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中国人達と働いた経験

 とある事情で障害者福祉施設の職員という職を失う事になった僕が、次に就いた職業はコンピュータのプログラマだった。三か月ほど職業訓練校でJavaというプログラム言語を学んで技術を身に付け、何とか就職することに成功した(もっとも、授業だけじゃとても身に付かなくて、家のパソコンに環境を作って勉強をしたけど)。

 僕がプログラマを目指した理由は簡単。論理的思考には自信があったし、その当時はプログラマは労働者不足状態で、技術を身に付けさえすれば働き口には困らないと判断したからだった。つまりは、労働需要が高かったという事。……それに、手に職を持つというのは、やはり強いとも思ったし。

 正直、今の時代にパソコンやインターネットというものがあって良かったと僕は思っている。そうじゃなければ、僕のような人間の居場所はなかったかもしれない。障害者達の援助をするのは性格的には向いていたけど(自慢じゃないけど、障害者達には人気があったし、僕の担当していた人達の状態は明らかに良くなっていった)、保護者やその他の人間にかなり気を遣わなければいけなくて、その点においては、そういうのが苦手な僕は、障害者福祉には向いていなかったのかもしれない。

 僕にとって、プログラミングの良い所は、論理的思考がそのまま現実となる点だった。論理が正しければ、それが結果となって現れてくれる。恐らくは、理屈中心の人間だろう僕には適している。そしてその結果を出したのが誰なのかが、明確に分かる。だから、それなりに適切に仕事内容を評価され易い。……まぁ、僕は自己アピールとかが苦手なものだから、この特性は非常にありがたい訳です(もっとも、プログラマになり立ての頃は、ほぼ常にテンパってたけど)。

 プログラマの仕事は、大きな会社や固定された契約などの特殊な事情がない限り、あちこちの現場を渡り歩くのが基本だ(少なくとも、僕の周囲はそうだ)。開発の時には人手が必要だけど、開発が終わってしまえば運行・保守の仕事をする人だけが残り、後は現場から去るしかないのだから、それも当たり前。

 因み、これは少し面白い経験でもあった。その現場にはその現場なりの文化のようなものがあり、それぞれ特性が微妙に異なっていたんだ。つまり、微妙な文化の差を僕は経験できた訳だ。新しい現場に入りたての頃は、だからその現場の文化のようなものを理解する事からまずは始めなければならない。海外に留学した人が、他の国の文化に触れて、日本の文化も数ある文化の一つに過ぎない事を、理屈だけでなく、実感として理解する、という話を聞いた事があるのだけど、これはそういうのに似ているのかもしれなかった。

 ……もっとも、それよりももう少しだけ海外留学っぽい経験を、僕はその時に入ったあるプロジェクトでする事になるのだけど。一年ほど幾つかの現場を経験して、技術力も上がって来た頃に、僕はその現場に入った。

 それは少し珍しいJavaのSwing系(画面操作の部分まで、Javaで出来ていると思ってくれれば良いかもしれない)の仕事で、しかもかなりの規模のプロジェクトだった。僕は初めて経験するそれを、それなりに楽しんでいた。

 初めは、データベースへのアクセスも具体的な処理も何もない、モック(または紙芝居)と呼ばれるプログラムの作成だった。そのモックを叩き台として、具体的にどんな画面にするのか、ユーザとの会議を通して決めていくんだ。僕はあるチームの一員として、それにも参加していた。会議と同時進行で、そのモックを修正しなくちゃならなかったからだけど、意見を求められる場面もあった。何しろ、何ができるのかすら知らない人達ばかりの会議だから、プログラマが助言しなくちゃならない場面も、当然たくさんあったんだ。そして、そうなれば、自然の流れで少しずつ僕の位置付けは重要なものになっていく。当初は三か月ほどの予定だったのだけど、それで少しずつ仕事は延長されていった。抜けられない。そして、その頃から僕はその現場について奇妙な雰囲気を感じ始めていたんだ。なんだか、色々と杜撰だったのだ、その現場は。

 例えば、システムエンジニアとして職場に入っている人が、何故かエクセルすら使えなかったり、画面のサイズが変更になったのにその連絡がこちらには入って来なかったり、会議の場でシステムエンジニアが何も言わなくなってしまったものだから、仕方なしに僕が代わりに説明するしかないなんて事態に陥ったり。

 管理体制や上に立つ人間が、確りしていないのなら、こちら側で何とかするしかない。そう思って、その現場で知り合った同僚達と懸命に働いていたのを覚えている。成果を出していけば、評価もされる。結果、プログラマとしてその現場に入った僕らは、いつの間にか出世して、システムエンジニアの地位になっていた。

 (ある日、“サブリーダー宛て”と書かれたメールを受け取ってビックリした。いつサブリーダーになったんだい?

