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真実━5

 馬車を降りた一行は現在、樹海の中にいた。

 人に代わって木々が主として君臨するこの場所は、気配を消して動くには絶好の場所だ。視界は捻じれた梢や複雑に絡まり合った蔦によって狭められ、足音は草木によって吸収される。

 先を行くのはエレナとリン。彼女らは調査という名目があるので、見張りの傭兵に見つかっても問題はない。邪魔な蔦を避け、比較的歩きやすい道を行く。

 その二人から十メートルほど離れ、イルミナとバスクが続く。施設潜入を目的としているため、その存在を知られるわけにはいかない。二人は敢えて草木が群生する場所を進む。

 今回はどうやって傭兵に気取られずに潜入するかがもっとも重要な点だった。

 作戦はこうだ。施設に到着後、先行する二人が施設周辺の調査について傭兵達に説明する。その隙を突いてイルミナ達が施設に潜り込むというもの。


 だが、その計画は思いもよらぬ形で変更を強いられることになる。


「……エレナさんが、呼んでる?」

 施設まであと少しというところで、先を行くエレナが自分たちを招いているのに気が付いたのだ。そんな行動は打ち合わせにはなかった。まさか自分たちの存在が傭兵にばれたのかと思ったが、そんな様子もない。

 バスクと視線を合わせ、互いに首を傾げる二人。状況も飲み込めない中、渋々エレナの指示に従って潜んでいた茂みから出た。

 周囲を見渡しても、やはり二人以外の姿は確認できない。

 ただ、此方を見るエレナの表情が険しいものだというのは分かった。

「どうしたんです? 今見つかったりしたらまずいんじゃ……」

「分からないかな……明らかにおかしいんだよ」

「おかしいって……」

 そう言われ、改めて周囲を見渡してみる。

 そこは比較的見晴らしがいい場所ではあったが、眼で捉えられるのはやはりのびのびと成長した植物ばかり。

 彼女が言うものが視覚で捉えられないと気が付いたのは、バスクの方が早かった。

「血の……臭い?」

 信じられないという面持ちで呟くバスク。しかし、エレナの返した答えは肯定だった。

「そう、しかもアンデッドの干からびたような臭いじゃない。殺されたばかりの、人間のものだ」

「……獣人のバスクより先に気が付くって、エレナさん、どういう鼻してるんですか」

「今は無駄話をしている時間じゃないよ。もしかすると、かなり……まずいかもしれない」

 苦笑いを浮かべる此方の問いにも取り合わず、エレナは先へ進むべく身を翻した。

 イルミナにとって、彼女のあんな顔を見るのは初めてだった。




 しばらく進むと先ほどと同じように、視界がある程度確保できる開けた場所に出た。しかし、そこに広がった光景は常軌を逸したもの。

 一言で表すならば、地獄。


「どういう、ことよ……これ……」

 無数の人間の四肢が、臓物が。

 原形を留めないほど無残に、ばら撒かれていた。

 草木は鮮血で染まり、血で飽和した大地はところどころが陥没し。

 今まで人の死を数えきれないほど見てきたが、ここまで凄惨なものは見たことがなかった。

「うっ……」

「リン……大丈夫か?」

 バスクの声にハッとして振り返れば、顔を真っ青にしてしゃがみ込むリンの姿が見えた。彼女よりも戦いの場に身を置いてきたイルミナやバスクでさえ絶句する有様だ。この少女に耐えられるはずがない。

 四人の中でただ一人、エレナだけは僅かに顔を顰めただけだった。

「バスク、リンのこと頼んだ」

 それだけ言うと、肉片が四散する血の海へと踏み出していく。

 自分もリンが心配ではあったが、エレナを一人にするわけにもいかない。慌ててその背を追う。

「誰がこんなことを……まさか――」

「セロじゃないよ。これは引き裂かれたり、食い千切られたりした傷痕……十中八九、アンデッドだろうね」

 彼女は手近な死体に近寄ると、何かを拾い上げた。指先でそれに付着した血を拭い、イルミナにも見せる。鈍い輝き持った、小さな金属板。

 それは、所属する傭兵会社を示すプレートだった。

「傭兵会社、シリウス……」

「多分、ここを警備していたっていう連中だろうね……ざっと見た感じで十人くらい。数からして、これで全員かな。生きているのがいればいいけど」

 改めて、イルミナは目の前の死体を見下ろす。おそらくは男。それというのも顔の半分以上がなくなり、鍛えられた肉体も、強固な鎧ごと紙切れ同然のように潰されているためだ。

