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真実━3

 時は夕刻。窓から差し込む夕日が魔法石の光と混ざり、アースラ内部の通路を照らし出している。時折すれ違う社員と軽く挨拶を交わしながら、上の階を目指すイルミナ。

 依頼達成の報告に向かう彼女の傍らに、先ほどまで連れ添っていたリンの姿はない。アースラに着いた後、受付での依頼達成手続きを任せたからだ。書類に依頼終了までの流れを簡単に書くだけなので、いい機会だと考えてリンに任せた。後ほど彼女とは食堂で合流する約束をしている。

 階段を上がり切ると、「社長室」とプレートが下げられた部屋に辿り着く。

 目上の者に会うのだから、当然振る舞いは普段通りというわけにいかない。扉の前で立ち止まり、軽く深呼吸。気持ちを引き締めるため、彼女がこの部屋に入る際に必ず行うことだ。

 気持ちを落ち着かせてから、軽くノックする。

「おう、入れ」

 入室を許可する言葉を聞き、扉を開け、いつも通りウルスに一礼しようとし――。

 そこで、固まってしまった。


 正面の椅子に、確かにウルスはいつものように座っていた。しかし、イルミナの視線が向けられているのは彼ではない。

 テーブルを挟み、ウルスと向かい合う形で佇む一人の男。深い色合いの緑を基調にした隊服。胸に付けられた、雄々しく飛翔する鷹の紋章。

 そして、感情らしきものを一切宿さぬ底冷えのするような目。二人を包む空間が重苦しく、思わずイルミナは視線を下げてしまう。

「あの……私は――」

「入ってもいいって言ったろ? 別にいても構わねぇよ。こいつとの話はもう済んだ」

 うっとおしそうに手を振り、ウルスは男との話を半ば強制的に終わらせようとしていた。対する男はその扱いに苛立ちを表わすでもなく、淡々と口を開く。

「……二日後だ。なるべく腕の立つものを集めろ」

 そう言うと男――ロイは立ち上がり、改めてイルミナの方を向く。こうして正面で対峙しても、眼前の男からは何の感情も感じ取れない。人間ではなく、人形が動いているような錯覚を覚えるのは自分だけなのだろうか。

「……また会ったな、水使い」

「私に何か用でも?」

 無感情な視線を真っ直ぐに受け止め、睨み付ける。この男が良い事態を齎すはずがないと、イルミナは直感的に悟っていた。

「ちょうどいい、お前も加わるか? 少しは情報量が増える」

 ロイの指がテーブルに置いてある一枚の羊皮紙を指し示す。そういったものは大抵の場合、依頼内容と依頼主、報酬が明記されている場合が多い。紙の質を見れば依頼主の位がなんとなく分かるものだが、今回のそれは今まで見たどの羊皮紙よりも立派に見えた。

「まさか……」

 イルミナの中で、悪い予感が確信へと変わる。そこにしたためられた依頼主の名に、自分は未だ夢の中にいるのではないかと思ってしまったほどだ。

 ジェイン・エルド・マクシミリオン。エンシャントラ王国を統べる国王の名が、そこにあったのだ。

 イルミナの顔から血の気が引いていく。国王が発した依頼の内容はこうだ。


『セロを国にとっての危険因子と見なす。彼を排除するための討伐部隊を編制せよ』


「そんな……街から出れば見逃すって言ったじゃない!」

 約束が違うと食って掛かるが、ロイの表情は変わらない。

「あれは俺個人の言葉だろう。王の意志とあれば、従うほかあるまい?」

「王の意志……? はっ、よく言うぜ」

 そこで、今まで黙っていたウルスが口を開いた。抑えきれぬ怒りが滲みだしている様子から、彼もまた今回のことに納得していないのだ。

「どうせお前が王を唆したんだろうが。王命という後ろ盾を得て俺達を押さえつけ、逆らえないようにしてから確実に潰す……大した正義の味方だな」

「……邪推はよしてもらおうか。お前の言葉は、どこまで行っても推測でしかない」

「全部、あんたのシナリオ通りってわけね……」

 頭の中では、セロを逃がした時から既にこの展開を見据えていたのだろう。彼に、初めから見逃すつもりなどなかったのだ。国の脅威を抹消するためなら手段を選ばぬ冷酷さ。イルミナはそこに、恐ろしいまでの執念を見た気がした。


