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幼稚園日記!  作者: fumia
2/8

第二話:保護者会会長就任

>>薫

 桜が本格的に幼稚園に通い始めて1週間が経とうとしていた。

 聖リリカル女学院には、都内……特に23区内や周辺の湾岸地区に居を構える家庭の子供達が多い為か、幼稚舎のお迎えもかなり遅い時間に来る保護者が比較的沢山いるように感じられる。

 実際、桜に文句を言われてから20分程迎えに行くのを遅らせると、丁度自分と同じように自家用車で園に来た他の園児の母親と鉢合わせ、世間話がてら情報交換する機会がぐっと増え、ママ友と云うか、その中で親しくなる人も出来た。


 さて、その日の夕方、僕はいつもの通り幼稚舎の建物の前に、3.5Lにボアアップした自分の前期型の30系のウィンダムを停車してエンジンを停め、車から降りてエントランスの中へと入った。


「ママ――――!」

 佐々木先生に手を引かれ、此方に向かって元気良く手を振りながら桜が現れたので、僕も彼女に向かって手を振り返した。

「先生。今日もありがとうございました。」

「いえ、いえ、仕事ですから……。……それじゃあ、桜ちゃん。さようなら。また明日ね。」

「は~~~~い!先生、さようなら♪」

「それでは失礼致します。」

 桜と共に佐々木先生にお礼と別れの挨拶をし、幼稚舎を後にする。


「今日も、幼稚園楽しかった?」

「うん!とっても!」

「そう、良かったわね。」

 帰途の車中、車を運転しつつ娘と幼稚舎であった出来事について会話を交わす。幼稚園に通い始めてから、毎日何がしらの新しい発見や楽しみがあるのか、桜は瞳をキラキラと輝かせながら興奮し、僕に向かってその驚きや疑問を一生懸命説明する。そして今日も、そんな取り留めのない会話が連綿と続く筈だった。


「あっ!そうだ!ねえ、ママ!」

「……なあに?桜。」

「セックスって、なあに?」

「…………??!!」


 仰天したあまり、僕は道路のど真ん中で急ブレーキを掛けてしまった。

「キャ――――ッ!」

と、後ろで桜が叫び、パ――――――ン!と後続車から盛大にクラクションを鳴らされ、

「ごめんなさい!」

とタジタジになりつつも、僕はハザードを焚いて一先ず車を路肩に停めた。


 勿論、親として子供が歳にそぐわない下劣な言葉を口にした事を、親として看過する事は決して出来ない。僕は桜に詰め寄った。

「桜、何時、何処でそんな言葉を覚えたの?」

 桜は今にも泣きそうにウルウルと目に涙を滲ませると、しどろもどろに話し始めた。


>>

 お弁当の時間が終わり、昼休みがやって来た幼稚舎の昼下がり、桜と聖羅と華凛の3人は、園内に設置された玩具箱から出した人形で遊びながら、ガールズトークをしていた。


 肩まで伸ばしたストレートのセミロングの、茶色が少し混じった黒髪で愛らしい顔立ちをした、何処かおっとりとした雰囲気を漂わせる桜。母親譲りの綺麗な長い金髪をツインテールにした、やや目立つ目付きの険しさが彼女のクールな性格を容易に連想させる聖羅。セミロングの黒髪をツインテールにするという、まるで桜と聖羅のそれを足して2で割ったような髪型をした、兎に角好奇心旺盛な元気っ子の華凛。外見も性格もバラバラな3人だが、聖羅の母親が桜と華凛の双方の母親と知り合いだったという、至極単純な縁故で彼女達は仲良く連んでいた。

 まあ、小さい頃の幼馴染みの成り立ちなんてそんな物である。


 女の子と云うものは、男の子と違って背伸びをしがち、何が何でも大人になろう、同じ立ち位置に立とうとし、大人と対抗しつつもそれに強烈に憧れている者である。それは、たとえ幼稚園児でも同じ。正の部分と負の部分どころかそれが実際どういうものか理解していなくても、身近にいる大人がやっている事、化粧や恋愛や仕事や家庭といった物に熱烈な興味を持っている。同じ大人に対して憧れを抱いていても、自分の手では到底届かないであろう遠い物、機械や科学やプロスポーツへ目が行く男児とはある意味対照的な存在である。

 そして彼女等も例外ではなく、同じクラスに居る男の子の誰某が格好良いとか、母親がしている化粧のあれそれがしたいとか、そんな他愛もない雑談をグダグダと繰り広げていた。