 これだけ肉体の損傷が激しければ、アンデッド化することもないだろう。

 そして気掛かりなのは、まだ乾ききっていない血だまり。腐った肉の臭いを何倍にも濃縮したような饐えた悪臭も、未だこの場に留まっている。

 ここから予測できるのは、あまりいい状況ではない。

「エレナさん……ひょっとして、そのアンデッドってまだ――」


「――リン! 危険だ止まれ!」


 イルミナの言葉は、後方から聞こえるバスクの叫びによってかき消された。彼の視線の先には、弾かれたように走る少女の姿。

 向かう先には、うつ伏せに横たわる女。おそらく彼女もシリウスの者だろう。

「今……あの人の体、少し動いたんです! まだ生きてる、私なら助けられるかもしれません!」

「生きてる……?」

 離れた場所に横たわる女の様子を、イルミナは目を細めて窺う。

 リンからは死角になっているかもしれないが、その女の腹部には直径十センチほどの空洞がいくつも空いていた。あれでも息があるものだろうか。

 言い知れぬ不安を抱えたイルミナの視線の先で、リンが女の元に辿り着いた。

 そして彼女が治癒魔術を使おうとした、その瞬間。


――ずるり、と。


 吸い込まれるように、女の体が茂みの中へ引きずり込まれた。

 彼女が呑みこまれていった闇の中。

 そこに、「それ」は存在した。


「あ――」

 射竦められたように、リンの体が硬直する。

 姿を現したのは、人の形を成しながらも人ならざる化け物。

 その全長は三メートル以上。手足の先には巨大な鍵爪が生えており、鱗に覆われた細長の肉体は爬虫類を思わせる。

 本来人間の頭部に当たる場所には、ピンク色の巨大な肉腫。目も鼻も存在しないその顔の中央には赤い光が湛えられ、今、その光は立ちすくむエルフの少女を睥睨しているように見えた。


「そんな、まさか……」

 イルミナにとって、初めて見るアンデッド。しかしその存在についてはエレナから聞かされたことはある。その時の彼女はこう言ったのだ。


――遭遇しても、絶対に戦おうなどと考えるな、と。


 その強さを想像できなかった当時の自分は、彼女にそれがどのくらい強いのかと尋ねた。他人の抱える痛みなどにまだ鈍い年頃だったため、彼女の浮かべた苦い表情など気が付かなかった。

「……イルミナがアースラに来る前、王国の近くの村で見たことのないアンデッドが現れたという情報があった。そこで王国は村の防衛のため、いくつもの傭兵会社から上位ランカーを集めて討伐隊を編成したんだ。私もその中の一人でね。結果――」

