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幼稚園日記!  作者: fumia
4/8

第四話:初めてのお泊り

>>薫

「お泊り会?」

 JZX100系クレスタの後期型のハンドルを握りながら、僕は後ろの桜に向かって尋ねた。

「だって!」

 そう元気よく答えた桜から受け取り、ダッシュボードのメーターフードの上に置いたA4版の白い1枚の書面には、『お泊り会のお知らせ』と大きく題字が掲げられている。


 4月ももう末日に迫り、もう晩春である。過ごし易い気候と集団生活に慣れてきたという意味で、ちょっとしたイベントを催すにはいい機会だろう。

 桜を自宅ではない場所で他所の子達と一緒に寝泊まりさせる事に不安が無い、と言えば大嘘になるが、他の行事と同じ様にビデオカメラで撮影された物を、後日BDに焼いてゴールデンウイークまでには希望する保護者へ有償で配布するそうなので、それを楽しみに行かせる事にする。


 家に着いて改めて紙面を見直すと、必要な物、持たせては行けない物が簡単にリストアップしてある。御親切に盗難等のトラブルになるから、パジャマや歯ブラシセットは使い込んで不要になった物か、新しく買った安物で済まし、大切にしている物や高価な物は持ち込まないように、との但し書きまで添えられている。

 幼稚園児でも他人の高価な物や買ったばかりの真新しい物を見分け、それを奪い取ろうとする不届きな子がいるのだろうか?それとも幼稚園児だからなのか……?でも比較的お金持ちの子女で躾に五月蝿い家庭の子供でもある学院の園児達が?

 その紙に書いてあるその場所を読み返す度に、僕は奇妙に感じて首を捻った。が、要らぬリスクやトラブルを避ける為に、敢えてそう云う文句を敢えて記載しているのだろう。


 そんな事を想像していると、不意に脇腹辺りの服の裾を桜が掴んでチョンチョンと引っ張っている事に気が付いた。振り向くと、口を真一文字にして不満そうな顔で僕を見上げる彼女がそこにいた。

「ママ!ママ!」

「あら、どうしたの?」

「どうしたの?じゃないよ。お着替え、出して!後、おやつも!」

 言われて初めて、自分も桜も帰宅してそのままの格好をしている事に僕は思い至った。外出用とは言っても私服の僕は兎も角、桜が制服を着っ放しというのはあまりにも可哀想だ。僕はプリントをリビングのカーペットの所にあるテーブルの上に一先ず置くと、娘の服を取り出す為に隣室の和室の押し入れへと立った。


「はい、着替え。」

「うん、ママ。ありがとう!」

 押入れの洋服ケースから出してきた女の子らしい緑色のタートルネックと白いミニスカートを渡すと、桜は早速着ている制服を脱ぎ始めた。この歳なら出来てもう当たり前の事なのかもしれないが、幼稚園に通いだしてからここ最近、娘は僕が介添えしてやらなくても自分自身の力で服の脱ぎ着を出来るようになった。

 ついこの間までは万歳のような姿勢をさせ、僕が脱ぎ着させていた事を考えると、こんな程度でも娘の成長の早さに感心し、少しだけ誇らしく思う。普段通りに過ごせば、お泊り会の時も問題なく過ごせるだろう。


 よく考えれば、否よく考えるまでもなく、お泊り会に保護者は同伴出来ない。勿論年少さんである事も考慮して先生が助けてくれる事も無きにしもあらずかもしれないが、基本的に自分の身の回りの事は自分で出来なければならないのだ。ある意味、僕達親の子供に対する日頃の躾や教育が試される場でもあるのだ。


 さて、ウチの桜は大丈夫だろうか?