「この……卑怯者」

 すれ違いざま、ロイの背に向かって吐き捨てるように呟く。その言葉に、僅かな間だが彼は足を止めた。

「何とでも言え……二日後、お前達が正しい選択をすることを期待している」

 嘘を吐け。

 内心で毒づく。この男ならば、これを足掛かりにしてアースラまで潰そうとするのではないか。冗談に思えないところが恐ろしい。


 彼が去った後も尚、扉に鋭い視線を投げかけていたイルミナ。しかし今はこの事態をどう乗り切るかを考えるのが最優先事項だ。

 王の命という形で言われた以上従わざるを得ない。国からの支援を受けて初めて広く活動できる上位傭兵会社は、王からの信頼こそが生命線といっても過言ではないのである。

 協力を拒んだ場合、その地位が大幅に落ちる可能性もある。そうなれば、少なくない社員の人生に大きな影響を与えてしまうことは間違いない。

 ならば、やれることは一つだ。


「ウルスさん、あの――」

「……ん? あぁ、依頼の報告か」

「あ、いえ……それもあるのですが」 

 今回の事態へどう対応するかを考えていたのだろう、ウルスの反応は僅かに遅かった。彼もセロの身を案じているのだと分かり、不安だった心に小さな安心感が生まれる。

 だが、果たして彼は今から自分が言うことにどういった反応を返すのだろうか。もし否定されたら、と悪い方向へ考えが及んでしまい、それが言葉にすることを躊躇わせる。

 しかし、ここで躊躇していれば何も変わらない。

「明日、単独でセロの捜索を行ってもよろしいでしょうか?」

「いや、探すって言ってもお前――」

 王国周辺はもちろん、他国との国境近くまで、探せる場所はもう全て当たったのだ。それでも進展していないのが今の状況。セロが動き回っている可能性を考慮し、もう一度隈なく捜索するためにはあまりにも時間がない。

 そうした現状に言及するべくウルスが続けようと思っていた言葉は、しかし言葉にされることはなかった。此方が言おうとしていることを何となくだが察したのだろう。


 確かに捜索可能な場所ならば、鼠一匹見逃さないというには及ばないにせよ、それだけの気概を持って捜索隊のメンバーは臨んだ。

 逆に言えば、捜索できない場所は調べていないということ。


「――セロを見つけた施設に、行ってみたいと思います」

「なっ――!?」

 その言葉へのウルスの反応は、やはり芳しいものではなかった。苦虫を噛み潰したような、気が進まないことをはっきりと表した渋面だ。

 その理由は二つ。

 一つは前回の調査によって、危険度が計り知れないことが既に証明されているということ。あの時から調査に名乗りを上げる者はおろか、国でさえも静観を決め込んでいる始末。下手に手を付けて事態を悪化させることを恐れているのだろう。触らぬ神に祟りなし、というやつだ。

 

 そしてもう一つの理由。寧ろこちらがその問題の根幹を占めていると言ってもいい。

 それは、静観を決めた国そのものが、王の名の元にそこへの立ち入りを禁止したからだ。その理由は誰も知らない。噂によると、どこぞの傭兵会社に周辺の警戒を一任し、何人たりとも侵入を許していないという。

 実際アースラはセロが失踪してすぐ、あの施設への調査の許可を求めた。しかしそれはすぐに却下され、捜索不可能という結果になってしまった。

「お前、分かってんのか? それはつまり王に逆らうことになるんだぞ」

「……もし罪に問われるようになった場合、私が独断でやったことにしてください」

 会社絡みでないことにすれば、騎士たちもアースラに手出しは出来ない。裁かれるのはイルミナ一人のみで済む。ここにリンを来させなかったのも、この話をすれば間違いなく反対するだろうからだ。

――当然、目の前の男の了承を得ることも至難の業ではあるのだが。


「――お前、自分が何言ってんのか分かってるんだよな?」


 明らかにウルスの纏う雰囲気が、いや、部屋全体の空気が変化した。一瞬にして張りつめた空気は、何かの拍子に破裂してしまいそうなほど。堪えがたい圧迫感が、言い知れぬ恐怖となってイルミナに襲い掛かる。