 イルミナが尋ねるよりも早く、エレナはこう言ったのだ。

「全滅したよ。村人も仲間も皆殺されて、私だけ偶然生き残った。あの時ほど惨めな思いをしたことはないね、死にたいとさえ思った」

 だから、戦うなと。師は、静かな声でそう告げた。

 その後、そのアンデッドには名が付けられた。

戦うべきでない存在(アンタッチャブル)」。

 アンデッドの中で、人間にとってかつてない脅威足りえる敵。

 その名を、今、イルミナは震える声で口にする。


「――死者の王(アンデッド・ロード)……」


 まるでそれに呼応するかのように、目の前の異形が叫んだ。夜風がうろを抜けていくようなそれは、耳にするだけで肌が粟立つほど。

 叫ぶための口を持たぬそれは、煌々と輝く赤い光から高濃度の魔力を発することで、大気を震わせる。


 そして、巨大な肉塊とも形容できる腕が、ゆっくりとリンの頭上に振り上げられる。

 それで叩き潰すつもりだ。

「くっ……!」

 阻止すべく、イルミナは吊るしたアクアリボルバーに手を掛ける。だが、この程度で〈死者の王〉を止められるとは到底思えない。

 視界にはリンを救うべく走り出したバスクも映るが、強大な一撃を受け止める術を持っていないのは彼も同じ。二人とも潰されて終わりだ。

 今自分たちがしようとしていることは、抵抗にすらならない行為なのだろう。

 それでも、仲間を捨てられるわけにはいかない。

 ありもしない希望に縋ろうと銃を構えた、その時。


「――やらせるわけが、ないだろう」


 見えぬ何かが、轟音を伴ってイルミナの傍を通り過ぎた。それは少女目掛けて振り下ろされた巨腕を押し返し、さらには〈死者の王〉も大きく吹き飛ばした。

 超重量の巨体が木々をなぎ倒し、勢いよく森の向こうへと転がっていく。

「……え?」

 唖然とするイルミナの横を、悠然とエレナが歩いていく。

 その顔に、不敵な笑みを伴って。

「バスク、私の代わりにイルミナと施設に行け! リンは生存者の有無を確認! ほら、ぐずぐずしないでさっさと動く!」

 エレナの一喝に、向こう側で呆然としていた二人も慌てて行動を始めた。しかし、そうなるとあの強大なアンデッドと闘うのは彼女一人になってしまう。

「イルミナも、それでいいね?」

「でも……エレナさんが――」

「……へぇ、私の邪魔をする気?」

 瞬間、叩き潰されるような圧力を彼女が発したのが分かった。

 重力が何倍にもなったかのような感覚。大気中の魔力が彼女の周囲に収縮し、物理的な力をもって顕現したために発生する現象だ。

 彼女は、本気だった。


「久しぶりに全力でヤれる……誰も相手してくれなくて、ずっと、ずっと我慢してたんだ。それなのに邪魔するっていうんなら――分かってるね?」

 意味ありげに向けられた笑み。そこにはアンデッドとは別種の恐ろしさが潜んでいた。

 その有無を言わせぬ勢いに、イルミナはただただ気圧されるようにして頷く。

「ん、いい子だ。それじゃ、セロ君よろしくッ!」

 それだけ言うと、彼女は森に今しがたできた自分で作った道へと歩みを進めていってしまう。

 そこへ、バスクが駆け寄ってきた。

「――イルミナ様、行きましょう!」

「い、いいのかな……」

「言い出したら聞きませんよあの人は!」

 確かにバスクの言う通りだった。見れば、リンも生存者を見つけたようで、治癒魔術の準備に入っている。

 ならば、自分たちも課せられた仕事をしなくてはならない。もう一度だけエレナが消えた方向に目をやって、彼女の無事を祈る。どうやら戦闘が本格的に始まったらしく、衝撃に大地が震えたのが分かった。

 時折聞こえる衝突音を背に、二人は本来の目的地を目指して走り出す。




 一度中に入ったことがあるだけだったが、イルミナは正確にその場所を記憶していた。そこで危うく死にかけたためか、未だに鮮明に思い出せる。

 イルミナが足を止めたためにバスクにもここが目的地だと分かったようだが、訝しげに周囲を見渡している。

「建物らしきものは何も……ないようですが?」

 イルミナが立ち止まった場所は木陰になっており、青々とした苔が広がっている。その苔をかき分けると、現れたのは鉄の取っ手。

「よし……んっ!」

 それを掴み、力いっぱい引く。

 隙間が生まれ、中に閉じ込められていた腐敗臭が噴出するが、それを意にも介さずに扉を開ききる。錆びついた音をたてて開かれた鉄扉の先には、下へと延びる階段が続いていた。

「なるほど……これは気が付かないですね」

「本当に、発見した人はすごいよ」

 素早く地下に体を入れ、アンデッドが追ってくることを警戒して再び鉄扉を閉ざす。

 中は二人の知らない技術の産物によって照らし出されていた。細長いガラス管が連なって下げられ、それが濁った光を下へと放っている。魔術によるものでないことは、光の具合から判断できた。

「未知の技術……王国の技術者が見れば垂涎ものですね」

「前文明の名残かな……。ほら、それより気を付けて。ここ、随分侵入者を警戒しているみたいだから」

 前回の調査ではこの先、広間のような場所に大量の〈ゾンビ〉が配置されていたために断念せざるを得なくなった。セロが助けてくれなければ、自分を含めてほとんどのものが此処で果てていたはずである。

 そこにいた〈ゾンビ〉はその時に一掃したはずであるが、再び配置されていないとも限らない。用心するに越したことはないのである。

 