 食事と着替えは別に大丈夫だろう。いつもお昼にと持たせたお弁当をきちんと残さず食べてくるし、体育の時間には制服から指定された体操服に着替えるというのも日常的に行なっていると聞く。そういう点で特に問題があると先生達から指摘を受けた事は、今のところ1度たりとも無い。その点にかけては安心だ。

 では、他の事はどうだろう?例えばお風呂とか……。

 そう言えば、桜が生まれて以来、当たり前だったとはいえ、彼女独りで入浴させた事は1度も無い。毎晩僕が一緒に浴室に入って体を洗ってやり、抱っこをする形で浴槽に浸かっている。最後に柔らかいタオルで水滴を拭ってやる時だって、ついつい僕が先回りしてやってしまう。

 たまには実践練習も兼ねて、最初から最後まで自力でやらせる、という事もひつようなのだろうか……。僕はふと、そんな事を考えた。


 夕御飯を食べ終わり、桜をお風呂に入れる時間が訪れた。

 扉を開けて灯を灯した浴室へ入ると、いつもの様に体を石鹸で綺麗にして貰おうと待ち構える桜に、僕はこう言った。

「桜、今日から自分一人でゴシゴシしてみようか?」

「え!ママ、どうして?」

 急にそんな事を言われたからだろうか、桜は目を丸くして僕の顔を仰いだ。

「だって、お泊り会で皆と一緒にお風呂に入った時、皆は自分で体を洗ってお風呂に入れるのに、桜一人だけがママと一緒じゃなきゃお風呂にも入れないなんて、何か恥ずかしいでしょう?」

「…………。」

 眉をハの字にして口をヘの字に結び、不安と不満が混じったような顔で桜は上目遣いに僕の顔を見上げていたが、

「ママも手伝って上げるから……。頑張ろう。」

と僕が宥めると、

「わかった……。」

と渋々承諾した。


 扉をきちんと閉めて、シャワーの蛇口を捻ってお湯を出す。

 温かい湯が出ている事を確かめてから、僕は自分の身体と桜のそれに温水を掛けて軽く汚れを濯ぐ。

「いい?桜。石鹸を馴染ませるのと、石鹸を使い過ぎたりして肌があれないように、先ずはお湯だけで落とせる汚れはこうやって流しておくの。」

「うん、わかった!」

「じゃあ、次は石鹸で体を洗う訳だけれど……。石鹸は、どれかな?」

 鏡の下のラックにある、ボディーソープとシャンプーとリンスの3本の容器を指差すと、桜は迷わずボディーソープのそれを両手で抱えるように掴んだ。流石、自分の娘!まあ、この程度の事でニンマリと笑って、

「V!」

と右手のVサインを向けられても困ると言えばそうだけれど、

「はい、正解。よく出来たわね。」

と、僕は彼女の頭をよしよしと撫ぜた。

「えへへ……、やった――!」

「じゃあ、次はこの石鹸を使って体をゴシゴシしようか。」

「うん!」

 ボディーソープの容器の頭に付いているポンプを右手で押して左手に淡い青色に染まった白いゾル状の溶液を左手に受けると、桜は見様見真似に石鹸液を泡立てて体の彼方此方に塗りこみ始めた。見る見る内に体表中がプクプクとした白い泡で覆われていく。その様が楽しくて仕方が無いのか、彼女は自分の体を包んだ泡を使って遊び始めた。

「こら!桜。まだ体を洗っている途中なんだから、そんな風に遊んじゃ駄目よ。」

「は――――い!」

 注意すると、桜は素直に従い。大人しくシャワーを浴びた。


 それから、自分も体や髪を洗いつつ、僕は桜が髪にシャンプーやリンスを付け、それらを綺麗にお湯で流し終えるまでを補助しながら見守ると、桜を抱き上げて一緒にモクモクと湯気を上げる湯船の中に入った。いつかはこの動作も含めて一連の所作を自力でするのが望ましいのだろうが、大人用の浴槽を幼子が出入りするのは難しいし、危険が有り過ぎる。

 それでも、今までして貰っていた事を部分的でも自分で達成した事は彼女にとって大事件なのか、

「ねえ、ママ。桜も、一人でお風呂に入れるよ!」

と、桜は僕の膝の上で始終御機嫌だった。


 就寝前。

 いつもの通り桜にせがまれた絵本を読み聞かせ終え、彼女に添い寝するように布団の中に横たわる。

「さあ、寝ましょう。おやすみ、桜。」

「はい。おやすみなさい、ママ。大好き!」

 そう言って僕の胸に抱きつき、谷間に顔を埋めて幸せそうな顔でスヤスヤと寝息を立てる桜の頬を、僕は手の甲でそっと触れた。


「ただいま……。」

「あら、お帰りなさい。」

 深夜の2時近くになってやっと和樹が家に帰ってきた。桜が生まれてから父親としての自覚が出て来たのかは判らないまでも取り敢えず深夜に飲み屋まで車で向かえに来させるという暴挙は無くなったが、如何せんもう少し早く帰る気にはならないのだろうか?そんな事を心中に思いつつ、

