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真実━2

 そこは、何もない空間だった。

 満たす色は白。天井も、壁も、見渡してもその境界すら見いだせない。何処までも続いているようで、しかし目の前で終わっているようでもある。

 そんな場所に、一つの声が生まれた。


「ここは……?」

 イルミナは訝しげに周囲を眺める。発された声はどこかに反響するでもなく、それこそが正しいのだと言わんばかりに無の中に消えていった。

 この場所は何処なのだろうか。ここに至るまでの記憶が全くと言っていい程思い出せない。頭の中に靄がかかっているような感じがして、それが思考を邪魔しているのだ。

 手がかりになる物を探すべく、前に踏み出そうとした時。


 背後、何かの気配を察した。


「――ッ!?」

 安全かどうかも分からぬ場所で気を緩めるなど、自殺行為以外の何物でもない。

しまった、という思いと同時、慌ててイルミナは動く。

 既に脳は覚醒し、警戒信号を大音量でかき鳴らしている。


 取るべき行動は一つ。予期せぬ攻撃を少しでも受け流すこと。

 身を回しつつ、背を向けた方へ身を跳ばす。少しでも衝撃を殺すためだ。さらに両の手を眼前でクロスさせ、防御の構えをとる。

 しかしながら、予期していたような攻撃はない。

 視界が捕らえたのは、その背景とは全く別の色。周囲の虚無のような白と対称とも言えるその色は、夜を宿したような黒。

 見知った少年の、漆黒の外套だった。


「セロ……なの?」

 背を向けたまま佇む少年は、此方の声に何の反応も返さない。聞こえているのか、はたまた聞こえていないのか。

「ねぇ、セロなんでしょ? 帰ってきなよ、皆心配してるんだよ?」

 尚も動かぬ白髪の少年に、イルミナは歩み寄る。

 本来ならばこの時点で、現状の不可思議な状況を警戒しているべきだった。しかし、探し求めていた人物とようやく再会した少女の心に、そんな考えは浮かばない。

「バスクとか、リンちゃんとか、エレナさんとか……君のこと探し回ってさ。私だって――」

 少年の元まであと数歩と言う距離まで近づいた。その時、初めて彼は動きを見せる。

 しかし、それは彼女の期待とは真逆のものだった。


「――来るな」

 叫ばれたわけでも、怒りが込められたものでもない。ただ警告するような、静かな声。しかしそれを聞いた途端、見えない手で押さえつけられてしまったようにイルミナの体は硬直した。

 物理的な圧力さえ秘めているようなその声に、何故か肉体ではなく、心に刺すような痛みが走る。

「何、で……」

「見ただろ? 俺は、普通の人間じゃない……俺は――」


 止めてくれ。その先を言わないでくれ。

 どれだけ彼女がそう望み、願ったことか。

 だが彼女の声にならぬ叫びは、目の前の少年には届かない。


「――化け物だ」


 化け物。

 その言葉に、思わずイルミナの脳裏にはいつぞやの彼が見せた姿が浮かび上がる。

 生気を感じさせないほど黒ずんだ褐色の肌。獣のように鋭利に飛び出した爪。

 そして、鮮血を注ぎ込んだような色合いの眼。

「……そんなことない! セロは、化け物なんかじゃ――」

 背を向けたままのセロに、頭の中のイメージを拭い去ろうと尚もイルミナは呼びかける。あれは何かの間違いだと、言い聞かせようとする。

 それが、どんな結果を生むかも知らずに。


 気が付くと、少年の両肩が僅かに震えている。一瞬、イルミナは彼が泣いているのかと思った。だが、彼が発した声の皮肉めいた口調から、それは違ったのだと悟る。

「化け物じゃない? 本当にそう思っているのかよ」

「……当たり前、でしょ」

「これでも?」


 ゆっくりと、少年はイルミナの方に今まで背けていた顔を向ける。

「あ……」

 思わず、といった声が、少女の口から洩れ出る。

 それは少年であり、少年ではない存在。イルミナの記憶から離れない「あの姿」だった。


「ほら見ろ……やっぱり、俺は化け物なんだ」

 少年の絞り出すような声が、悲痛の感情を伴って零れる。

 それを聞きながらも、イルミナは動けない。喋れない。

 まるで体の全てが自分のものではなくなってしまったかのように、指先でさえ、動かせない。呼吸すらも、しているかどうか怪しいくらいだ。

 その姿への明確な恐怖。そして自らの保身と彼を一瞬でも秤に掛けたという罪悪感。この二つの感情が、イルミナの意志を阻んでいるのだ。


 目の前の存在が、高らかに吼える。そこに、もう彼女が知る少年の面影は無い。

 ただ、怒りと絶望に駆られた猛獣が、そこにいるだけだった。

 彼女の眼前、それの右腕が振り上げられる。全てを貫くことができるかのように思える獣爪は彼女の胸のあたりに向けられていた。

 その動きを捉えながらも、イルミナは動けない。力なく垂れた両手に意志はなく、脚もその場で固められてしまったかのよう。

 

「さよならだ、イルミナ」


 そんな声を聞いた気がした。

 停止しかけた脳に辛うじて浮かび上がるのは、あの時の記憶。気を抜けばフラッシュバックし、忘れたくても忘れられない光景。

 騎士に連行されたセロを追ってたどり着いた大通り。そこに求めた少年の姿はなく、異形の存在が、彼女を命を絶とうとした。

 しかしながら、その時は少年の自我が戻ったことで、寸前で攻撃は止められた。

 

