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真実━4

 一際強い風が、アースラ屋上を吹き抜けた。

 簡素な手摺と正方形のタイルが敷き詰められただけの場所でありながら、その面積は意外と広い。各フロアに設けられたトレーニングルームほどではないが、少し体を動かすにはもってこいの場所だろう。

 そんな空間に、佇む影は二つのみ。


 バスクが口を開くのを待つ間、ウルスは外に広がる街並みを眺めていた。既に日が沈んでしまったため、視界はあまりいいとは言えない。ただ、何かをすることで気を紛らわせたかっただけだ。

 二人がここに来てから、何もせずに待つには少々長すぎる時間が経過している。今の状況ではもちろん会話などなく、沈黙というベールがこの場を覆い尽くしていた。

 このまま静かな時が続けばいい、そんな益体もないことを考え始めた矢先。


「――あの日の夜、アガノフを殺したのはあなたですね?」


 あの日、とはおそらくセロが騎士によって連行された日のことを指しているのだろう。その一つの問いが、ウルスの抱く嫌な予感を確信へと変えた。

 視線を後方の獣人に遣れば、彼の真剣な眼差しとぶつかる。此方の一挙手一投足、どんな些細な動きも見逃さぬように目を光らせているのだ。

 安易な嘘は、通用しない。

「何故、俺がそこに行ったと?」

「血の臭いの中に、はっきりとあなたの存在を感じました」

「……獣人の嗅覚ってやつか」

 獣人の五感は人間のそれらよりも遥かに鋭い。戦いの中に身を置くことを宿命とする野生動物の身体性能、そして研ぎ澄まされた五感。魔術をまともに扱えない獣人に、人間やエルフが手こずらされている理由である。


「調べた者によると、アガノフの息の根を止めたのは氷系統の魔術。同じ属性の魔術を扱う人間など山ほど存在していますが、貴族の邸宅に忍び込むなど、できる実力者は限られます。例えば……」

 此方の反応を見るためか、バスクはそこで一呼吸置いた。しかし、予想していた反応が見られなかったためか、すぐにその先を続ける。


「――イルミナ様の故郷を襲った、赤の教団の男とか」


「……なるほど」

 溜め息諸共、一思いに言葉を吐き出す。獣人の嗅覚によって追い詰められるとは想定していなかった。しかも皮肉なことに、その獣人を拾ったのは自分だ。自嘲もしたくなるというもの。