「疲れた……。」

と愚痴る夫から僕は彼が脱いだスーツの上着とネクタイを受け取り、

「あなた、今日もお疲れ様でした。」

と労いの言葉を掛ける。いつもの、我が家の日常の風景だ。


「先に食事になさいます?それともお風呂?」

 スーツやネクタイを書斎のクローゼットの中へ片付けながら和樹に訊ねる。風呂と答えたらそのまま入浴して貰って、その間に彼のパジャマと、彼の為に残しておいた夕飯を温め直して用意しておく。食事と答えれば先に私服を着替えとして出してやる。出来たら風呂と答えてくれた方が、私服を出して洗濯するという手間が省ける分、嬉しい。

「そうだな……。先に飯にするよ。」

「そう……。じゃあ、少し待っていて。今着替えと御飯を用意しますから。」

 何だ、少し残念。そうがっかりしつつ書斎から出ようとすると、

「あ、そうだ!薫。」

と、和樹が僕の背中に向かって声を掛けたので、僕は彼の方へ振り返った。

「何?あなた。」

「今日、仕事中に親父が訪ねて来てさ。」

「お義父様が?」

 急に嫌な胸騒ぎを感じて、僕は思わず夫の目を見据えた。

「ああ。それで、ここ最近家の方に全然顔を出してないじゃないか、たまには桜と薫さんも連れて寄れ、って言われてさ。」

「…………。」

「で、次の連休にそっちへ行く約束をしたんだが……。いいよな?」

 何で此方に何も相談もなくお義父さんとそんな約束しちゃったの?!と僕は心の中で猛然と和樹に抗議したが、努めて表情には出さずに造り笑顔を貫いた。いくら長男の義兄が家を継いでいるとはいえ、夫にとっては紛れも無く実の両親が暮らす家なのだ。ゴールデンウイークに家族揃って帰省するのは当たり前、と言えばそうなる。それに、そもそもこの家だって元は夫の両親が譲ってくれた物だ。来なさい、と命じられて断れるだろう筈がない。

「承知しましたわ、あなた……。」

 僕は大きく頷いた。


「お泊り会?」

 風呂から上がり、用意された夕食を摂る為にソファーに腰掛ける時に気が付いたのだろう。僕がテーブルの上に置きっ放しにしていた白いA4の紙を手に取って、和樹がそんな一言を発した。

「何だ?これ。」

「今度、園の中で互いに交流を図る為に全児童が幼稚園で1泊するんですって。」

 和室の襖を背にする感じで僕もテーブルの傍に座った刹那、その襖の向こう側から、

「ママ……、ママ……。」

と僕を呼ぶ桜の声が聞こえてきた。

 殆ど条件反射で立ち上がって、

「どうしたの?」

と和室の方を覗き込むと、顔だけだして布団の中で目を瞑って丸まった桜が、手探りをするように両手をもぞもぞと伸ばしているのが目に入る。どうやら寝ぼけたというか、朧気に目を覚ましてしまったようだ。

 僕は彼女の枕元に屈み、その髪を右の掌の指間で梳くように愛撫すると、

「にゅう……。」

と満足気で素頓狂な声を上げて桜はまた深い眠りの淵へと落ちていった。

 リビングに戻ると、襖の陰になっていたとはいえ一部始終を見ていた夫にこう言われた。

「大丈夫なのか?」

「大丈夫よ。」

 そう答えざるを得なかった。どんな時も不安はついてまわる物。一人で行かせても大丈夫だ、と信じるしかない。


 お泊り会が行われる日。

 今日は夕方に向かえに来なくてもいいのか……、と妙な心地を覚えつつ僕は幼児が抱えるには大きいピンク色の卵形のリュックサックを肩に背負った桜を幼稚園に預けた。

 自分の180クラウン・アスリートに乗り込んで家へと戻る道すがら、本当に大丈夫だろうか、と不安に駆られた。が、何かあっても余程の事がない限り幼稚舎の方で何か対策を取ってくれるだろう。努めてそう思う事にした。


