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覚醒━8

 夜明け時。

 地平線から僅かに太陽が顔を出し始める。王国外の村に集住する人々は既に活動を始める時間帯ではあるが、街の中はまだほとんどの者が眠りに就いている。理由は王都を高く囲う壁によって、陽光がまだ街に差し込んでいないからだ。

 電燈という技術を持たない街、エンシャントラは未だ漆黒の中に身を顰めていた。

 そんな中、陽光とは別種の光に満たされている空間が存在した。

 

 そこはある屋敷の中。二階部分の奥まった部屋だ。

 光の源は『魔法石』と呼ばれる小さな石。内部に魔力を蓄積することができ、例えば火の魔力を込めたものは調理などの際に、光の魔力を込めたものは明かりとして使うことができる。原料は容易に採掘できるため、現在では一般に広く普及している。


 その光が満たす部屋の内部で重い音が響く。続いたのは甲高い叫び。


「クソ……クソ! クソ!」

 外に面した壁には両開きの窓が、部屋の周囲には巨大なベッドや、衣装ダンスなどが並べられている。そしてそれらに囲まれるようにして、部屋の中央に一つの影が存在した。その脇には小さな丸テーブルがあり、影から延びた腕は何度もそこに叩きつけられる。

 影の正体は、華美な装飾のついた服を脱ぎ、白い寝巻へ着替えた男――アガノフだ。

 クロードに襲撃された際、ロイの命令で王国騎士団の者が彼を屋敷まで送り届けたのだ。寝室まで逃げるようにして駆け込んだ今になっても、早鐘のような鼓動は収まらない。

 

 恐怖。騎士に先導されながら走る馬車の中、アガノフの抱いた感情はそれだけだ。

 最初の爆発が起こった際、彼は何事かと窓から身を乗り出すようにして外を見た。

 そこで見たものは、闇夜に浮かぶ赤い双眸。その光はただ、己の魔術が齎した惨状を眺めていた。

 アガノフはその目を知っている。そのような珍しい色の目のことではない。そこに宿された感情のことだ。

 まるで、虫けらを見るような目。恐らくあの男は人を殺しても何とも思わないのだろう。散歩中に足下を蠢く小さな虫を踏みつぶした、その程度にしか思わないに違いない。

 何故そう思うのか。

 簡単だ、アガノフ自身もそうであるのだから。同じ感情を目に宿した者同士だからこそ、彼は理解することができた。同じ理由で、その男が自分よりも狂っていることを瞬時に理解した。

 だから恐れた。あの場所で、彼の異常性を真に理解できたのは自分だろうという感慨を持って。


 だが、今は違った。脂ぎった体を支配する感情は、狂った化け物へ恐怖ではない。

 怒り。

 憎悪を燃料に、業火の如く燃え盛る猛々しい黒い感情。


「まただ……またあの娘を手に入れ損ねた!」

 握られた拳が振り下ろされ、今までよりも重い音が部屋に響き渡った。同時、アガノフは痺れるような痛みに顔を顰める。が、今はそれすらも怒りという火の勢いを強める糧へと変わっていく。そして大火は更なる行動の原動力へ。

 

 ふと、彼の視線がある一点に向けられた。

 三段の引き出しを持つ、彼の腰くらいまでの高さほどしかない小さな棚。

 周囲の調度が塗料を上塗りすることで、自らの価値を強く主張せんばかりの光沢を放っているのに対し、それは表面に何のコーティングも施されていない。材料となった木材がそのまま色として現れている。

 視線はその上、同じように木を加工して作られた縦長の小さな枠に注がれていた。中には二人の人物が描かれている。肖像画ではない。アガノフの見たことのない、長方形の黒い箱のようなものを使い、ある者が一瞬のうちに作りだした不思議な絵だ。


「シャシン……と言っていたか、あの男は」

 不思議な魔術もあったものだ、と独りごちる。

 そして、言葉はさらに漏れ出る。


「次こそは……必ず……」

 いつの間にか眉尻が下がっていたことを自覚し、慌てて周囲を見渡す。当然、彼以外の者の姿はない。それを改めて確認し、一息。

 

