第7回:私の大切な宝物
【SIDE:西園寺麗奈】
自分にとっての宝物。
子供の頃、大事にしていたものをひとつの箱に詰め込んでいた。
ほんとに些細なものでさえ、私にとっての宝物。
幼馴染の女の子が誕生日にくれたティースプーン。
私とママが一緒に作ったビーズアクセサリー。
他人にしてみればなんでもないもの。
それでも……私の大切な宝物。
宝物ってそういうもの。
人によっては宝石だったり、アクセサリーだったり、いろんなモノがある。
けれど、共通しているのは宝物は思い出の形。
それを見るたびにその時の事を思い出せる。
……そして、私の手の中にあるこの一枚の写真も宝物。
子猫と幼い頃の私が写る写真……忘れられない思い出があった。
5月の大型連休、GWを終えた翌週の学校。
未だに休み気分が抜けない私は席替えで偶然にも隣の席に素直さんが座る事になった。
「お隣になったんですね、よろしくお願いします」
「……よろしくするつもりはないから。私、麗奈さんの事が嫌いだもん」
先日同様、挑発的な発言。
相変わらず私に対しては冷たい子だ。
GW中もお兄さんの所に遊びに来ていたし、ホントに懐いているんだと思う。
私はなぜか彼女から敵意を持たれている。
こちらとしては家も近いんだから仲良くしたいのにうまくいかない。
「でも、お兄ちゃんが仲良くしろっていうから、少しぐらい話してあげてもいい」
「彼の事をずいぶんと信頼しているんですね?」
「当たり前じゃない。麗奈さんと違って私は生まれた時からずっと彼が私のお兄ちゃんのような存在だったんだから」
あのおバカな人のどこに彼女を惹き付ける魅力があるのか問いたい。
けれど、もうひとつ別のことも気にかかる。
「素直さんにはお姉さんがいるじゃないですか。別に兄にこだわる必要は……」
「私は実姉と仲が悪いのよ。だから余計にお兄ちゃんが好きなの」
彼女の姉はお兄さんの幼馴染で何度か家に来た事があり親しくしているけど、私から見れば特別に嫌な感じもないい人だ。
「あーっ、もうっ。姉の事は聞かないで。あの人の事は言いたくないの」
「そこまで嫌うほどに?」
「人間として悪くなくても、趣味が悪いから。貴方も気をつけた方が良いわ。あれは悪魔だから!うちの姉は怖いの」
私が恭平お兄さんを拒絶するように彼女は実姉を拒絶する。
憎むと言っても本気で嫌悪をしているわけじゃないようだ。
何だか妙なところで親近感がわいてくる。
「……はいはい、ここまで。あまり私に馴れなれしくしないで」
「私は出来れば素直さんと仲良くしたいんです」
「何で?別に家がお隣さんだからって仲良くする必要はないでしょ」
「お友達になれたらきっと素敵だと思いますから。前向きに考えてくださいね?」
私の言葉に素直さんは特に否定もせず、思案顔で頷く。
「まぁ、それはこれからの展開次第かな」
「良い展開になる事を望みます。あっ、次の授業が始まりますよ」
彼女も根が悪い子ではないと思うので、その辺のわだかまりを解いていきたい。
私が嫌われている1番の理由がお兄さんの義妹だというのはどうしようもない。
ホントに兄妹になったことで私にひとつくらいメリットを与えてください、お兄さん。
「――お兄さん、ちょっといいですか?」
夜の7時過ぎ、私はある覚悟を決めてその扉をノックした。
お兄さんの部屋の前に立つと、すぐに彼が部屋から出てくる。
「どうした、麗奈?何かあったのか?」
お風呂に入りたてなのか、まだ彼の髪が濡れている。
男の子ってそういうの気にしないのかな。
男らしいというより、ガサツなだけかもしれないけど。
「あの、お兄さんに折り入って話があるんです」
「何?何でも言ってくれ、お兄ちゃんにできる事なら何でもするから!」
息荒くお兄さんが私の手をとろうとしたので、その手を乱暴に払う。
油断も隙もない、だから、この部屋に来るのだけは嫌だったのに。
「私に触らないでください。出来るなら息を止めて欲しいくらいです」
「せめて半径30センチとかにして。それじゃお喋りもできない」
苦笑する彼がムカつくが、今、私の抱えてる問題は彼にしか解決策がない。
私は深呼吸ひとつしてから、その悩みを彼に伝えた。
「……明日、数学のテストがあるんです。教えてくれませんか?」
それ以上は恥ずかしさで沈黙。
私は数学が大がつくほど苦手で、毎回苦労させられている。
他の教科は何も問題ないのに、あれだけは本当にできない。
「数学?任せてくれ、お兄ちゃんは理系の人間だ。どこでする?」
「部屋は危ない意味で嫌なので、リビングでお願いします」
「麗奈は俺をもう少し信頼すべきだと思う」
「義妹のファーストキス、を事故とは言え平気で奪うような最低の人間をどう信用しろと?ふざけてるんですか?」
未だに忘れられない最悪の記憶だ。
兄はしょんぼりと肩を落として「すみません」と嘆いた。
「わかった。それじゃ、俺も準備するから後でリビングに集合な」
私の突然のお願いにも、お兄さんは優しく受け入れてくれた。
……とりあえずはこれで安心できそうだ。
そして、リビングで行われた勉強会。
シャーペンで文字をノートに書く音が部屋に響く。
お兄さんは私の横で問題集と教科書を照らし合わせながら、
「ここはXを代入してやればいいんだ」
「代入……あ、わかりました。これですね?」
「そう、麗奈は飲み込みが早いな。あとはここの問題どおりにすればできるから」
お兄さんは全く理解していない私に一つ一つ丁寧に問題を教えてくれる。
