鉄道の本質と日本の鉄道事業論の乖離
1820-30年代という時代を考えると、鉄道と船舶に蒸気機関が普及し始めた頃だ。
で、正直なところかなり惑わされる。
蒸気機関に石炭をぶち込むという常識がある。つまり、蒸気船にしろ蒸気機関車にしろ、石炭がなくてはならない。
では、その石炭を運ぶ手段は?
という話だ。
そう、石炭なんて都合よくどこにでもあるわけではない。まして、重量物で燃費も良いわけではない。
1930年代の基準で言えば、蒸気機関車はおおよそ石炭1tで35km、水1tで10-15km程度走行可能だが、それは100年後の基準でしかない。
だが、まぁ、似たような燃費だとして仮定しても、問題は変わらない。
その大量の石炭をどうやって機関区や駅、波止場に用意するのかという話。水はなんとかなるとしても、軽々しく都市間輸送なんかに蒸気鉄道や蒸気船を用いるなんて出来ないなと思う。
そりゃあね、蒸気機関は石炭必須じゃないよ?木炭でもなんでも要は燃やせるモノがあれば何だって良い。泥炭だって、紙だって、構いやしない。
けれど、蒸気の上がりが違うし、木炭なんか使えばそれこそ都市住民の暖房用のそれが破綻するわけよ。あっという間に革命の火が燃え上がるわけ。ただですら、メッテルニヒ体制でガチガチに締め上げている世界観だよ?1848年なんて待たずに大炎上してしまう。
というわけで、結局、1820年前後に蒸気機関車を持ち込んで史実よりも15年程度早く欧州大陸で蒸気鉄道を・・・・・・なんて無理よねと。なんせ、大陸初の蒸気鉄道であるバイエルンのアドラー号のそれだって、実態はデモンストレーションでの運行だけで、実際は馬車鉄道も同然だった。なぜなら、石炭が高価すぎて手に入らないから。
なんで、バイエルンの連中は産業鉄道という大英帝国の蒸気鉄道のそれを見習わずに都市間鉄道なんて作ったんだと本気で思ったよ。その点、プロイセンは正しく蒸気鉄道の用い方を学んで、ルールとベルリン、シュレジエンとベルリンを結んで産業と都市を鉄道で連結させた。それが普墺戦争や普仏戦争で大きく効果を生み出すこととなる。
A列車的な視点で19世紀の鉄道を考えたら絶対に間違いなのだと思い知らされたよ。そう、Railway Empireの視点で考えないと駄目なんだよ。
小林一三、堤康次郎、五島慶太あたりの鉄道経営・運営・展開があまりにも素晴らしすぎて、それによって鉄道の本質が捻じ曲げられていたことに気付かされた。これらは、鉄道事業の第二世代、第三世代の考え方や手法なんだと。国土にまんべんなく鉄道網が出来て、ターミナルになる駅や都市という存在があることで成立するビジネスなのだと・・・・・・。
ついでに言えば、欧州や米帝の鉄道のそれを考えたとき、逆に見えてきたのは、あれらは未だに19世紀の鉄道事業の延長線でしかなく、それが故に逆に鉄道が衰退してしまったという点だ。Railway Empireの視点のままと言っても良いだろう。資源拠点と生産拠点を結んだ。そして、その線路で都市間輸送をするようになった。つまり、そこまでなのである。
欧州の路線図や地図上の路線を見ると、日本においての鉄道のそれと明らかに違うことが目立つ。国鉄やJRは基本的に駅間距離が長い。これは所謂19世紀からの鉄道事業の本質の延長線上にあるからだ。しかし、その駅間距離の長さを補完するように都市部において日本では私鉄が発達発展した。
いや、国鉄線のターミナルを養分に自分の沿線に人を呼ぼうとして独自発展を遂げたのが日本の私鉄である。それは小林の阪急、五島の東急、いずれも同様である。というか、五島の師匠が小林なのだから当然のことであるが、尤も、堤の西武はちょっと毛色が違う。これは軍部との関係もあったことからだ。小林や五島がニュータウン建設と国鉄ターミナルの有機的連結と分類すれば、堤は工場誘致と沿線の有機的連結と分類するべきかも知れない。
どちらが正解という話ではなく、どちらもそれぞれの手腕、手法で鉄道事業と他の事業を有機的連結させるというものであり、それによって、帝都近郊(首都圏)と京阪神が世界有数の大都市圏、産業圏に成長する起爆剤になったことは間違いない。
しかし、欧州のそれを見る限り、日本の私鉄による都市圏の成長、育成というそれがない。そうだね、日本における国鉄・JRローカル線のそれが欧州における幹線とそれほど違わないと言える。