 この時も、彼女等は特に出発点も到着点も存在しない気ままな談笑を徒然と続けていたが、偶然華凛が発した一言によって、急におかしな事になってしまった。

「昨日ね、お父さん、お母さんが、セックスしているの、見たの!」

「…………??」

 無論、どちらの両親も常識的な方だった為にそういう方面の知識など皆無だった桜と聖羅は、二人揃って沈黙し、首を傾げた。華凛が口にした『セックス』という単語の意味について小さな子供なりに精一杯考える。


 どうも華凛は、彼女の両親がベッドの上で戯れているのを『たまたま』目撃し。どういう訳だか知らぬが彼女の母親も、プロレスごっこ等と適当に誤魔化して於けば済むものを、開けっ広げに事実を暴露したらしい。

「お母さん、言ってたよ!セックスって、気持ちいいんだって!」


 何が何やらさっぱり理解出来ないが、『大人がやっている事』そして『何かしらの快感が伴う行為』、たったそれだけでも幼い少女らの無尽蔵な好奇心を駆り立てるのには十分過ぎる事だった。

「わたしのお母様と、お父様もやっているのかしら?」

「絶対やっている、ってお母さんが言ってた!」

「桜のパパとママも?」

「絶対やっている、ってお母さんが言ってた!」

「本当に?」

「絶対やっている、ってお母さんが言ってた!」

「本当かしら?」

「絶対やっている!ってお母さんが言ってた!!嘘だと思うなら、聖羅ちゃんも、桜ちゃんも、お母さんに、セックスって、なあに?って聞いてみればいいのよ!」

「じゃあ、桜、ママに訊いてみる!」


>>薫

 ……という顛末があったらしい。

 純粋に無邪気な好奇心から訊いてみたから怒られるとは毛頭も思って居なかったのだろう。桜は完全に萎縮したのか、項垂れている。

 まあ確かに、そう云う言葉を使うな、と強い言葉で言い過ぎたかもしれない。普段我を忘れる程取り乱して怒ると云う事が滅多にないから、そう意味でも桜のショックは大きかったろう。


 そうは言っても、である。やはり『セックス』という品の無い言葉を、桜のような幼子が覚えたり日常的に口にしたりするのは如何なものかと思う。そりゃあ、小さな頃は大人の世界で禁忌とされている単語を物珍しさから連呼する、と云う事がままあるが、聖リリカル女学院の幼稚舎なら、常識と教養を持った中・上流階級の、そういう子供の言葉遣いにも気を遣っている親御さんが多いから、娘がそう云う言葉を覚えて帰って来る事もまああるまいと考えていただけに、僕は親としては少なからず落胆した。


 しかし、カリンちゃんだっけ?その女の子の母親も大概なものだ。夜の共同作業を子供に見られてしまった事は仕方ないとしても、誤魔化し様はあっただろう。態々赤裸々な事実を子供に吹聴する必然性はないし、仮に在ったとしても、外では絶対にそういう事を言ってはいけない、と釘を刺す事位は親として、否社会人として当然すべき事だったろう。こういう最低限な躾すら出来ていない可能性のある家庭の子供と、ウチの娘を手放しで突き合わせていて本当にいいのだろうか?と疑問を呈せざるを得ない。

 されど、せっかく出来た友達の縁を切り離すのも酷だとも思う。そもそも、リンカちゃんのお母さんとやらは聖華と親しい間柄らしいし、一概に無碍にする事も出来ない。

「まあ、いいわ。今度、そのカリンちゃんがそういう事を言ったら。お外で、そういう事をあまり言っちゃいけないよ、って桜のママが言っていたよ、って言いなさい。」

「うん、わかった。……?」

 取り敢えず桜にはそう言い含めておいたが、桜は頷きつつも僕が言った事をよく解っていないのか、少しだけ小首を傾げた。


 数日後、夕刻の事である。

 Y31シーマで幼稚舎に桜を迎えに行くと、龍宮司家のマイバッハが園の敷地内に停まっているのが目に入った。


 エントランスの中に入ると、やはりそこに聖華が立っていた。幼稚園の娘のお迎えにしては少し遅めの時間のように感じるが、その後すぐに初等部へ上の息子を迎えに行く都合上、この位の時間に拾うのが一番良いそうである。


