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お伽世界の魔女

塔の上の魔女と王子

作者: しもり

#深夜の真剣文字書き60分一本勝負(フリーワンライ)提出作品の加筆修正、完結済み

 紅茶の香りを部屋の中に満たして楽しむ一時。分厚く重厚な表紙を持つ巨大な本を方卓に置いて読書を楽しむのは一人の女。

 きらきらと目映い光が三方の窓から差し込み、その内、長時間日が入る窓辺で読書を楽しむ女の影をそっと横たえるように室内に落とす。

 遠くからは高らかに響く子供たちの笑い声、それと動物たちの歌うような鳴き声が微かな音楽として届く。

 そんな静けさと賑やかさが絶妙に混ぜ合わさった部屋の中、なんの前触れもなく彼女を呼ぶ声が調和を乱すかのように響いた。

「ランプ! 来たぞ!」

 その元気の塊のような快活な声に、ティーカップを持つ手が乱れ、少しばかり荒くソーサーに戻された。

 そのまま古びた紙へと落ちていた視線を彼に向けようとするよりも先に、女の細い上体がぐんと前のめりになってしまい、まだ取っ手に指が通っていたせいで危うく紅茶を溢すところだった。

「王子、危ないではありませんか!」

 窘める声にまだあどけなさを残す王子の声はカラカラと笑い、そんな中にすまないと簡単な謝罪を含ませて応える。

 誠意が感じられないと溜息をつきつつ、諦める。なにせ彼はこういう性格なのだから、もうすっかり彼女の方が諦めを身につけてしまった。何度言ったところで治されない悪癖である。

 こんなのでよくもまあ王子をやっていられるものだと感心すら覚えるほど。

「なあ、それよりランプ、来たぞ」

「ええ、そうですね。またなんの先触れもなく、勝手にこの時計塔に入ってしまわれた。全く、どうして昔のわたしは許可を出してしまったのかと後悔している最中です」

 先程と同じ言葉を繰り返して抱きつきながら甘えてくる王子。その過去――幼少期の姿は今よりももっと愛らしいもので、その当時の愛らしさに絆されてしまった彼女は一つの許可を彼に与えてしまった。本来ならばそれは限られた人間にのみ与えられるものであったのに。

 そのことを振り返ればやはり後悔することが多い。

 なにせこうやって日々の読書の時間やゆったりと過ごす時を邪魔されてしまうのだから。

 本来この時計塔に常駐するのはランプただ一人。時折訪れるのは城からの使いである騎士と、食料品を届けてくれる商人ばかり。その騎士や商人とて塔の中には入らず、ランプとは窓越しの遣り取りが常である。

 そんな日常を乱すこの特別な王子はといえば、幼い頃に許可を貰ったことを特権と、毎日のように日々、この塔の中に設えられた部屋へとやって来る。

 王の子だから全く問題がない……というわけでもない。

 王子だからこそこのような場に来る必要がないとも言えた。なにしろ王にもこの時計塔の中に入る許可を与えていないのだ。本来その必要はなく、どれだけ王子が例外中の例外かよくわかるというもの。

 ましてランプのような人間に、こうして日々会いに来るなど、常識外れもいいところだ。

「いつもいつもつれないぞ、ランプ」

 少しむくれた調子がランプの耳元に声を落とす。

「そうでしょうか? わたしはそれ程すげなくしているつもりはありませんが」

「ひどいなぁ。だが、そんなランプだからいいんだがな」

 朗らかに笑う。

「ん? なんだ、この本は?」

「王子には関係ありませんよ」

 パタリと厚い表紙を閉ざす。

 地味な皮表紙の本が、題字もつけずに方卓の上で鎮座する姿は少し物々しさすら感じさせるだろう。この本に限らず、時計塔にある書物には全て題字が入っていない。しかしランプには題字など必要ない。題字がなくてもその本の内容がどのようなものかわかっているため、必要性を感じないのだ。

