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エンシャントラ王国━3

 通りの十メートルほど先に、こちらの方を向いて停車している馬車が見えた。その後ろには数人の護衛らしき騎士の姿。

 立派な毛並みをした二頭の馬が繋がれており、そのすぐ近くに一人の男が立っていた。

 

 身長は低く、日々の贅沢で弛みきった体。

 そのせいで長時間立っていられないのか、片手には悪趣味といえるほど装飾を施した杖をついてバランスをとっている。

 てらてらと光る脂ぎった顔は、怒りにためか、真っ赤に染まっていた。

 一目で高級であると分かるような紅白の服の上にマントを、さらに随所に宝石を散りばめて着飾っている男。

 

 アガノフ伯爵。

 その貪欲さに纏わる悪い噂が絶えない人物だ。街中で若く美しい娘を見つけると自らの権力を振りかざし、無理やりに召使いとしたなどと話はしょっちゅう耳にする。

 はっきり言って、イルミナが今まで見てきた人間の中でダントツにタチの悪い人間だ。


 その目の前には男の子と、その父親らしき人物が跪いている。その周りには事の成り行きを心配そうに見守る人々の姿。

 イルミナはセロが何かやらかしたのではないということが分かってひとまずは胸を撫で下ろすが、すぐに自分を叱咤する。

 あの親子が危険な状況にあることがすぐに理解できたからだ。

 

 父親の顔は真っ青を通り越して蒼白としていた。そこから読み取れる感情は、恐れ以外の何物でもない。

 

「も、申し訳ありません、伯爵様! 息子には今後このようなことがないよう、きつく言いつけておきますので、どうかご慈悲を!」

 

 父親がさらに強く地面に頭を押し付け、隣にいる少年の頭も同じようにして下げさせる。

 しかし、侯爵の顔からは怒りの色が一向に引こうとしない。尚も甲高い声で喚く。


「黙れ、その程度で済むはずがなかろうが! 貴族の馬車の前を横切るなど、子供とても許しがたい無礼であるぞ! ――おい、そこのお前!」


「は、はいぃ!」 


アガノフは近くにいた部下の一人を指さす。その男は急に自分が巻き込まれたことにかなり驚いたようだ。


「そこの二人を殺せ。王によって爵位を与えられた私への無礼は、王に対する無礼と同じ。首をはねることで、この者共を罰するのだ!」


 命令を下された男は、自分の腰に下げられた剣を見やり、次いでそれの視線はアガノフの足元にひれ伏す親子へ。

 そのままの状態で動こうとしない部下へ、苛立ちを感じさせる声が上がる。


「どうした? お前がやりたくないのなら仕方がない。誰か別の者にやらせようか?」


 主人の声にびくりと体を震わせる男。


「い、いえ、私がやります!」


 そのままよろよろと哀れな親子の元へと歩き出した。

 それを見て、醜悪な笑みがアガノフの顔に広がる。

 

 男には分かっているのだ。

 自分がアガノフの命令に従わねば、自分が、ひいては自分の家族がどのような運命をたどるかということが。

 


 気付くと、イルミナは爪が食い込むほどに両手を握りしめていた。


(王への無礼? いつもは王の政策に対して不平不満を漏らしているあなたが?)


 赤いローブの男を見た時の怒りが再び胸の奥で燃え上がるのを感じた。

 その矛先は、いざという時だけ王の権力の影に隠れて力をふるう、目の前の身勝手な貴族に対してだ。

 いや、このような貴族がはびこるこの国に対してとも言えるかもしれない。 

  

 しかし、イルミナは動けない。

 『アースラ』の上位ランカーである彼女の名前は広く知られている。もし彼女が止めに入れば『アースラ』の仲間に迷惑がかかるのは明らかだ。上位の傭兵会社という地位からの転落も、アガノフの権力をもってすればありえなくはない。

 しかしそれでいいのか。目の前で行われようとしている暴挙を、手をこまねいて見ていることが許されるのか。

 親子の命、そして『アースラ』の仲間。彼女の中の天秤は、この二つで大きく揺れ動いていた。


(私が……私が『アースラ』に入隊した理由は……!) 

 

 

 男が親子の横で足を止めた。その視界には、恐怖に体を震わせ、目に涙を浮かばせながらも自分を睨み付ける、勇敢な小さな命。どうやら父親はそれに気が付いていないらしい。

 彼はぎゅっと目を閉じた。そこに浮かび上がるのは田舎に残してきた家族の姿。

 愛する妻、そして、目の前の少年と同じくらいの年の娘。

 

 男は緩慢な動作で鞘から剣を引き抜く。


「許せッ……!」


 親子だけに聞こえるような小さな声で呟くと、それを大きく振りかぶった。

 そして、唸りをあげて落下する剣が、二人の首を両断する――刹那。


「待ってください!」


 少女の声が、静寂を切り裂いた。

 


「誰だ!?」


 二人の親子の首から吹き上がる鮮血を楽しみにしていたアガノフは、それを邪魔した人物を探して辺りを見回す。

 

 イルミナは二人を庇うように親子の前まで進み出て、同じように首を垂れる。

 彼女が迷いを吹っ切れたのは二つの理由があった。

 一つは、命を絶たれる寸前まで兵士を睨んでいた少年の勇姿だった。その姿は、まるで古くから続いてきた、どうにもなるはずもないこの国に抗っているように見えたのだ。

 そのような子供が、このようにして命を散らすのは惜しいと感じた。

 

