覚醒━5
大気を焦がすほどの膨大な熱量。直撃すれば、あらゆるものを瞬時に蒸発させるだろう光の柱が迫る中、その男はどこからともなく現れた。
右足を踏み出して半身になり、手を帯びている刀の柄に。
そして、一閃。
抜き放たれた刃の軌跡をなぞるようにして、紫の斬撃が放たれた。
「馬鹿なッ!?」
自らの一撃がその斬撃によって喰らわれ、霧散する様を目にしたクロードは、驚愕に目を見開いた。
しかし、驚くのはまだ早すぎた。光を食散らしてなお、その斬撃は死んでいなかったのだから。
長方形をした家屋の屋根が、轟音とともに爆ぜた。クロードの実力をもってしても、流石に回避は難しいだろうと思われる。
「直撃……か」
それを見届けると、セロとルイスの前に立つ闖入者――ロイは二人の方に顔を向ける。その眼には先ほどとまるで変わらない冷たい色が浮かんでいた。
「いやー助かった。今のはマジで死ぬかと思ったね。走馬灯が見えたもん」
にもかかわらず、隣の男はへらへらと笑っていた。豪胆なのか、それともただの馬鹿なのか。未だにこのルイスという男のことが掴めない。
「……お前に、走馬灯を見るほど記憶してることがあるとは思えないがな」
頭痛がすると言わんばかりにこめかみの辺りを抑えつつも、ロイは相方を縛る鎖を瞬く間に断ち切っていった。いっそのことこの手枷も切ってはくれないかと期待したが、彼の視線はこちらに向くこともなかった。
仕方なく、ふと思いついたことを聞いてみる。
「そういえばここ街中だけど、あんなに激しくやって大丈夫なのか?」
何の意図もない、ただの問い。そのはずだったのだが――。
「……は?」
目の前の出来事に、思わず頓狂な声を上げてしまった。ロイがこちらを向くと同時に、刀を振りかぶったのだ。その眼の冗談の色は見えない。
「ちょっ、お前何のつもり――!?」
刀が振り下ろされた瞬間、セロは死を覚悟して目を閉じた。そして――。
ガキン、という硬質な音が響いた。
「そちらに気を取られているとばかり思っておりましたが……さすが、という他ありませんね」
ゆっくりを目を開くと、鋼の刀身がすぐ目の前にあった。そしてその向こう、薄れてきた煙の中で、恨めしげに顔を歪めるクロードの姿。
一拍おいてから、セロはようやく悟った。ロイはこちらを狙ったのではなく、自分に向けて放たれた攻撃を防いでくれたのだ、と。クロードに狙われていることなど全く気が付きもしなかった。彼が防いでくれなければ間違いなく死んでいただろう。
「お前――」
「避難させている」
「……はい?」
言葉の意味が分からずに問い返すと、露骨に面倒そうな顔をされた。
「自分のした質問くらい覚えておけ! 周辺の住民は兵たちが避難させている。アガノフ候も疾うに安全な場所に逃げているだろう」
「あ……そう」
今の流れで意味を理解しろと言うのもなかなかに理不尽な気もしたが、今しがた助けてもらったこともあるのでここは何も言い返さないことにした。
それにしても、ルイスが戦っている間に指示を出していたのだろうが、あまりにも手際が良すぎる。王国騎士団隊長という肩書は、やはり伊達ではないということか。
「へっ、俺も動けるようになったことだし、さっさとケリをつけちまうか」
肩をぐるぐると回しながら前に出ようとするルイス。が、ロイはそれを手で制した。
「お前はこいつを守ってやれ」
「あぁ? 女ならまだしも、何で俺が野郎なんか守らなくちゃいけないんだよ? それに俺だってやられっぱなしってのはムカつく――」
「命令だ」
不満そうに顔を顰めるルイス。しかし、ロイの鋭い視線にすぐに屈したらしい。
