第1回:妄想が全て
【SIDE:西園寺恭平】
――妄想とは何か?
“妄想”と一言で表すと世間一般にはあまり良い印象はなかったりする。
『あの人、変な妄想してる』などと言われることはあっても『あの人、とても良い妄想してる』なんて事は人生で言われたことなど一度もない。
なぜなら相手は俺の妄想を知らないのだから。
自分の世界、他人の世界、人は二つの世界を自分の中にもっている。
その人だけにしか体験できない特別な世界、それが“妄想”なのだ。
妄想とは脳内世界の構築である。
誰にも邪魔されない、自分だけの世界。
現在社会は平等ではなく、他人を見下し、いかに自分が上にいるかという優越感を競う、いわゆる競争社会である。
さらに言えば昨今事情による厳しい現実。
そこに安らぎの言葉は存在しない。
だからこそ、妄想の世界は存在する。
妄想こそが俺にとって世界の全て。
妄想最高!妄想万歳!
今日も人に優しい妄想の世界で思う存分、幸福に満ちてで生きていきたい。
「お兄さん、独り言は声にださないでください。何度注意されれば気が済むのですか?」
「……ごめんなさい」
春の訪れを感じる3月後半、俺は目の前に座っている女の子に平謝りする。
現実という世界の前には社会的弱者でしかない。
現実世界での扱いはあまりにひどい。
俺の名前は西園寺恭平(さいおんじ きょうへい)、この春休みを終えて新学期になれば高校2年になる。
「はぁ、相変わらず変な人です。これが義兄だと思うとゾッとしますね」
クールな視線をこちらに向ける女の子。
我が愛しい妹、西園寺麗奈(さいおんじ れいな)である。
美少女と呼べる可愛らしさを秘めている彼女は来月で中学2年生だ。
俺はリビングでテレビを見ていた妹の顔を見つめてみた。
「……何か文句でもあります?」
「別にないけど。今日も麗奈は可愛いなとか思ったり」
「しないでいいです、むしろするな。さっさと自分の部屋に戻って欲しいです。部屋でひとり思う存分壁際に向かって話しかけてください。それとも、お話するためのぬいぐるみでも用意しましょうか?」
妹は近所の野良犬を相手にするようにしっしと手を振る。
俺は愛すべき妹から完全に“変態”という認識をされている。
それが悲しいが俺の現実だった。
さて、我らが兄妹関係について説明しよう。
俺と麗奈は義理の兄妹である。
さかのぼる事、3ヶ月前に両親が再婚して、運命によって結ばれた兄妹なのだ。
『お兄ちゃん♪』
日本全国に存在する妹大好き症候群の皆様の憧れ、可愛くて血の繋がらない義妹である。
義理ゆえに、麗奈とは結婚できる。
義理ゆえに、お兄ちゃんという響きにロマンがある。
義理ゆえに、俺は……リアルに妹で妄想できるのだ。
「独り言を囁くなと言いました。邪魔ですから目の前から消えてください」
「冷たい、世間の荒波のごとく冷たいぞ、麗奈。俺の妹ならもっと優しい言葉づかいをするべきだ。お兄ちゃんは悲しい」
「あまり変なことばかり言うと、さすがの私も、もう相手にしませんよ」
「すいません」
かまってもらえないのが一番寂しいです。
俺は素直に謝罪の言葉を口にした。
我が妹は世間一般で言う所のクォーターである。
麗奈はさらさらで綺麗な黒髪に、母方の祖母がアメリカ人らしいので、蒼く透明な瞳を受け継いでる。
少しつりあがった猫のような瞳。
一見気の強そうな顔つきだが、実際にも結構気が強い。
誰もが彼女の事を美人で綺麗な少女だと言う外見を持つ自慢の義妹だ。
まるでお人形のような彼女は完全無敵の学園の人気者だ。
彼女のクラスメイト達はファンタジーの世界に出てくるお嬢様やお姫様みたいな印象を抱いているだろう。
しかし、兄である俺には違う一面を見せてくれるのだ。
『もうっ、仕方ないなぁ。ダメなお兄ちゃんなんだから』
とか言いつつ、献身的に身の回りの世話をしてくれたり。
『私にはお兄ちゃんが必要なんだからね(はぁと)』
とか言ってくれたりして、俺に甘えた優しい微笑みを浮かべてくれる。
義妹、それはロマンス。
義妹、それは甘く切ない初恋の香り。
義妹、それは……。
「はぁ、もういいです。これ以上、何を言っても無駄なようですね。私が部屋に帰りますからお好きにしてください。これ以上一緒にいても意味がありません。それでは失礼します、頭の可哀想なお兄さん」
それは現実という世界を嫌というほど思い知らしてくれる存在。
妹は俺の前では普段の仮面を脱ぎ捨て、本当の自分を見せてくれる。
そうだ、麗奈は俺の可愛い大事な妹なのだ。
例え、それが兄を頭のおかしい人と断言し見下す、生意気な妹だとしても。
