包み紙の残り香
あれが消えてから、もう二年が経った。
赤い風呂敷の中に残された練り切りを食べたあの日から、
私は——生きている。
「もう、死なないんですか?」
病院の主治医にそう訊いたとき、彼は固まった顔で笑った。
「……それは、俺が訊きたいよ」
あのまま死ぬ予定だった私が、
なぜか回復し、今では大学に通っている。
でもそれは奇跡じゃない。引き換えだった。
あの妖は、誰かの命と私をすり替えた。
その事実だけが、今でも胸の奥に、ぽつりと苦い。
私は大学の図書館でアルバイトをしている。
本が好きなわけじゃない。
静かな場所には、“記憶”が落ちている気がするから。
「またお菓子食べてる……」
後輩の男の子が、半笑いでこちらを見る。
「授業と授業の合間って、血糖値、要るの」
「言い訳の理論が糖質寄りなんですよ、先輩」
「黙らないときなこ餅詰め込むよ」
私が袋からきなこ餅を出すと、彼は笑って手を出した。
その夜、ふと思い立って、引き出しを開けた。
あのときのノート——妖と交換日記をしていた、あれ。
読み返すと、そこには今でも、
“命の味”が、墨の匂いと一緒に残っていた。
でも、最後のページだけが、真っ白だった。
「……私、生きてるけど」
呟くと、胸の内がざらりとした。
何か、忘れている。
何か、返さなきゃいけない気がする。
次の日。
駅前の商店街で、見覚えのある風呂敷を見かけた。
赤い布。金色の刺繍。あの妖が背負っていた、それにそっくり。
「これ……どこで?」
訊ねると、和菓子屋の店主が言った。
「数日前に、若い男の子が忘れていったのさ。
変わった服で、でも妙に馴染んでて……なんか、夢みたいだったな」
中には、紙の包みが一つ。
開けてみると、練り切りと一枚の紙切れ。
お前の言の葉、まだ残ってた。
次の客に渡すには、もったいないから。
今度は“自分のために”食え。
私はベンチに座り、
震える手でそれを口に運んだ。
甘かった。
あのときより、ずっと深く、少しだけ——しょっぱかった。
「……ずるいよ。戻ってくるなら、言ってよね」
涙が出たのは、もう三度目くらいだろうか。
でも、これはまた違った。
泣いている理由が、ちゃんとわかる涙だった。
帰宅後、ノートの最後のページを、初めて開いた。
真っ白だったはずのそこに、いつの間にか書き込みがあった。
【妖】
まだおまえの味がする。
俺の中で、ちゃんと残ってる。
生きろ。おまえの手で、
いつか“最後の味”を作れ。
私はその夜、ノートを閉じて、
初めて自分であんこを炊いた。
甘さ加減は、まだ下手だった。
でも、きっとこの先、何度も作る。
何度も、変わる。
そしていつか、
あの人が最後に食べるのが——
私の命の味であるように。