赤黒く染まっていようが、見間違えるはずがない。それはアースラの隊服なのだから。


 抵抗する力もなく、ぬかるんだ地面を引きずられてくるエルフの少女。

 恐れていたことが、エレナの前に現実として突きつけられた。


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