第6回:ある雨の日に
【SIDE:西園寺恭平】
静かに降り続く雨の音。
雨は人が流す涙に似ている。
空が流す涙、だから、人は雨を見ると悲しいと思うのだろう。
雨は別れを意味するのにも使われる。
それは全てを覆いつくしていく寂しさ。
冷たい雨粒があの過去を思い出させるから俺は雨が嫌いだ。
……思い出したくもないあの日も朝から強い雨が降っていたから。
『このままじゃダメだ。俺達は別れた方がいいと思う』
体育館の裏で、俺と1人の少女がどしゃぶりの雨に2人は濡れている。
俺達は今さらながら少しでも濡れないようにと体育館の屋根の影に入って座り込む。
『私はね……』
冬の冷たい雨が俺達の心を冷やしていく。
『それでも、ここにいたいから』
俺の胸に顔をうずめる彼女の呟く声、これだけ近づかなければ雨音に消されてしまう。
後悔、拒絶、別れ……色々な感情が入り混じる。
『やめよう。それじゃ、お互いに辛いだけだ』
俺にとっては汚点としかいえない辛い日々。
なかった事にしたい、今でもそう強く思う。
雨か涙か区別がつかないほど身体中を雨に濡らしながら彼女は泣いていた。
『どうしてかな……。傷ついたって、私はいいの。貴方と別れたくない。別れるくらいなら、自分の立場も、何もいらない。ただ傍にいたい、それじゃダメなの?』
俺はただ目の前の少女を守りたかった。
彼女の存在、立場、全てから守るためには俺から離れるのが一番だと思った。
寂しさ……そんな感情と引き換えに彼女を守ることができるのなら。
『ごめんな。……これでさよなら、だ』
俺はそれでもいいと思った。
『嫌よ……。絶対に……それだけは嫌ッ!!』
だが、小さな水音と唇の感触が全てを遮る。
“雨”の味がするキスを彼女は俺にしながら、
『そうだ、高校!高校を卒業したら、また一緒にいられるわ。そうよね?』
『それは……』
彼女は俺の心を必死に留めようとしていた。
雨は強さを増して、傍にいる俺達の声しか聞こえない。
『だから、それまで私は好きでいるから。貴方も私を好きでいて。お願い……』
雨を見れば嫌でもあの時の泣いているアイツの顔を思い出してしまうから。
だから、俺は雨が大嫌いだ……。
……。
と、いう恋愛ドラマ風な夢を昨日見たせいで少し気分が沈んでいる、俺。
ちなみ言うと、中学時代に恋人はいたことがないです。
「今日は夕方から雨が降るって言ってた通りに降りそうだ」
俺はあいにくの空模様に俺は置き傘を手に持ち歩いていた。
しばらくすると予想通り、雨がポツポツと降ってくる。
傘を差して歩いていると、あちらこちらで慌てて走る人の姿を見つける。
ははっ、濡れないように走れ、走れ。
こういう時って、傘を持っている人間は優越感にひたれるよね。
……そんな俺は心の狭い社会的弱者ですか?
「ん?」
ふと、俺の目に飛び込んできたのは我が愛しき妹、麗奈の姿。
傘を持っていないのか、とある店の軒下で雨宿りをしている。
チャンス到来、ってやつだ。
お約束の相合傘イベントですよ。
『えへへ、お兄ちゃんと一緒の傘なんて恥ずかしい』
そう言いながらも、嬉しそうにひとつの傘に入る妹。
『雨に濡れるから、もう少し近づいてもいい?いいよね?』
近づく身体の距離、ぴったりと身体をよせあうふたり。
濡れた身体を温めるためにシャワーを一緒に浴びたりして……。
……いい、その展開すごくいいっ。
「兄妹仲良く一緒に帰ろう作戦、開始だ」
さぁ、いざ妄想の実現に向けて出陣!
店の軒下に再び目を向ける俺。
「――あれ?」
いつのまにか妹はそこにはいなかった。
というか、目の前で走ろうとしているように見えます。
「……っ……」
まさか家まで全力ダッシュの強硬手段?
待って、それは待ってください。
「ちょっと待て。雨に濡れて帰る気か、麗奈」
俺は駆け足で麗奈に追いつくと、彼女は既にほんの少しだけ濡れていた。
濡れた髪が色っぽい、この子、本当に中学生?
