真実━1
地平の果て、連なる山々から溢れ出す光。そのほとんどは王都エンシャントラを囲む壁に阻まれるが、高さを持った建造物は闇の中よりその頂を露わにする。
そのうちの一つ、長方形や正方形で構成された、白亜の建物。王国に数多存在する傭兵会社の内、上位傭兵会社と呼ばれるものの一角を成すアースラだ。
早朝にもかかわらず、その二階層、広い食堂を持つ空間には既にちらほらと人影が存在した。
狭い空間を挟んで並べられた円形のテーブル、そのうち最も窓に近い場所。そこに、三つの影が座している。
そのうちの一つは白毛に覆われた巨躯を持つ獣人、バスクだ。その正面にはエレナ、右手側にはリンが座っている。左手側、壁の上半分を占める窓の連なりの向こうには、未だに闇の中で眠る街並みが見渡せる。
今、バスクは黒く塗りつぶされた街並みを眺めていた。腕を組み、微動だにしないその状態は、傍から見れば考え事をしているかのように思われるかもしれない。
だが、実際は他にやることがないだけである。
つまりは暇なのだ。
始めは一人だったのだが、偶然エレナとリンが来て今の状態になった。二人が来た時には既にほとんど食べ終えており、現在トレイの上には空の食器があるばかり。
同席している者達を横目で窺うと、二人は黙々と端を動かしている。基本的に森に生る果実を食べるエルフには箸で食事をする習慣がないため、リンは中々苦戦しているようではあるが。
彼女の真剣みを帯びた表情に微笑ましいものを感じ、思わず口元が緩む。
そして再び視線は窓の外へ。
一人が三人になっても会話はほとんどない。しかしバスクには二人の頭の中にあることはよく分かった。
(セロのこと……なのだろうな)
王国騎士のアースラ襲撃から数日、未だに彼の消息は掴めていなかった。場所の見当すらもついていない。そのことばかりが気がかりで、しかし口にしづらい。そんな状況が生み出したのが今の空気だ。
何もできないという現実に吐きかけた溜め息を堪え、決心する。何かいい案が出るかもしれぬという小さな可能性に賭け、自分からそのことを話そう、と。
二人にこの話を切り出す辛さを与えまいと、顔を正面に向ける。すると、あることに気が付いた。
空だったはずの皿の上に、色とりどりの野菜の小山ができていた。
その位置から判断するに――。
「……エレナ様、好き嫌いとは感心しませんな。せめて少しは食べる努力をしてください」
「私くらいになるとね、勝てる戦いと勝てない戦いが分かるんだよ。真の強者とは無駄な戦いはしない者さ」
「正論ですね、この場以外では。さぁ、食べてください」
自分の皿をエレナの皿の上まで持っていき、傾ける。色が雪崩のように流れていった。
「ああっ! お前、この前言っていた私に対する敬意とやらはどこへやった!?」
「上に立つ者の過ちを正すのも、下の役目です。ほら、リンに悪い影響を与えてしまいますから」
そう言って彼女の方を見るが、その視線はバスク達に向けられていなかった。
俯き、眉尻を下げた少女は、小さな溜め息を漏らす。
「セロさん、一体どこに行っちゃったんでしょうか……」
その言葉に、少女に重い話題を切り出させてしまった罪悪感を感じつつバスクは思案する。励ますように、希望を持たせるように、「大丈夫だ」と言うべきだろうか、と。
そうするべきと思い口を開きかけるも、止めた。そして一瞬の迷いの後、再び口を開く。
「現状……発見は厳しいと言わざるを得ない」
その言葉に、リンの肩が小さく震える。後ろめたさを覚えながらも、しかしその選択が間違っていたとは思わない。
セロの捜索自体にはリンも加わっており、その進展は彼女自身もよく分かっていることだ。だから無責任な気休めを列挙するよりも、現状を正しく捉えた言葉の方が価値がある。そう判断したのだ。
バスクはそこで言葉を区切り、水で満たされたグラスに口を付ける。事実を告げる際に生まれる苦しさが、それで緩和されるとでもいうように。生まれてしまった妙な間を、その行為で誤魔化すように。
温くなった液体をゆっくり嚥下し、俯瞰の表情は言葉を紡ぐ。