 ……こういうところも、ま、杜撰だった、という訳だけど)

 ちょっと酷いのは、プログラマとしてその現場に入ったものだから、仕事内容はシステムエンジニアなのに、支払われる金額はプログラマ相当だった事だろうか。こういうのはいい加減で不条理なんだ、この業界は。いや、もしかしたら、日本だけかもしれないけど。

 その現場にはシステムエンジニア・チームというのがあって、僕はそこの一員だった。そのチームの主な仕事は設計なものだから、プログラム・スキルは必要ない。その所為なのか、Javaができるのは僕だけで、結果としてシステムエンジニア側でやらなくちゃいけないプログラミング絡みの仕事は、ほぼ僕一人に集中する事になってしまう(もう一人、プログラミングができる人がいたけど、その人はJavaは未経験だった)。もっとも、初めの頃は設計書作成ばかりやっていたから、それほどの量はなかったのだけど。

 それまでも、杜撰な管理体制などで色々と不安を感じる現場ではあったけど、より不穏な気配を感じ取ったのは、いよいよ本格的に開発が始まろうとする段階に入った頃のことだった。何処からともなく、まずは噂として、プログラマを大量に雇うという話が飛び込んで来たんだ。しかも、プログラマと言っても名ばかりで、Javaを経験した事がない人も多数、いやそれどころか、一度もプログラミングした経験がない人すらもいる、なんて話も聞こえてくる。しかも、困った事にその噂の信憑性は高そうだったのだ。そして実際に、実に100人以上のプログラマが、その現場には投入されたのだ。当然、管理の手間もかかる訳で、プロジェクトは混乱した。

 何で、そんな事になったのか? 話は単純なのだけど、今思い返しても、馬鹿げた話だ。分かり易く言うのなら、僕らの仕上げた設計書の内容をプログラミングするのには、100人月かかりすよ、と出したら、本当に100人連れて来てしまった、というような話。

 1人月というのは、1人いれば1月でプログラミングが終了する、という単位。この場合は、だから、100人いれば、1月でプログラミングが終了しますよ、という事。なのだけど、これは飽くまでコストを見積もる為の目安であって、実際にそんな足し算的な発想の人海戦術で何とかなるような話じゃない訳だ、プログラミングというものは。当たり前だけど。更に困った事に、プログラム未経験者や初心者が大量にいる、という噂話も事実だった。更に、更に、困った事に、そのプログラマ達は、その多くが中国人だったのだった。日本人や韓国人もいたけど。つまりは、日本語がすんなりとは通じない。こんな悪条件で、スケジュール通り進むはずがない。もちろん、開発期間は延長しまくった。

 断っておくけど、僕のそれまでの中国人に対する印象はどちらかと言えば良いものだった。プログラマになりたての頃、偶然巡り会った中国人に優秀な人がいて、しかも人柄まで良かったからだ。それを僕は、こう解釈した。日本に来るような人は、中国人の中でも優秀な人が多いからじゃないか。そうじゃなければ、言葉や文化の差や偏見というハンデを背負った立場で、生き残れるはずがない。だから、中国人が大量に入って来ると聞いた時も、それほどの不安は感じなかった(というか、既にシステムエンジニア・チームにも中国人は入って来ていて、その人は真面目に仕事をやってくれていたんだ)。

 が、しばらくが経って顔が青くなった。

 システムエンジニア・チームとプログラマ・チームのいる現場は少しばかり離れていて(それが問題をややこしくした原因の一つでもあったと思うのだけど)、自分が設計した内容を説明する為に、僕はそのプログラマ達の現場へと初めて行った。そしてそこで、ちょっと信じられない、と言うか変な光景を目にしてしまった。

 管理者クラスの偉い人が、何事かを叫んでいるんだ。よく聞くと、それはこう言っている。

 「ゴミを道に捨てないでくださーい! 近所の方達から苦情が来ていまーす!」

 一般的なマナーに関する注意。そりゃ、100人規模で人が集まれば、様々な人がいるのは当然の話で、中にはマナーの悪い人がいるだろう事くらいは、容易に想像が付く。でも、いくら何でも、そんな小学生や中学生じゃあるまいし……。

 それでも僕はそれを大して気にしなかった(いや、多少、呆れたのは事実だけど)。きっとこれは中国人達に対する偏見が一役買っているのだと考えたんだ。マナー違反をしているのが本当は極少数でも、中国人に対する偏見から、悪評が過大に広がってしまったに違いない(これは、実際にある程度はあったのだとも思う。“確証バイアス”と呼ばれる社会心理現象として知られているものだ)。いずれにしろ、仕事とマナーとは別の話だ。マナーが多少悪くても、仕事さえこなしてくれれば、大きな支障はない。