 しかし次なる感情の起点はすぐに現れた。

 彼の脳裏にあるのは一人の少年の姿。全身を覆う黒衣に透き通るような白髪。初めて彼の邪魔をした人間にして、最も苛立ちの元凶となる存在だ。


「あの男だけは殺す! 儂に楯突いたことを後悔させてやるぞ」

 無残に痛めつけられた少年が命乞いをして膝間づく姿を思い浮かべると、微かに憎しみが薄まったのを感じた。権力という力がある限り、自分の優勢に変わりはないという状況を改めて思う。

 それで満足したのか、左側の壁に置かれたベッドへと体の向きを変える。しかし踏み出した足は数歩といかぬうちに止められた。

 今までは感情の高ぶりのために気が付かなかったが、体が水分を欲していた。緊張の際の発汗がその原因だろうと考え、廊下へと通じる扉に向けて手を打つ。


「喉が渇いた。水を持て」

 しかし呼びかけに答える声はなく、しばらくの間をおいても帰ってくるのは静寂のみ。部屋の前には侍女がいたはずである。

 

 アガノフは疑問に首を傾げる。

 彼はその侍女につい最近折檻を与えた。言いつけに対して返事をしなかったからというのが理由ではあるが、実際はただのあてつけに過ぎない。その日は街道で親子に罰を与えようとしたところ、少年によって邪魔された日でもあった。当然、杖で打たれた彼女にとって、そのことは知る由もないが。


「馬鹿な女だ……まだ懲りていないのか」

 溜め息を吐き、テーブルに立てかけていた杖を取り、入口へと向かう。木製の扉に手を掛け、勢いよく押し開いた。


「おい! 貴様また叩かれた――」

 扉が開かれると同時に発された言葉は小さくなり、消えた。

 アガノフが周囲を見渡すも、彼女の姿は見えない。待機させておいた彼女が、勝手に持ち場を離れるはずがない。そんなことをすれば折檻では済まないことくらい分かっているはずである。

 加えて彼女以外の者の気配もない。五十はくだらない召使いが働いているにもかかわらず、だ。

 その異常性に気付くと同時。

 返答は背後からあった。しかしそれは言葉ではない。


「ひっ!?」

 丸まった背に、何かがぶつかる感触。次いでその背を襲う冷たさに思わず叫びそうになった。恐る恐る下を見ると、小さな器が転がっている。透明な液体が、敷かれた絨毯に染みを広げていた。


「おっと、悪いな。水がお望みだっていうからよ」

 声に、アガノフは弾かれたようにして後ろを向く。その動きで滴となって付着していた水が壁へと降り注いだ。

 先ほどまでアガノフがいた場所。近くのテーブルの上に足を組んで座す男がいた。

 くたびれたシャツの上に黄色いロングコートを羽織り、下は紺のズボン。どう見てもこの絢爛けんらんな調度が置かれたこの部屋にそぐわず、場違いという感じしか受けない人物が、そこにはいた。

 アガノフはその男を知っている。


「う、ウルス=クルーガ! 何故貴様がここに……」

 傭兵会社アースラの社長。彼が知る情報はこれしかない。いや、ほとんどの者がそうであるはずだ。噂では、アースラの者でさえウルスの行使する魔術を見たことがないと聞く。

 そんな得体のしれない男は、ただ薄い笑みを浮かべるだけだ。


「そ、そうか、報復だな!? 儂がお前の会社に騎士を連れて乗り込んだものだから、それに腹を立てているのだ! 違うか? だがあれは罪人を連行するために――」

「今日は来ていないんだな」

 言葉に、アガノフの両眼が驚きに見開かれた。自らの言葉が遮られたことにではない。


「き、来ていないだと? 一体何のことだ?」

とぼけんなよ。アンタ、『赤の教団』の誰かと取引をしていたはずだ、そうだな? 交渉材料は大方、向こうは邪魔な対立勢力の貴族を消すこと、アンタは貴族のみが知りえるエンシャントラ国内の情報提供。それと――」

 一呼吸の間。そして、明らかに動揺しているアガノフを見据えたまま、ウルスは言葉を紡いだ。


「――セロの引き渡し、だろう?」

「ッ!?」

 ぞくり、と冷たいものが背を伝っていくのを感じる。

 常は死んだような目をしていた男の双眸。そこにそれ自体が殺傷能力を有するかのような鋭い光が宿る。たったそれだけで、アガノフは室内の温度が急激に低下したかのような錯覚を得た。