 子供達が中々出て来ないので、母親同士世間話をする序でに、華凛ちゃんの母親、長谷川さんの事について根掘り葉掘り訊いてみた。

「珍しいですわね、薫。あなたがそんなに他人の詮索をしようとなさるなんて……。」

 聖華は少し目を丸くしたが、先日桜と交わした会話の顛末を話すと、

「ああ……。」

と嘆息しつつもこう言った。

「あの方はそういう所があるから……。」

「それにしたって、子供にそういう事をオブラートに包まずに教えるなんてどうかと思いますわ。あんな言葉がウチの桜から飛び出してくるなんて夢にも思いませんでしたもの。一体、何処の何方なのかしら?」

 僕が憤慨すると、聖華は思いもよらぬ事を口にした。

「あら、あなたもよくご存知の方ですわよ。」


 え?誰?

 そう吃驚した刹那、僕は聖華と共に後ろから誰かに抱き寄せられた。

「ねえ、ねえ。何の話をしているの?わたしも混ぜてよ!」

 聞き覚えのある弾んだ声、首から左肩、そして胸へと回された見覚えのある手。……間違いない。僕はそう確信しながら、首を右後ろに向けて抱き着いてきた人物の方へ振り返った。

「やあ、薫ちゃん。お久しぶりね!」

 僕達から離れ、右手を軽く上げて茶目っ気たっぷりに挨拶したその人は、凛様だった。もう麗子お姉様と同じ32歳だから、最後に会った時と比べると少し老けた感があるが、雰囲気は学生時代と一寸も違わない彼女がそこにいた。

 何かもう、納得のあまり僕は彼女に対して憤る気も失せてしまった。


「いやあ、でも偶然ってあるものよね!同時期に学生会にいた8人の内、3人も娘が同じ幼稚園のクラスにいるだなんて!確か一つ上には麗子の娘もいるでしょう?」

「ええ。居られますわ。」

「だったら麗子も含めたら、同じ幼稚園に4人も集っている訳だわよね?何か運命を感じない?」

 相変わらずサバサバとした性格は変わっていないのか、子供達が退屈そうな顔をしてそれぞれの母親の足に纏わり付いているにも関わらず、凛様は機関銃のように喋る、喋る。結局、

「それじゃあ、薫ちゃん、聖華も、また機会があれば一緒にお茶でもしましょう!」

と締めて別れるまで、30分近くも彼女は言葉を口から出し続けた。

 ただ、凛様に会って、15年前、あの学生会室で過ごした8人のその後の様子が断片的に知れたのは、あの頃を懐かしく回想する事と、皆が達者に暮らしている様子を窺い知れた事はとても嬉しかった。その代わり、15年という月日の流れの長さも思い偲ばれて感傷に浸ってしまったけれど……。


 次の日、桜を迎えに行くと、娘が何か白いB5のプリントを手に持ちながら佐々木先生と共に出てきた。

「あら、その紙、どうしたの?」

と桜に訊くと、

「あのね、ママ。先生がね、これ、ママに渡して、って!」

と彼女はそれを持っていた手を上に伸ばすと僕に差し出した。

 プリントには、保護者の皆様へ、という煽り文と共に『第一回保護者会のお知らせ』という表題が掲げられている。

「今度保護者会の役員を決める為に父兄の皆様に集まって頂こうと思いまして……。」

と佐々木先生が補足した。

「はあ、左様ですか。分かりました。都合を付けますわ。それでは失礼致します。……さあ、桜。行きましょう。」

 僕は先生に向かって一礼すると桜の手を引いて歩き出した。


 保護者会の日がやって来た。久々に紺色のスカートタイプのスーツを着た所為か、身体が芯から引き締まる気がする。僕は深呼吸をすると、RB25DETTを3Lにボアアップした後期型のC35ローレルのメダリストの運転席から外へ降り立った。


 日曜日で会社が休みの為に和樹が家に居るから、彼に桜の面倒を半ば強制的に見させている。午前中に終わってお昼までには帰れる筈だから、普段父親らしい事をやっていない分今日位娘の相手をしてくれたって構わないだろう。


 幼稚舎の園庭には、既に数十台の車が所狭しに停められていた。もう結構な人数の父兄が集合しているらしかった。


 幼稚舎の園舎の中に入り、今回の保護者会の会場として用意された30畳程度の広さの会議室に通されると、大学の講義室のように、入り口からすぐ右の壁際に設置された移動式のホワイトボードと相対する感じで、綺麗に3列縦隊で21脚並べられた白い折畳み式の長机と、その机1脚当たり3脚ずつ置かれた青いパイプ椅子が見え、そこに合わせて50人程度の保護者が腰を下ろしていた。付き添いで来たらしい3人の男性を除けば全員女性である。