 設計した画面の内容を、僕が中国人達に説明をすると、彼らの多くは笑顔でそれを聞いてくれた。いちいち大袈裟に相槌を打ち、「こことここは同じ処理だから共通化できる」といった説明などに、大いに納得してくれる。これなら大丈夫だろう、と僕は軽く考えた。そもそも、そんなに難しい処理じゃない。

 ところが、そのプログラマ・チームのリーダーだけは、一人青い顔をしているのだった。女性の人で、僕はその人は管理者の立場なものだから、プログラムのスキルがないのだろうと考えた。それで、プログラミングできるかどうか不安になっているのだろう。何しろ、その人もプログラミングする事になっていたから(日本人でも、未経験者がプログラミングしている、という状況を何度か見かけた事があった僕は、似たようなパターンだと思った訳だ。そういう場合、ネットで調べたり、周囲が補佐したりしてなんとかこなす、というケースがほとんどだった)。

 が、しばらくして、出来上がって来たプログラムを見て、僕は愕然とする事になる。プログラムの基礎的なミスをいくつも犯している上に、何故か単体テストの結果は合格となっていたからだ。断っておくけど、ボタンを押下するとエラーが発生するようなプログラミングだ。もちろん、処理の内容も設計書と食い違いが生じていた。共通化もされていない。そればかりか、設計書に一部でも“保留”と記載されていたら、ほとんど空の状態で「できました」と報告してくるような酷いものもあった。その場合、そもそもプログラミングをしていないのだ。

 つまり、笑顔で僕の説明を聞いていた人達は演技をしていたのだ。本当は内容を理解していなくて、プログラム・スキルもない(中にはできる人もいたけど)。仕事をこなす能力なんて持っちゃいなかった。プログラマ・チームのリーダーは、一人現状を把握していて、それで青い顔をしていたのだろう。

 もしかしたら、笑顔だった中国人達は「演技しろ」と営業の人達から教え込まれていたのかもしれない。

 もちろん、その状況は他の人が設計した画面でも似たり寄ったりだった。運良く仕事をちゃんとやってくれるチームに当たった場合は別にして、ほとんどの画面のプログラムを大幅に手直ししなくちゃならない。そして、そこから僕の地獄の日々が始まったのだ。

 自分の設計分は後回しにして、スケジュール上、優先させなくちゃならない他の人の設計した画面から、僕がプログラムを修正して“動く”画面にしなくちゃならない。前にも説明したけど、システムエンジニア・チームでプログラミングができるのは僕しかいなかったんだ。最も優先順位が高い仕事に関しては、テストをやっている時間はなかった。何故なら、ユーザが試しに触ってみたいと要望していて、それまでに仕事を終わらせなくちゃいけなかったからだ。それで、動く状態にした画面のテストを、僕は中国人チームにお願いした。流石にそれくらいはやってもらわなくちゃ、金を貰っている立場とは言えない。

 が、そこでも問題が発生した。

 テストをお願いした中国人が、何故か手を加えて、プログラムを壊してしまったのだ。普通に考えてこれは有り得ない。動いている画面を、テストで動かなくさせるなんて。

 どうやら、その中国人はプログラムに関して根本的な勘違いをしていたらしい。それで間違った内容に変えてしまった。百歩譲ってそれはスキル不足の人間を、無理矢理に現場に入れた人間が悪いとしよう(一応、断っておくけど、それは日本人のはずだ)。だけど、例え間違ったとしても、自分の修正箇所に対するテストさえ誠実に行っていれば、少なくともミスには気付けるはずだ。

 ……いくらなんでもいい加減すぎる。

 その段階で、僕の中国人に対する印象はかなり悪くなっていた。いや、もちろん、中国人といっても様々なタイプの人がいて、一括りに判断はできない、とは分かっている(そもそも、中国には多数の民俗・文化があるのだし)。でも理屈と感情は別物だ。その時の僕は、過労で酷い状態だったから、尚更だった。それでその当時は、つい中国人の悪口を言ってしまったのを覚えている。

 だけど、それから少しばかりの変化があった。それまではプログラマ・チームとシステムエンジニア・チームで離れていた現場が、一つになる事が決定したのだ(もっとも、完全にという訳にはいかなかったけど)。恐らく、離れたまま仕事をする事の弊害に、ようやく管理者側が気付いてくれたのだと思う。

 同じ現場で働いてみると、一口に中国人と言っても様々な人がいると実感できた。優秀で仕事も真面目にやってくれる人、それなりに仕事はできるけど不真面目で、遅刻欠席の常習犯な人、勤務態度は真面目だけどあまり仕事ができない人……。

 当然、僕らは真面目にやってくれる人に仕事を振るように自然となっていった。同じ現場にいるから、その判断が可能になったんだ。優秀な人には何も心配なく仕事を振り、あまり仕事ができず比較的真面目に仕事をしてくれる人は、仕事を振りつつ、こちら側でサポートして足りない部分をカバーする。それで、状況はそれまでよりも随分と改善していった。

