初依頼━3
「――せあっ!」
白銀の巨剣が横なぎに振るわれ、三体の〈ゾンビ〉の肉体が上半身が吹き飛ばされた。
セロが素早く後方を確認すると、ちょうどイルミナも二体の屍の頭部を銃弾で撃ちぬいたところだった。二人の周囲にはおよそ十数体分の〈ゾンビ〉の残骸が散らばっている。
「それじゃあ、戻るわよ」
辺りに他に動く影がないことを確認すると、さっさと彼女は馬車へと乗り込む。今の戦闘を聞きつけて他に死者が寄ってきては困るので、セロも慌ててそれに続いた。
イルミナの向かい側の席に腰を下ろすと同時に、御者が馬に鞭を振るう。
二人を乗せた馬車が動き始めた。
どうやら傭兵達は依頼の移動手段としてこのような馬車を貸し切りにして利用するらしい。空を飛ぶ魔法や転移の類は目下研究中で実用化はめどが立っていないとのことだった。
魔法と言って真っ先に空中を自在に動き回れるイメージが出てくるセロにとっては意外な事実だった。
「一歩町から出ると〈ゾンビ〉だらけだな、本当に」
側面に設けられた空間から後方へと流れていく外の景色を見つめながら、セロはうんざりしたという口調で呟く。
それもそのはず、エンシャントラを出てからというもの、〈ゾンビ〉との戦闘はこれで三度目だ。距離が遠い場合は無視するが、邪魔になる場合はわざわざ馬車から降りて全滅させないといけないのだ。
外を覗いていても、五分に数体のペースのろのろと移動している死者達が目につく。
「それでも、他の厄介なやつが出てくるのよりはマシじゃない。たまにこの辺りにもかなり手こずるのが出たりするわよ」
「他にもって……〈ゾンビ〉以外にどんなのがいるんだ?」
頬杖をついてセロと同じように景色を眺めていたイルミナは、ちらりと目だけこちらに向ける。
「色々よ。〈ギガスパイダー〉っていうでっかい蜘蛛みたいなやつとか、たくさんの百足が集まって二メートルくらいになった〈ディバージセンチピード〉とか。他にも――」
「う、うん、分かった。よーく分かったからもういいです」
平気な顔で想像するのもおぞましい怪生物を列挙していく彼女を大慌てで止める。虫の類が苦手なセロとしては絶対に遭遇したくない。
もしその討伐依頼が来たらバスクにでも押し付けよう、などと考えていると、馬を操る御者がこちらを振り向いた。前方にある格子状の小窓から覗くその顔には、にやにやとした笑みを湛えている。
「〈ディバージセンチピード〉なら、あっしは前の依頼の時に遭遇しましたよ。あんた方の会社の傭兵さんを送っていたんですがね、その人じゃあ全く歯が立たなくて、危うく喰われるところでしたよ!」
何が可笑しいのか、わははと笑い始める御者に「うちの社員がご迷惑を……」と頭を下げるイルミナ。
「いえいえ、危険なのはこちらも承知ですから! あっしはコレさえもらえれば文句は言いませんよって」
親指と人差し指小さな円を作る。
本人は笑い話として語っているようだが、セロにとってはとんだブラックジョークだ。百足に食われて殉職など御免こうむりたい。
「その前もですね、どこの会社だったかは忘れちまいやしたが――」
「た、頼むから手綱の操作に集中してくださいよ」
もはや懇願するかのようなセロの言葉に、御者が余裕の笑みで答える。
「ご安心を! あっしはこう見えても十年もこの道を続けるプロ――うわっ!」
突然、馬車ががたんと大きく揺れてぴたりと止まった。何事かとセロ達が身構える。
少し間をおいて、申し訳なさそうな顔で御者がこちらを向いた。
「はは……でかい石ころを踏みやした。今度から気を付けます……」
御者が真面目に馬たちを操り始めた後は、何事もなく馬車は進んでいった。
一時間ほどして再び馬車が停車すると、「着きましたよ」という声が聞こえる。
降りてみると、その先には天高く伸びる木々が生い茂る森が広がっていた。
ウルスの話では、この森の中心地辺りにエルフの集落が存在する。
昼間だというのに森の中は薄暗く、視界があまり良くなかった。もし何かが近くに潜んでいたとしても、相当注意をしていないと気が付かないだろう。
「かなり深い森だな……」
その広大さにセロが思わず驚嘆の声を漏らすと、御者が苦笑を浮かべる。
「旦那、こんなのまだまだでさぁ。ディアナの森はこんなもんじゃありやせんぜ」
「まだまだって……」
これよりも広大な森林というのはどれほどのものなのだろうか。セロには想像がつかない。
ふと何も言わずに隣に立つイルミナの様子を窺うと、案の定、社長室に入ったときと同じように硬い表情を浮かべていた。馬車の中でも会話の中で楽しげに笑ったりといった素振りは見せず、心ここにあらずという感じを受けた。
だが、今はそれ以上にピリピリとした空気を放っている。
それに気が付いたのか、御者はそそくさと馬車の定位置に飛び乗る。
「それじゃあ、あっしは安全そうな場所で待機してますんで。終わったら《コンタクト》で呼んでくだせぇ」
その言葉が言い終わらないうちに馬車は向きを変え、二人の前から遠ざかり始めた。
