新年のお茶会が国の行方を左右するなんて聞いてませんでした
真冬の陽光が、ブレティラ公爵家のガラス張りのサンルームを柔らかく照らしていた。
暖炉にゆらめく炎が大理石の床を淡いオレンジ色に染め、窓辺に置かれた白いクレマチスの花弁を輝かせる。
その優雅な空間に足を踏み入れた瞬間、わたし、ハイドランジア辺境伯の娘シーリーンは、思わず一歩引いてしまった。
(こんなに眩しい場所があるものなのね…)
なにせ、ブレティラ公爵家は華頂王国の軍を統率する重鎮中の重鎮。
さらに今日は、新年早々に開かれるとある「お茶会」の日だ。
家庭教師から習った知識では、この新年の茶会は国の重要事項を決める会議でもあるらしい。そのような場に辺境伯の娘であるわたしが呼ばれるなど、普通はあり得ない。
そのあり得ない事態が、まさに今ここに繰り広げられているというわけである。
「ようこそいらっしゃいました、シーリーン様」
笑顔で迎えてくれたのは、このサンルームの主・ブレティラ公爵夫人アイリア様。ほわほわとした雰囲気の方ですが、実は「宮廷随一の知略の持ち主」と噂される超重要人物。
「さあ、こちらにどうぞ」
すらりと差し出された扇子に導かれるように、サンルームの深奥へと進むと、
そこには王妃レオノーラ様と王女ステファナ様、さらに「次期王妃候補」として名高いカレンデュラ公爵令嬢マリエンヌ様が席についておられた。
(なにこの面々。ちょっとした王族会議じゃないですか!)
わたしは思わず目を見開く。
「レオノーラ様、ステファナ様、ご紹介しますわ。こちらはハイドランジア辺境伯令嬢シーリーン様です」
アイリア様に紹介されて、慌てて膝を折る。めちゃくちゃぎこちないカーテシーを披露するわたしに、レオノーラ様が優しく声をかけてくださった。
「初めまして、シーリーン。辺境伯領の海賊の件、王家も注視しているわ。詳しく聞かせてちょうだいね」
「は、はい…どうかよろしくお願いいたします」
わたし、完全に場違い。ああ、領地で海賊と戦うほうがよほど気がラクです…。
そう、ここはただの社交の場ではないんです。
華頂王国において、高位の女性たちが重要な政治判断を水面下で行う「新年の茶会」。
王妃も参加するこの会は、格式も話の内容も桁違い。
そのような場に田舎の辺境伯の娘が混ざってしまったのだから、いまだ実感が湧かなくても仕方がないと思います。
なぜこんなことになったかというと、わたしの故郷ハイドランジア辺境伯領では、ここ数年、海の向こうからやってくる海賊の被害が急増していたから。
海賊の脅威に対抗するため、軍備の増強は急務。でも、勝手に大規模な軍拡をすると「辺境で反乱でも企んでる?」と宮廷でのほほんとしている貴族から怪しまれる可能性があるのだからたまったものではない。
そこで父は「こっそりと王家に相談だ!」と動いたのだけど――なぜか娘のわたしが茶会に召喚された、というわけ。
(父上にもう少し詳しく聞いておけばよかった…!)
アイリア様に促されてテーブルに着きながら、胸の奥でそう呟く。
なぜこんな重大な場にわたしが?――そう思わずにはいられない。
もちろん、わたしは辺境伯領の海軍でそこそこ頑張っている身ではあるけれど、だからといって王族も参加するような格式の高いお茶会に呼ばれるなんて…想定外もいいところだった。
正直な気持ち?
(今すぐ船に飛び乗って沖に逃げたい…!)