 

 何故バレたのか。

 いや、そんなこと今はどうだっていい。


 理由を求める思考を止め、必死に取るべき行動を考える。

 脳のある部分は警報を鳴らし続けている。そこから下される命令は、「逃げろ」だ。だが、その通りに行動することを拒絶する自分がいる。

 アガノフの視線は、自然とその「理由」へと向けられていた。対峙する男は、当然の如くそれに気づく。


「……そんなにこれが大切か?」

 言葉と同時、ウルスが手を後ろへと伸ばしそれを手に取った。

 それは、先ほどの写真立てだ。

 反射的に声が押し出された。


「き、貴様! それに手を触れるな!」

 叫びも虚しく、ウルスはそれを顔の前に掲げる。直後、その表情が僅かに驚きの色合いを帯びた。


「成程な……そういや、昔聞いたことがあったっけか――愛妻家で評判だったとかいう、このあたりの底辺貴族の話を。女の方が病死した後、その男はまるで心に空いた穴を埋めるかのようにあらゆる贅沢を求め――」

「やめろ!」

 甲高い叫びが室内に響く。

 その反響が薄れ、静寂へと戻りかけた時。


「ハッ、確かに似てるっちゃあ似てるけどな」

 声と共に、アガノフの目の前にそれが放られた。慌ててそれを受け取り、判断する。

 逃げるならば今だ、と。


 すぐさま背後の扉へと体を向ける。何かが砕けたような音が微かに聞こえた気がしたが、構っている余裕はない。屋敷内のどこかにいるであろう警備の者を探すのが先決だ。

 杖と突くと同時、全力で足を踏み出す。

 しかし。


「……は?」

 予想外の事態が彼を襲った。踏み出した足が床へと届くことはなく、ただ宙を掻くだけに終わったのだ。

 結果、音もなく柔らかい絨毯に迎えられた。


「何が――」

 そこに投げ出された自らの両脚へと視線を落とす。目にした事実に、思わず絶叫を上げた。

 膝から下の部分がないのだ。

 更に視線を先へととばせば、先ほどまで自分がいた場所にそれらを見つけた。分厚い、透明な何かによって床に接着された己の足を。

 

 それを合図とするかのように、部屋を満たす光が二、三度の明滅。直後、闇が空間を覆い尽くした。魔術の行使による魔力消費が、明かりである魔法石内の魔力に一時的に干渉したのだ。

 ほとんどは闇によって飲み込まれ、しかしそこから浮かび上がるものもある。

 

 それは光だ。紅く、血の色に染め上げられた二つの光。


「ひぃ!?」

 アガノフが両の腕で絨毯を泳ぐように掻き、這うようにしてそれから逃れようともがく。それを嘲笑うかのように、光は両者の距離を一瞬にして詰めた。


「これ以上情報が漏らされると面倒なんでな……悪く思うなよ」

 言葉が終わるよりも早く、アガノフは妙な感覚を得た。熱さとも、冷たさとも言えるような矛盾を伴った痛みが、徐々に全身を上ってくる。そしてそれが通過した部位は、縫い付けられでもしたかのように動こうとしない。

 その時になって魔法石に魔力が供給され始め、再び部屋を光で満たす。

 彼はゆっくりと視線を前に移した。靄がかかったような視界の中、映ったのは横倒しになった写真立てだ。

 

 そこに映るのは二人。左に立つは若く、健康的な体系をした男。並んで立てと指示され、何をされるのかと緊張した面持ちで突っ立っている。そしてその右側、同じく若い女性が自然な笑みを浮かべて佇んでいた。

 陽光を受けて金に輝く髪、深みのある青い目。やや幼さが残る顔立ち。

 その容姿は傭兵会社アースラに所属している、ある上位ランカーに酷似していた。


「――――」 

 震える右手が写真の方へと伸び、最早吐息に近い声が写真に写る女性の名を紡ぐ。そうして吐き出された白い呼気は、空気中にゆっくりと溶けていく。


 無表情にそこまでを見届けると、ウルスは闇の中を歩き始める。そして部屋を出て廊下を左へ。

 その背を追うように、儚い破砕音が響き渡った。



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