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真実━6

 意識の覚醒と同時、体中の様々な部位を鈍痛が襲った。動きに大きな支障をきたすまでではないが、無視できない程度には痛い。

「ここは……俺、何でこんな場所に?」

 目を開いているにもかかわらず、視界は闇に塗り潰されていた。空気は埃っぽく、かび臭い。ここに来るまでの記憶を辿ろうとするが、それだけの行為が頭痛のきっかけになってしまう。

 声が響いたのは、セロが目覚めてからすぐだった。


「お目覚めかね?」

 聞き覚えのある声と同時、閃光が闇を打ち払った。

「……ッ!?」

 唐突に出現した光が、刺さるような痛みとなってセロに襲い掛かる。天井に付けられた照明が息を吹き返したのだ。

 ようやく目を開くと、この場所が長方形をした、広大な空間であることが分かった。

 その中央には二つの影。セロはその二人を知っていた。

「お前ら……教団のッ!?」

「動かないでくださいますか? 我々もなるべくなら穏便に事を済ませたいのですよ」

 真紅の剣を出現させようとしたセロに対し、赤いローブの男――クロードが口を開く。

 見れば、セロの周囲には淡い光を放つ紋章――光線の砲口が、包囲するような形で漂っていた。抵抗する素振りを見せれば魔術が発動し、瞬く間に自分の命を奪うだろう。

「……ご理解いただけたようで何よりです」

 此方が発動しかけていた魔術を解いたのを見て、無感情にクロードが告げる。その隣の白衣の男は、彼から「ドクター」と呼ばれていた男だった。

 確かに白衣を纏った姿からは医者のようにも見えるが、その目に宿る狂気は決して命を救う側にいる者には見えない。

 マッドサイエンティスト。そんな言葉が脳裏をよぎる。

 浮かべられた人当たりのよさそうな笑みも、その実はただの仮面でしかないのだろう。

「まずは、先日クロードが攻撃を仕掛けたことを詫びよう。確かに君が協力的でなければ殺してもいいとは伝えたが……我々は今、こうして話し合いの機会を得た。ならば、つまらない過去は水に流そうではないか」

「話し合い……仲間になれって言うんなら、俺は断るぞ」

「ならば――!」

 光弾を打ち込もうとしたクロードを、ドクターは視線を向けることで諫める。

「やめなさい。彼は何も知らないだけだ、ならば無理もあるまい? せっかく迎えまでやって連れてきたのに、無駄になるじゃあないか」

 その言葉に、気を失う前の記憶が戻った。

 セロは正体を知る手掛かりがあることを願って、自分が発見された施設へと向かっていた。そこで、見張りと名乗る傭兵に出くわして。

 施設へ向かう許可を得ようと話していたら、突然見たこともないアンデッドに襲われたのだ。巨大で、不気味な存在だった。おそらく迎えとはそのことだろう。

 不意を突かれ、抵抗することもできずに意識を奪われた。

「おい……あの傭兵達はどうした!? まさか――」

「おや、見知らぬ他人を心配するのかね? 優しいことだ。だが別に彼らがどうなろうと――」

「答えろよ!」


 怒りのあまり、噛みつくような勢いで叫ぶ。答えは分かりきっていた。

「さあねぇ……クク、確かに君を連れてきた時、やたら返り血を浴びていたようだったが。まぁ、運が良ければ一人くらいは見逃しているんじゃないか?」

「テメェ……ッ!」

 殺したい。初めて、心の奥底からそう思った。へらへらと傭兵達の死を告げた、目の前の男が許せなかった。

 彼らの死に、理由も目的もない。虫けらのように、ついでと言わんばかりの形で殺されたのだ。

 クロードの魔術があることも、もうどうでもいい。彼らの仇を取る。その考えだけが、ただ先行していた。

 ドクターが、再び口を開くまでは。


「――我々は、救済のために動いている」


「……は?」

 その言葉に、セロの思考は停止した。吶喊とっかんすべく構えていた勢いは失せ、手に集中していた魔力も霧散する。

 何を言っているのか分からなかった。イルミナやリンの村を破滅させ、人々を虐殺した彼らの行動が、どのように世界を救うことに繋がるというのか。

 その反応はすでに予測していたらしく、ドクターの顔に薄い笑みが広がる。一瞬からかわれているのかとも思ったが、嘘を言っている様子はなかった。

「あぁ、君が考えているようなものとは少し違うだろうね。君はどう思う? 正しき世界とは、争いの無い平和な場所か? 悪人など存在しない、皆が安全で満足な生を全うできる――そんなところかね?」