海軍の船で波に揺られながら戦うほうが数倍マシだと思えるくらい、緊張しかしてない。
光沢のある深緑のテーブルクロスに金彩が美しい白磁のティーセット。芳醇な茶葉の香りがふわりと立ち上り、さすが公爵家のお使いになる茶葉は香りからして高級ですね……などと頭の片隅で思った。
「まずは、マリエンヌ様の議題からまいりましょう。そちらの鉱山の事業開発は順調かしら?」
「ありがとうございます、アイリア様。おかげさまで、鉱夫の待遇を引き上げる余裕も出てきました」
「それはなによりね。後は販路かしら」
「ええ。付加価値をつけて他国に販売できれば外貨獲得に貢献できます。つきましては、原石を研磨して宝石細工に加工する腕の良いギルドを探しておりまして……」
「加工職人のギルドね。……ああ、ローデイシア公爵家の領地には金鉱山があるから、職人のギルドもいくつかあったはずよ。後でわたしの名前で手紙を書いてさしあげるわ」
「ステファナ様、ありがとうございます。ぜひお願いしますわ」
カレンデュラ公爵令嬢マリエンヌ様は、国境沿いの山脈を領地に抱えるカレンデュラ公爵家に生まれ、国境の反対側にある国の王女を母に持つ。この国でも指折りの「王妃候補」として有名な方だ。
隣国と縁のあるご自身の立場を活かし、隣国と協定を結んで山脈の一部で鉱山開発を行い、宝石の鉱脈を発見して公爵家の収入を大幅に伸ばした商才の持ち主……という噂は本当だったのだ。
(流行りの恋愛小説には、やんごとない身分のお姫様はお茶会で優雅に宝石や恋愛の話をするって書かれてあったけど……宝石は宝石でも鉱山開発の話とは! さすが公爵家のご令嬢……実に手堅いわ)
次に話題に上がったのが、第一王子ワイリーグ殿下と第二王子ダノン殿下。
実母である王妃レオノーラ様が、サラリと言い放つ。
「ワイリーグとダノン、それぞれの婚約相手をどうするかを話し合いたいの。王の後継者にふさわしいお相手も、そろそろ決めなくては」
この国では、男性が軍事や外交の「表の政治」を担い、女性が内政・産業の「裏の政治」を動かすのが慣例。
だからこそ、王位継承にも関わる重大な話が、紅茶と焼き菓子の香りに包まれながら当たり前のように決まっていく。
わたしは「へえ、王子様の婚約ってこんな風に決まるんだ」と他人事のように思いながら(ほんとに他人事でしかない)香り高い紅茶にそーっと口をつけた。とても美味しい。
「そうですね。では、同世代の我が家の息子ファスカルのことも、おいおい考えていただかなくては」
アイリア様が軽く扇子で空を仰ぎながら、何げない様子で口にする。
「もし王家にふさわしい人材がいない場合、スペアとしての公爵家が役に立てるかもしれませんわ」
その一言で、レオノーラ様の視線が「王妃候補」マリエンヌ様に注がれる。
「そうね、年頃の貴族令嬢の中で次期王妃に最もふさわしい人物がマリエンヌなのは間違いない。王位を誰にするかは、いっそ『マリエンヌの相手にふさわしいのは誰か』という観点で選ぶことも悪くないかもしれないわ」
「まあ、王妃様、恐れ多いことですわ。わたくしはそのような立派な人間ではありません。ただ華頂王国の未来のために『最適な決断』をしたいとは思っておりますけれど」
(すご! 次の王妃はもう確定しちゃってて、むしろ次の王様を選ぶ基準になってるってこと!? さすがマリエンヌ様……確かにあの商才は只者じゃないわ)
誰にも言えない心の声を飲み込みつつ、わたしはテーブルに所狭しと並べられた豪奢な皿からマドレーヌを一つつまむ。
辺境伯領では珍しいほどの上質な品で、生地のきめが細やかだ。――などと現実逃避をしていると、マリエンヌ様の清らかな声が聞こえてくる。
「第二王子のダノン殿下は、社交的で語学に長けていらっしゃいます。もしわたくしがダノン殿下をお支えすることになれば、外交と財政を得意とするカレンデュラ公爵家がお力になれるでしょう。国際的な交渉事や財政面でも有利になれるかと。とはいえ、王にふさわしい方を選ぶには慎重でなくてはなりません」
その言葉に、アイリア様は扇子を楽しげに揺らして応じる。
「それは頼もしい限り。ダノン殿下を王に推すならば、カレンデュラ公爵家が得意とする財政・外交の面で最高のバックアップが期待できるということね。それならば、我が家のファスカルを“王のスペア”として検討いただいても構いませんことよ」
「では、ステファナの降嫁先としてブレティラ公爵家を検討しましょう。良いかしら?」
「はい、お母様。ファスカル様には何度かお会いしたことがあります」
(えええ! そんなアッサリ結婚相手を決めちゃうんです!? こ、これが「上流貴族のお茶会」…! 宝石と恋愛の華やかな話題かと思いきや、ガチの縁組交渉なんですね!)
