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初依頼━1

『アースラ』の六階層。セロの部屋の前まで二人は歩いてきた。


「じゃあ、俺はここで」


「うん、夕食の時間になったらまた呼びに来るよ」


「あー……今日はもう食べなくてもいいかな」


 セロの言葉に、イルミナは呆れたといわんばかりの溜め息で応じた。


「……だからあんまり食べる過ぎるなって言ったじゃない」


「いや、珍しい食べ物ばかりだったから、つい。あ、ほら、記憶が戻るかもと思って……すまん」


 思いついた言い訳を口にするたびにどんどん厳しくなるイルミナの視線に屈し、言葉が尻すぼみになる。終いには謝罪する羽目になった。

 その態度を反省したと取ったのか、彼女は「よろしい」と言いたげに、満足そうな顔をした。


「じゃあ、私はウルスさんのところに行ってくるね」


「あぁ、また明日」


 イルミナの背中が見えなくなるまで見送ってから、セロは自室に入った。

 そのまま後ろ手にドアを閉め、ずるずると床に座り込む。


「……バレてない、よな」


 セロは再び疼きだした頭部に手を当てる。

 鋭い針で突かれているかのような鋭い痛みが一定の間隔で襲ってくる。それは収まるどころか、一層ひどくなっているように思われてならない。


 彼女の抱える過去に対して何もすることのできない己の無力さを呪ったとき、何の予兆もなく、急にこの症状が現れたのだ。 

 その時は何とか誤魔化し、その後も何でもないようにふるまい続けた。

 しばらくして痛みが収まったかと思いきや、部屋の辺りまで来た時に再び襲ってきた。

 夕食の誘いを断ったのは、はっきり言って周りの人間にうまく隠しておける自信がないからというのが大きい。

 

「あー……ダメだ。とっとと寝るとするか」

 

 立ち上がると、セロは痛みを堪えながらよろよろとベッドまで歩く。そしてその上に身を投げ出し、仰向けに寝転がった。

 

 始めのうちは痛みに唸っていたが、しばらくするとそれが和らいできた。

 今日の疲れが出たのか、五分も経った頃にはセロの意識は深い闇の中へと沈んでいった。

 

 ■


 翌朝、セロは自分でもびっくりするくらい早く起きた。

 窓越しに外を見ると、薄暗い空の先にちょうど太陽が出てきたところだ。

 昨日はイルミナを探して全力で町を走り回ったり、その後市場を歩き回ったということもあり、相当な疲労でなかなか起きれないだろうと思っていたのだが。


「そういえば、昨日の怪我ももう治ったしな。ひょっとして人一倍頑丈なんじゃないか、俺?」


 思わずそんな呟きが口をついて出た。

 魔術が使えない身としては、他の者よりも何かが優れているかもしれないと考えるだけで嬉しくなる。

 あれだけ悩まされた頭痛も嘘のように消えていた。

 もしかするとあれは単に寝不足からきたのではないか、という気になってくる。

 

 食堂はこの時間からでもやっているらしいので、空腹を満たすべく、セロは軽い足取りで二階層へと向かった。


 さすがにこの時間帯は人気があまりなかった。昨日の朝は近くにいてもかなり大きい声で話す必要があった騒々しさはなく、ちらほらと数人がテーブルで食事をしているのが見えるだけだ。

 まだ完全に目覚めていないのか、箸を持ったまま眠りの世界へと半ば入りかけている者も見受けられる。

 トレイを持つと、並んでいる人もなかったのですぐに食事を受け取れた。

 近くの誰もいないテーブル席に腰を下ろす。ざっと見回したが、見知った顔ぶれはいないようだった。

 

 メニューは昨日と同じ黒焼きパンに具だくさんのシチュー、海藻のサラダといったもの。シチューにはセロもよく知っている人参やジャガイモが一口サイズに切られて入っている。

 どうやら前文明の食物は失われたというわけではないらしい。馴染みのある食材を目にし、安堵にも似たような感情を抱く。

 すっかり変わってしまった世界で、今だ変わらぬものが存在したことが嬉しかったのだ。

 

 軽く合掌してから、セロは早速シチューを口にした。

 変わることのないまろやかな味わいが、口の中を満たしていく。 


「……旨い」 


 危うく感極まって泣きそうになった。家族の顔も、親しい友人の顔も何一つとして思い出せないが、自分のもともといたであろう時代に戻りたい、そんな思いが呼び起される。

 セロはその味を惜しむかのように時間をかけて咀嚼し、ゆっくりと嚥下した。

 そして、もう一口シチューを頂こうとした時のこと。


「よぉ、ずいぶんと早起きだな」


 聞き覚えのある声がすぐ隣から上がる。

 食べる手を止めて見上げると、そこにはトレイを抱えたウルスの姿があった。起きたばかりなのか、以前見た時よりも髪が思い思いの方角に撥ねている。片手で甲斐甲斐しく撫でつけているが、その努力もむなしく、効果が現れそうな気配はない。 