 そんな空間を作りだした男の本性。改めてその実力を思い知らされる。

 不気味な悪寒が、背を抜けていく。

「傭兵という仕事柄、いつ命を落とすか分からないことは俺もよく分かってる。志半ばでくたばったやつ、大切な何かを守るために自分を犠牲にしたやつ……何度も見ただろう? お前がやろうとしていることは、そんな奴らにはどう映ると思う」

「それは……」

「侮辱だよ。犬死なんて、それ以外の何物でもねぇ。何の覚悟もないのなら、やめろ」

 侮辱。確かにそうだ。今まで自分のために命を落とした者はどれだけいただろうか。まして、故郷の村をアンデッドの襲撃で失い、それはよく分かっているつもりだ。

 

 だが――。

「私は、自分が守れる者を死に物狂いで守ることが、そんな人たちへの償いになると思っています。それを、犬死だとは思いません」

「父親の仇とやらはいいのか? セロを助けることが、今までお前が必死になっていた目的よりも大切か?」

「諦めたわけじゃありません。でも、それがすべてじゃないことに、今更になって気付かされました」

 

 自分がアースラに入った目的。それを達成するためだけに、ここまで実力を磨いたと言っても間違いではない。あの赤いローブの男を討つことが、父の為になると考えていた。

「私は、父の仇を討ちたいという想いこそが私を強くしたのだと思い込んでました。それで本当は見なくちゃいけないことも、全然見えてなかった」

 以前の自分は、過去に対して自分一人で決着を付けようとしていた。その重圧に、今にも押しつぶされそうになっていた。復讐の想いは、枷であり十字架だった。

 それを、一緒に背負うと言ってくれたのはあの少年だ。自らの命までかけて、その枷をぶち壊した。それがどれほど大きなことだったかは、自分にしか理解できないだろう。


「セロと受けたあの依頼の後、なんだか急に、自分の世界が広がったような……そんな気がしたんです。見慣れているはずの景色が、いつもとは違って見えて」

 彼が何と言おうが、大きな借りを作ってしまったことは事実。それが、返すことができないものなるのなんて絶対に御免だ。そんな十字架を背負って生きるつもりはない。


「だから今度は、私がセロを救う番……彼が自分を信じられなくなっているのなら、私が何とかしてあげなくちゃいけないんです!」


 ウルスは溜め息を吐き、しばらく頭痛を押さえるようにして額に手を置いていた。

「……分かったよ。ただし、シナリオは変更だ」

 再び鋭い視線が、イルミナを見据える。しかし、空気はいつの間にか弛緩していた。

「今、ちょうどあの近辺の調査依頼が来ていてな。その調査に向かったお前は、何でもいい、そこである異変に気が付く。緊急事態だと判断し、お前は施設へと向かった……まぁもっともらしい理由ではあるだろ。もしかしたらお偉方も納得するかもしれねぇし……それと、だ」

 立ち上がり、ウルスは扉の前まで歩を進める。彼の意図が分からず困惑するイルミナに、にやりと口角を吊り上げて笑うと、手をノブに掛けた。

「どうも、こんなバカは俺達だけじゃねぇらしいぞ?」

「え……」

 イルミナに質問の余地を与えぬ間に、ウルスが思いきり扉を引く。すると――。

「うわっ!?」

「ひゃあ!?」

 ドアの反対側で体重を預けていた二人が、支えを失って盛大に部屋の中へと転がり込んできた。それはイルミナのよく見知った者達。


「り、リンちゃん!? それに、エレナさんまで……」

「い、痛いですぅ……」

 どうやら顔を床に強打したらしく、涙目で呻くエルフの少女。そんな彼女の上に覆い被さる形で倒れこんだエレナも、バツの悪そうな笑みを浮かべる。

「いやぁ、偶々騎士団長を見かけたもんだからね。何かあったんじゃないかと思って来てみたんだけど……なんか、取り込み中みたいだったから、ね」

 呆れたと言わんばかりの表情で二人を見下ろし、やれやれと首を振るウルス。そこには、どことなく楽しそうな表情も浮かんではいたのだが。

「こいつらも連れてってやれ。これ社長命令な、お前に拒否権ねぇぞ」

「そ、そんな……」

 命令とまで言われてしまえば断りにくい。それに、この二人も自分と同じように、言い出したら聞かないだろうことは目に見えている。

「でも、いいんですか? その、もしかしたらアースラにいられなくかもしれないんですよ……?」

 本音を言えば、二人が協力してくれることはイルミナにとっても嬉しいことだ。だがそれによって彼女らが負うことになるデメリットを考えれば、素直に喜ぶことができないのも事実だった。