 昼間は、普段通り過ごした。でも、夕方になり、桜のおやつを準備して迎えに行く為に外出着に着替えようと下着姿になった自分に気が付いた途端、何故だか分からないが僕は無性に腹を抱えて笑いたくて仕方なくなってしまった。

 そして一頻り笑い転げると、何とも言えぬ寂しさに心の中が包まれた。


 日が落ちて空が闇色に染まると、それはますます大きく膨らんだ。たった1日、それも小さな子供1人分の食事を減らしただけで、こうも心にポッカリと穴が空いたような寂寥感を覚えるのはどうしてだろう……。

 せめてもの寂寞が薄れたのは、珍しく8時半頃に和樹が帰宅して共に夕食を摂ったからだろうか。誰かと一緒に食べる事で寂しさを紛らわせなかったら、誇張なしに堪え切れていなかったかもしれない。

 だから、就寝時に夫から、

「久しぶりにしないか?」

と請われたのを、僕はすんなりと受け入れていた。思えば、桜が生まれて以来ずっと和樹との夜の営みは御無沙汰だった。改めて、僕の中で娘の存在が大きく占められている事にはっきりと意識した。


>>

 午後9時半。聖リリカル女学院付属幼稚舎、副校舎2階臨時宿泊室の1室。

 お泊り会や職員来客の宿泊所としてしか使われない建物の40畳程の広間の1室に集められた年少組の園児達は、各々色取り取りの小さな子供用の布団を畳張りの床の上に敷き、先生の指示の下消灯されて真っ暗になった部屋の中で、布団に包まって眠りに就こうとしていた。

 上級生に混じって遊んだり、初めて夕食を幼稚園の皆で揃って食べる事に興奮しつつ出されたカレーライスに舌鼓を打ったり、お風呂の中で水遊びをしてはしゃいだりして体力を使い果たしたものだから、殆どの子供は既にスースーと心地良い寝息を立てているが、その中で桜は中々寝付けずに、母親の顔を思い浮かべながらぼんやりと暗い天井を見上げていた。

 蛍光灯の灯が切られてから早30分余り、もう先刻からずっと重くなった瞼が目頭を何度も覆っていたし、お化けが出そうでさっさと夢の中へと逃げ出したいが、どういう訳か彼女は寝付けられなかった。代用品として熊のアーちゃんを密かに胸の上で抱っこしているが、やはり薫の胸の中の方が落ち着くのである。

 彼女の両隣では、左側に聖羅が安らかな寝息を漏らし、右側に華凛が幼稚園児らしからぬ大きな鼾を掻いて爆睡している。そんな友人達の様子を見て、桜は心底羨ましいと思った。


 どの位経っただろうか、寝よう、寝ようと頑張って瞼を閉じ、寝返りを打っていると、

「眠れませんの?」

と、桜は左側から声を掛けられた。

 桜がそちらを見ると、不安そうな顔で様子を窺う聖羅と暗がりの中で目が合った。どうやら彼女も何かの拍子で目が覚めてしまったらしい。

「うん。ママが一緒に居ないから寝られないの。……聖羅ちゃんは?」

「わたくしは……その……、おしっこ……。」

 モジモジとしているのか、ガサゴソと小さな雑音を立て始めた聖羅の影を眺める内に、ずっと起きていた所為だろう、桜も無性に股間に痺れるような尿意独特のあの感覚を感じずにはいられなくなってしまった。

「聖羅ちゃん……。わたしも……。」

「じゃあ……。」

「うん……。」

 二人は阿吽の呼吸で同意すると、トイレに立つために上半身を起き上がらせ、共に息を殺して周囲の闇を見回した。真っ暗な視界の中は、窓から差し込む月明かりでぼんやりと影が青白く浮かび上がる以外殆ど何も見えず、周りに居る子供達の寝息以外は何も聞えぬ程恐ろしい位静まり返っていた。