なんて、いやらしい視線で見れば一発で嫌われるのでやめておく。
「……お兄さんでしたか。珍しくちゃんと傘を持ってきたんですね」
「まぁ、梅雨だからな。いつ雨が降ってきてもいいように置き傘をしていたんだ。ほら、突っ立ってないで傘に入れよ」
「ふっ、冗談でしょ?お兄さんと相合傘するくらいなら濡れて帰ります」
「ひどっ!風邪でもひいたらどうするんだ?」
兄と一緒の傘に入りたくないという悩みは普通に悲しいです。
だが、雨は強くなるばかり。
沈黙していた妹は大きくため息をつきながら、
「……濡れて風邪をひくのは別に構いませんが、見舞いと称して、私の部屋に堂々とやってくるお兄さんは勘弁ですね」
そう言って文句を言いながらも、麗奈は俺の傘に入る。
さりげによく毒を吐くよね、うちの妹って……ぐすん。
「素直じゃないな」
「残念でしたね、素直さんじゃなくて」
「……いや、そっちの素直じゃないから。ややこしいなぁ」
俺達はそのまま相合傘で仲良く帰る事にした。
麗奈に歩幅を合わせてゆっくりと雨に濡れた道を歩んでいく。
俺と麗奈の身体の距離も微妙に開いている。
ぴったり並んで歩くのが定番なのに。
しかも互いに会話がない、気まずい雰囲気。
「あのさ……」
「何も言わずに黙って歩いてください」
「……はい」
妹よ、兄は時々、真剣に思います。
もう少し、兄に対して愛想をよくするべきだ、と。
兄妹のコミュニケーション不足はいかんと思うのですよ。
あっ、もしかして照れてるのか?
「……お兄さん。私が隣にいる時に変な顔をするのはやめてください」
「そんな顔、してないもん」
「男が“もん”なんて付けてしゃべると、正直、死ねばいいと思います」
……くっ、目から雨の雫が零れるぜ。
日に日にうちの妹の口が悪くなってきます。
それにも負けずに話題を変えて、話しかける。
「そういえばさ。昔、雨の降る中で子猫を拾って帰ってきた事があるんだよ。子猫だから、びしょ濡れなのを放っておけなくてそのまま家につれて帰った」
「それで……そのネコはどうしたんですか?」
「いや、それだけ。雨がやんだらいつのまにか勝手に出て行ってしまったから。俺としてはそのまま飼い猫にしたかったんだけどな」
あの頃の俺はそれが寂しくて少し泣いたんだよなぁ。
今でもネコが捨てられていると拾って帰りたくなる。
それができないのがわかっているのに、愛らしきものには同情してしまう。
そんな子供の頃の優しい思い出。
「野良猫を飼うのは普通に止めておいた方がいいですよ。いろいろ病気とか持ってますから。ワクチンとか、メスなら避妊手術も受けさせないといけませんし。それに同情して飼うと長続きしません」
「……子供の優しい心を現実論で片付けないでください」
またひとつ、俺の思い出が妹に切り捨てられてしまいました。
彼女は水たまりにうつる自分の姿を眺めながら、
「でも、そういう優しいところがあるのはいい事ですよね。私ならそういう場面でも見捨てていきますから」
「それはどうかな。実際、そう言っていても、子猫の瞳とか見ちゃうとどうしても情がわくものだ。麗奈は優しい子だから、簡単に見捨てるのはできないよ」
「……どうでしょうね。私って、自分で言うのも変ですけども、結構残酷な人間ですよ。現実主義者ですから」
「ホントに残酷な人間は宣言しないって。そこは可愛い女の子らしく、小悪魔ぐらいで我慢してくれ」
俺の言葉に麗奈は視線をそらすだけだった。
俺にはなんとなく分かっていた。
彼女も同じような経験があるのだろう。
多分、動物をお母さんに飼うのを反対された類の過去が。
だから……見捨てるなどという発言で誤魔化す。
本当に見捨てる人間は気にもしないから。
「雨が強くなってきました。狭いので傘から出て行ってください」
「これ、俺の傘なんですが。しかも、それならもっと近づこうとかそういう展開に……」
「なりません」
「ですよねぇ……はぁ」
何て事を言ってるうちに本降りになってきた。
麗奈は本当に仕方なくと言った顔をして、
「……鞄を濡らしたくはないので」
鞄を胸に抱きながら俺の横に距離を縮めてくる。
触れる肩にはさすがの麗奈もほんのり顔を赤らめていた。
「さっさと帰りますよ。それとも、置いて帰ってもいいんですか?」
「ゆっくり帰ろう。急いでも濡れるだけだろ」
雨に感謝、麗奈と一緒に帰る時間はいつもと違う特別な時間。
降り続く雨もこのシチュエーションなら嫌にならない。
家に帰るまでのわずかな時間。
少しだけ兄妹の距離は縮まったように思えた。