「へいへい分かったよ。命令、ってんなら仕方ねぇか……ほら、こっち来な」
露骨に気怠そうな顔をしているのが気になったが、大人しくルイスの指示に従うセロ。そのまま二人は数メートルほど後退した。
ロイはというと相変わらずクロードとの睨みあいを続けている。どちらも相手が動き出すのを待っているらしかった。
「なぁ……本当にいいのか?」
俺の仕事は終わった、と言わんばかりにその様子を眺めている隣の男に問う。
「あ? いいって、何がだよ?」
「決まってるだろ! あいつ一人で戦わせていいのかってことだよ」
セロは『赤の教団』と言われる者の異常なまでの強さを知っている。アースラでも屈指に実力者と言われるイルミナをもってしても、一人ではゼイナードには敵わなかった。
クロードという男の実力もまた、あの炎使いと比肩すると考えて間違いないだろう。そんな相手に単独で戦うという行為が、セロにとっては無謀としか思えないのだ。
そんなセロの不安を余所に、隣の男は欠伸交じりにこう答えたのだった。
「ま、なんとかなるだろ。何て言ってもあいつ、『三大英雄』の弟だしな」
「三大……英雄?」
オウム返しにその言葉を繰り返すセロ。聞きなれない言葉を耳にして怪訝な顔を浮かべているのに気付いたのか、ルイスもまた不思議そうな顔をした。
「何だ、知らないのかよ? 結構有名なんだけどなぁ」
未だ二人の戦いに動きがないことを確認しつつ、ルイスはその説明を始めた。
「今の獣人の王とエルフの長、それと前王国騎士団隊長、レイ・クロウラー。ロイの兄貴な。その三人が『真紅の王』を倒したってことからついた呼び名らしい。俺はレイさんが戦ってるとこしか見たことねぇけど……確かにあれは化け物だぜ」
化け物。その単語で連想されるのは先ほど見たエレナの姿。周囲の者達にその殺気のみで畏怖の念を抱かせるほどの実力者を表現するのに、これほど的確な言葉はあるまい。
が、その考えが読まれていたのか。ルイスはその顔に、意地の悪い笑みを浮かべた。
「言っとくけど、レイさんの実力はお前のとこのエースよりも上だったぜ」
「それって……」
ルイスの顔にはどことなく以前の記憶を掘り起こして懐かしんでいるように見えた。まるで、その人がもういないのだと言わんばかりに。
ふと抱いたその違和感を口に出そうとした時、別の声がそれを遮った。
「――レイ……なんと憎らしい名だ」
それはロイと相対するクロードのもの。声音からでも、抑えられない負の感情がはっきりと感じ取れる。かなりの距離があるにもかかわらず、自分たちの会話を聞き取っていたらしい。
再び狂気が怪しげな光となって、その目に宿されていた。
「あれは我らが神に背くにとどまらず、封印などというふざけた行為までしでかした……死を持ってすら償いがたき罪人! 奴には煉獄さえ生温い!」
「別に……あの人は、お前たちに救ってもらおうなどと考えてもいなかっただろうがな」
「黙れ! 滅されよ――その忌まわしき血とともに!」
クロードが勢いよくその両腕を前方に突き出す。その指先から放たれるは、礫ほどの大きさの多量の光弾。
先ほどの紋章より射出したものを極太のレーザー光線とするなら、こちらはマシンガン。威力は数段劣るが、その速度は先ほどの比ではない。
対するロイは腰を落とし、半身のみを相対させる。
居合の構え。その体勢のまま、静かに目を閉ざす。そして――。
「――ハァッ!」
開眼と同時に刀が眼前の光弾を斬る。その動きが認識できた時には、既に反す刀で次の攻撃を弾いている。
神業。まさにその言葉しか当てはまらないような芸当である。これには当然魔力の補助も存在する。視認不可の速度で振るわれる斬撃の軌跡には、僅かに電光の残滓が漂っているからだ。
