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茶番探偵が黙っちゃいない  作者: 久荘木ノコ
重なり合う時刻(とき)の残像
1/1

無職と猫と喫茶店?

 ある日の昼頃。

 雲ひとつない秋晴れだというのに、肌を刺す空気はすっかり冬の準備を始めていた。


「うぅ、寒いなぁ」


 アーケードの入り口に差し込む陽光は見た目こそ温かそうだが、実際にその光を浴びても、体温を奪っていく冷気を誤魔化しきれていない。

 街道を行き交う人々の装いは、厚手のコートやマフラーへと一気に冬支度を急いでいる。かくいう私もコートを羽織り、首をすくめてマフラーに顔を埋めていた。


 学生の頃、仙台市に引っ越してそろそろ五年は経つというのに、未だにビルの合間を吹き抜ける蔵王おろしの冷たい風には身を震わせずにいられない。ビル風に煽られて、くすんだ茶髪が耳元で冷たく踊るのを感じる。


 昼休憩を終えたのか、ビジネススーツに身を包みさっそうと私の隣を歩く女性の鼻先も、ほんのりとリンゴみたいに赤く染まっていた。


「いいなぁ。定職に就けて……」


 ふと、ため息交じりに独り言を漏らしてしまう。

 私はここ最近、街中で仕事をする社会人を見かける度に、うわごとのように独り言を呟く癖がある。


 その理由は単純明快だ。私は今、()()なのだから。


 半年も前に勤めていた派遣会社をクビになった私は、それから今日に至るまで、日雇いバイトや貯金を切り崩しつつ生計を立てて、合間に転職活動を行うという毎日を過ごしていた。


 昔から要領の悪い私は、周囲から『君は本当に仕事が出来ない人だね』と揶揄され、何をやっても長続きしない状態が続いていたのだ。まさに負のスパイラルに陥っていた。


「…………今月は持つけど。来月は日雇いしてもかなりキツイよなぁ」


 そして、いよいよ貯金も底を尽きかけていた。

 

 そんな私は節約の鬼と化し、アーケードの業務スーパーから自宅まで徒歩片道三〇分ほどの距離を、推定総重量一〇キロの荷物を抱えて帰宅していた。

 片道徒歩三〇分とはいえ、小柄な体格の女である私からすれば、その道のりは決して楽なものではない。お金さえあれば、バスやタクシーなどといった公共交通機関を使って帰れなくもないが。今の私の財布、及び口座残高にそんな余力は残されていないのだ。