 桜と聖羅は、迫り来る尿意に焦りながら立ち上がろうとしたが、寝る前の集団談話で園長先生から、幼稚園のお泊り会で出没するという、寝ない悪い子を襲撃する『ビックリお化け』という怪談を聴かされた為か、本能的に体の方がそれを拒否しているようだった。

「聖羅ちゃん……。どうしよう……?」

「どうしましょう……。」

 二人揃って涙ぐみながら顔を見回していると、静かに部屋の扉が開き、大きくて真っ黒な影が彼女達に向かってのっそりと近付いて来るのが目に入ったので、桜と聖羅は体をピンッと硬直し、そして互いに抱きついてガクガクブルブルと震えていた。

「ヒイッ!」

「キャアッ!」

「こら!桜ちゃん、聖羅ちゃん。眠らなくちゃ駄目でしょ!お喋りは止めなさい。」

 その声は、担任の佐々木先生の声だった。二人は相手がお化けではない事を知り、安堵から全身の力が抜けていくのを感じた。

「何だ。先生か……。」

「吃驚しましたわ……。」

「さあ、二人共早く寝なさい。」

「先生。わたし、おトイレに行きたい!」

「わ……、わたくしも……。」

「分かったわ。先生が付いて行って上げるから。終わったらすぐに寝なくちゃ駄目だからね。」

「はい!」

 そして、先生は両手に1人ずつ、2人の幼児の手を握ると、彼女らを手洗い場へと連れて行った。


>>薫

「ママ――――!」

 少し空気を取り込んでプクプクに膨れたリュックサックを背負ってユサユサと揺すりつつ此方へ向かって走って来た桜を、僕は屈んで抱き寄せた。

「お泊り会、楽しかった?」

「うん!」

「そう、よかったわね。」

 僕は、聖華や聖羅ちゃん、それにお姉様と麗奈ちゃん、といった母親仲間とその子弟に挨拶をしてその場を後にすると、幼稚舎の敷地内に停めていた自分のA33セフィーロの後期型の後部座席に桜を座らせ、自分も運転席へ乗り込んだ。


 普段、この時間にこの道程を1人で運転する事が多い所為か、今日だけ後ろに桜が乗っている事に、僕はとても不思議な感覚を覚えた。

「……でね、先生がね、撮ったビデオ、ビーデー(BD)っていうのにしてくれるんだって!」

「知っているわ。さっきママ、先生に封筒を渡したでしょう?」

 ハンドルを握りながら、左後ろでちょこんと座る娘にそう語り掛けた。『お泊り会のお知らせ』の紙の最下部に切り取り線で区切られる形で付随していた申込用紙を切り取り、氏名、枚数、金額と云った必要事項を記述して現金と共にA4横三つ折り用の茶封筒に同封して、先刻桜を迎えに来た折りに担任の佐々木先生に手渡してある。今から娘がどういう様子だったのか視るのが楽しみだ。


 家に帰って桜を普段着へ着替えさせ、リュックからも寝間着等を取り出して纏めて洗濯機の中へ放り込み、娘がリビングでテレビを見ている最中家の中で掃除機を動かす。まるで夫がゴルフへ出掛けた後の休日の昼間のようだ。これでテレビに映る番組が朝のニュース番組でなければ、そのまま今日が土日だと錯覚してしまったかもしれない。


「ねえ、桜。」

「何?ママ。」

「今日のお昼、何食べたい?ママ、今日は桜が好きな物ならどんな物でも作って上げるわ!」

「桜、ママが作った物なら、何でも良いよ?」

「あら、困ったわね……。」

 自分も母親に対してこんな事を言って散々困らせてきたのを棚に上げて、僕は娘の返答に困惑した。桜が僕の都合に気を遣っているのか、それとも本当に何でも良いと思っているのか定かではない分余計に、だ。

 が、もしかするとそんな僕の思惑が表情に出ていたのだろう。桜は右の人差し指を立てて口元に当て、空を見上げて思考する素振りをすると、意を決したようにこう言った。

「オムライス!」

「そう、分かったわ。今から作るから、ちょっと待っていてね。」

「うん!」

 さて、冷蔵庫の中に材料は揃っていたかしら……。そんな事を考えながら、僕は立ち上がって台所へと向かって行った。

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