例え、それが兄を変態扱いし、可哀想な視線で見つめていても。
例え、それが……なんだか言っていて悲しくなりました。
俺を無視するように部屋に戻ろうとする麗奈を引き止めるように、
「待ってくれ、麗奈。実は、以前からキミに伝えたい事があるんだ」
「珍しいですね。お兄さんからそんな事をいうなんて。何が言いたいんですか?」
「……キミの事を愛している。世界で一番大好きだ!」
「えっ……ホントに?」
俺の人生初の告白、好きになった相手が妹で本当によかった。
絶対にキミを幸せにするから。
これから待ち受ける困難や試練を一緒に乗り越えよう。
「お兄さんが私の事を……す、好き?」
麗奈は顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに俺の耳元に囁いた。
「――気持ち悪いのでさっさと死んでください」
……思考停止。
はて、今何やら物騒な発言が聞こえた気がするのは気のせいだろうか。
「ははっ、おかしいな。何かとても変な発言だったような」
「あら? 聞こえませんでした? それなら、もう1度言ってあげます」
「す、すみません、もう勘弁してください。俺のHPはもう残り1しかないんです」
効果は抜群、痛恨の一撃だった。
さすがに愛する相手に2度も暴言を言われて無傷なほど強い心を持っていない。
俺の心はガラスのように壊れやすい、取り扱い注意のシールを貼ってくれ。
「ああ、俺はダメ人間。ダメな人間なんです」
「そうですね。お兄さんはダメ人間。どうして生きているの?」
「ははっ、そういうストレートな発言を平気でできる麗奈が大好きだ」
麗奈はリビングの床にひれ伏し、人生の絶望を味わいながらへこたれる俺を可愛らしい瞳で見つめるのだ。
「ほら、へこたれていないで顔をあげてください。心配しなくてもお兄さんは私の兄なんです。これからもずっと……」
彼女の想い、確かに兄のこの胸に伝わってきました。
沈んだ心をよみがえらせる、やはり妹は世界でたった一つの俺のオアシス。
世界にもたらされた最後の希望の光。
「そう、そこがかなり私的に不愉快ですが。しかし、再婚したての両親の幸せを私の抱える不幸と“天秤”にかけるわけにもいかず。私にとってお兄さんが義兄になったのは神の悪戯。いえ、人生最大の不幸と呼べる出来事なんです」
俺の可愛い義妹は満面の笑みでそう答えた。
……分かってはいたけど、俺ってめっちゃ妹から嫌われてますね。
愕然として泣きそうな俺を放置して、麗奈はリビングから去ってしまう。
俺が義妹に嫌われているのには理由があるのだ。
そう、3ヶ月前の“あの事件”さえなければ俺達は……。
いや、過ぎ去った過去を悔いても仕方あるまい、今はただ辛い現実を向くだけさ。
妄想で現実逃避したい気持ちを抑えつつ、俺はソファーに座りなおす。
テレビでは人気アイドルグループが歌番組に出ている。
ぼーっとテレビを眺めているとキッチンから出てきた女の子が声をかけた。
「何を拗ねているの、弟クン?」
「あっ。由梨姉さん。もしかして、さっきの見てた?」
「ふふっ、せっかくの告白も玉砕しちゃったわねぇ」
穏やかな微笑を浮かべる美人なお姉さん。
キッチンで皿洗いをしていたはずなので、ばっちりと俺の玉砕シーンを聞かれていた。
なめらかウエーブがかかっているセミロングの茶色の髪。
人を惹き付ける魅惑のボディ、誰もが憧れる美しい容姿。
彼女は西園寺由梨(さいおんじ ゆり)と言う。
西園寺、と言う名字だが俺の実姉ではなく従姉だ。
彼女は麗奈が来るずいぶん前からこの家に預けられているのだ。
理由は簡単、姉さんの両親が海外で働いているためだ。
「麗奈ちゃんとはまだ仲が悪いのね? 私相手だと普通なのに、弟クン相手だとどうも素直になれないみたい。やっぱり、男の子の家族だから意識しているのかしら」
そんな甘ったるい理由だったらよかったんだが。
真実を話すわけもいかずに俺は「そうだな」と短く答える。
「もう3ヶ月でしょう。そろそろ、仲良くなれたらいいのに」
「……まぁ、向こうは思春期真っ盛りじゃないか。うまくはいかないよ」
「思春期ねぇ。どうも、私にはそれ以外の理由もありそうな気はするけど。こればかりは当人同士の問題だからどうにもならないわ。私でよければいつでも相談にのったり、慰めてあげるからね?」
姉さんの優しさに俺は癒されている。
俺もしっかりせねば……。
いつまでも甘えてばかりじゃいられない、だって、男の子だもん。
頑張れ、俺。
負けるな、俺。
俺と麗奈の恋路は大丈夫なのだろうか、もの凄く心配です。