「それは……」

 予想していなかった問いかけに、セロは言葉に窮する。

 自分は何を望み、今まで戦ってきたのか。この世界で生きることに必死で、そんなことは考えたこともない。

 いや、この世界に来る前ですらも世界がどうあるべきかなどという哲学的なことは考えたことはなかっただろう。

 それを見かねてか、ドクターは自分の言葉を続ける。

「我々が考える正しき世界とはね――『正義のない世界』だよ」

「正義の、ない……?」

 理解のできない言葉を理解しようと、セロは必死に頭を働かせる。しかし、想像できた光景は犯罪者が跋扈し、無抵抗な人々が逃げ惑うというもの。世紀末とも呼べる。


 白衣の男は、困惑に顔を歪めるセロに苦笑する。

「簡単なことだ、自然界に生きる動物を思い浮かべたまえ。彼らは生きるために殺し、そしてより上位のものに殺される。それだけのルールに生きる世界だ。我々人間のように、つまらぬ感情で同胞を殺す存在はいない」

「それで、皆をアンデッドにしようってのか」

「それはただの過程にすぎない。そうして餌という動力源を失ったアンデッドも絶滅し、そのうちに教団も滅びる。長き時を経て、残るは偉大なる自然と、〈真紅の王〉のみ。そこから新しい世界を始めるつもりなのだよ、あのお方は」

「動物もアンデッドに食われるだろ」

「彼らが餌にするのは三種族のみ。そのように〈真紅の王〉は御創りになられた」

 アンデッドを創生するぐらいだ、おそらく〈真紅の王〉とは人間ではないのだろう。ドクターの言う計画では、その者が常人からすればかなりの長い時間を生きることになるが、それすらも可能な存在ということ。


「……馬鹿げてる」 

 世界のリセット。

 それを何でもないことのように零す男の表情からは、冗談を言っているような素振りは窺えない。本気で、それを実行しようとしているのだ。

「そんなことをして……何になるんだよ」

「素晴らしいと思わないか? 自らが生態系の頂点と思いあがっている人間が、強大なアンデッドから逃げ惑う姿――っと、失敬。君はそういったのは嫌いなクチだったか」

「何でそんな……」

 セロには到底理解できる話ではなかった。

 確かに他人に対して憤りを抱かなかったわけではない。アガノフの横暴さには本気で怒りを覚えたし、何故こんな男が存在するのかとも思った。

 自分だって複雑な感情を持つ人間だ。怒りも、憎しみも、時には殺意さえ抑えきれなくなる。

 それでも、人類という括りが消えてしまえばいいと思ったことはない。


 ドクターは両腕を高く掲げる。彼の目には広大なこの部屋よりもさらに大きな何かが見えているようだった。

「人間だけですよ、同じ種でありながら、些末な感情を理由に争い、殺し合い、この世界を汚しているのは。それだけでは飽き足らず、挙句の果てにはそこに正義などというものを持ち出した。それで自らのどんな行為も正当化できると思い込んでいる――嗚呼、こんな生物を、醜いと言わずに何というのか」

 「〈真紅の王〉とやらはともかく、それに協力して、あんたたちに何のメリットがあるんだよ!? それこそ同じ人間だろ!」

 セロの叫びを、ドクターは鼻で笑う。

「あぁそうだ、憎悪や妬みといった感情を持つ、愚かな人間さ。一人一人、それぞれの理由で世界を憎み、ここに集った。例えば……君も知っているだろう? 復讐を理由に動く、一人の哀れな男を」