 自分のせいで、二人の未来を台無しにしたくはない。

 

 しかし、さも当然のことと言わんばかりにリンが口を開く。

「私は、セロさんやイルミナさんに命を救ってもらった身です。だから役に立ちたい――それに」

 いったん言葉を区切り、少女は微笑む。


「私が居たいアースラは、お二人がいるアースラですから」


「リンちゃん……」

 少女の優しい言葉に、胸打たれるイルミナ。次第に目頭が熱くなり、思わず言葉に詰まってしまう。

「私も、可愛い教え子が困っているなら助けなきゃねー」

 頬を挟むように伸ばされた、エレナの白く細い手。

 師である彼女は時に自分を叱咤し、励ますことでここまで導いてくれた。

「ほら泣くな泣くな。そんな顔でセロ君に会うつもりかい?」

「な、泣いてないです……まだ」

「はっはっは、昔から泣き虫だなぁイルミナは」

 からかうように、しかしながらその内に優しさを秘め、彼女はイルミナの頬を弄る。いつもは子どものように扱われているようで嫌だったが、不思議と今日はそんな感情は出てこなかった。



 社長室を訪れる者の目的は、大抵の場合は依頼の達成報告だ。

 しかし実際、それはここに来なくても済む話であった。アースラ一階には国民や貴族からの雑多な依頼を纏めた掲示板があり、普通は社員自身がそこから自分に適したものを選んで受付の者に申請する。達成した後も、受付にそれを伝えればいいだけ。ウルスの代からそういうふうにやり方を変えた。

 それまでは実際に社長自ら報告を聞いていたらしいが、それをするくらいなら報告の要点を上手く纏められる能力がある者にやらせ、上がって来た文書に自分が目を通す方が効率的だと思う。

 直接の報告を禁じたわけではないので、伝統や形式を重んじる者達は昔ながらの方法に拘るが、来てもせいぜい一日に数人。今日は騎士やじゃじゃ馬どものせいでやたら疲れた気がする。

 そんな中。


「――お前は何の用だ?」


 椅子の背もたれに体重を掛け、いかにも面倒くさそうにウルスは漏らす。書類が山積する机の向こう、巌のような巨躯が、中々開こうとしなかった口をようやく開いた。

「あなたに、直接伺いたいことがあるのです」

「ほう……なるべく手短にしてもらえるとありがたいんだがね」

 書類の山を一瞥し、ウルスは眉を顰める。

 そう言えば、セロが失踪してからその捜索メンバーの選出やら探すエリアの絞り込みなどに掛かりっきりで、本来の仕事を放っていた。溜まるに溜まり、ざっと見ただけでいつもの二倍はあるだろうか。王国の直轄領捜索のために、面倒な手続きもした。その際の報告書も仕上げねばならないのだ。

「……大変そうですね」

「まぁな」

 男の感想に、適当に返事をする。聞きたいのはそんなことじゃない、何故この男が此処に来たのかだ。さきほど伺いたいことがあると言ったが、その割に男は中々切り出そうとしない。


「……場所を、変えませんか」

「ったく……何だってんだ一体」

「私が聞きたいのは、あなたのことです」


 ウルスはほんの一瞬、硬直した。男が厄介ごとを持ってきたのだと確信したためだ。 

 思い出してみれば、今日一日この男の姿を見なかった。依頼ではない。


――ならばどこで、何をしていた?


 ウルスの内心を知ってか知らずか、その男――狼型の獣人の拳が、更に力を込めて握られる。よく見ればそれは、小さく震えていた。

 

「返答次第では――私は、あなたを決して許さない――ッ!」


 ウルスはその表情に、一度だけ見覚えがあった。

 それは十年前のこと。イルミナが父を失った時と、全く同じ表情だった。


 


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