「またそれか。魔女というのはどうしてそう秘密主義なんだ?」

「知る必要のないことは知らずとも生きていけるのですよ、王子。それはわたしにも言えましょう。王子のことなど、魔女であるわたしが知ることではないのですから」

 身体に回された王子の手を軽妙に叩きながら言い、その語り口は優しく穏やかで諭すように部屋に溶ける。

「やはりひどいな、ランプは。魔女は皆そうなのか?」

「さて、それはわかりかねます。わたしはわたし以外の魔女に会ったことがありませんから。ですが魔女にもそれぞれ異なる役割がありますからね、特別他人が好きな魔女もいるかもしれませんよ」

 ぎゅっとランプの身体を抱きしめていた王子は、その腕の力を緩めてとうとう離れる。ようやっと彼を振り返って見ることができた。

 今日もいつもと変わらぬ装いに、剣は提げていない。時計塔に来るのだから剣の一つは持てと言ってもやはり聞かぬ。

 つい先日もそう言ったばかりのはずなのだが、王子はいったいいつになればわたしの言うことを聞いてくださるのかと、溜息が落ちる。

「どうした、ランプ」

「そうあまり名を呼ばないようお願いしていますのに」

「ランプは魔女だが、ランプだろう。俺はその名が好きだ。魔女の号よりもな」

「そうでございますか」

 全く聞く耳を持たないとはこのことか。

 これだけ聞く耳を持たない子供も初めてである。

 この時計塔、小さな子がやってきて周囲で遊ぶこともままあるのだが、そうした子供たちの方がずっと話を聞いてくれる気がしてならない。

「……ああ、そういえば、近く鐘が鳴ります」

 ふと思い出し、何れは城へ知らせねばと思っていた事柄を口にすると、王子の顔が途端に真剣味を帯びる。

「……なに? 真か」

 小さく顎を引いて頷く。

 そのような嘘は吐かない。魔女という役割に懸けて、そのような虚言はしないと誓える。王子もその気持ちを読み取ったのだろう、すぐに謝罪の言葉が薄い唇から落ちていく。

「いや、失言だったな。ランプがそのような戯れ言を繰るはずもない。そうか、鐘が……。俺は生まれて初めてだな」

「以前は十八年と三ヶ月前でございましたから、王子はまだ生まれておりませんね」

「そうだな。王城の記録にもそのようにあった」

 表情を引き締めて応じる姿は彼の身分に相応しいものを感じる。

 そしてそれが魔女と王子の絶対的な差であるとを思い知る。

 どうあっても己は魔女なのだと、痛感せずにはおれない。

「また民がいくのか……。父上も母上も哀しまれるだろうな」

「しようのないことです。それがこの世の理ですから」

 そうだな、と小さく笑う表情は年齢よりもうんと大人びて見えた。そういえば立ち姿も少しずつ青年へと近づいているように見え、心臓の辺りがくっと何かに締めつけられるような息苦しさを感じる。

 だがそんな苦しさなどおくびにも出さず、伏せた目を床に向け近頃感じる気配を言葉に載せた。

「今度は少し、海も長いでしょう……。どうにもそのような気配を感じます」

「そうか……。わかった、今日はもう戻る。ランプも海に備える必要があるだろう。城に戻り父上たちに伝えておく」

 お願い致しますと頭を深く下げると、右肩に王子の手の熱を感じる。

「――また来る」

 そう言った彼の気配はふつと消え失せ、ランプは一人きりになった室内で頭を上げた。

 右肩に手を置いて吐き出されたた息には、多分に憂いが含まれてあった。


 それからの日々は途端に単調になる。

 王子が姿を見せなくなったからだ。

 生活に変化はあれど、それは魔女の役目として必要なものであった。そしてそれは魔女であればしなければならない務めであるため、刺激的とは言い難い。

 ランプが暮らす時計塔は町外れにある。そしてその時計塔から北東に直線で王城の姿が見える。王城は高台にあり、城下の建物を見下ろすような形で物静かに佇む。

 時計塔自体はとても大きな塔であるから、方角を違えなければ王城の正面を見ることは簡単だ。

 真っ白な建物は荘厳さを感じさせ、同時に抱き込むように広がった両翼の棟が大きな包容力も感じさせた。少なくともランプは昔からそのように思いながら王城を見つめていた。

 一方で時計塔は黒味の強い灰色をしていて大層地味だ。一応は天を支える柱と喩えられる力強さもあるようだが、たった一本の柱では頼りないもの。また彫り物もされていないため、立派に見えるのはその時計ばかりである。