例えば、ベルリンやウィーンなどは多方面からの鉄道が環状になっていて市内の主要な各駅に連絡しているが、これも、日本の事例で言い換えれば、博多駅や岡山駅とそれほど役割が違わないのである。多方面から確かに主要駅に結ばれているけれども、それによって都市圏が大きく成長しているかと言えばそういうわけではないのだ。
日本では国鉄・JRが取りこぼしている地域に並行線(阪急・阪神・京阪・名鉄・東急・小田急・京急など)を建設し、同時にその都市圏を補完しつつ成長させているが、そういったモノがなく、当然その結果、交通インフラが薄い地域は農村地帯と化している。トラムや地下鉄があればそれでもマシだろうが、それらもそこまで多くない。
よって、都心から10kmも離れたら田園風景である。日本の常識から考えたら、コンクリートジャングルが続いていそうな場所が青々としている。ウィーンを例にすれば、隣のブラチスラバまでたった40km程度だ。そう、大阪と京都の距離である。たかだか、30分程度で通勤出来そうな距離なのに、両都市間は国境地帯があるとはいえども、延々と田園地帯である。
京阪間約40kmには名神高速、東海道本線、阪急線、新幹線、淀川、京阪線、国道1号、国道1号第二京阪高速と8本も交通インフラがあるし、使えるわけだが、ウィーン・ブラチスラバ間約40kmは途中から単線の線路がドナウ川を挟んで2本、欧州高速が1本、田舎の2車線国道規格が3本程度である。ウィーンが200万弱、ブラチスラバが50万弱の人口を持つにもかかわらずである。
日本の私鉄の常識から考えれば、ニュータウンが3個は出来そうな感じである。そう、京阪で言えば樟葉がそうだが、あるのは文字通りの田舎の村落が点在、それも多く見積もっても人口500-1000人居るかいないかくらいのが点在。京阪間の高槻、茨木、守口、枚方などに相当する都市なんて存在しない。
そういう点を考えても、日本の鉄道事業は明らかに異質な存在だと言える。
よって、都市間輸送という名があっても、その実態は国鉄時代の長大ローカル線の鈍行列車との違いなどほとんどない始末と言っても差し支えない。速度面では上回っても、実態はそれだ。
では、ベルリンではどうかと言えば、ベルリンも規模が大きいけれど、所詮はその規模は都心で直径10kmで収まる。郊外も含めれば20km程度になる。確かに都市としての縦深はウィーンの比ではないけれど、状況を言えばそれほど違いはない。その縦深を鉄道網がカバーしていないのであるから。
けれど、同じ規模を日本で東京に置き換えると、武蔵野線が首都圏の外周の環状線になるけれど、これだとて直径30km、その30km圏内には無数の鉄道が縦横無尽に走っている。そして更にその外に相模線・横浜線・八高線・川越線などが外周の環状線として存在している。無論、この内側には多数の私鉄線が走っている。一部の例外路線を除くと首都圏の鉄道はいずれも高頻度運転が行われている。
これがA列車的な視点というものであると言える。如何にターミナルに旅客を運ぶか、ターミナルから郊外へ旅客を流すか、それに特化してしまったものだ。
本来、鉄道で貨物が収益が上がらないというのは常軌を逸した状態なのであるが、それが平然と行われているのが日本であり、米帝の場合、貨物輸送を行うために旅客輸送をやめても路線維持しているという状態から示すように鉄道の本質は物資輸送にある。実際、広い米帝どころか、狭い欧州であるのにもかかわらず、航空機に旅客が奪われてしまっているのもその鉄道の本質の枠組みというそれを脱却出来ていないことを示している。
さて、元々思考していた内容から離れてしまったのだけれども、同じ鉄道であるのにこれほど日欧米において違いが横たわっているとは思わなかった。久々に少し考えさせられた気がする。
と思って、活動報告で書き始めて途中でこっちに場を移したのである。
以下、加筆修正版こちらもどうぞ
鉄道事業論:鉄道の本質と日欧米の思想的分岐とその構造
https://note.com/designing_worlds/n/nfe68543bc257
世界観構造設計事務所|Arisaka Design
https://note.com/designing_worlds/