「《コンタクト》って?」
「テレパシーみたいなもの」
セロの問いにそっけなく答えると、すたすたと深い森の中へと入っていくイルミナ。
「ちょっ……待てって!」
小走りに駆け、彼女の隣へと並ぶ。
「肩に力入りすぎだ。そりゃあ、俺にも絶対に倒すって気持ちは分かるけどさ、もう少し――」
イルミナは言葉の途中で立ち止まり、きっ、とセロを睨む。その射るような視線に、思わずセロはたじろいだ。
「君こそ、緊張感なさすぎ! これは昨日みたいな散歩じゃないんだよ? そんなんじゃすぐにあいつに殺される」
「そんなこと分かって――」
言い返そうとしたセロだったが、考え直して口を閉ざした。
昨日彼女はセロに「もう誰も自分の目の前で死んで欲しくない」と言った。今の言葉は彼女のその思いの表れに違いない。
彼女も、今から自分たちの前に現れるかもしれない敵が確実に勝てる相手ではないことが分かっているのだ。おそらくセロを庇っている余裕などないだろう。
だからこそ、自分の身は自分で守れと婉曲に伝えている。
何も言い返さないセロを尚もしばらく睨み続けた後、彼女はくるりと向きを変え再び森の奥へと向かう。セロもそれに従い、後に続く。
気まずさから、二人はしばらくの間黙々と歩く。
それから十分ほど歩いた時、突然前を歩いていたイルミナが足を止めた。
どうにかしてこの空気を拭い去ろうと思案していたセロは、危うくぶつかりそうになる。
「何だ、どうかしたのか?」
前方をイルミナの体越しに見るが、そこに広がるのは暗闇のみ。
しかし、彼女の手はホルスターへと伸ばされていた。
「誰かこっちに来る……」
聞き取れるかどうかというほどの、緊張感に満ちた声が彼女の口から発された。
即座にセロはイルミナの右隣まで進み、その背に負った白銀の剣を高らかに抜き放つ。
その時、セロにもようやく足音が聞き取れるようになった。
確かに地面の下生えをかなり早い歩調で踏みしめつつ、何者かが向かってきているようだ。
どうやら走っているらしい。
(赤いローブの男か?)
セロは巨剣の柄を一層強く握り、上段に構える。
そしてその足音に加えて荒い息遣いも聞こえてきた瞬間。
小さな影が闇から飛び出した。
「――なっ!?」
セロは今にも振り下ろそうとしていた剣を、両腕に力を込めて無理やり宙に留める。
隣にいるイルミナもトリガーを引く寸前だったらしく、慌てて二つの銃口を背けた。
目の前に現れたのは、淡い黄のワンピースを身に着けた一人の少女だった。
しかし、人間でないことは一目で分かる。斜め後ろに向けて一角だけ突き出した三角形の耳。人のそれよりも白い肌。おそらくはエルフという種族だろう。
二人を見て怯えたような表情を浮かべている。その両目には今にも頬を伝わんばかりの涙が溜められていた。
(まぁ、怯えるのも無理ないか……)
突然見知らぬ種族が自分に武器を構えていたら誰だって怖がるだろう。
これ以上怖がらせまいと、セロは得物をしまってにっこりとほほ笑み、その場で少女の目線と同じ高さまで腰をかがめる。
びくり、と少女の体が撥ね、一歩後退した。
「……あー、いきなりごめんな。てっきり危険な奴かと思って……」
セロが一歩踏み出すと、それに合わせて少女も一歩後退する。まったく半径一メートルという安全圏に踏み込むことができない。
「……どうもうまくいかないな」
「何遊んでんのよ」
がしがしと頭を掻きながら呟くセロの前を、イルミナが進み出る。いつの間にか、その顔には優しげな笑みが湛えられていた。
「あ……」
彼女が近づくと、少女は一瞬セロの時と同じように恐怖に身体を震わせたが、後ろに下がることはなかった。
「私達は『アースラ』っていうところの傭兵なんだけど、依頼されてあなたたちの村の警備に来たの。だから怖がらなくても大丈夫だよ?」
少女の視線がイルミナの顔から、その左胸につけられた紋章へと移る。どうやら信じてくれたようで、その表情から幾分か恐怖の色が薄れた。
イルミナはそのまま易々と少女の目に前までたどり着いて見せる。
それをセロは「何で?」といった表情で眺めていた。
「あんたは笑い方がぎこちないのよ。さっきのは完全に不審者の顔だったけど?」
「ぐっ……何だ、この言い知れない敗北感は……」
がっくりと項垂れるセロを余所に、少女は出会ってから初めて声を発した。
「本当に……本当に傭兵さんなの?」
イルミナはその少女の頭を優しく撫でながら、にこっと笑った。
「うん、そうだよ。もしよかったらあなたの村に案内してもらえると助かる――」
彼女の言葉が尻すぼみに消えていく。
何事かと顔を向けた時、少女の目から一筋の涙が溢れた。
セロはそのときになってようやく気が付いた。恐らくイルミナもそうだろう。
少女の顔、桜の花弁のような色をした髪、そしてワンピースが煤のようなもので黒ずんでいたのだ。
そして、溢れはじめた涙と一緒に、今にも消えてしまいそうなくらい小さな、悲痛な声が漏れた。
「お願いです……お兄ちゃんを、私の村を助けて……」