 その言葉が誰を指しているのか。

 甦る記憶は、炎を背に佇む男。リンの村で対峙した、赤の教団の一人。

「ゼイナード……」

 彼が持っていた写真には、二人の男女が映っていた。彼の言った復讐という言葉が、未だにセロの内に残っている。

「――しかし残念ながら、あなたにはこの世界を恨む確固たる理由もない。同志ではないということ……しかし我々の仲間だ」

「……どういうことだ」

「志は違えど、別の共通項で結ばれているのだよ」

 彼の言う共通項。つまりは自分にあって、イルミナやバスク達にはないもの。

 または、その逆。

 

 そこまで考えて、セロはある考えに行き着いた。そう、自分はまさにそれを探りにここまできたのだ。

 それは――。

「記憶……つまり、前文明の人間ってことか」

「ご名答! ククッ、なかなか賢いじゃないか」

 セロが持っていた、この世界に対する違和感。魔術という未知の文明に、見たことのない種族。その理由を、自分が太古に滅んだという前文明の人間だからではないかと思っていたのだが、それがいま証明された。

「君にゼイナード、そして私を含めて五人。教団の全員ではないが、それだけの前文明人が揃っていたのだ」

「揃って、いた……?」

 彼が使った過去を示す表現が、セロの中で引っかかった。自分がアースラにいたから、という意味かもしれないが、それでも違和感が残る。

 つまり、教団を離れた者が自分以外にいるということだろうか。


 この時、先ほどから全く話に参加していなかった男が口を開いた。その顔には困惑がありありと浮かんでいた。

「ドクター……一体何の話を――?」

「君は分からなくていい、黙っていろ」

 思いがけず向けられた鋭い視線に、慌ててクロードは口をつぐむ。どうやらあの男は自分達とは違い、前文明人という存在を知らないらしい。

「……でも、何で俺達は魔術を使える? あの時代に魔術は存在していなかった。ならそれを使用する素質もないんじゃないのか?」

「あぁ……やはり賢いね君は」

 そう言うと、彼は白衣からあるものを取り出した。それは、セロにとって見覚えのあるもの。

 一本の注射器。薄緑色の液体が内包されたそれは、セロの目にはおぞましいもののように見えた。

 それを指で指し、ドクターは薄笑いを浮かべる。

「以前君に打ち込んだものと同じものだ。これを教団の者は目覚める前に打ち込まれる。当然君も、カプセルからあの培養器に移される前に打たれているんだが……何だと思うかね?」

 分かるはずもない。しかしあれを注入されてから「あの姿」になるようになったのだ。あのおぞましい姿。その時、体が自分の意志を無視して動く不快感を知った。

 気が付けば、イルミナ達を攻撃していた。

 もし、あのまま体の自由がきかなかったら――。

 考えたくもない事態が、ぞくり、と背を震わせた。

「君の細胞の進化が遅いように見えたので、追加で使ってみたんだが……どうやらいい思い出があるようじゃあないか。後で聞かせてくれないかね?」

 尚も嘲るようにして笑む男を、セロは思いっきり睨み付けた。

「はっ、冗談だよ。そうムキにならないでくれたまえ……そうそう、これが何かだったか。聞いたら驚くぞ――〈真紅の王〉の血液さ」

「なっ……!」

 生者の宿敵、アンデッド。その頂点に立つ化け物の血を、流し込まれた。

 そう考えただけで吐き気を覚えた。〈真紅の王〉とやらがどんな姿かたちをしているのかは知らないが、とても気分のいいものではない。

「なに、そう怯える必要もない。別に化け物になってしまうこともないからな」

「嘘をつけよ! じゃああの時の俺は――化け物じゃなければ何だっていうんだよ!?」

「あぁすまない、訂正しよう——完全な適合者ならばああはならないのだ」

「な、に……?」

 ドクターが言う意味。ほとんど混乱していたセロの思考でも、それが示すことを容易にたたき出した。

 理解してしまった。


――自分が、不完全な適合者だということを。


 自分が今、どんな表情をしているのか分からなかった。

 絶望か。懊悩おうのうか。


 そのどちらにせよ、ドクターの予想通りのものだったらしい。長方形の空間に男の哄笑が響き、尚も絶望を突きつけてくる。


「クハハッ、もう一つ面白い事実を教えようか!? 最初に君に打ち込んだのは試作型のものでねぇ! 適合者に番号を振る際に、君にはこの数字を与えた! 試検体という意味を込め、№(ゼロ)と! まさかそれを自らの名と勘違いするとは思っていなかったがね!」