 今は、違う。

 振り下ろされた腕は揺るがない。止まらない。

 それは一瞬にして彼女の意識を刈り取った。



「――ッ!?」

 イルミナは跳ね上がるようにして上体を起こした。

 先ほどと違い、ぼんやりとした意識が次第にまとまりを取り戻していく。視界は色を持ち、意味を持たぬ点は境界を表わす線へと。

 そこは正方形の狭い空間。光と呼べるのは、小さな窓からもたらされる夕日だけだ。

「イルミナさん……大丈夫、ですか?」 

 おずおずとした、自分を気遣うような声。正面には夕日に照らされたエルフの少女が座し、心配そうにイルミナを見つめていた。

 その時になって、ようやく額に玉となって滲んだ大量の汗に気が付いた。


 自然と意識を失う前の記憶が浮かんでくる。リンと無事に依頼を終えて、今はアースラへと馬車で変える途上だった。その疲労からか、いつの間にか眠ってしまったらしい。

「……大丈夫。疲れてるみたいだね、私」

 心配ないと伝えても、リンの表情は変わらない。僅かな光源が作り出す影と相まって、余計に悲痛な印象を与える。幼い少女にここまで心配されるのは、年上として後ろめたいものがある。

「もしかして私……何か言ってた?」

「えっと……」

 伝えるべきか、止めるべきか、それを迷っているらしい。言いにくそうにもごもごと口を動かした後、どうやら決心がついたらしい。押し出すようにして言葉を紡ぐ。

「何度も……セロさんの、名前を」

 言ってしまった後でやはり失敗だったと考えたのか、誤魔化すようにリンが顔の前でぱたぱたと手を振る。

「き、きっと大丈夫です! セロさんならすぐに見つかりますよ!」

「うん……」

 とってつけたような慰めの言葉に、イルミナは苦笑する。露骨すぎて、気休めにもならない言葉だ。しかし、幼い少女の必死の気遣いが今は嬉しかった。


 その後、しばらくは静かな時間だけが過ぎた。下手なことを口に出すのを避けてか、リンは先ほどの会話を最後に黙ってしまった。イルミナも、自身も岩と乾いた大地が成す変わり映えのない風景を眺める。


――何故、あの少年がいなくなっただけでこうも落ち込んでいるのだろうか。

 イルミナは自問する。今の彼女にはバスクやエレナ、リンやウルスといった仲間がいる。かつてのように一人になったというわけでもない。

 ならば、昔に味わった孤独よりもずっと辛く、悲しいのは何故か。

 イルミナは自らに胸にそっと手を置く。

 暗い空間に閉じ込められるような寂しさとは違う、心が締め付けられるような苦しさ。自分自身が彼を遠ざける原因となってしまったことに起因しているのだろうと考えてみたが、その罪悪感だけではないという気もしていた。


 そういえば、と少女は思い出す。セロとバスクで模擬戦を行った際、エレナが気持ちがどうこうと言っていた気がする。彼女に今度会ったら聞いてみようか、などと考えていた時だった。


「それにしても、セロさんも勝手ですよね」

「……へ?」

 唐突なリンの言葉に、間の抜けた声を出してしまう。

「『俺が守ってやる』、みたいなこと言ってたじゃないですか」

「……あぁ、あのときね」

 おそらく、彼女が言っているのはセロと二人でゼイナードと闘ったときのことだろう。協力して魔方陣を作りあげている最中、あの少年は確かにそう言った。

「イルミナさん、もしかして探しに行けばセロさんに怒られそう、って考えてませんか?」

「そ、それは……」

 図星だった。まさに、先ほど夢の中で「来るな」と言われたばかりだ。

「セロさんが勝手にいなくなってしまったんなら、イルミナさんも勝手に探し出しちゃえばいいじゃないですか?」

「勝手……に?」

「はい!」

 リンは勢いよく頷く。そこに、先ほどまでの躊躇いは見られない。

「自分の気持ちに嘘をついちゃ駄目です。それじゃあ、いつまで経っても心から笑えないですから」

「リンちゃん……」

 そういう少女の顔には、まるで花が咲いたという形容詞が当てはまるような満面の笑み。此方まで元気をもらえそうな、そんな印象を受けた。

「……そうだよね。私、何やってんだろ」

 

 イルミナは両の手を眼前まで持っていき、開く。自分は何を恐れているのか。

 セロという少年が、自分の中で分からなくなったことか? ―違う。

 自分のせいで、彼がこれ以上傷つくかもしれないことか? ――それも、違う。

 彼から拒絶され、自分自身が傷つくこと、ただそれだけだ。

 ならば問おう。果たして、一度の拒絶は終わりを示すものなのか、と?

 そんな分かりきった問いに、自分は今まで悩んできたのだ。


「こんなんじゃ、先輩失格だなぁ……」

 自嘲めいた笑いを漏らすイルミナに、リンは小さく口を尖らせる。

「エルフは人間よりも成長が遅いんです! 生まれてからの時間で言ったら、イルミナさんよりも少し短いくらいですよぉ!」

「あはは、ごめんごめん」


 イルミナは願う。

 今はまだ、上手く笑えていないかもしれない。けれどこの騒動が終わったら、セロも、自分も、目の前の少女のように笑えていますように、と。

 イルミナは拳を強く、強く握りしめる。

 そこには先の見えない闇の中で、光を見つけようとする意志がはっきりと表れていた。


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