数学の授業はまじめに受けているのにできない。
先生に当てられる時は隣の子にこっそりと教えてもらうほど。
中学に入ってから算数から数学に変わり、余計に分からなくなって今に至る。
「……基礎ができれば数学も簡単だろ?」
「微妙です……。今は何とかできましたけど、すぐに自分の中に吸収できたかと言うと、そうでもないので。お兄さんってすごいですね。私には無理ですよ。相性が悪すぎます」
数学が簡単なんていう人はできているから言えるのだ。
分からない人は本当に分からない。
私はノートとにらめっこしているとお兄さんが私に尋ねてくる。
「それにしても珍しいよな。俺に勉強を教えて、なんて。今回のテストはそんなに大事な試験なのか?これからの成績に響くとか?学校は大変なのか?」
「普通の中学生も2年になれば成績を気にしだす時期なんですよ」
高校進学を考えればここで成績を悪いまま放置するのは嫌だ。
1時間ほど経ってから、休憩をするために私はテレビをつけた。
隣でコーヒーを飲んでいたお兄さんがチャンネルを変えると、テレビは動物の番組で可愛い小動物が映し出される。
「可愛いです。あんな小さくてふわもふな生き物がいるなんて。ペットっていいですね」
「麗奈は動物を飼いたいのか?」
「はい。ずっと前から飼いたかったんです」
私には誰にも明かしたことのない秘密の写真が一枚ある。
愛らしい瞳が印象的な子猫を抱いた私の子供の頃の写真。
それは私にとって辛い思い出でもあった。
「子供の頃、私は動物が飼いたいとママにねだった事があるんです。あの頃はママもシングルマザーで生活も大変でしたし、結局ダメでしたけどね」
他の友人はみんな、ハムスターや猫、犬、インコなどの動物を飼っているのにうちでは何も飼っていなかったから、羨ましかったんだ。
そんな私にママはペットを飼うのをずっと反対していた。
『動物たちにも命があるの。大切なひとつだけの命があるのよ』
ふたり暮らしだったから、動物を飼うとしても世話が大変だったと思う。
それにママはそのペットを飼っても、死ぬことでトラウマになるのを恐れていた。
命はどんなものにもひとつしかない、それが現実だから。
だけど、そんな私にも一匹だけ可愛がっていた猫がいた。
私が小学校4年生の頃。
近所に捨てられていた子猫で、いつも空き地の辺りをうろうろしていた。
私は親に内緒でその子に名前をつけて、こっそり餌を与え始めた。
当時としてはペットというより、友達感覚で付き合っていたと思う。
子猫の名前は「アイ」、愛情の愛から名前をつけた。
アイと私は半年もの間、ずっと仲のいい友達だった。
私に懐いてくれて、毎日、会いに行っていた。
しかし、終わりは突然訪れる。
私とアイの関係がママにバレてしまったのだ。
野良猫はたくさんのばい菌や病気を持っている。
だから、素手で野良猫を触り、可愛がっていた私をママが離れさせようとしていたのはしょうがないことだったと思う。
私はママもうアイと会わないように言われた。
その時、私はママにアイを飼いたいと我がままを言い、困らせたのを覚えている。
『アイを飼えないのなら、せめて思い出にしたいの』
たった一枚だけ、私はアイと写真という形で思い出を作った。
そして、私とアイは……引き離されてしまった。
時々、その道を通るたびに私はアイの姿を確認するだけの関係。
こんなに近くにいるのに触ることができない。
私はその事で何度も泣いたんだ。
それから、数ヶ月後、アイはその空き地からいなくなった。
近所の人の話だと、車に轢かれて亡くなったらしい。
私は……動物としてではなく、友達を失ったことに涙を流した。
……あれから、私は動物が怖くなってしまった。
例え、捨て猫が可愛い声で鳴いていたとしても、私は見ないフリをしてきた。
死ぬのが怖い、だから、もう私は拒絶するしかない。
ずっとそうしていくんだって……思ってたのに。
「どんな動物だって命はひとつ。だからこそ、今を精一杯に生きている。それを恐れると言うのは命を否定する事になると思います。昔はそれが分かりませんでした」
「……それなら今度、両親に話してみるか?今、この家なら飼えるかも」
「え?いいんですか?」
「いいんじゃないか。麗奈が飼いたいっていうのなら反対はしないさ」
「飼えるのなら、出来れば猫が飼いたいです」
「猫か。俺も猫は好きだな。ネコ耳……いや、何でもない」
お兄さんは相変わらずわけの分からない事でにやついて気持ち悪い。
それはどうでもいいけど、アイのような可愛い猫が飼いたい。
「そろそろ、休憩はお終いです。続きをお願いします」
私はテレビを消して、再びシャーペンを持ち、お兄さんの家庭教師に熱心に耳を傾けた。
気がつけば深夜になっており、私たちはそのまま解散することに。
その日の夜、ベッドの上で私はアイの写真を見つめていた。
子供の私が猫を抱きしめている写真。
「アイ……」
アイは愛するという意味を持っていた。
好きな男の子を愛する、家族を愛する、あの頃の私は『愛』という言葉が大好きだった。
それは誰もが幸せになれる言葉だったから。
「この手にいつか大切なものを抱きしめたい」
ペットを飼いたいという願いは大きく膨らんでいく。
「今度、本当にママやパパに頼んでみようかな」
私は眠くなってきたので写真を枕元の写真立てに戻す。
その日、私は久々にアイの夢を見た。
夢の中のアイはあの頃の可愛さを私に見せてくれたの――。