凱旋━2
結局それ以上ゼイナードが言葉を発することはなく、そのままにしておいても少女が傷つくだけだと判断したイルミナが、彼女を離れたところに連れて行った。
その際、イルミナの視線が一瞬だけ此方に向くのをセロは見る。
ゼイナードを見張っていてくれ、ということだろう。四肢の自由が利かないといっても、相手が相手だけに油断はできない。
セロは小さく頷くことで承諾の意を示した。それが伝わったのか、彼女も頷き返すとそのまま集落の中央から離れていく。
「あなたの名前、なんていうの?」
離れていく二人の会話が微かに聞こえる。
その時になって、やっとセロも少女の名前を聞いてないことに気が付いた。まぁ、会ったときの状況が状況だっただけに仕方がない気もするが。
「……リンです」
その少女――リンは少しの間をおいてから消え入るような、しかし名前のとおりによく澄んだ声で名乗った。
「そっか……じゃあ――」
そこから先の会話はほとんど聞き取れなかった。その会話に興味がないわけではないが、しかしセロには任された仕事がある。
先ほどまで少女がいた場所へと歩いていくと、ゼイナードがこちらに気付いたらしい。先ほどの空気はどこへやら、此方をあざ笑うかのような表情が浮かべられていた。
「何だ、女が向こうに行っちまって寂しくなったか?」
「……ただ、逃げたりしないか見張りに来ただけだ」
自分の中で相手を委縮させるだろうと思われる顔を意識して作ってみる。が、案の定効果はなかった。
「どうでもいいが、俺はデリケートなんだ。扱いは丁寧に頼むぜ?」
なおも彼は余裕の表情を浮かべている。自分の置かれている状況が分かっているのだろうか。それとも、まだ何か隠し玉でもあるのか。
彼の軽口に言い返そうとするセロであったが、意味がないだろうと判断して止めておいた。それよりも、目の前の男に聞きたいことがある。
「なぁ、さっきあの子が言ってたこと……わざと逃がしたって、どういうことなんだ?」
「ハッ! お前、あのガキが言ったことを真に受けてんのかよ? 偶々に決まってんだろうが」
「……あぁ、そうかよ」
偶然と言い張るゼイナードではあったが、どうもそう思えなかった。確かに彼の気まぐれだというふうにも考えられる。だが記憶から離れようとしない、彼が見せた物憂げな表情がそれを偶然のものとして解釈するのを拒んでいるのだ。
その時、セロは崩壊した家屋に何か光るものがあるのを発見した。そこはセロがゼイナードを吹き飛ばした場所だ。
燃えてもはや煤と化した壁の残骸の中で、木漏れ日を反射して何かが金色に光る。
「何だ、これ?」
セロはそこに近づくと、屈んでそれを手に取る。
それは金色に縁取られたペンダントだった。映るのは灰色の壁を背景にし、楽しそうな笑みを浮かべる二人の男女。男の方はゼイナードだろう。今の彼とは違って髪は黒いが、それ以外は全く変わっていない。
そしてその隣に並ぶ、白いワンピースを身に着けた少女。その肌も白く、日差しとは無縁な生活を送ってきたことを物語っていた。隣のゼイナードから活発そうな印象を受けるだけに、彼女の生気の無さがより際立つ。
「……なぁ、これって――」
そのペンダントをゼイナードの方に見せるために振り返った。手に収まるそれを認めた時、彼の眼に凄まじいまでの怒りが燃え上がったのをセロは感じ取った。
「それに触れるな!」
「ちょっ……!」
彼は突進せんばかりの勢いで立ち上がろうとしたが、足に枷が付いているのでそれは叶わなかった。草地に倒れこむ。下生えがクッションになって怪我はないようだったが、それすらも気にかけている様子はない。変わることのない殺意が目の奥で燃え盛っている。
「分かった分かった……返すって。隣に映ってるのって、妹か?」
「お前には関係ない!」
彼の手にそれを握らせるながら尋ねるも、その問いに答える気はないようだった。
――やはり、この男には何かある。
自分の予想は間違っていない、そういう確信を持った。それと同時に当たり前のことではあるが、目の前の男も自分やイルミナと同じ、感情を持つ人間であったことを改めて実感する。
だが、そうであるならば――。
少し前まで自分の住んでいた場所を唐突に奪われた少女の、悲しみに満ちた表情が目の奥に甦る。
セロの心に、溶岩のごとく流れ出した怒りが満ちていった。
「何で……何で、こんなことができたんだよ……ッ!」
セロは地面に伏すゼイナードの胸倉を掴み、無理やり立たせる。
理解できなかった。
何故、同じように大切な人がいるはずの男がこれほど残虐な行為を行える?
何故、これだけのことをしておいてこの男は平気でいられる?
