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覚醒━6

 王国騎士団団長という肩書を持つ男。彼が少女を助けると思い込んでいたのはクロードだけではない。セロ自身も同じように考えていたのだ。だが光弾が少女に向かって放たれる寸前、その胸に言い知れぬ不安が沸き上がった。

 ロイが少女の方を見ようとしないのだ。まるで、彼女の生死などには興味がない、といったように。


「おい、ウソだろ!?」

 魔弾が放たれた時には既にセロの体は走り出していた。視界の端に、クロードに攻撃するべくロイが大地を蹴ったのが映る。

 少女は未だに自分の身に迫っている危険に気が付いていない。泣き、母親の名を呼び続けている。

 セロと少女の距離は残り数メートル。全力で駆けて間に合うかどうか。

 魔術を使おうと、手を前に出そうとする。しかしそれは叶わず、ガチッと金属音が鳴っただけだった。

 後ろ手に拘束する手枷。その存在が完全に頭から抜けていた。今現在魔術の行使はできないのだ。走り出した今になって気が付くとは、ルイスのことを馬鹿に出来たものではない。

 

 明確な死が、形を成して少女に迫りつつある。迷い、少しでも速度を落とせば、幼き命は悪意に飲み込まれるだろう。ただ、そこに居合わせたという理不尽な理由で。セロの目の前で。


「んなこと……見過ごせるわけないだろうが!」

 叫び、大地を蹴る足に一層力を込める。

 セロは目覚めてからの短いうちに、数多の理不尽を見た。その後に残る悲しみも見た。

 権力を盾にした貴族の横暴。力を持て余した者による、罪なき人々の虐殺。

 今少女を見捨てれば、それらを認めることになってしまう。その考えが心を占める。

 

「おかあさ――」

 不意に少女の声が途絶え、既に目前まで迫った死を認める。もう避けることはできない。

 それと同時にセロが残された距離を跳躍する。光弾が幼い命を食散らす刹那、二人は重なるようにして地面に倒れこんだ。

 何が起こったのか分からずに呆然とする少女。セロは上体を起こし、彼女に問う。


「大丈夫……か?」

「――――あ」

 返答の代わりにその口から漏れ出たのは、悲鳴のようなかすれた声。今になって死というものの恐怖がこみ上げてきたのか、再び大粒の涙がその頬を伝っていく。

 しかしこのままじっとしていられては、いつまた危険な状況になるか分からない。

 セロは彼女を安心させるべく、笑みの表情をつくる。馬車の中でリンに話かけた時よりは上手く笑えているといいのだが。 


「きっと、君のお母さんはこの先にいる。君も早く逃げるんだ」

「……本当に?」

 瞳を潤ませながらのその問いに、セロは力強く頷いた。


「あぁ、君のことを探しているはずだよ」

 その言葉で小さな顔に輝くような笑みが戻った。セロの示した方向へ勢いよく駆けていく。去り際に、「ありがとう!」という言葉を残して。

 

 一度は見捨てられた小さな命の灯。それを守ることができたという事実に、思わず安堵の息が漏れる。

 しかしそれも束の間。次の瞬間には、彼女を危険にさらした男への激情が湧き上がっていた。


「おい! 今のはどういうことだよ!?」

「……説明が必要なことか?」

 背中越しにセロの怒りを感じとり、溜め息を吐くロイ。聞き分けのない子どもを相手にした大人がするような、まさにそんな仕草だ。何の感情も反映しない眼が、セロに向けられた。

 

「最少の犠牲で最善の結果を得る。この程度、戦闘における常識だと思うのだが」

「……じゃあ、女の子を見殺しにしてそいつを倒すことが最善だった。そういうわけかよ」

「この男を逃がすことが、エンシャントラにどれ程の脅威をもたらすと思っている? 最悪、それだけでこの国が滅びるぞ――それとも、あの子ども一人の命にそうまでして守る価値があったとでも言うのか?」

「お前は……ッ!」


 男の言葉に、ぎしり、と歯を軋ませる。

 王国騎士団。その存在意義は国を、そして国民を守ることにあるとセロは考えていた。しかし、そんなものはただの夢想にすぎなかった。少なくとも、目の前の男の理念はそれとは異なる。

 それを、今になって思い知らされた。


「……あんた、さっき言ってたな。イルミナを忘れて、王国騎士団に入らないか、と」

「何だと?」

 急な話の転換。ロイの顔に僅かな困惑が浮かぶ。

 そんな彼に構うことなく、セロは叫ぶ。揺らぐことのない決意をその眼に宿しながら。


「――絶対に、お断りだ!」


 その言葉を受け、僅かにロイの目が見開かれた。続く感情は怒りか、落胆か。彼が口を開くよりも早く、緊張感の抜けた笑いがそれを遮った。


「ハハッ、見事にフラれちまったな!」

「黙れ!」


 ロイの怒声を受けても、ルイスがその笑みを消そうとする素振りはない。むしろその苛立ちを露骨に表している彼を面白がっているようだ。


「そうカッカすんなって。ほら、よそ見してると危ねぇぞ」

 突然、ルイスが手に持つ皮鞭を勢いよく引っ張った。その先端はいつの間にやらロイの腕に絡み付いており、その体を引く。 

 その直後、彼が立っていた場所を、光の柱が深々と抉った。直撃していれば即死の一撃だ。


「……外しましたか」

 先ほどまで地に膝をついていたクロードだったが、今は傷口を押さえながら立ち上がっていた。いつの間に作り出したのか、中空にはレーザーの射出口である紋章が浮遊しているのが見える。