「ふぅ、ふぅっ。つっっら!」


 自宅へと歩みを進める足取りは依然として重いが、大容量の物が収納可能なリュックサックで来たことは、せめてもの救いになっている気がする。


 アーケードを抜けて、ビルやマンションが立ち並ぶ路地を歩いているさなか。路地の角を曲がった先、ビルの日陰となる場所に佇む一匹の黒い猫を見つけた。

 全身真っ黒の艶やかな毛並み。尻尾をピンと立ててこちらを観察する金色の瞳。


「あっ」


 思わず声が出てしまった。その姿はまるで闇夜に浮かぶ宝石のように美しく、これまで出会ったどんな猫よりも神秘的な雰囲気を纏っていた。

 大の猫好きである私にとって、こういう瞬間は魔法にでもかけられたみたいな感覚になる。


 疲弊した身体のことなんて忘れて、気づけば私の足は自然と動いていた。重い荷物を抱えたまま、慎重に黒猫に近づいていく。


「こ、こんにちは~」


 小声で呼びかけるも、警戒心の強い野良猫は素早く身を翻し、隣の路地へと駆けて行った。


「あぁ!? 待って!」


 咄嗟のことに思わず追いかけてしまっていた。こんな重い荷物を持っているのに。


 人慣れした飼い猫は人間を見つけると気まぐれに遊んでくれるものがほとんどだが、対して警戒心の強い野良猫ともなると逃げられることの方が多い。

 それでも諦めきれない。あの美しい黒猫をもう少し見ていたい、というか直に触りたい! モフモフしたい! 癒されたい! なんて欲求が私の中で膨れ上がっていく。


「はぁ、はぁ……ちょっと寄り道するくらいだし……寒いから冷凍食品も大丈夫でしょ」


 自分に言い訳しながら、細い路地を小走りで進む。今は猫を追い求めて、この未知の探索を楽しむことが優先だ。

 私は目の前を駆け抜ける、黒い影に視線を奪われっぱなしになる。


「待ってってばぁ〜!」


 二十四歳の無職、もとい良い大人が行う行動ではないが、それでも足を止めることは出来ない。

 なぜなら——猫好きとはそういう生き物なのだから。


 ビルの隙間を縫うように進む黒猫の後を追ううちに、私は自分がどこを歩いているのかさえ分からなくなっていた。周囲を見渡すと狭い裏通りには錆びついた配管や剥がれかけたタイルが剥き出しになっており、猫の足取りは素早すぎて何度も見失いかけていた。


「お願いぃ……止まってぇっ……」


 肩に食い込むリュックの肩紐が痛い。ただでさえ冷え込んだ空気に身を晒されているというのに、冷凍食品の袋がリュックを隔て、背中越しに当たって追い打ちをかけるように身体を冷やす。それでも足を止められないのは、目の前を疾走するあの魅惑的な黒い猫のせいだ。


 角を曲がると、忽然と黒猫の姿が消えていた。


「あれっ?」


 慌てて辺りを探すも影一つ見当たらない。建物の隙間にも潜り込めるような小さな路地はない。まるで幻だったかのように、その姿を私の前から消したのだ。


「はぁ~っ! 逃げられちゃったか!」


 がっくりと肩を落とす。重たい荷物とともに湧き上がる虚しさ。しかし、ここまで追いかけた来たのだ。こんなところで諦めるわけにはいかない。私は再びキョロキョロと辺りを見回し、そこで初めて自分のいる場所の異様さに気が付いた。


 薄暗い路地から抜け出した先には、不思議な空間が広がっていた。


 車道の側だというのに、そこだけが切り取られたかのような静謐な空間。古いビルが一つ、ひっそりと佇んでいる。ビルの正面には『お茶の番探偵喫茶』と、彫刻された味のある木製看板が掲げられていた。『探偵喫茶』という文字には真新しさを感じるも、それ以外の年季の入った看板の文字はところどころ削れており、それがまたアンティークな雰囲気を醸し出している。


 そして、その扉には『探偵助手急募』の張り紙が貼られていた。


「探偵助手……?」


 興味本位で張り紙に近づくと、それはボールペンで殴り書きしたかのような乱暴な筆跡であった。『時給千五百円~応相談』と書かれているものの、その文字の揺れ具合からは計画性も誠実さも感じられない。さらに下には『未経験者歓迎』という、求人の見出しとしては決まり文句の一言も添えられている。


「探偵事務所? でも喫茶店って文字もあるし……」


 ちぐはぐな業務形態に不信感を抱きつつも『急募』『時給千五百円』『未経験者歓迎』という、無職の私にとってはそそられる並びが目に焼き付いて離れないでいた。


「探偵助手……助手って言っても何をするんだろう?」


 頭の中には疑問符がいくつも浮かぶ。同時に、猫を追いかけて迷い込んだこの場所の非現実感に戸惑いを覚える。だがその一方で、私の現在の経済状況を考えれば、例え一時的であっても安定した収入を得られる可能性は魅力的だった。

 

 派遣会社をクビになって以来、日雇いのアルバイト代と貯金を切り崩す日々。来月までの計算を考えると胸が苦しくなる。猫を追いかけて遠回りをしたことを考えれば、これは神様が与えてくれた天啓かもしれない。


「いやいや待って。こんな怪しい募集に飛びつくなんて」


 そう理性が警告する傍らで。猫を追いかけてここまで来たんだし、これも何かの縁かもしれない。『探偵助手っていうのも面白そうじゃない?』という思いが浮かんでしまう。


 仕事の内容も時給も全くもって不明瞭な求人募集。正直言えば怪しさ満点だ。だが今の私にとって選択肢は限られているし、就職出来るチャンスがあるなら、それは藁にも縋る思いだ。