 逆に、ウルスの正体を暴いた本人であるバスクの方が、まるでなまくらで身を切り刻まれているような苦しい表情をしている。

「……否定、しないのですね」

「まぁな、俺にこの状況を覆せるだけの頭はねぇよ」

 信じていたものを疑うというのは誰にでもできることではない。それなりの覚悟がいる。その覚悟を、思い付きのような嘘で汚したくはなかった。

――だが、詰み(チェックメイト)には程遠い。


「ここにいないってことは……イルミナには言ってないんだな」

「言えるはずがないでしょう!? 恩人のあなたが実は復讐すべき相手だったなど! ただでさえセロがいなくなったことで傷心している、今のイルミナ様に!」

 バスクが上げる悲痛の叫び声が、虚空に響く。

「あの方が……あの方がこのことを知る必要はない。五年前の決着を、ここで付ける。それでどんな罪に問われることになろうとも」

「お前一人でか? 言っておくが、俺は無抵抗に捕まるつもりはない」

 実際、客観的に見てもバスクが勝てる可能性は限りなく低いだろう。勝負は実力のみで決まるものではないが、それ以外の要素はとても小さなものだ。


「……できれば、そうしたかったのですが」

 まるで声を出すことさえも苦痛であるかのように話すバスク。言い終わらぬうちに、先ほど二人が入って来た扉が、小さな音をたてて開いた。

 艶やかな紫紺の髪に、純白のコート。先ほども、ウルスはその姿を見たばかりだ。


「エレナ……」

 いつもの軽い雰囲気とは別、傭兵としての彼女が、ウルスを見据えて立っていた。

「何をやっているんだか……全く」

 彼女はそのままバスクの隣まで歩くと、此方に嫌悪とも失望とも取れぬ視線を向けた。どちらにせよ、普段の彼女が見せるものではない。バスクは彼女にだけは話したようだ。

「二対一、ねぇ」

「これで力関係は逆転しました。できれば、抵抗などして欲しくはない。後味の良い勝ち方ではありませんが、潔く我々に討たれてください」

「……まぁ、確かに。はっきり言って想定外だった」

 自分の犯した些細なミス。この場で対峙する二人の実力者。

 なるほど、端から端まで計画とは違う状況だ。


――だが、それがどうした。


「俺が怪しいと踏んだお前の考えと、行動に移した勇気は褒めてやりてぇよ。上に立つものとして鼻が高いぜ……けどな」

 一拍の間を置いて、言う。


「――まだ、疑い足りねぇ」


「何を――がッ!?」

 肉を打つ、重く響く音。息を詰まらせたバスクの上体が揺れ、間を置かずして、その巨体が膝から崩れ落ちた。

「そんな……何で……ッ」

 意識を失う寸前。それでも、獣人は踏みとどまろうとした。両手を突くことで倒れ行く体を支え、戦う意志を示そうとした。

 だが、再び加えられた一撃に耐えるのは不可能。糸の切れた人形の如く、床へと突っ伏した。


「ごめんね、バスク……」

 彼が完全に気を失ったことを確認し、つい今しがた振り下ろした手刀を戻すエレナ。すぐにその視線は二人を静かに眺めるウルスへと向けられた。

「本当に、もう、何やってんのさ!? 危うくイルミナにまで知られるところだった!」

「悪かったよ、俺が軽率だった。おかげでいらねぇ手間掛けさせたな」

 しゃがみ込み、横たわるバスクの額に手をかざす。すると意識を集中させたウルスの手の先が、おのずから青白い光を発しだした。ここからは繊細な魔力コントロールが必要だ。

「氷魔術……記憶の『凍結』か。便利なもんだね」

 その作業を横目で見ていたエレナに、ウルスは身振りで静かにするように促した。集中を切らして他の記憶にまで影響を与えては困る。

「あのさ、それでイルミナの記憶を操作して、五年前のことを忘れさせればいいんじゃないの? 私ならそれを考える」

「考えるけどやろうとは思わねぇだろ」

「……けれど、そのせいでどれだけあの子が苦しんだかを考えたら――」

「頼むから静かにしててくれ。手元が狂う」

 

 それからウルスが作業を終えるまでの少しの間、彼女は口を開かなかった。ただじっと、背後にその視線が注がれているのが感じられた。

 沈黙が破られたのは、ウルスがバスクの記憶を「改竄」し終わって少し経ってからのこと。

「よし、これでいい。俺が部屋まで運んどくから、今日のこと聞かれたら適当な理由つけて誤魔化しておいてくれ」

 後ろにいる彼女に向けた言葉だったのだが、何故か反応がない。不思議に思って振り返れば、先ほどと変わらぬ表情が窺える。

 弟子を思う師というよりも、姉に近い。ふとそう思った。

 

「ウルスはさ、イルミナに本当のこと言うつもりはあるの?」

「……さぁ、どうだろうな」

 それだけ言って、さっさとバスクを背負う。答える義理がないのなら、話す必要はない。

 彼女は協力者ではあるが、仲間ではないのだから。

「ふぅん……まぁ、あんたの問題だし。私はどうでもいいんだけどさ」

 嘘を吐け、と内心で苦笑する。本当にそう思っているのなら、この女は無駄なことは聞かない。本心から知りたかったことだから、躊躇ってまで聞いたのだろう。

「……覚えてるよね? もしウルスのとる行動が、意味もなくあの子たちを傷つけるだけのものだと分かったら――」

「あぁ、わざわざ言われなくても理解してるよ。そん時は……」

 にやりと口角を吊り上げ、笑う。


「――お前が、俺を殺してくれ」



 エンシャントラ王国と国外をつなぐ鉄橋は、早朝の開門と共に下ろされる。そのころには橋の両端に設けられた検問所の周りに人だかりができており、検問を抜けることができた者から通行を許可される仕組みだ。

 今、王国内の検問を一台の馬車が通っていく。商人のような売り物をふんだんに積んだものではなく、どちらかといえば荷は少ない方だろう。

 その扉に設けられた正方形の穴からは、少女が顔を覗かせていた。

「わぁ……こんなに早い時間にも、王国に出入りする人がたくさんいるんですね!」

 馬車から外を覗き、感嘆の声を上げるエルフの少女。小さな集落に住んでいたため、これほど多くの者が行きかう光景が珍しいのだろう。

 同じようにしてイルミナも外を眺める。彼女にとっては見慣れたものだが、リンが見ている景色を自分も共有したかったのだ。

「外から来る人は薬草とか、村の特産品を売りに来ているの。逆に国から出ていく人は、私たちと同じ傭兵がほとんどかな」

 イルミナの説明にふんふんと頷きながら、リンは往来する人々を好奇心に満ちた目で追っている。自分もアースラに入ったばかりの時は見るのもすべてに興味を引かれたものだ。だから彼女の気持ちはよく分かるつもりだった。