「……すまない、油断した」

 ルイスの近くまで逃れたロイ。自分の犯したあまりにも致命的なミスのためか、先ほどまでの怒気は完全に鳴りを潜めていた。


「へぇ、王国騎士団団長様が珍しいな……まぁいいけどよ。それより、あいつの信仰する神の教えには『不意打ち禁止』とかねぇのかよ」


 口調とは裏腹に、ルイスの視線は鋭いものになっていた。先ほどのロイのような怒気を含んだためのそれではない。敵の意図を見抜こうとする洗練された戦士のものだ。

 その理由は一つ。逃亡に失敗したはずのクロードの表情に、失意や諦念が滲みすらしていないのだ。やむを得ずとは言え、先ほどの罪なき少女の命を秤にかけた逃げの一手は、神に仕える彼にとっては苦渋の決断であったはず。

 しかし結果としてはそれを防がれた上、手痛い反撃を受けた。その状態で、ロイとルイス相手に逃走は困難、いや不可能と言っても過言ではない。 


――一体、何故?


 警戒と共に、さらに深く沈み込んでいく思考。

 その沈降を妨げたのは、まさに答えそのものであった。


「おやおや、ちょうどいいタイミングですか。状況は……些か想定外ですが」

 苦しげに立つ、手負いの老戦士の隣。

 その場所に、聞き覚えのない粘着質な声音と同時に展開された、紫紺の魔方陣。

 その中央、まるで大地から浮かび上がるようにしてその者は現れた。

 

 白衣をその身に纏う、長身痩躯の男。

 その背を流れる銀色の長髪。女性を思わせるそれを持ちながら、彼を男性と判別できるのはその顔立ちからである。

 顔を形作るそれぞれが、まるで巨匠が苦心して作り上げたかのよう――そう、その眼以外は。

 整った眉、筋の通った鼻。それらの前に、どうしても、まるで魔術でもかかっているかのようにそれに目が引きつけられてしまう。

 異常なまでの狂気で淀んだ、虚ろな目。

 配合された一握りの邪悪さが、完成された美を叩き壊していた。


「転移魔法を……そんな、馬鹿なことが……」

 セロは、ロイがあまりの驚愕に言葉を詰まらせているのを見た。その隣に立つルイスも、唖然とした表情を浮かべている。

 

 転移魔術。初めての依頼の際に、イルミナがそれについて話していたことを覚えている。

 それは未だに人類が到達できずにいる領域。生まれつき人間よりも魔術の行使に秀でているエルフをもってして、「実現不可能」と言わしめるもの。もしその術式を編み出した者がいたならば、その者は後世に名を残すことは間違いがないと言われるほどだ。

 それを、いとも容易くやってのけた男。彼は、胸の傷を押さえるクロードをただじっくりと観察していた。対して、クロードは安堵の表情を浮かべる。


「あぁ、ドクター……。助かりました、あなたが来てくれなければ『奥の手』を使わされるはめになるところで」

 ドクターと呼ばれたその男は、その時になってようやく彼を認識したかのように微笑んだ。


「いえいえ、危なくなったら助けに入るという約束でしたからねぇ。それに、私としても確かめたいことがありますから」

 そう言うと、白衣の男は視線をこちらに向けた。その視線に射竦められたかのように、セロの体に悪寒が走り抜ける。まるで実験動物を観察するような、そんな粘つく視線を本能が拒絶したのだ。


「ふむ……覚醒はまだ先、と言ったところですかねぇ。いやはや困った困った、あまり時間の猶予はないのですが」

 困った、という言葉の割には顔に微笑が浮かんでいる。

 突如、男の姿が唐突に消えた。瞬きをした、その一瞬のうちに。

 

「なっ!?」

 セロが周囲を見渡した、その時。

 ロイとルイス、両者の視線に気が付いた。それらはセロへ――正確にはその後ろへ向けられていた。

 

 それが意味することに気が付いた時には、既に遅すぎた。その場から飛びのこうとする寸前、首筋に熱された金属の棒を差し込まれたかのような衝撃が、セロの意識を打ち震わす。堪らずに、地面に倒れこんでしまった。


「ぐっ……ああああああ!」

 

 その痛みは全身へと回り、その激痛に悶え、無様にのたうち回る。

 紅く滲んでいく視界。そこに、白衣の男の姿が映りこんだ。彼の足下には魔方陣が浮かび上がっている。

 いつの間に取り出したのか、その右手には一本の注射器。中身はすでに空だ。 


「光彩の変色、皮膚の変質……いい調子ですねぇ」

「お前、何を……ッ!?」

 痛みに悶えるセロの姿に、ふふ、と男が笑いも漏らす。愉快で堪らないというのが、その行動に表れていた。

  

「心配はいりませんよ。覚醒は、あなたにとっても利益になることですから」

 それだけ言うと、男は再びその姿を消す。気が付くと、彼はクロードの隣に立っていた。二人の足元では、紫紺の魔方陣がその輝きを強めている。


「ではみなさん、またどこかでお会いましょう」

「ッ!? 待て!」

 ロイが駆けるよりも早く、二人は眩い光と共にその姿を消した。


「チッ! ルイス、探知系魔術で奴らの居場所を――」


 途切れる言葉。それを遮ったのは、まるで飢えた獣のような咆哮だった。


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