だが、迫りくる弾丸を捉える動体視力、そして豪雨のように視界を覆うそれらから、自分に直撃するもののみを識別する刹那の判断力は、ロイ自身の能力である。
最後の一発を斬り捨てると同時にロイが動く。姿勢を地面に接するギリギリまで下げ、距離を詰めるべく疾駆する。
「この……咎人がァ!」
クロードもそれを迎え撃つように、先ほどの紋章をいくつも中空に描く。自身を中心に据え、弧をえがくように左右に二つずつ、そして上空にさらに二つ。計六つの砲口が、ロイの行く手を阻むように照準を合わせる。
同時に、浮かび上がった刻印から高密度のエネルギーが射出された。二者に挟まれた空間が、一瞬にして光に塗り潰される。
全力に近い速度で駆けるロイに、回避は不可能。その男の死が決定したかのように思われた。
が、その顔に焦りなど微塵もない。
「――『迅雷』」
魔術の詠唱。それが聞こえた時には既に、彼の姿はない。セロでさえ、目視できたのは僅かな間隙を縫う紫電のみ。
クロードの眼前で、それが再び人の姿を成す。
反射的に後退することで、振り上げられた刀をぎりぎりのところで躱す。
しかし、無理な回避行動のために一瞬の隙が生じた。ロイがそれを見逃すはずもない。
踏み込んだ右足を軸に回転。剣戟の勢いを利用して繰り出された、重く、鋭い蹴り。それがクロードの体を捉えた。
「むぅっ……!」
寸でのところで防御を取るも、その衝撃を殺しきることはできない。数メートルほど地面を滑るようにして吹き飛ばされ、なんとか踏みとどまった。
「遠距離からの砲撃は得意らしいが、どうやら近接戦闘は苦手らしいな」
「おのれ……ッ!」
それが的を射ていたのか。クロードは恨めしげな視線を向けるだけでそれ以上口を開こうとしなかった。
「これが……あいつの実力か」
セロは特に意識することもなく、そう口に出していた。
強い。身体能力でも、魔力の行使でも、経験でも。全ての面において自分を上回っている。
時間にすればとても短い戦闘。しかしそれはロイという男の実力を、十分すぎるほど雄弁に物語っていた。
「言ったろ? あいつ一人で十分だってな」
ルイスがにやりと笑みをこぼす。
圧倒的なロイの優勢。それが変わらないのだと思った、その時――。
「ふえぇ……おかあさぁん」
「なっ……!?」
見ると、狭い路地端に蹲る、小さな女の子。ロイとクロードの戦いを見て怖くなったのか、母親の名を泣き叫んでいる。避難の最中にはぐれたのだろうか。
そんなことを考えていたセロの視界の端に、不穏な動きが映った。
クロードが片手をそちらに向けたのだ。その指先には小さな光弾が揺らめいている。
「許せ、無辜なる子よ。神の意を成し遂げるため、ここで倒されるわけにはいかぬのだ」
「あの野郎――うおッ!?」
逆の手から放たれた光弾が、少女を助けようと鞭を構えたルイスを妨害する。
「――その魂に、神の慈悲があらんことを」
哀れみの言葉と共に放たれた、一筋の弾丸。それは少女目掛けて直進する。クロードは、それをロイが防ごうとすると考えていた。
だからこそ、紫電の急激な接近に対処できなかったのだ。
「がぁ……馬鹿な!?」
振るわれた刀はローブの上から胸部の肉を深々と切り裂いた。真紅の色を、さらに鮮血が上塗りしていく。
脳を痺れさせるような激痛に堪えきれず、クロードは地に両膝を落とした。
「貴様、見殺すつもりか!?」
「お前を逃がす方が、余程死人を増やすことになる……そう思わないか?」
「……ッ!」
血塗れた刀を手に、眼前で佇む男。その眼からは感情というものが一切見受けられなかった。