「聞いてみるだけでもいいよね?」


 私は一度、深呼吸をしてからドアノブに手をかけた。錆びた金属の感触が指先に伝わり、冷たい空気が更に増すようだ。少しだけ震える手でゆっくりと押し開けながら、ドアの向こう側へと踏み出した。


 扉を開けると、『ギィィー』と重々しい音を立てて開いた。同時に内部から溢れ出したのは、濃密でビターな煙草と深煎りの豆から抽出されたコーヒーの香りが溶け合う独特な匂いだった。


 店の中に足を踏み入れると、カウンター席の奥から響く低い声に驚いて目を向けた。


 そこには一人の女性が立っていた。

 暖房の効いた店内で、朱いケープコートを脱ぐこともなく、そこから覗く黒いタートルネックを首元まで覆ったその姿は、まるで外界の喧騒を一切拒絶しているかに見える。

 毛先に美しいウェーブのかかった艶やかなセミロングの黒髪をさらさらと揺らし、レトロチックな丸眼鏡が照明を受けて不気味に輝いていた。そのレンズ越しに浮かぶ、透き通るような肌に映える微かな、けれど消えない灰色のクマ。翳りを帯びたその瞳で見つめられると、まるで底なしの沼へと引きずり込まれるみたいな感覚に囚われる。

 

 彼女は右手にコーヒーカップを持ち、左手で白い湯気をゆっくりと漂わせるカップを受け皿に乗せて持っている。両手に見える黒い革手袋が、熱を遮断するように硬質な質感を放っていた。


「――入店早々に悪いが、店の名前にある『お茶の番』という文字に期待して、お茶を所望するのはやめてくれよ? ここには今、珈琲しか置いていないからね。私の淹れる味の保証の出来ない珈琲ならすぐに出せるよ」


「え? いや……あ、あの」


「と言っても、君は私に探偵の依頼をしに来たわけでもなく……かといって珈琲を飲みに来たわけでもないか」


「あ、はい! そうです!」


 初対面なのに見透かされたような口ぶり。眼鏡の奥の瞳は鋭く私を見据えている。私がドアから数歩も中へ進んでいないのに対して、彼女は既にカウンター越しに仁王立ちだ。不思議な威圧感を放ちつつも、手に持ったコーヒーカップからは甘くて酸味のある香りが漂ってくる。キリマンジャロだろうか?