 誰が作ったのかは知れぬ時計盤には、偉丈夫二人から三人分の長針がぐるりと巡る。また遠くからもよく見える巨大な時計盤に数字はなく、大きな石が四つ配されているばかりであった。そして重要なのがこの石である。

 遠くから見ても、夜間に見てもこの石はよく見えた。それぞれ色を異ならせ黄色、緑色、水色、青色と光っているからだ。その四つが、此処に時計塔が在るのだと知らせ、その姿は見方を変えると灯台のようですらあった。

 王子に恐れ多くも伝言を頼んだ翌日から、ランプはこの時計盤を朝と夕に確かめるのが日課になった。これまでは昼に一度であったそれが頻度を増したのは、鐘楼につり下げられた鐘が動き出す時が刻一刻と近づいてきたからだ。

 この時計塔はただの時計塔ではない。

 この国にとって王城の次に大事にすべき場所がこの時計塔であり、その針が刻む時は生活のための時ではない。

 ただ一つ文字盤を巡る針が刻むのはカウントダウンだった。

 海の訪れを告げる針。

 針が頂点の真っ青な石を指したとき、海が訪れる。

 地面から滲み出すように、するすると腕を伸ばしていくのだ。それは静かな訪れだ。波が次々と襲うのではない。それは常に静かに這い寄り、ぴたりとこの国の歴史に寄り添う。

 広大な海は、城の足下に広がる賑やかな街を静かに呑み込み、多くの命を連れ去っていく。

 ランプは――この時計塔の魔女はその訪れを待ち、王にそのことを告げる管理人であった。

 なにしろこの巨大な針は魔女以外には見えないもの。だから魔女の存在は必要不可欠。それがこの高い塔に縛り付けられることになっても、欠かせない存在であることを彼女は十二分に理解していた。

 海の訪れを告げないと王家に大きなダメージが行く。

 海は街の人々の命を連れ去ってしまい、それは同時に王家の――国の運営を危ぶませるのだ。

 長年国はそのための準備を整える。そして時計塔の魔女が時の訪れを告げ、鐘が海の襲来と共に鳴り響く。

 鐘の音は潮が引くまで止まらない。ゴォーン……ゴォーン……と鳴り続けるのだ。

 王城と時計塔にいる人間以外は、ほとんどが命を落とす。運良く海から逃れた人間も、数年から十数年で海へと消えてしまうことがほとんどだ。

 それは悲しい別れである。

 しかし、必要なことでもあった。

 だから魔女は針の進みを記録し、分厚い本のページをさらに分厚くするように追加していく。

 海が来る直前ともなれば、のんびりと過ごしてもいられない。

 失われる命に心の中で別れを告げながら、とうとう鐘が鳴ったその日、彼が現れた。

「ランプ」

「……お、どろきました……。王城から出てよろしいのですか?」

 心臓が縮み上がる思いだった。

 まさか鐘が一度目の音を響かせた直後に姿を現すなど、想像もしていなかったから。

 どきどきと騒がしい胸を両手で押さえつけながら、目を丸くして問いかけていた。

 大抵海の間、王族を始め、王城で働く人々は王城から外へ出ない。海に命を攫われてしまうから、というのもあったが、王城の中は王城の中で人々が多く暮らすために忙しいのだ。そして王城に避難することができた人も、王城の外へ出ることが許されないのだが、突然の来訪者である王子はそんな慣例など無視するようにランプの前に姿を見せた。