 そして、二つ目の理由。

 少年は、イルミナにはできなかったことをやろうとした。

 家族を守るという、この男の子と同じくらいの年だったころの彼女が、「あの日」成し遂げられなかったことを。

 

 イルミナは、後ろで突然の出来事に呆けたような顔をしている少年の方を振り向くと、小さく微笑んだ。

 それにつられてか、少年の表情にも明るさが戻る。


「ほぉ。これはこれは、『アースラ』のイルミナ殿ではないか」


 イルミナは、わざとらしく驚いたような声を上げる男の方に振り向く。睨まないようにするのに、かなりの意志力を必要とした。今からやろうとしていることを考えれば、機嫌を損ねるべきではない。


「一体何のおつもりでしょうかな? そのような者達を庇うなど」


「……アガノフ伯爵様に、一つお願いがございます」


 イルミナは一度言葉を切り、深く息を吸った。


「年端もいかぬ子供のしたこと、どうか後ろの二人を許していただけないでしょうか。その代わり、『アースラ』の、今後一層のあなた様への忠義と貢献を誓わせていただきます」


 周囲にいる人々が騒めく。たった二人の一般人を救うために、上位の傭兵が自らの会社の名まで持ち出したのだ。

 後ろの父親も、目の前で起こっている事態が未だに信じられていないらしく、ぽかんと口を開いたままだ。


「ほほぅ……なかなかの提案ですが、いまいち漠然としておりますなぁ。私としては、もっと分かりやすい形で示していただきたい。例えば……」


 ぞくっ、と悪寒が背中を駆け抜けた。下を向いたままではあるが、イルミナにはアガノフの視線が自らの全身を舐めまわすように這っているのがはっきりと感じられた。


「ちょうど、見栄えもよく、腕の立つ者を探していたのですよ。私のような立場の人間は、いつ政界の敵対勢力に狙われるか分かったものではありませんからなぁ。あなたなら大歓迎だ、どうですかな?」

 

 アガノフの言葉の意味するところ。それは傭兵会社を辞め、自らの元に仕えろということだ。そうなった瞬間イルミナは、アガノフが所有するものとなり、何をされようが文句が言えない立場になる。

 こうなることは分かりきっていた。それを知った上でイルミナは止めに入ったはずだった。だが……。


 どこかで、こうはならないと思っていた自分がいた。 

 自分は幾度となく貴族たちの依頼をこなしてきた。無論、そのなかにはアガノフによる依頼もあった。

 それらは移動の際の身辺警護から、領地を脅かす強力なアンデッドの討伐など、様々だ。

 時に身を裂かれ、時に骨を砕かれ、死を覚悟した瞬間は数えるのが困難なほど存在する。

 

 そんな彼女の懇願を聞き入れるだけの人間らしい部分は彼らにもあると、心のどこかで信じていたのだ。

 しかし、その期待はあっさりと打ち砕かれた。

 

 今までの自分の戦いに、果たして意味はあったのか。

 今までの苦労は、痛みは、一体何のために存在したのか。

 悲しみ、恐怖、怒り。胸の内で、様々な感情が渦巻く。

 

 イルミナの視界がぼやけた。

 目から零れた熱いものが、頬を伝っていく。  

 それを知ってか知らずか、アガノフの顔が邪悪な笑みに歪む。


「さぁ、どうするのかね? そろそろ私はこの日差しの中で立っているのが苦になってきたのだが」


 アガノフの持つ杖の先で、急かすようにしてイルミナの頭を軽く叩く。

 

 要求を断れば、おそらく目の前の男はあらゆる手段を使って『アースラ』の立場を脅かすだろう。

 イルミナに選択の余地はなかった。


「……分かり……ました」


「……聞こえんな。もう一度言ってくれないかね?」


 イルミナは下を向いていた顔を上げ、涙が湛えられた両目で目の前に立つアガノフの方を向く。

 しかし、どうやらその目には彼女の感情がはっきりと表れていたらしい。


「……何だ、その憎らしげな目は」


 アガノフが苛立たしげに顔を顰める。イルミナの頭で動いていた杖が止まる。

 そこにはもう今までの余裕に満ちた表情はない。


「誰のおかげで食ってられると思ってる! 貴様ら傭兵は、命令されたとおりにはいはい返事して従っていればいいんだよ!」


 むき出された本性のままに声を荒げ、アガノフは片足を高く持ち上げた。


 蹴られる。


 そう思ったイルミナは、反射的に顔を背けた。

 近くで見ていた女性から悲鳴が上がる。


 

 

 が、いつまでたっても振り上げられた足が落ちてくる気配がない。

 おそるおそる目を開く。

 イルミナはその光景に目を見張った。


 足を高く上げたまま、アガノフは静止していた。

 その喉元には、薄皮を切り裂いて食い込む剣の刃。

 その剣を握る、透き通るような白髪と漆黒に染まるコートが作り出すシルエット。


「セロ!?」


 少年はちらりとイルミナを見やると、申し訳なさそうに口を開いた。


「悪い、遅くなった」   

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