 しかしまあ、ここまで色んな年齢の女が揃ったものだ、とその光景を一望した途端僕は心の中で感嘆した。

 はっきり言って、自分と同世代、具体的に言えば自分の年齢の±5歳程度で大凡固まるだろう、と予想していた。が、実際には、勿論20代と思しき若い娘も居るには居るが、どう考えても30代後半か40代、下手すると40代末から50代の初めにも見える年配のおば様方が意外と多い。尤も、幼稚園の保護者会だから休日でも忙しい父母の代役として馳せ参じたお祖母ちゃんの可能性もある。しかし、たったの50人かそこらの中でそういうアラフィフ世代の祖母が5人も集結する、という偶然が果たしてそうそうあるものだろうか?そうかと云って娘か嫁に付いて来たという風にも見えない……。

 やっぱり母親なのかね……。そう僕は納得する事にした。四十路を大分過ぎてから子供を授かる人も結構いるらしいし、きっとそういう人なのだろう。


 会議室の入り口から見て一番奥、後ろの方にある机に、偶聖華と凛様が並んで腰掛けていたので、そこにちゃっかりと仲間入りさせて貰う。

「ごきげんよう、凛様、聖華さん。」

「あら、ごきげんよう、薫。」

「おはよう、薫ちゃん。」

 お互い適当に挨拶を交わすと、まだ始まるまで時間があった事も手伝って、まるで学生時代の時のように、僕達はお喋りに興じた。

 しかし哀しいかな。止めど無く続く会話も、昔は化粧品とか服飾品とか恋愛とかそういう他愛のない話ばかりだったのに、今や家の事とか仕事の不満等世俗臭い話題が多くを占めている。これが歳を取ったと云う事なのだろうか……。僕は何処か辛気臭い物を実感した。


 確かに雑談に夢中になっていたものの、然程大きな声で話していた心算は全くないのだが、いつの間にかその場にいた殆どの女性が僕らの方を遠巻きに見つめていた。

 そこまで五月蝿かったかしら?と思って3人とも沈黙すると、すぐ前の座席に座っていた同じ年頃だと思われる丸いレンズの眼鏡を掛けたセミロングの女性が此方へ振り向き、僕等に声を掛けてきた。

「あの、もしかして……。尾崎 凛様と龍宮司 聖華様と綾小路 薫様ですか?」

 無論その通りなので、そうだと肯定する為に3人とも同じタイミングで首を縦に振ると、その場でどよめきが湧き起こった。そしてその代わり、僕以外の二人は澄ましながらも溜息を吐いている。僕はただ、何故周りがざわつき始めたのか検討が付かず、目を点にして辺りを見回していた。

 今更知る事になったが、僕等が学生会で見習いや役員を任されていた頃。それまで会長や副会長を務めた歴代のお姉さま方のように、かなり多くの女生徒から憧れと畏れの対象として見られていたらしい。俄には信じられないが……。

 まあ、僕個人の云々という事は絶対に無かろう。はるか昔に居ただろう皆から慕われたお姉様が、妹を選任する。憧れの人が推した人だからと右倣えしてその妹を支持する。そしてまた別の妹分がという風に最初の人の影響が時代を追って連綿と波及している、というのが実情だろう。要は運良く御零れに肖られただけである。

 そうは言っても、当時の自分達に二つ名が付いていたとは知らなかった。それぞれお姉様は『天上の賢姫』、凛様は『淫靡な魔女』、聖華は『金翼の天使』、そして僕には『銀馬の騎士』という名前が、勿論本人達の知らぬ所で勝手に名付けられて蔓延していたらしい。

 何だろう、自分が名乗っていた訳でも無いのに耳が痛いと云うか、まさに顔から火が出かけない事実である。まさか15年も経ってから、自覚症状の無い中二病の後遺症のような古傷を抉られるとは夢にも思わなかった。地味にくる。


 一頻り騒ぎが収まって平穏が取り戻されると、やっと年少組担当の教諭責任者を司会進行として保護者会が始まった。

「それでは、これより聖リリカル女学院付属幼稚舎、第108期園生保護者会を始めさせて頂きます。本日は父兄の皆様、お忙しいところ御足労頂き有難う御座います。進行は年少生教諭主任の橋本 透が務めさせて頂きます……。」


