岩と猫
その、誰も知らない海辺には、誰も知らない小さな岩がありました。
小さな岩の横には、やっぱり誰も知らない、小さな猫が住んでいます。
岩と猫がであったのは、ある春の日のことでした。
あたたかいお日様に照らされて、ぽかぽかとした岩の上に、一匹の猫が寝転んだのです。
とてもとても年を取った猫でしたが、とてもとても元気な猫でした。
ひとつだけ、ぽつんと取り残されたように、周りにだあれもいない海辺。
寂しかった岩が、猫に話しかけたのです。
猫さん、猫さん、そこは気持ちがいいかしら。
僕はずっとお日様に照らされているけれど、自分のことはよく分からないんだ。
すると猫さんはいいました。
岩さん、ここはとても心地が良いよ。
お日様のぬくもりが、お前さんのぬくもりみたいだね。
それから岩と小さな猫は、とても仲良しになりました。
猫は天気のいい日にやってきて、ぬくぬくと岩の上に寝転びました。
岩はそれが楽しくて、嬉しくて、精一杯お日様のぬくもりを集めようと思いました。
ひとりぼっちの岩は、年取った猫がひとりぼっちだと知りました。
ひとりぼっちの猫は、ひとりぼっちの岩が毎日とても寂しかったのだと知りました。
なぜかって? 猫もまた、とても寂しかったからです。
年老いた野良猫は、人に飼ってもらうことも出来ずに、ひとりぼっちで生きてきたからです。
猫はとてもとても元気だったけれど、とてもとても長生きでした。
たくさんいた仲間たちはとっくにみんな死んでしまって、新しい猫たちとは、なんだか仲良くなれません。
町を離れてひとりぼっちが平気になれるように、そんな場所を探していたとき、ふたりは出会うことが出来たのです。
春。
波に泳ぐ花びらが、いい香りを運んできます。
夏。
鳥たちが騒ぎたて、海がひときわ青く染まります。
秋。
枯葉の茶色い絨毯が、風に乗って飛んできました。
冬。
真っ白な、真綿のような雪が、花びらのように空から降りました。
ふたりは話すときもありましたし、ただ黙って、一緒にいることもありました。
話すときにはたくさん話しました。
最初に口を開くのは岩です。
ねえ猫さん、猫さんはどこからきたの?
猫は答えます。
そうだねえ、いろんな生き物がいて、レンガで出来た家の、たくさん建っているところさ。
岩は聞きます。
いろんな生き物って、どんな生き物なの?
レンガって、家ってどんなものなの?
猫は辛抱強く、いろいろなことを岩に話して聞かせました。
たくさんの猫のこと、ねずみのこと、犬のこと。
人という生き物がいて、レンガという色のついた石のようなもので、立派な建物を建てること。
そんな日々が、どれだけ続いたことでしょうか。
ある寒い冬、空からちらちらと雪が降り始めました。
ねえ猫さん、寒くないかい?
岩が心配そうにたずねます。
前に猫に雪のことを教えてもらったとき、雪が降るのはとても寒い日だと聞いたからです。
岩の上に寝転がって、猫は小さくのどを鳴らします。
なあに、寒くなんてないさ。お前が暖かいからね。
猫の言葉に、岩はほっとしたように笑いました。
そんな岩の、楽しそうな声を聞きながら、猫はゆっくりと目を瞑ります。
ねえ猫さん、雪ってとてもきれいだねえ。
岩の言葉に、猫は優しく笑います。
そうだねえ、花のようだねえ。でも私は、お前のほうがずっときれいだと思うよ。
おかしな猫さん。僕はちっともきれいじゃないよ。
冷たくて、ごつごつして、こんなに地味な灰色だもの。
いいや、きれいだとも。
そういって、猫は丸めた手の先で、そっと岩をなでました。
ああ、お前は本当にきれいだね。
こんなところでひとりぼっちなのに、私みたいな年寄りに、こんなに優しくしてくれる。
ひょっとしたら、お前をこんなところにおいたのは、かみさまの計らいかもしれないね。
行き場のない年寄り猫を哀れんだ、かみさまからのおくりものかもしれないよ。
小さく呟いた猫は、そういってそっと目を瞑りました。
きれいな雪が、猫の上に花畑のように広がります。
ねえ猫さん、寝てしまったの?
岩がたずねても、猫は何も答えません。
岩は小さく微笑んで、花びらのような雪を見ました。
猫さん、起きたらまた、いろんなお話をしようね。
僕の知らないことを、もっとたくさん教えてね。
ねえ、猫さん……。
雪の粒が、白い小さな花束のように、ふたりの上に降り積もります。
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