「は……何だよ、それ……」

 アースラを離れたあの日から、自分は普通の人間ではないのだというふうには予想していた。しかし、突きつけられた現実はそれ以上だった。

 自分は失敗作で、名前も偽りで――化け物で。

 ドクターの投げかけた言葉が、自分の中でぐるぐると回っている。

 力の入れ方も忘れてしまったように、立っていることさえもままならない。

 視界はぶれ、滲み、混ざっていく。

 もう、何も分からない。

「俺は、一体――」

 普通には暮らせない。一緒にいれば、誰かを傷つけてしまう。自分が居られるのは、教団バケモノの中だけなのだ。


 そこに、三人とは別の声が飛び込んできた。


「――セロっ!」

 三人の視線が声のした場所――部屋への入り口に向けられた。

 そこには肩で息をするほどに荒く呼吸を繰り返す、少女の姿があった。

 黄金の絹のようなポニーテールの髪は乱れ、その額には滲む汗が見て取れる。

 それが、どれだけ彼女が必死に走って来たかを窺わせた。

「イル……ミナ?」

「やっと……見つけたよ」

 何とか息を整え、微笑を浮かべる少女。

 しかしその再開を、許さぬ者がいた。


「去れ――貴様が立ち入れる場所ではない!」

 セロを狙っていた紋章の一つが、イルミナへと照準を変える。

 刹那、幾重にも重なった光芒が少女に襲い掛かった。


「なめないでよ――〈水壁(アクア・ウォール)〉!」

 現れたのは巨大な水の壁。だが、クロードの魔術を防ぐには少々心許ない厚さだ。

「そんなもの、一瞬で貫いて――ッ!?」

 目の前の現象は、老戦士にそれ以上の言葉を許さない。

 叩きつけられた光は水壁に当たって乱反射。見当違いな方向に四散した光線は、イルミナの横の地面を貫いた。

「相性って、知ってるかしら?」

「小娘がァ……!」

 臨戦態勢に入ろうとするクロード。しかし、ドクターがそれをよしとしなかった。

「待ちなさい――いいことを考えましたよ」

 その視線の先にいるのは、セロ。

 男の瞳の中に、狂気が顔を出した。

「命令です、あの娘を殺しなさい……自らの愚かさを教えるため、できるだけ苦痛を与えて、ね」

 残酷な命令。当然、従う気はなかった。

 しかしドクターが掲げた指を鳴らした時。

 セロの頭の中で、光が弾けた。


「がッ……あぁ!?」

 意識が、感覚が。闇という底のない沼に沈み込んでいく。

 体が、焼けるように熱い。血液の代わりに溶けた鉄が巡っているようだった。

 黒く染まりかけた視界が、自らの手を捉える。

 伸びた獣のような鋭い爪。

 思い出せ。あの時、イルミナはどんな顔をしていた――?


「イルミナ……ッ! 俺はいいから、逃げろ!」

 このままではまた、彼女を傷付けてしまう。それだけは嫌だ。そんな思いから出た言葉だった。

 しかし。


「――嫌だ」


 返って来たのは明確な拒絶。セロの中に、一層焦りが募る。

「何で来たんだよ!? 誰も……誰も助けてくれなんて言ってないだろ! 言ったよな、もう俺にかかわるなって!」

「言ったね……それが?」

「お前……ッ」

「私は、それを許した覚えはないよ」

 闇の中に垣間見えた、彼女の表情。

 そこに、恐れも迷いもなかった。


「みんな、セロのために戦ってる。君が帰るのを待ってる。だから――」


 そこから先の言葉は、聞こえなかった。

 その時には、セロの意識は既に闇へと呑まれていたから。


――猛り狂う獣の咆哮が、部屋全体を揺るがした。


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