 まずは、幼稚園側と保護者側との意思の疎通を円滑に図るという観点からの保護者会の簡単な説明を始めとして、年に17回もこのような集まりをして報告や会議を行う事、上方の伝達や話し合いを速やかに行う為に保護者会会長と以下5名の役員を父兄の中から選出する事、といった様な内容が司会の口から話され、50人強の中からその貧乏籤を誰が引くのか互いの間で議論する事になった。

 ウチのマンションの管理組合の役員の取り決めの時でもそうだが、こういう大した見返りもない割に過酷な業務が課せられる仕事の場合、先ず進んで引き受けようという勇者や猛者は出てこない。大抵、

「他に仕事があるから。」

とか、

「子供の世話が大変で……。」

とか、更によく解せない強引な理由を付けて面倒事を他人へ押し付け合う。

 言うまでもなく、今この場にいるのは、何だかんだといって社会の中でそれなりの地位に就いている、またはそうした人の伴侶や家族としてそれ相応の良識と思慮と教養を持っている人が大部分なので、露骨な言動を取る事は決して無い。だが消極的であるという点は同じだ。


 結局、この手の流れではある意味テンプレと化している、当惑した司会が保護者達に自薦や他薦を只管連呼して促すという、不毛な展開になっていく。しかし、他薦も宜しいと言われても、まだ全員の素性が知れている訳ではない。たとえ知り合いがいても、大抵ママさんグループという、母親特有の一種の精神的なコミュニティーを形成しているという都合上、誰か一人を生贄に差し出すような真似は憚られる。能天気でいれば良かった学生時代とは違って、自分が挙手する事も乗り気になれないし、そうかと言って無責任に他人を引っ張り出すのも人間関係の上で難しい。大人の世界は大変なのだ。

 ただそれでも、自分達の仲間意識の外にいて、かつ引っ張り込んでも本人がある程度なら承服しそうな雰囲気で、更に周囲の人間もその人が役員になる事に文句無しに納得する人物が居れば話は別だ。


「かお……いえ、富士之宮さん、龍宮司さん、長谷川さん達はどうかしら?」

 そう誰かが呟いた言葉が引き金となって、いつの間にか僕等3人は役員に推薦され、音頭を取られていた。

 面倒な事になったなあ、とうんざりしつつも、周りの目を考えると拒み辛い。それに僕は、外で働いているお母さん方と比較すれば、専業主婦で家に居る時間が多い分こういう事も出来る程度の余裕はある。いや、だからこそ推薦された以上、ゆとりのある自分が率先して保護者会の役員という大儀な役目を引き受けなければ、という使命感にも似た何かが僕の心の中で燃えていた。

 だから、自分が衆目の的になった刹那、僕は反射的に右手を上げて起立していた。

「わかりましたわ。不束者で至らない所も多々あると存じますが、保護者会の役員、謹んで引き受けさせて頂きます。」

 パラパラと疎らに湧き起こった拍手の音を聞きながら、再び僕は静かに着席した。


 日本という風土に住んでいる人間の奇妙奇天烈な特徴の一つなのだろうか、あれ程遠慮して婉曲に拒んでいたにも関わらず、誰かが先陣を切った途端にそれに続く奴が出る。結局やる意志が少しでもあるのなら初めから挙手すれば何事もスムーズに行くと思うのだが……、と続々と役員が決まっていく様子を傍観しつつ、僕は内心で溜息を吐いた。


 凛様と聖華を始めとして、自分も含めて5人の役員が名乗りを上げた所で、その中で会長、副会長、会計、書記、庶務を誰に割り振るのかを話し合う。因みに、役員を選抜する時点で、仕事をしている母親や父親は除外し、僕と同じ様な専業主婦しかいないので、どの役に当たっても、忙しいから無理、と言い訳して拒否する事は出来ない。


 そんなこんなで話し合いが開始し、然程時を経ずして割りと楽な庶務と書記にそれぞれ田辺と山城という名前の40前の主婦2名が就任する事が決まり、残りの3役を僕と聖華と凛様で割り当てる事になった。