「そろそろランプが恋しくなったから」

「……そうですか」

 甘えたことを言う王子の言葉に苦笑いを浮かべていると、彼の剣で鍛えられた指がランプの頬をさっと撫でていく。

 案じるような眼差しが注がれる。

「顔色が悪い。本当に、ランプは優しい人だ……」

 頬を掠めた指はすぐに腰を抱くように回され、ランプの頼りない肉体を抱き寄せてしまう。その指も動作も、ランプの心を慰撫するような温もりに溢れている。

「優しいなど……」

 塔の中、海から逃れる人間を救う術を持たない己に相応しくない言葉だと、微かな自嘲が漏れる。

 しかし王子はそれをも見通していたのだろう。ランプの髪と肩に顔を埋めて小さく首を振って否定する。

「優しいよ。この国を旅立つ者たちを憐れんでいるんだから」

 まだ年若い王子に抱きしめられると、己がうんと小さな子になってしまったように思えた。だが不思議と嫌ではなかった。

「そうやってこれからもまだ命を見つめるのか? 地上へと還っていく命たちとの別れを哀しむのか? ……きっとランプは哀しむんだろうな。俺はそれが少しだけ悔しい。ランプはこの国の人間なのに、地上を想っているように見えてしまう。それに地上の人間であれば、魔女であってもこのように哀しみに苦しまなかったかもしれないと思うと、つらい」

「……なにを」

 馬鹿なことを、とは言葉にならなかった。

 実際、地上が恋しいという気持ちはあるのかもしれないと思えば、否定もできない。

 この死者が住まう国で新たな生を得たとき、そして魔女と定められたとき。どちらもちらりと地上に戻りたいと願ったことがあった。

 この国の王族として生まれた彼に、そんな地上への回帰を願っていたランプの気持ちが見通されていると思えば、異なる痛みが胸の中に生まれた。

 地上で死した者たちの魂が住まうこの国は地の底にあるとも、海の底にあるとも、地上に存在する湖の底にあるとも言われる夢幻の国。そこに住まう人間は地上で死を迎えた者達で、彼らは次の生を得るための準備期間をこの国で過ごすと言われている。

 しかし別の伝承では地上に存在できる魂には限りがあり、その魂を順番に巡らすための空きができるまでの待機時間をここで過ごすとも言われていた。

 真偽は定かではない。

 ただそのような死者の国にも生者がいる。

 それが王族とその係累、そして時計塔に縛られる魔女だ。

 王族の魂はこの国の中で循環する。定められた数の魂があり、その魂の中から一定数が生者としてこの国での活動を許され、死ぬとまた別の魂が生を授かる。そのようにして魂は常に廻り続けているのだ。

 だが魔女は違う。

 魔女の魂は元々地上のものであった人間の死が、この国にやって来た事で次の魔女と定められ、この国で生きるための命を与えられる。

 魔女の役割を次代へ渡した後はまた、彼女の魂も地上へと還す海に呑み込まれる。

 その時までランプは時計塔の管理人。導きの鐘の魔女で在り続けなければならない。

 また還れなかった。まだ還れなかった。縋り付いて泣きたくなるその気持ちを見抜かれているのが悔しくて、息を詰めて身体を任せるだけにしたのは、長い年月の中で彼女の中に生まれたなけなしの魔女の尊厳のためだった。

 本当はランプもわかっているのだ。

 どうしてこの王子が日々戯れのように時計塔にやって来るのか。成長してから殊更身体を密着させる理由を悟らないはずがない。

 そしてそれを知っている己の本心がどこにあるのかすら、ランプは理解していて目を逸らす。魔女であるが故に、愛を受け止められずにいた。

 それでも気持ちの蓋を閉じきることができなくて、上等なマントに指を這わせてしまったのはきっと、ランプがまだ魔女として若いためであろう。

 もうすぐ落ちてしまいそうな甘い己に気づかないふりをして、遠くから聞こえる潮騒と、ごく近くから響く脈動を耳に入れながらランプは小さな声でごめんなさいと呟いた。

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