 やはり初見で目の前の人物を社長と判断するのは難しそうだ。


「あ……お、おはようございます」


 自分がしばらくの間ウルスを観察していたことに気が付き、慌てて椅子から立ち上がろうととする。それをウルスは苦笑を浮かべながら手で留めた。


「あー気にすんな。畏まられるのは好きじゃねぇ。ちょっと話があるってだけだからよ」


 彼はセロの向かいの席に着く。改めて正面から見ると断言できる。

 うん、寝起きだこの人。

 覇気やら威厳やらというものが微塵も感じられない。以前目にした刺すような眼光も鳴りを潜めている様子だ。

 

「何か大事な話ですか?」


「いや、まぁ、ちょっとな……」

 

 セロの問いかけに、ウルスは曖昧な返事を返しただけだった。

 それから察するに、どうやら急を要するようなことではないらしい。

 その後もしばらくウルスはどう切り出せばいいかとあれこれ考えていたようだが、荒っぽく頭を掻くと、ぽつりと呟いた。


「ありがとな。イルミナのこと」


「……へ?」


 一瞬、セロは何を言われているのか分からなかった。が、すぐにアガノフの一件を言っているのだろうと見当をつける。


「お前が客人だとか言ってくれたおかげで、多分奴は『アースラ』には手出しは出来ねぇだろう。だが……同時に俺たちがお前を庇ってやることもできなくなっちまった……すまねぇ」


「あぁ……」


 イルミナを救うために、セロは自分と『アースラ』との関係を否定した。もし社長であるウルスやそこに所属するイルミナ達がセロを庇えば、その責任は再び『アースラ』にも飛び火してしまう。そうなればこの会社の大きな不利益に繋がる。

 いや、不利益などで済めばいい。最悪の場合は潰される可能性もあるのだ。よって、アガノフが報復を行う際に彼らは手助けができない。


「俺の方でも動いてみるつもりだが、あまり期待はしないでくれ」


「……ウルスさんが?」


 なぜ自分のために社長ほどの人物が親身にしてくれるのだろうか。

 首を傾げるセロを見て、ウルスが苦笑を浮かべる。


「昨日、イルミナに頼まれちまってな。お前を助けてやってくれ、だとよ」


「そうですか……」


 小さくではあるが、セロは安堵の息をついた。ウルスが動いてくれるから安心した、というのもあるが、一番はイルミナが今度は自分が何とかすると言い張るのではないか、という懸念が払拭されたからだ。

 もともとアガノフに剣を向けた時から、その怒りの矛先が自分だけに向くように仕向けるつもりだった。全く後悔はしていないと言えば嘘になるかもしれないが、それでもよかったと思っている。

 

(それにしても、この人イルミナに甘くないか?)


 ふと、その疑問に対する答えが頭に浮かぶ。  


「あぁ……そういえばウルスさんがイルミナを『アースラ』に連れて来たんでしたっけ」


 その言葉を聞いたウルスが瞬時に変化する。一瞬目を細めた――ような気がした。

 しかし、すぐに元の表情に戻る。

 

「何だ、お前イルミナの過去を聞いたのか。どうりで……」


 ウルスの視線が何かを思い出すかのように宙を彷徨う。

 やがて、にやりと口角が吊り上がった。


「いい顔で笑ってやがると思ったぜ」  


 セロにも彼が何を言っているかが分かった。確かに、帰り道でセロ自身も彼女の雰囲気の変化を少しではあるが感じとったのだ。

 ウルスは尚も嬉しそうに笑いながら言葉を続ける。


「何か今までのあいつは……そうだな、肩を張ってる感じがしたんだよなぁ。なんつーか、強がってみせてたのか。それが昨日俺の部屋に来た時にはなくなってた。

 多分、助けられたり過去を話したりしてるうちに気づいたんだろ。もっと周りのやつを頼ってもいいんだ、ってな」 

 

 少し間をおいてから、ウルスは再び「ありがとな」と口にした。


「い、いや、別に俺は大したことしてませんよ」

 

 流石に社長ともいう人物にこう何度も礼を言われると気恥ずかしい。貴族の暴挙から少女を救うという行為を、大した事ではないというのもおかしな気がしたが、他にうまい方法を知らなかったので仕方がない。 

 

「っと、こう長々話してらんねぇんだった。片付けなきゃいけねぇ書類を探さなきゃいけないってのに……」

 

「……」

 

 セロは聞き逃さなかった。書類を片付けるではなく、その前に「探す」という行為が挟まっていることを。社長室の机に乱雑に並べられた書類の束を思い出すと、かなり時間を要する仕事になるのは明白だった。

 

 目の前でウルスがトレイの上の料理をかきこみ始めるのを見て小さくため息を漏らした。


「あぁそうだ。お前、後で俺の部屋に来い」


 唐突にウルスが顔を上げ、もごもごと何か話したのをセロは数秒かけて理解した。

 じとっとした視線をウルスに送る。


「……書類を探す手伝いですか?」


「バッ……んなわけあるか! 依頼だ、依頼!」


「あ……分かりました」


 どうやら雑用を押し付けられるわけではないと知り、素直に応じる。

 

 結局先にウルスが食べ終えて部屋に戻り、その十分後にゆっくりと食べていたセロが後を追う形になった。

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