 ……もっとも、優秀な人は、プログラミングができない他のシステムエンジニアに取られてしまって、僕にはあまりできないプログラマしか残されていなかったけど。それでその時期は、毎日、最後まで残って仕事内容をチェックし、必要なら直して帰る、というような暮らしだった。

 そして、この時期に、また別の点に僕ら日本人は気付いていったのだった。

 不真面目でも、日本語が上手くてコミュニケーション可能な人は、少しずつだけど勤務態度が良くなっていったのだ。“一緒に協力して仕事をする”という態度を心がけ、積極的に働きかける事で、相手もそれに応えてくれるのが分かった。これは、僕ら以外のチームでも同じようだった。

 そこに至って、僕の中での中国人達に対する評価はまた変わった。そしてこんな結論に至ったのだ。

 つまりは、こちら側からどんな働きかけをするかが肝要だったんだ。それを無視して、“中国人だから駄目”なんてレッテルを貼れるはずがない。つまりは、人間の行動というのは“関係性”によって変わってくるのだから、それを理解しないまま、誰かを評価してはいけない、という事だ。だから、誰かを評価する為には、自分が相手に対して、どんな態度でどう接しているのかをまずはよく考えなくてはいけないんだ。

 初めから“駄目だ”と決めつけ、喧嘩腰だったり見下したりする態度で接すれば、相手も反発的行動で返してくる。逆に、同じ仕事をする仲間として接していけば相手も協力的行動になる(もっとも、それでも“困った人”というのはいるものだけど)。

 因みに、日本語がそれほど上手ではなく、不真面目な人達は、最後まで、残念ながらきちんと仕事をやってはくれなかった。けど、これは仕方ない。そもそも、コミュニケーションができなかったのだから。

 これは、実は犯罪心理学が歩んできた道のりに通じる話でもある。初め、犯罪心理学は犯罪者達の特徴を集め、一般の人達との有意な差を見出そうとした。ところが、どうにもその発想が上手くいかない。結果として犯罪を研究するには、人間達の間に生じる“関係性”に注目するしかない、という結論に至ったのだという(だから、犯罪心理学は、心理学の中でも社会科学に近い性質を持った“総合学問”的な分野となっている。もちろん、プロファイリングのようなものもあるにはあるのだけど)。

 蛇足ながら付け加えると、その現場で一番の“困った人”は日本人だった。ユーザとの会議で寝始めたり、仕事を他の人に押し付けて自分は早く帰ってしまったり(押し付ける相手は僕だったりするのだけど)、間違った点を指摘すると怒りだしてしまったり、話す度に画面の仕様が変わったり。

 ま、これは、その人が偉い立場だったという事も影響しているとは思いますが。


 ……時々、少子化問題を解決する案の一つとして“移民の受け入れ”が話題に上る事がある。それに対して猛反対する人達が一部にいるけど、その理由には「うーん、どうかな?」と思うようなものが少なくない。

 “移民の受け入れ”は、経済的に観てそれほど有効な解決手段ではない、という声もあるからどう判断すべきかは分からないけど、仮に移民を受け入れなくても、異なった文化を持った人達に接する機会が多くなる事は、これからの日本は避けられないだろう。

 そして、日本がホスト側に立つ機会も少なくはないはずだ。

 その時、どんな態度で接すれば相手の協力的な態度を引き出せるのか。これは“ホスト側”の他者を受け入れる能力の問題でもあるはずだ。もしも、異なった文化を持つ人が(だけとは限らないか)、問題行動を執ったとしたなら、その時は相手側にばかり責任を押し付けるのではなく、自分達のホスト側としての責任も考えてみるべきだろう。果たして、自分達の接し方に落ち度はなかったと言えるのかどうか……。

 僕は韓国の新聞である朝鮮日報を読んでみた事がある。韓国のマスコミは、日本を攻撃しているとよく聞くから、どれだけ酷いのかと思って。すると、驚いた事に、僕の読んだその記事では、逆に日本をかなり褒めていたのだ。

 それは円高の話題だった。国の通貨価値が上がるのは、基本的には、その国の経済力が高く評価されているという事のはず。だから“日本は凄い”と、大雑把に言うと、それはそんな内容の記事だった。その理屈が妥当かどうかは置いておいて(金融経済の影響で、国力に反した評価が通貨にされている、という話もあるから)、韓国に反日感情ばかりがある訳じゃないのは確かだ。こういう事を知っていけば、或いは、日本の“ホスト側”の能力も上がるのかもしれない。

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― 新着の感想 ―
[一言] よほどいい人に出会ったんですね。 私も同様の経験をしたことがありますが、物は盗む汚す壊す。 仕様通りに組めといったのに見ないで高級部品を抜き取る。 仕様通りに組めば力なんて入る場面が無いのに…
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