「それじゃあ、会長は薫ちゃんに任せるという事でいいとして……。聖華、あなた副会長と会計のどっちがいい?」

「はい?」

 唐突過ぎる凛様の発言に、僕は思わず目を白黒させた。

「どうしてわたしが会長なのですか?別に凛様でも……。」

「わたしは無理よ。旦那の選挙や広報の手伝いもしなければいけないもの。聖華だって龍宮司の令嬢として色々な付き合いがあるだろうし……。その点薫ちゃんは専業主婦だし、旦那さんは次男だから富士之宮の家のあれこれに顔を出す必要もないのでしょう?打って付けでしょう?」

「うって……、まあ、そうですけれど……。」

 凛様の発言で、僕は少し言葉に詰まってしまった。

「それに、真っ先に皆から名前が上がったんだから、薫ちゃんが保護者会会長に成らなきゃ、皆が納得しないでしょう?」

「うん、まあ……。う――ん……。」

 そう言われるとますます断り辛い。仕方なく、僕は口を噤んだ。


「それにさ、年中さんの保護者会の会長は、確か麗子でしょう?」

「はい。」

「そういう意味でも、わたしはここの会長は薫ちゃんが良いと思うのよねえ。聖華、あなたもそう思うでしょう?」

 凛様の言葉に同意するように首を縦に振った聖華を目の当たりにして驚いた僕は、両人の顔をまじまじと交互に見つめた。

「え?どうしてです?」

「だって、麗子って……。国内有数の財閥の御令嬢でセレブな奥様、才色兼備で容姿端麗、その上あの性格でしょう?普通の人なら取っ付き難くて敵わないわよ。それにここはウチ(聖リリカル女学院)のOGばかりだから余計にね。そういう意味では、麗子に一番親しくて、あの子に可愛がられている薫ちゃんがやっぱり適任って訳。」

 そう断言すると、学生時代と同じ様に凛様は僕に向かって軽妙にウインクした。


 結局、会計を凛様、副会長を聖華が務めるという事で決着した。


「ただいま!」

「ママ!おかえりなさい。」

「おかえり。随分遅かったな。」

「ごめんなさい。思ったより長引いちゃって……。」

 当初予定していた時間より大分経過した、午後13時半頃、やっと帰宅して居間に入ると、待ち草臥れたのか、少し機嫌が斜めな表情をした和樹と桜が僕を出迎えた。

「お昼はもう食べてしまって?」

「いや、まだだ。」

「ママ――!桜、お腹空いた!お腹空いた!」

「わかったわ。今から有り合わせの物で何か作るから、もう30分位待っていて。」

「うん、わかった!桜、待ってる!」


 スーツのジャケットとスカートそしてブラウスをフローリングの床に投げ付けるように脱ぎ捨て、ソファーの背もたれに掛けっ放しにしていた白い長袖のブラウスのようなワンピースを着てエプロンを身に着けると、キッチンに入って冷蔵庫の中を物色した。

 人参や玉葱と云った野菜や卵といった普段から常備している食品の他に、何故かいつかの夕飯で使ったスライスベーコンが少し残っていたので、簡単な炒飯もどきを作る事にした。


 俎板の上で三徳包丁を使ってベーコンや人参、そして玉葱等の具材を微塵切れに近い位細かく細切れにし、油を引いたフライパンの中に投入してIHクッキングヒーターのコンロの電気を入れ、ある程度熱が通った所でこれでもかという程大量の油と共に、水分少なめで炊いた御飯を投入し、塩を軽く掛けて出力最大で激しく炒める。

 卵を3個割ってフライパンの中に投入し、更に塩胡椒を振り、檜の杓文字を駆使して全力で鍋の中身を掻き回していると、

「そう言えば、……で、……だ?」

と、和樹が僕に何か話し掛けてきたが、濛々とフライパンから換気扇へと拭き上げる多量の湯気が上げる音と、米が弾けるパチパチとした音の所為でよく聞こえなかった。

「え?何?もう一度言って!」

「何でこんなに遅くなったんだ?昼までには帰るって言っていただろう?」

「保護者会の役員を決めたのだけれど、中々決まらなくてその分長引いてしまったのよ!」

「ふ――ん。」

「それでね、推薦されてしまって仕方なく引き受けたのだけれど、会長にもなってくれって凛様達にせがまれてしまって……。」

「ほお……。」

「だから、今日から暫くは保護者会の会長よ!」

「ふーん、そうか。……まあ、頑張れ!」

 頑張れ、って随分素っ気無いなあ、と夫の見えない所で苦笑しつつも、

「まあ、頑張れって気遣ってくれるだけマシなのかしら……。」

と、僕は小さく独り言ちた。

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