「ふむ。ならば必然的に君の目的は『探偵助手急募』という張り紙を目にして、ここへ来たということになるな」


 女性は手に持っていたカップをそっとカウンターに置く。カップの表面には微かに湯気が立っているだけで既に半分以上中身が減っているようだった。


「喫茶店はこのとおり、客があまり入らないんだが。探偵の仕事はそれなりにあってね。助手の募集をしていたんだが……君は一人目の応募者ということになる」


「そ、そうなんですね」


 確かに彼女の言うとおり、店内には誰一人として人の姿が見当たらなった。路地裏とはいえ、仙台市内の街中に店を構えていて、昼時の時間帯にこの有り様とは珍しいものだ。


 猫を追いかけて偶然見つけたこの喫茶店。そして突然現れた怪しげだが妙に風格のある女性。全てが奇妙で異質。だけど確かに、私の興味を引いて離さない。


「まずは自己紹介をしようか」


 そう言って彼女は、黒い手袋を嵌めた指先で赤い箱から煙草を一本引き抜く。

『カチッ』というライターの硬質な音が店内に響き、小さな火が彼女の白い面輪を照らし出した。吸い込まれた煙が、黒のワイドパンツの裾をなでるように足元へ沈んでいく。

 黒いブーツの先を軽く鳴らし、彼女は紫煙をゆっくりと天井へ逃がした。


「私はここで喫茶店店主、そして()()をしている。茶畑鏡花(ちゃばたけ きょうか)だ」


 彼女の自己紹介と共に店内に流れる沈黙が、煙草の香りと混ざり合い、静かに店内の空気に溶けていった。


 私は緊張で喉がカラカラになりながらも、なんとか口を開いた。


「あの……わ、私は渡戸空(わたりど そら)といいます! よろしくお願いします!」


「わたりどそら……」


「渡る戸に空って書きます!」


 手のひらに見えるように指文字で書いて見せると、彼女は煙草を灰皿に押しつけながら考える素振りをする。


「なるほど……ワトソン。一文字惜しいが、君のことはワトソン君って呼ぶことにしようか」


「いえ、渡戸です」


 彼女の低い声は落ち着いた響きでありながら、どこか含みを感じさせる。まるで私の名前だけでなく、その奥にあるものを吟味しているかのようだ。


「あの。それで今から面接する感じなんですか? 私、今日すごいラフな格好で来ちゃったんですけど……」


「面接? そんなものはしなくていい。君は店前の張り紙を見て来たんだろう? そこに『急募』と書いてあったのを覚えてるよね?」


「え? まあ、はい」


「私基準で採用は先着順にしているんだ。よって君は採用だ」


「えぇ!? そんな適当な感じでいいんですか!?」


「君はヴァカか? 大事な助手を採用するのに、そんな適当なわけがないだろう」


 彼女は唇の端をかすかに上げて笑い、コーヒーカップを傾け、一口飲んでから言葉を続ける。


「君は見た目通り真面目そうだ。それに何より――」


 彼女の鋭い眼差しが私の全身を撫でていく。特に重そうな荷物を詰め込んだリュックに注目しているみたいだ。


「肩紐が衣服に食い込んでいる――随分と重たい荷物を持ってきたようだね? 身なりからしても公共交通機関を利用出来るような余裕はなさそうだな。生活を切り詰め、徒歩圏内で移動できるアーケードの業務スーパーに行ったと覗える。だとすると、購入したのは単価の安い大量の冷凍食品類かな? それだけのものを担いで平然と私の店に来るというのは、少なくとも並の忍耐力はあるということだ。それも合格点の一つだよ」


「あ、ありがとうございます……?」


 なんだかナチュラルに貶された気がしなくもないが、戸惑いながら答えるしかない。


「あー、それと君。珈琲を淹れるのは得意かな?」


「珈琲ですか? まあ、以前勤めていた派遣先でお茶くみを任されていたので、それなりには出来ると思います……というか、私の取り柄と言えばそれくらいしか……」


「おーけー。それも合格点の一つということで」


 やっぱり適当なんじゃないか? 最初に抱いていた不安から内心の焦りは隠せず、鼓動が早くなるのが分かる。

 本当にここで働くことが出来るのだろうか? そもそも給与は払われるのだろうか? そんな疑心に苛まれてしまう。


 私の内心とは裏腹に、彼女は飄々とした態度で、黒い手袋に包まれた指先をゆっくりと動かしコーヒーカップを口元へ運んだ。

 店内に充満する煙草の燻る香りと、珈琲の深い芳香が混ざり合い、その香りが私の鼻孔を通じて脳髄まで染み込んでいき、心臓の鼓動が一段階速まるのを感じる。


「あー、そうだ。ワトソン君、これから私のことは『先生』と読んでくれ」


「渡戸です。先生」


「ふふっ。先生と呼ばれるのは、中々に気分が良いものだな?」


「は、はぁ……」


 再び指先に挟んだ煙草を深く吸い込んだ先生は、その煙を肺の奥まで熱を染み渡らせて、少しだけ目を細める。吐き出された煙は、私の抱える疑心や焦燥を嘲笑うみたいに、天井へと高く昇って消えていった。

 一連の煙草をくゆらすその所作は驚くほど優雅で、それでいてどこか官能的にも感じ取れる。同性の私でも魅入ってしまうほどだ。


「これから、よろしく頼むよ? ワトソン君」


「渡戸ですって」

 

 私はこの先の人生で何度も頭を抱えることになるだろう。今日の彼女との出会いが、自分にとって災いであり、幸福でもあったと思い返すことを、この時はまだ知る由もなかった。

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