凱旋━4
イルミナ達が森を抜けた時、青かった空は既に茜色に染まりつつあった。亡くなったエルフたちの埋葬を獣に荒らされない程度の深さに埋めていたために時間がかかってしまったのだ。
自分たちの仕事だとエルフの隊長は言ったが、イルミナもセロも頑として首を縦に振らなかった。助けられなかったことは仕方がない。だが、だからと言って罪悪感を感じないはずもなかった。
イルミナから連絡を受けて待機していた御者が言うには暗くなる前にはアースラに帰還できるそうだ。
それは、荷馬車にしばらくの間揺られ続けた時のことだった。
「……どうしたの? 何か気になる物でも見えた?」
怪訝な表情を浮かべるイルミナを余所に、セロは荷馬車の側面に設けられた穴から顔だけ出し、先ほどまで彼らがいた森の方向を睨んでいた。その顔に浮かぶのは警戒の色。だが、イルミナには彼が何を気にしているのかが分からず首を傾げるばかりだ。
もう一度同じ問いを発しようとした時、少年が顔をこちらに向け苦笑した。
「いや、何でもないよ……多分、俺の気のせいだ」
そう言って元いた場所に座り直した。
試しにイルミナも顔を出してみたが、真下を流れていくごつごつした地面とだんだん離れていく森以外確認できなかった。森にこれといった異常は感じられないし、見たところ近くにアンデッドがいる気配もない。
ならばセロが言ったように気のせいなのだろう。
「まぁ初めての実戦だったし、何かと過敏になってるのかもね」
「はは……お互い死にかけたしな――痛ッ!?」
ブーツのつま先でセロの脛を小突く。彼はイルミナの目に浮かんだ感情をすぐに読み取ったらしく、「すまん」と小さな呟きを漏らす。その視線は彼女の隣にいる少女へと向いていた。
桜色の髪に白いワンピース。後ろに突き出るようにして尖った、エルフ特有の耳。ゼイナードによってその家族と仲間を失ったリンという少女は、セロ達と共にアースラへと向かう荷馬車に乗っていた。
疲れが出たのか、その少女はイルミナに体を預けて微かな寝息を立てている。まだあどけなさが残るその寝顔は、見る者を自然と微笑ませる不思議な力を持っていた。
「本当に……この子をアースラに連れて行っていいんだよな?」
「この子がそう決めたんだから、いいじゃない」
「いつからうちは宿泊施設になったんだ、って言われなきゃいいけどな」
セロはしかめっ面を作っておどけて見せる。どうやらウルスを真似ているつもりらしい。しかもなかなか似ている。
「あはは。ウルスさんには私が話つけておくから、大丈夫だよ」
でもなぁ、とセロは未だ納得がいかなさそうな表情を浮かべる。
本来であればリンは先ほどのエルフの一隊によって保護されるはずだった。しかし彼女自身がそれを拒み、セロ達とともにアースラへ行くことを望んだのだ。
イルミナには目の前の幼い少女が何を考えているのかが分からなかった。ただセロやイルミナ以外の者に心を許していないだけなのかもしれない。もしくは家族を目の前で殺されたことが、少女に何かを決意させることになったのかもしれない――イルミナと同じように。
もしそうであるならば、イルミナは彼女の意志を尊重するつもりだ。何かを代償にして決められた意志は固い。周囲が何を言っても聞かないだろうし、下手をするとさらに心の傷を抉ることになりかねないということを彼女は知っている。
「……もしかして、私みたいに復讐ばかり考えるようになったら困る、って考えてる?」
「うっ……」
言葉に詰まるセロ。どうやら図星らしい。
「この子はそうならないよ――私とは違うから」
イルミナはリンの頭に手をやり、愛おしそうに撫でる。くすぐったいのか、少女の口が笑みの形に変わった。
「この子の場合は、私たちがゼイナードを倒した。けど、私の時はそれは出来なかった……だから自分で倒すために、仇を取るために、必死にならなきゃいけなかった」
その言葉の後、一瞬の間が空いた。空気を重くしてしまったか、と思ったその時。
「でも、これでそうする必要はなくなったわけだよな」
「……え?」
イルミナが視線を少女からセロへと移すと、屈託のない笑みを浮かべた彼が目に入った。
「両親の仇は……まぁお前一人の力じゃなかったにしろ、取ることはできたじゃんか」
「……うん」
イルミナはセロから顔を逸らした。自分が今浮かべている表情を見られたくはなかったから。
それは喜びの感情とは程遠いものだった。
(言うべき……なのかな?)
