邂逅━2
粉塵が晴れ、だんだんそのシルエットがくっきりと浮かび上がる。
そこに佇んでいたのは一人の少年だった。
身長はイルミナより少し高いくらいだろう。ほっそりとした体形をしている。
闇に溶け込むかのような漆黒のコートに、同色のズボンやグローブを身に着けているため、肌は顔以外に見ることはできない。
髪の色はそれらとは対照的な白。長く伸ばされたそれは、まるで透けて見えるかのようだった。
背には一振りの剣を担いでいる。バスタードソードと呼ばれる巨大な剣だ。白銀の鞘に目立った装飾は見られないが、それは機能性のみを追求したゆえだろう。万物を両断してもおかしくない危険さを漂わせる。
黒と白のみで成り立つその容姿は、どこか神秘的な感慨を抱かせた。
一瞬の間をおいて、イルミナの停止していた頭が活動を再開する。
(なんでこんなところに人が!? まさか、研究員の生き残り……?)
イルミナは即座にその考えを捨てる。少年の格好はどう見ても研究員のそれではない。
彼女が結論にたどり着くよりも早く、耳を塞ぎたくなるような、奇声ともとれる雄叫びが上がる。傭兵達に向かっていた〈ゾンビ〉の群れの一部が、突如現れた闖入者を排除するべく動き出したのだ。
「君! 早く逃げて!」
イルミナは叫ぶ。が、その少年のとった行動はイルミナの期待したそれとは真逆のものだった。
澄んだ金属音とともに抜刀された刀身は、薄暗闇の中でそれ自身が発光しているかのような輝きを纏っていた。それは魔力と呼ばれる不思議な力を込められたものである証。そのような武器は、市場において一般人の手が届かないほどの価格で取引が行われている。
そして、片手で一閃。
魔術も発動させていない、ただの横薙ぎ。
それだけで剣の届く範囲にいた十体近くの死者達は、その頭部を失い地に倒れ伏した。
振りぬかれた刀身には肉片一つ付いておらず、その輝きは全くと言っていいほど損なわれてはいない。
(強い……!?)
それが上位の傭兵会社に所属し、その中でも指折りの実力を持つイルミナの感想だった。あの細身の体のどこにこの力が秘められているのか。
少年は軽々と巨剣を肩に担ぐと、不敵な笑みを浮かべる。
逆の手を掌を上に向けて突き出し、指を前後させて挑発する。
もっと来い、と。
その行動の意味を理解できるだけの知能は持っているのか、至る所から動く屍の咆哮が上がる。そして濁流の如く襲い掛かった。
少年は全く焦りを見せず、先ほどとは逆の方向に剣を薙いで死者を斬り飛ばす。 さらにその勢いを利用して回転し、もう一撃。斬り飛ばされ、豪雨のように爆散する肉片。
完全に死の濁流を断ち切った。
次々に斬り飛ばされる同朋を見て、〈ゾンビ〉の群れの動きが止まる。目の前の少年に――大した知能を持たない屍にはありえないのだが――怯えているように見えた。
「来ないのか? じゃあ、こっちから行くぞ」
少年が一歩踏み出すと同時に、死者の群れが一歩後退する。
「イルミナさん……俺達は……」
近くにいた魔導士が、掠れた声を発する。それで我に返ったイルミナは、隊員達に指示を下す。
「あの少年に警戒しつつ、アンデッドを殲滅します! 少年に対しては敵対していると思われる行動をとらないこと!」
イルミナの声で、一斉に隊員達が動き始める。
屍を切り捨て、魔術で吹き飛ばし、銃で撃つ。
形勢が一気に逆転した。
視界の端で戦闘を続ける白髪の少年を窺いながら、イルミナは心の声を口に出した。
「何者なの……彼は……?」
■
空気を断つような唸りを上げて振られた白銀の剣。それが最後の一体となった〈ゾンビ〉目掛けて振り下ろされた。一瞬遅れて屍の身体が左右に分離し、湿った音と共に崩れ落ちる。
広い部屋いっぱいに立ち込める、濃縮された腐敗臭。
イルミナと残った隊員達はそれぞれ武器を納めてはいる。しかし状況によってはいつでもそれらを取り出せるような構えをとり、巨剣の届かないギリギリの場所にいた。
それが、警戒しているとは思われず、かつ友好的と思われるようなギリギリのライン。
目の前の男が自分達を死地から引き上げた救世主なのか、それとも問答無用で死を齎す死神か。それが分かった瞬間、即座に動けるようにするためだ。
相手の正体が分からない以上敵対的な行動は慎むべきではあるが、かといって無警戒で近づいて自らの命を博打に晒すのは愚行。
目の前で背を向けて佇む、自分達よりも格上であろう存在の一挙手一投足。それの動きに、彼らは先ほどの戦い以上の集中力を割いていた。
警戒をしつつ、イルミナが彼に声をかけようとした時。
彼の体がゆっくりと傾き、そして――倒れた。
「ちょっ……君!?」
「おい! 大丈夫か!?」
慌てて少年に駆け寄ったイルミナに、隊員達が続く。
「……大丈夫。気を失っているだけみたい」
呼吸が正常に行われていることを確認し、イルミナは視線を隊員達と交差させる。
さて、どうしたものか。
アンデッドの罠は切り抜けたが、撤退は決定事項だろう。選りすぐりの精鋭がまだ半分残っていると考えるか、既に半分しか残っていないと考えるか。前者を主張するのは狂人くらいだろう。
この研究所にはまだ先があり、ここから先にはこれ以上のトラップが仕掛けられている可能性はかなり高い。そしてそれが正解だった場合、今度こそ間違いなく全滅する。
そこで問題になるのが素性、さらには敵か味方かさえ分からないこの少年をどう扱うのかということだ。
放置か、それとも保護か。
イルミナは深いため息をついた。
「この少年の体を調べて、隠されている危険物の有無を確認……魔術を使われたらしょうがないけどね。その後、撤退を開始します」
地上まで引き返す間、イルミナは少年に対し「もし帰ってから暴れたりしたら恨むからね」、と心の内で呟かずにはいられなかった。