華麗なるやり取りと微笑みの応酬。
宝石のようにきらびやかな言葉が飛び交う一方で、“王のスペア”なんていう話すら軽妙に語られる。
わたしはただただ圧倒されて、上品な味のマドレーヌをもぐもぐするしかなかった。
すると、ステファナ様が急にわたしへと目を向けて微笑んだ。
「ところで、シーリーン様の海賊問題も、早めに皆で考えて差し上げましょう。お兄様方の婚約話とも、どこかで繋がるかもしれませんもの」
(いや待って、王子の結婚の話と海賊の被害がどう繋がるんです!?)
一気に注目が自分に集まって、手が震えてティーカップを落としかけた。
危ない危ない、ここで大惨事を起こしたら辺境伯家の面目が…。
マドレーヌで喉を詰まらせながらも、わたしは何とか姿勢を正した。
「ええと…わがハイドランジア辺境伯領はここ数年、海賊の脅威にさらされております。商船の被害も増えております。ですが、軍備や船を増強したくても中央の貴族の皆様から余計な疑念を抱かれる恐れがあり…隣接する領地との協力にも苦慮している状況なのです」
マリエンヌ様がすっとティーカップを置いて頷く。
「確かに。辺境の領主同士が不用意に軍備を拡大すれば、中央は『独立の意図があるのでは』と疑うかもしれませんね」
「誓って、私どもは独立や反乱などは考えもしておりません。軍備を…海賊に対抗するための船の新造や、それらを動かすための水兵の育成を早急に進めたいだけなのです」
ここすごく大事。今日いちばんの情熱と誠実さを総動員して、わたしは丁寧に辺境伯家の考えを皆様にお伝えした。
「ハイドランジアの隣シャシール辺境伯家はわたくしの母の実家。国境を守る任務の大変さはよく理解しています。さて…これは皆の意見を聞いてみたいのだけど…早急に軍備を整えたいということであれば、隣接する辺境伯家や伯爵家ではなく、もっと中央に近い公爵家や王族との縁組の方が、より効果的ではないかしら?」
レオノーラ様が扇子で軽くパチンと音を立て、穏やかに微笑んだ。
「妃殿下のおっしゃる通りですわ。中央に余計な疑念を抱かれることなく、軍備を増強したいというのであれば、やはり王家かそれに準じる公爵家と縁続きになり、信頼関係を強固にするのが理想的でしょう」
国軍の重鎮であるブレティラ公爵の妻であるアイリア様のお言葉は、重い。重いけれど……いま「王家か公爵家」とかおっしゃいませんでした?
「ならば、軍の指揮権を持つ王族と縁続きになるのはどうかしら? ワイリーグは騎士団の名誉団長。実戦経験もある上に、水兵を育成するまでの繋ぎとして辺境伯領に国軍の一部を駐屯させることも可能よ」
……。
……はい?
わたし、とんでもないことを聞いたような気がするんですが…?
だってワイリーグ殿下といえば現王の第一王子、辺境伯の娘には正確なところは知りえませんが王位継承権一位(多分)のお方!
そんな超重要人物が、よりによって西の端っこの辺境伯爵家と縁組とか…「いやいや無理無理無理!」と慌てるわたし。
「え、あの、ワイリーグ殿下は王位継承者の第一位でいらっしゃいますよね!? とんでもないことですわ! なんと恐れ多い…!」
飛び上がらんばかりに身を縮めたわたしに、王妃様はさらに続ける。
「シーリーン、わたくしたちは国土の防衛のために話し合っているのですよ。海賊対策を急ぐなら、王族で軍の指揮権を持つワイリーグがもっとも理にかなった相手でしょう。しかもあの子は脳筋…国家運営よりも軍隊の指揮が向いている男です」
(ちょっと待って、その「脳筋」発言、母上から聞いちゃっていいんですか?)