 顔を逆側に向ければ、隣に座るバスクと、彼と向き合う形で座るエレナがいる。

「……昨日の昼、本当に私はエレナ様に模擬戦を挑んだのですか?」

「そうそう、それで君をぶっ飛ばしちゃったから、私が部屋まで運んであげたわけよ。おーけー?」

 どうやら二人で話し込んでいるようだ。

 それというのも、出発に当たって四人が集まった際、バスクが考え込むような表情をしていたのが始まりだった。聞いてみれば、昨日の朝、自分やリンと別れてからの記憶がないのだという。それについてエレナに尋ねているようだ。

 しかし、バスク本人は未だ納得していないらしい。神妙な面持ちで、何やらブツブツと呟いている。

「むう……昨日の私は、何を考えてそんな無謀なことを」

「バスク、気になるなら帰った後に医務室で調べたほうがいいよ。病気とかだったら嫌だし」

「……そうですね。それよりも、今回の依頼に集中しましょう」

 イルミナに心配をかけてしまうことを遠慮してか、この問題について考えことはやめたらしい。

 バスクは一枚の地図を取り出すと、皆に見えるようにそれを広げた。

 それはエンシャントラを中心に書かれた大雑把なもので、北にはウルムガント、東にはディアナの森が記されている。縮尺は適当なため、距離は信用できない。より正確なものは、イルミナ達でさえ手を出すのを躊躇うほど相当に値が張るのだ。


「今回我々が向かう施設はこの場所になります」

 バスクが地図の一点を指す。

 エンシャントラから見て北東。ちょうどウルムガントとディアナの森を結んだ中間あたりだ。

「その周辺を見て回り、危険モンスターの有無を確認することが依頼の内容。依頼の中でも難度は低いものといえるでしょう」

 そう、今回の依頼自体はとても簡単なもの。そこそこ腕の立つ者を一人、もしくは二人派遣すれば済む。

 そんな依頼に四人で、しかも内三人は上位ランカーという編成は極めて異常。戦力過多にも程があるというもの。

 そこには当然、そうするだけの理由がある。

「調査自体は私とリンで行います。その間に、イルミナ様とエレナ様は……」

「施設に潜入して、セロ君を連れ戻す。そうだろ?」

 どうやら確認という作業が面倒らしく、エレナが座席に体重を預けるようにして寄りかかる。彼女は造作もないことだと判断しているようだが、実際にはそこまで簡単ではない。

 施設に近寄らせないよう、有力貴族が傭兵を見張りとして置いているという。それに見つかれば、処罰の対象になる可能性は高い。

「でも、考えてみればおかしな話だよね。何で立ち入りを禁止する必要があるんだろう」

 危険に近づけないため、或いは謎が多い施設を警戒してということだろうが、それにしても、傭兵まで雇うというのは腑に落ちない。まるで知られたくないことを隠している、そんな感じだ。

「まぁ、それも行けばわかるさ。ついでに私たちでいろいろ調べてこようか?」

「……くれぐれも、注意だけは怠らないでくださいね」

「大丈夫大丈夫、私強いから」

「わ、エレナさんすごい自信ですね!」

「ふふ、リンも頑張ればこれくらいになれるかもしれないよ?」

 車内に広がる、明るい雰囲気。

 そんな三人のやり取りを見て、イルミナは思う。

 ヘンに力みすぎているところもなく、全員がいつも通り振る舞っている。緊張は大切だが、行き過ぎれば視界が狭くなり最高のパフォーマンスはできない。見る限り、各々コンディションは良好といえるだろう。

 だが、不安はあった。明確にはできない、漠然とした気味の悪さ。そんな黒い塊が、思考の隅にわだかまっている。

 

 何気なく外の景色を見れば、だんだんと岩肌が目立つようになってきた。それを覆うように広がる曇天。

 重く垂れた鉛色の天蓋は、まるで自分の内に潜む不安を映しだしているようだ。

「大丈夫……きっと、上手くいく」

 自らに言い聞かせるように呟き、意識を車内の三人に戻す。何かを暗示するような空模様を、これ以上見ていたくはなかった。


 長く、長く、脈々と繋がれてきた人類の繁栄。

 その歴史には、まるで絶対の法則であるかのように守られてきた特徴が一つだけ存在する。

 平和は、長続きしないのだ。

 まるでただの小休止でしかないかのように。

 まるで世界そのものが争いを望むかのように。

 人類が作り上げてきた時間は、あまりにも血にまみれている。

 

 静から動への分岐点。その日を迎えてしまったことに気付けたのは、たった一人の少女だけだった。


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