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羊の短編集。

白が降る平和でない世界。

作者: シュレディンガーの羊



静寂と平和は似ている。

世界がもう少し静かだったら、世界はもっと平和になるのに、と僕は思う。

そして、そんな僕の世界といえばいつも平和とは程遠い。




廊下を走る足音が部室の前で止まったかと思うと、騒々しくドアが開け放たれた。


「雪よ!」


倉木さんは興奮に頬を紅潮させながら、僕を見てそう叫んだ。

乱暴に開けられたドアのせいで、昨日積み重ねた半紙が埃っぽい床になだれていく。

けれどそんなものに目もくれず、彼女は僕の前に立つと手を広げてまくし立てる。


「遠野くん、雪よ!雪が降ってるわっ」

「倉木さん」

「すごい勢いなの!グラウンドがきっとすぐに銀景色よっ」

「倉木さん」

「雪が降るなんて何年ぶりかしらっ」


いっこうに熱が冷めない倉木さんにため息を零して、無言で足元を指差す。

きょとんとして倉木さんは床に目を落とす。


「踏んでます」

「え?……きゃーっ!?」


慌てて飛びのいたものの「花鳥風月」と書いた半紙には見事に靴跡がついていた。




僕の所属している書道部は部員が3人という弱小部だ。

同じ文化部でも、吹奏楽のような大所帯でもなく、演劇部のような華やかさもない。

いわゆる「あれ?そんな部、あった?」と言われる部活No.1だ。

そんな一番ぜんぜん嬉しくないけれど。




「……ごめんなさい」

「別にいいですよ。納得できるの書けなかったんで」


半泣きで頭を下げる倉木さんに、ひらひらと手を降ってみせる。

実際、息詰まっていたのは事実だ。


「じゃあ、外行きましょ」


ぱっと表情を明るくして、倉木さんが提案する。

僕は窓の外に降る雪に目をやった。

はらはらと舞う雪はまるで花びらのように視界を染める。

確かにこれならすぐに、グラウンドぐらい真っ白くなるだろう。


「書道部員が外で活動ってどうなんですか」

「あら、時には課外活動も必要よ」

「外、寒いですけど」

「子供は風の子だから、へっちゃらよ」


ふふんと不敵に笑う倉木さんに急かされて、結局外に出ることになった。


「しろーい。きれーい。さむーい」


さくさくと雪を踏み締めて倉木さんが歩いていく。

その足跡を見つめながら息を吐いた。

白い二酸化炭素はすぐに溶けて見えなくなる。

グラウンドは先客があまりに多かったから諦めた。

その代わりに裏門に来てみたら、足跡をつけるのを躊躇うほどの銀景色。

そして、そこに歩き回る倉木さんの足跡だけが、白に跡を残していく。


「楽しい?」


くるりと振り返った倉木さんは寒さに顔を赤くしていた。

マフラーをとって渡す。


「それなりに楽しいです」

「そう。よかったわ」


マフラーを受け取らずに、倉木さんはくすりと笑った。

雪がその笑顔を掠めていく。

それになぜか腹立って、僕はその首に乱暴にマフラーを巻き付けた。

それは妙に儀式じみていて、巻き終わるまで二人の間に沈黙が降った。

雪に似たそれは、溶けずに僕の心を占拠していく。

僕がマフラーから手を離すと、倉木さんはマフラーに口を埋めて照れたように微笑を浮かべた。


「暖かいわ。ありがとう」

「いえ」


倉木さんはすぐに笑う。

笑うことで距離をとるみたいに。

雪が音を奪っていく。

放課後の学校とは思えないほどの、静寂に気づいて思わず苦笑が零れた。


「平和だと思いませんか」

「へいわ?」

「白くて静かで」


仰いだ空から雪が舞い落ちてくる。

その白さに不意に泣き出したくなった。

僕は小さい頃から習字が好きだった。

白くて静かで平和。

心が波紋一つなく静寂に変わるその瞬間が、幸せだった。

幸せだと信じていた。


「平和ってそんなにいいこと、かしら」


倉木さんが言った。


「平和が平穏を意味するなら、私は遠慮したいわ。私は今を平穏なんてくくりで縛りたくないもの」


倉木さんは言葉を区切り、しゃがみ込むと指を雪に突き立てた。

その指を動かして、雪原に文字を書いていく。


「私は楽しい。遠野くんは?」


見上げられた瞳に、思わず笑う。

思った通りの返答に心がくすぐったくて。


「楽しいですって言ったじゃないですか」

「声が小さーい」

「楽しいです」


二人で笑いあって、部室に向かって歩き出す。

今ならいい字が書けそうな気がした。

明日になったら、きっと雪は溶けてしまうだろう。

白くて静かで平和な世界は。

平和が好きだった。

静寂が好きだった。

でも、今はそれ以上に


「倉木さん」


前を歩く背中に、口を開く。


「僕、倉木さんがそれなりに好きですよ」


立ち止まる背中。

追いつく僕の足。

倉木さんの顔を覗き込もうとすれば、そのまえにデコピンをくらう。


「地味に痛いんですけど」


額を押さえつつ、表情を伺えば頬を膨らませた倉木さんと目が合う。


「遠野くん、私のことは倉木さんじゃなくて倉木先生って呼んでって何度も言ってるでしょ!」

「……ツッコミ遅くないですか。さっきから、何度も呼んでますけど」

「まったく最近の遠野くんは反抗期だわ」


そう言って倉木先生はつんと脇を向く。


「だって倉木先生、同い年ぐらいに見えますよ」

「私、子供っぽくなんてないわ」

「大人っぽくもないですけどね」

「遠野くんのうましかっ」


ふんっと倉木先生がまた歩き出す。

僕はその背中を追いかけながら笑う。

平和じゃない世界も悪くない。


「僕の恋愛もつくづく平和じゃないな」

「何か言った?」

「いいえ、何も」


二人分の足跡が続く。

明日には溶けてしまう足跡。

それでも、いつかに続く軌跡の一歩。

雪が降る。しんしんと平和に見せかけて。




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