「エンシャントラにはもういない、と考えていい。暴走の危険を孕んだまま、あの少年が人の多い場所にいるとは考えにくいからな」
同じ理由から、獣人の国であるウルムガント、エルフが集住するディアナの森も除外される。そしてバスク達はエンシャントラ郊外の森、さらには凶暴なアンデッドが生息する危険区域も探して回った。他国の境界近くも、だ。
しかし発見には至らなかった。すると、導き出される答えは二つ。
バスクは肺に残った酸素を全て吐き出すように、その答えを告げた。
「動き回っていたことで我々と行き違いになったのか、もしくは――『赤の教団』に捕まったか」
直後、再びの沈黙が生まれた。いつの間にかリンが持つ箸は止まり、右手で頬杖をついたエレナはつまらなそうに野菜を箸で弄っている。
いつまで続くのかと思われた空白。しかしそれは束の間で、動いたのはその三人の誰でもなかった。
「――おはようございます」
バスクは声がした方を向く。彼から右後方、テーブルからやや離れた位置、ゆっくりと顔を上げる少女が目に入った。その動きに合わせ、流れた金色の髪からその表情が露わになる。そこにはその少女の、いつも通りといえる表情があった。
「おはようございます、イルミナ様」
バスクの目礼に続き、他の二人もそれぞれ彼女と挨拶を返す。リンは小さく一礼し、エレナは手を挙げることで応じた。
「珍しいですね、三人が一緒にいるのって……私は仲間外れですか?」
自らの言葉に小さな笑みを零す少女に、エレナも苦笑する。
「アンタいつも起きるの遅いだろう。いつもはバスクが起こしにいかないと起きないくせに……今日は依頼?」
「リンちゃんと一緒に、エンシャントラ郊外にある小さな村の警備です。最近は郊外にもアンデッドが頻繁に出現するようになったから、こういった依頼が多くて」
「……確かに、そう言った報告は多く聞きますね」
仕事に多くの危険が伴う傭兵にとって、情報収集能力は必須のスキルだ。故に個人で傭兵として活動する者よりも、情報共有の目的からアースラのような傭兵会社に身を置く者の方が圧倒的に多い。
この大食堂なども情報共有の目的で作られたもの。自らの武勇を誇示したり、くだらない話で盛り上がる声の中に、いずれ己が直面するやもしれぬ危機において生死を分けるような情報が潜んでいるかもしれないのである。
先ほどイルミナの言ったアンデッドの活発化は、多くの者が不安を抱いている話題の一つだ。
何かの前触れでないといいが、などと考えていたバスクの近くで、食器と箸を置く音が響いた。
「ご馳走様でした」
見ると、リンが食べ終えて合掌しているところだった。食べ終えた食器を乗せたトレイを手に、彼女は弾むようにして椅子から降りるとイルミナの横に並んだ。
イルミナはそんな少女の手を取ると、残った二人への方へ視線を向ける。
「それじゃあ、行ってきます。今日中には戻れると思うので」
「うん、気を付けてねー」
エレナが手を振るのを見届けると、二人は食堂出口の方へと向かっていく。
その背が見えなくなると、どちらともなく溜めていた息を吐き出した。僅かに込められていた肩の力が抜ける。
「無理してるなぁ、あれは……気付いた?」
「……目、ですか?」
バスクの疑問符を含んだ言葉に、頷きが返る。
「本人は隠してるつもりなんだろうけどさ……ちょっとだけ腫れてたね」
「やはり、イルミナ様は自分のせいでこうなったと……」
バスクはこの数日の間のイルミナを思い出す。
セロが消えた翌日からこうだった。どう接するべきかと悩むバスク達の前で、先ほどと同じように、彼女はいつも通りに振る舞って見せた。しかしその姿を見れば見るほど、彼らの脳裏にはまざまざと浮かび上がるのだ。夜、声を殺して涙を流す彼女の姿が。
「リンは気づいてないのかもしれないけど……あぁー面倒だ! 何でこう、問題ばっか起こるかなぁ」
「……その意見には同意しますが、人が話してる最中に野菜投げて寄こすのは感心しませんね」
バスクは再び色彩の山を滝のように流す。
まだ静かな食堂の空間に、抗議の叫びが響き渡った。