何故、何故――。
「……復讐だ」
セロの心の内を読んだかのように、ゼイナードが言い放つ。その言葉は、決して揺るがない強い意志を感じさせるものだった。
「復讐……?」
「そうだ……俺はこの世界をぶっ壊すために生きると決めた。俺の妹を……沙樹を殺したこの醜い世界と、腐った人間どもに復讐するためにな!」
「ッ!?」
彼の言葉に、セロは一瞬言葉に詰まった。
目の前の男が戦う理由は、妹を殺された復讐。彼もまた、大切なものを奪われていたのだ。
だが――。
「こんな……こんなやり方……間違ってるだろ」
「……間違ってる、だと?」
呟くように発された言葉に、ゼイナードは語気荒く反発した。
「自分達が正しいとでも言うつもりか? ハッ、どこまでもおめでたい奴だ! 貴様の行動をどう正当化しようが構わねぇが、俺の――俺の戦いを正義などという安い言葉で汚すんじゃねぇ!」
「それでも……ッ!」
言い返そうとするセロの脳裏に、先日の一件が鮮明に甦る。
権力を盾にするアガノフの横暴に、為す術もなく立ちすくむ人々。親子を助けるべく介入したイルミナ、そして自分の行いは間違っていないとセロは自信を持って断言できる。
だが、それは「罪」なのだ。この世界では権力こそが絶対であり、正義だ。それに逆らう者は容赦なく罰せられる。
そしてそのような貴族が、この世界を我が物顔で闊歩している。
――そんな世界に、守る価値などあるのか?
迷いが先に続くはずの言葉を妨げる。
ゼイナードの行為を認めたわけではない。だが、迷いを含んだ言葉ほど虚しいものはないということくらい知っている。
しばらくの間、睨みあったままの二人に静寂が訪れた。そして、それを破ったのはセロでも、ゼイナードでもなかった。
不意に、後方から物音がした。どうやら足音のようだ。それも音から察するに、複数のものによって成されるもの。
(ゼイナードの仲間か!?)
そんな考えが先立ち、振り向きざまに黒い霧を剣へと実体化させる。だが、姿を現した者たちを捉えると、その身体から力が抜けていった。
そこにいたのは武装したエルフの集団だった。その数はたったの五人。だが彼らが醸し出すオーラは、それぞれがかなりの実力者であることを雄弁に物語っていた。
装備は統一されており、その鎧は布で作られた軽量なもの。しかし魔術で強化されているのか、光の反射ではなく鎧そのものが神秘的にも思える輝きを放っている。
顔の下半分も同じような布で覆われており、露出している部分は目元の辺りのみ。どこかの宗教の信者を彷彿とさせる姿だ。しかしその体格を見るに、どうやら男のみで構成された集団らしい。
彼らの内先頭に立つエルフ――おそらく隊長だろう――が周囲を見渡し、その視線をセロのところで留める。歴戦の強者のみが放つことができるのだろう眼光が、セロの体を真っ直ぐに射抜いた。
「我々はここを襲った者の連行を任されたものだ。村を救っていただいたあなた方に、危害などは加えるつもりはもちろんない……だから、その剣を下ろしていただけないだろうか?」
その言葉で、セロは今まで自分が抜身の剣を手にしていたことに気づいた。慌てて紅剣を黒い霧へと戻し、空気中に霧散させる。
隊長らしき人物はそれを見届けると、セロの後ろにいるゼイナードへとその視線を投げる。
そして、静かに指示を出す。
「あの男を連行しろ」
後ろに控えていたエルフたちのうち二人が前へと進み出て、残されたもう二人は何やら呪文の詠唱を開始する。光が瞬いたかと思うと、彼らの傍らにはいつの間にか一台の荷馬車が存在していた。
その簡素な外見はセロ達が乗ってきたものに似てはいるが、少しこじんまりとしている。横にある窓のような空間には格子がはめられていることから、護送のためのものであろう。
ゼイナードを引っ立てるように指示されたエルフたちが、セロ達の手前で止まった。彼らの目が自分に向けられる。了承を求めているのだと一瞬遅れて気づき、セロはゆっくりと頷いた。
「では、罪人ゼイナードの身柄はこちらで預からせてもらう」
きびきびとした口調でそれだけ告げると、彼らはゼイナードの腕を掴む。
抵抗するのではないかと不安を覚えたセロだが、それは杞憂に終わった。意外にもつい先ほどまであれだけ荒々しかったゼイナードが、素直に護送車へと連れていかれる。
が、数歩歩いたところで不意に立ち止まった。
「……お前に言っておかなきゃいけねぇことがあった」
「貴様……ッ! さっさと歩け!」
彼を挟むようにして歩いていたエルフたちが掴む手に力を入れるが、不思議なことに、拘束されているにもかかわらず彼の体は微動だにしない。
そんな彼らに構わず、ゼイナードはセロの方へと首を回す。その顔には戦いの中に幾度も見せた、あの不敵な笑みが浮かんでいた。
「セロだったか。その目……お前は俺――いや、俺達と同じだ」
「同じ……お前と……?」
セロは自分の耳を疑った。彼は何をもってそういうのだろうか。
「いずれ分かる。生きてたらまた会おうぜ――今度は此方側の人間として、な」
そういうと、ゼイナードは再び歩き始める。
「何だってんだ……あいつ」
此方側の人間。
セロは頭の中で、ゼイナードが去り際に残していった言葉を理解しようと反芻する。だが、結局それは叶わなかった。
どこからか吹きつける風が、森の木々を揺らす。未だに残る熱気を含んだそれは、セロにはどこか薄気味が悪いように思われてならなかった。