セロが戦っていた訳。それはリンのためでもあると同時に、イルミナのためでもあったのだ。
だからこそ、言えない。伝えるべきではない。そう考えてしまう。
その真実は、彼の想いを裏切ってしまうものだから。
燃えている村を見た時から違和感は存在した。それは、十年前にはなかった光景だから。そして、ゼイナードが炎を操る魔術を使用するのを見た瞬間、彼女は確信した。
――この男は、十年前に自分の村を襲った人物ではない、と。
どんなに魔術の才に恵まれた者であっても、二種類の魔術を操ることはできない。そして、イルミナの記憶の人物が使役する魔術は『火』ではなかった。
彼女の父の命を奪った魔術。それは――。
がたっ、と走行する車体が大きく揺れた。
思わずイルミナはその整った形の眉を顰める。森へ向かう時は紅いローブの男とやらに集中していたために大して気にならなかったが、任務を終えてただ揺られている状況ともなると運転の荒さが気に障る。
どうやら今の揺れでリンも目を覚ましてしまったらしい。焦点の合わない目できょろきょろと頭をまわしている。
やがてその視線をこちらの方へ向けたかと思えば、ぎょっと目を見開く。
最初はどうしたのかと思ったが、すぐにその反応を理解した。いつに間にかゼイナードから受けた肩の傷が開いてしまっていたらしい。不器用に巻かれた包帯から血が滲んでいる。
治癒魔術が使えればすぐに直せたのだが、セロはもちろんイルミナもそれは使えない。仕方なく、ということでセロが巻いてくれたのだ。
「あぁ、心配しなくても大丈夫。これくらいの怪我なら慣れてるから」
「そんな……駄目です! ちょっと待っててください!」
そう言うとリンは席を立ち、熱を帯び始めた肩の傷へと手を翳した。
何をするのか問おうとしたが、思わず口を開きかけたまま固まってしまった。セロも同じような表情をしていた。
少女の手から発された淡い緑色の光。暖かなその光は傷口に吸い込まれるようにして消えていき、数秒後ほどするとリンは手を下した。
「あの、多分これで大丈夫だと思います…」
何故か自信なさげに顔を伏せるリン。
イルミナは試しに軽く腕を動かしてみるが、痛みはない。包帯を解いてみると、傷はまるで初めから存在しなかったかのように無くなっていた。
「治癒魔術……」
未だ驚きから解放されていないのか、セロは信じられないといったように呟く。
驚くのも無理はない。治癒魔術、もとい《治癒》は《通話》などのような誰でも使える魔術ではないのだから。イルミナの使用する水系魔術と同じく、使えるかどうかということには才能が大きく関わってくる。
しかも術者自身の習熟の度合いによってその効果は異なる。経験が浅い者の術は自然治癒の力を少し高める気休め程度の効果しかない。一瞬で傷を完治させるほどとなると余程の訓練が必要なはずなのだ。
「早熟の天才……ってことね」
「はは……これは俺とは違って即採用になりそうだな」
「い、いえ……そんな……」
それぞれの賞賛の言葉は自分には勿体ないと言うかのように、目の前の少女は恥ずかしそうに下を向いた。僅かばかり顔が赤くなっている。
「いや、そんなに恥ずかしがらなくてもいいんじゃないか?」
「……私みたいな村娘に、こんな力は勿体ないです」
最後の方になるにつれてだんだんと声が小さくなっていき、最後は辛うじて聞き取れるかどうかというものだった。
それを全く気にする様子もなく、少女と話すセロ。敢えて明るく振る舞い、少しでも彼女の心の苦しみを取り除いてやりたいという思いが感じられた。
少し頼りなさげだが、新戦力が加わりそうな予感に先ほどまでのイルミナの迷いは頭の片隅へと押しやられていく。
今はまだ言わなくてもいいだろう。自身に言い逃れをするようではあったが、あれだけの死闘を乗り越えたのだ。今は目一杯この時間を楽しもう。
二人の会話にいつしかイルミナも加わり、まだぎこちないものではあったが、リンも次第に笑みを浮かべるようになる。三人によってつくられた暖かな空間。傭兵という肩書を外した、彼らほどの年頃の男女らしい笑顔が、そこにはあった。