 しかし、広間に着いてみると転がっていたのは以前倒した〈ゾンビ〉の残骸ばかり。一刀のもとに両断された者や、頭部を穿たれた者が至る所に転がり、悪臭を生み出す原因となっていた。

 セロがぶち抜いた壁は壁が崩れてしまって通れなかったが、入って来た通路とは逆側にさらに下へ降りる階段がある。

 ここから先はイルミナも知らない。侵入者を拒む罠がまた存在するのかもしれないが、この先にセロがいるかもしれない。もしくは自分が見当違いな予測を立てていただけなのかもしれないが、それは進まねば分からないことだ。

「……行こう、バスク」

 意を決し、奥へと踏み出そうとした。だが。

「ちょっと……待ってください」

 先へと進もうとする彼女を、バスクが引き止めた。どうしたのかと思い振り返れば、彼は先ほど自分たちが降りてきた方向へ視線を向けていた。

「さっき……音がしませんでしたか? あの入口の鉄扉を開いた時の、擦れるような音です」

「……エレナさん達かな?」

 もしかしたらあのアンデッドを早々に撃退し、此方に合流しようとしているのかもしれない。そんな考えが浮かんだ矢先。

 二人の前で、空間が揺らいだ。蜃気楼のように、景色が揺れたのだ。


「――ッ!? イルミナ様!」


 何かを察し、バスクがイルミナの前に飛び出した。

 その刹那、目にできたのは此方に飛来する斬撃だった。


 爆音。衝撃が容赦なく身体を打ち、否が応にもその威力を伝えてくる。

「バスク!?」

「大丈夫……です」

 苦しそうな呻きが応答として返ってくる。攻撃を受ける直前に硬質化することには成功したらしいが、それでも完全に威力を跳ね返せたわけではない。

 白い毛の隙間を縫うようにして、幾本もの赤い筋が流れるのが見えた。


 問題は、この攻撃を何者が行ったのかということだ。

 立ち込める黒煙の向こう、目を凝らせばうっすらと影が確認できる。

 その数は二つ。

「だから……イルミナちゃんは狙うなって言ったじゃねぇか!」

「馬鹿なのか? 奴も同罪だ、ここで裁く」


「そんな……」

 その声に、イルミナの動悸は一瞬で早まった。それが示すは警告。

 聞き違いであってくれとどれほど願ったことだろうか。

 だが、現実はそう甘くはない。


 黒煙の切れ目から、緑色の隊服に鷹の紋章が覗いた。

 バスクの声が耳に届いたのは、そんな時だ。


「――先に、行ってください」

「え……?」

 一瞬、彼の言ったことが理解できなかった。

 意味は分かる。だが、理由が分からなかった。

 いや、本当は理解していたのかもしれない。ただ、心がそれを拒んでいただけで。


「何言って……駄目だよ、今の見たでしょ!? あいつら、ここで私たちを……」

「――だからこそです!」


 バスクの表情は、真剣そのものだった。鬼気迫るそれに、諦めなど微塵も浮かんでいない。

「今ここで! 二人とも倒されたら、エレナ様達は何のために戦えばいいのですか!? あなたには、セロを連れ戻すという役目がある!」

「でも……ッ!」

「彼はあなたを変えてくれたのでしょう!? その彼が、今あなたを必要としているのでしょう!? イルミナ様しかできない役目なのです! それとも、ご覚悟とはその程度だったのですか!」


 雷を纏った斬撃が、再び獲物を求めて襲い掛かる。

 だが、それはバスクの剛腕の一撃によって叩き潰された。

 皮膚が裂け、血飛沫が床に斑を描く。


「約束しましょう! セロを加え、皆が再びアースラに戻ると!」


 エレナも、リンも、バスクも、誰一人として死ぬ気などない。

 それぞれが自らの役割を果たしている。それだけだ。

 ならば、自分も。


「――分かった」


 それ以上の言葉はいらない。自分たちはアースラで、また会うのだから。

 イルミナは広間のさらにその先へ、全力で駆ける。

 もしセロが先に進んでいるのなら、彼が既に解除している可能性もある。もし自分の思い込みだったならそこまで。全力で、事態に対処するのみだ。


 その先の通路は明かりがほとんどなかった。

 しかしイルミナは躊躇することもなく、闇の中へと飛び込んでいく。

 その先に、求める光があることを信じて。


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