言外に長男は王に向いていないと言い切った王妃。つまり辺境伯家に第一王子を婿にやると。なにそれ怖い。「新年の茶会」がこんな世界だなんて辺境伯であるお父様も知らなかったに違いない。
「お兄様は山賊退治にも躊躇なく赴く脳筋だから、軍務のほうが喜ぶわ」と、ステファナ様まで穏やかに笑う。
なんというか、脳筋脳筋と連呼される王子様がちょっと気の毒な気もするが、彼の適性は明らからしい。
――そして、気づけば話題は「ワイリーグ殿下を辺境伯家に婿入りさせ、海軍を強化させる」という方向へ。
「こ、これが上位貴族の政治力…」
わたしはもはやマドレーヌを食べる手も止まりました。――と思ったら、こっそりもう一個手に取ってました。緊張するとお腹がすくんですよね。仕方ないです。
それにしても、わたしはただ海賊対策を相談しただけなのに…なぜ、こうなってしまったのでしょうか。
だって第一王子に海賊相手の軍隊の指揮官をやらせるって相当ですよ?
命がけですよ?
「あの…本当に脳筋…じゃなくてワイリーグ殿下はご納得くださるのでしょうか?」
そう尋ねたわたしに、レオノーラ様は、
「もちろん。王族の務めを果たすだけですもの」
と笑顔でキッパリ。
脳筋呼ばわりされた殿下がどんなお方か、わたしは正直ほとんど面識がないんですけど……。
うう、どうご挨拶したらいいんでしょう。「はじめまして、辺境で一緒に海賊と戦いましょう」…?
想像しただけで倒れそうですが、このお茶会の流れを見ていると、もう抗う術もなさそう。
気づけば、甘く香る紅茶と焼き菓子の中で、わたしたちの未来が次々と決まっていきます。
わたしとワイリーグ殿下、そしてダノン殿下とマリエンヌ様、ステファナ様とブレティラ公爵家のファスカル様――。
驚くべきことに、これらの組み合わせが「国の未来を左右する最適解」として、わずか数時間のお茶会で固まってしまったんです!
(え、これって本人同士の意思は…?)
なんてツッコミを入れようにも、場の空気があまりに穏やかで高貴すぎて、
「えっと…あ、はい…」
と愛想笑いするしかなかった。貴族の務めですねそうですね。
しかし、わたしが抱える不安は拭いきれない。いつか直接、殿下とお話ししなければ。
そんなこんなで、わたしの運命はこの席で決まったも同然。
気がつけばアイリア様が扇子を軽くパチリと鳴らして、こう締めくくるのです。
「それでは、みなさま。本年も華頂王国の繁栄のために力を合わせてまいりましょう。殿方たちにも、わたくしたちが用意した青写真をしっかり実行していただかないと」
はい。今度は殿方たちが「茶会の恐ろしさ」を思い知る番なんですね。
ステファナ様も「お母様方には逆らえませんもの」とにこやかに微笑んでいるし、マリエンヌ様なんてまるで「さあ、わたくしがお相手いたしますわよ」というオーラを醸し出している。
こうして、わたしの脳筋王子との辺境生活がひょっとして現実のものに…
ああ、いったいどんな顔をして王子に会えばいいのでしょう。
新年早々、運命をねじ曲げられた気もしますが、これが華頂王国流らしいので仕方ありません。
甘い紅茶の香りに包まれる中、次期国王まで決めてしまう公爵夫人や王妃の暗躍ぶりを、わたしは身をもって体感しました。
優雅な笑顔の陰で、とんでもない決断をポンポン下していく彼女たちの姿は、一種の芸術ともいえるでしょう。
(まさか、お茶会一つでここまで運命が決まるなんて…。いっそ海上の嵐のほうが読みやすいわ…)
「脳筋」と呼ばれるワイリーグ殿下の方が、もしかしたらこの上位貴族たちよりずっと話しやすい相手かもしれません。
ともあれ、お茶会はあっさりとお開きに。
わたしはサンルームを出る頃には、緊張と驚愕で頭がふらふらしていました。
これからどうなるんだろう…なにせ国の命運を左右するらしいですからね。
まだ海賊は跳梁跋扈しているし、ワイリーグ殿下がどう動くのかも未知数。
けれど、一つだけはっきりしたのは、わたしがこうして「上位貴族の策謀」に巻き込まれる日々が始まったということ。
(ていうか、父上! わたしはこの「新年のお茶会」が国の行方を決めるなんて聞いていませんでしたよっ!)
――こんな窮地、海賊より余程タチが悪い気がします。
でもまあ、こうなった以上はやるしかありません。
そう、辺境伯の娘シーリーン、腹をくくって脳筋王子とタッグを組み、海賊退治も国家の行く末も、しっかり見極めてみせましょう。
(了)
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