FILE1 五反田 一彦 Kazuhiko Gotanda
「エマージェンシー、エマージェンシー。東京都浅石区4丁目赤原公園にて、2型害獣6体出現。現在、一般市民負傷者12名確認。死亡者不明。10番番隊出動要請。」
「ミズキ、東野、裕介、リョウ、行けますか?」
「ハイ。」
「うーっす。」
「最短でやったりますか。」
「10番隊、橋口、東野、峰、中野、五反田出動します。」
~ FILE1 五反田和彦 Kazuhiko Gotanda ~
突然のことだった。だからこそ、今でも昨日のことのように鮮明に覚えている。
繰り返してはいけないあの日のことを。
「お前は真面目すぎるんだよな、もう少し柔軟に物事を考えてみろ。」
私に肩を組みながらそう声をかけてくれるのは、同期の峰隆治。育成生時代によく私の不器用さを笑って慰めてくれた、たった一人の親友で世界で一番の相棒だった。
殺伐とした訓練が続く中で、彼がきりりと釣りあがった眉を八の字に曲げ、はつらつと笑う姿に何度救われたことだろうか。
ずば抜けた身体能力・判断能力がある彼は、育成期間後すぐに花形部隊と呼ばれる1番隊に本入隊し、私はその後まもなくして10番隊に補欠入隊した。
1番隊は能力値もさることながら、華のある隊員が集まり広報活動などにも赴く。ニュースでスポットライトを浴びるのが1番隊の役割だ。
一方血の気の多い殺戮部隊の10番隊に補欠入隊した私は、任務には出動できず本部に帰還した先輩方の治療に励む毎日を送っていた。まるで医務員のように治療にあたる日々。現場の状況を把握できず、ただ満身創痍の仲間たちの傷を癒す。
自分の無力さに頭を抱え、自身の能力を呪った。
両親からは「代々受け継がれてきた能力を誇りに思いなさい。」と言われてきたが、負傷を防ぐことはできず負傷した者を癒すことに徹するのが何よりも苦に感じた。
果たして、私のこの能力は本当に人の役に立っているのだろうか、そう思い峰に心の内を明かしたことがある。
「俺の能力は簡単に隊員も巻き込んでしまうから、常に最小の被害で最大出力を計算しなくちゃいけない。コントロールできなかった時の俺を見たことあるだろ?そういうときは特に自己嫌悪に陥ることがある。けど、お前がいて心持ちが変わったんだよ。お前がいれば、多少の負傷を伴う戦闘でも最大出力で臨める。だから、そうネガティブに捉えるな、十分人の役に立つ能力だし、お前は強いよ。」
彼は能力以上に熱く強い人間だった。下を向いて歩く私の手を引いて、明るい方へ無理やりでも引っ張ってくれるような、私の人生では出会ったことのない根明な人間で心の底から憧れた。
きっとこの感情は、恋と呼べるものであったと思う。
入隊後、10番隊は忙しなく任務が続いた。
国の要人が狙われる大きな事件が発生し、その現場は凄惨そのものであった。
人語を話す高知能レベルが確認された1型害獣は、子どもや女性を人質にし、人質同士を天秤にかけどちらが先に死ぬかを選択させるというあまりにも倫理に反した行為を続けていた。
ざっと300人、イベントが開かれていたであろう会場は無数の人が横たわる状況となった。遺体と見られる方の横にはまだおしゃぶりをすするような赤ちゃんや、親の死を認識し泣きじゃくる子どもなどあまりにも地獄絵図だった。
「これは...」
「五反田、今回はお前の力がかなり重要になる。できるな?」
「...はい。」
隊長が「任せた」と言わんばかりに、肩をポンと叩いてきた。
育成生時代、集団催眠、集団洗脳の現場を予想した予行演習を行ったことがあった。
今日は予行演習よりも残酷な状況である。
部隊の任務は、1型害獣の討伐および、核芯の回収。一般市民の救助は他隊の任務であったが治癒能力を広範囲に使える隊員は私だけであるため、補欠でありながら私個人に「一般市民の物理・精神治療」の任務が与えられた。
言葉にならないうめき声を絞り出し、助けを求める人が何百人も横たわる現場で感情を揺らす時間は無い。現場が見渡せる小高い場所へ移動し、祈りを始めた。
私の能力は治癒。身体的・精神的ダメージを負った者を救う能力だ。育成生時代、広範囲特化型と適性を受け主に複数人から数万人に向けて能力を発揮する訓練を受け続けた。
ここには300人程、予想していた被害人数よりも少ないものではあったが慣れない現場で実践を行うのはかなりの平常心が必要だった。
合掌するように手を合わせ、目を閉じ大きく深呼吸をする。
頭の中で、ここにいる人たちが笑顔でここに来た様子を思い浮かべる。私がすることといえばこれだけだ。
数分の静寂が訪れた後、わっと声が上がる。
目を開くと倒れていた人々は少しずつ身体を起こして、周りにいる家族や友人、恋人らと抱擁を交わしてお互いの状態を確認していた。
その中で、泣き続ける人が数名。目を覚まさない大切な人を抱える様子が目に入り胸が痛んだ。
私の力は死んだ者を生き返らせることはできない。
お前の稀有な能力は、傷ついた者を癒すとてもありがたいものだと言い聞かせられ育ってきたが、任務を重ねるごとに埋まらない心の穴がどんどん大きく広がっていく。
私は深呼吸を何度かしたのちに本隊に合流した。
1型害獣の暴れる現場では、10番隊と1番隊が討伐に臨んでいた。私は前線機動手として戦うことはできないため、後方でただ戦場を見守るだけ。
現場に出動するたびに、物理攻撃型の能力を持って生まれたかったと強く思ってしまう。
峰のように力強く戦う隊員の姿を見ればなおさら。
数時間の激闘の末、任務は成功し本部へ戻ることとなった。
1番隊がマスコミ対応を行っている。
その後ろで私たち10番隊は核芯回収作業を黙々と行っていた。
「俺らが討伐したのに全部1の手柄か。」
「血塗れの俺ら映せるわけないだろ。」
先輩方がそうぼやきながら作業を淡々と行っている。
「どうや、デカい現場は。初めてやろ。」
後ろから仁王立ちする隊長に声をかけられた。
「私ですか?」
「あぁ」
そうですか、と私は上の空ですとでも言うような言葉をつぶやき、隊長に背を向けたまま何も言葉にできなかった。思うことはただ無力だということ。
国から選ばれて特別な訓練を受けた下級隊員の末路が私の姿だと思う。
「おぉ?お前、反抗期か?いい度胸だな」
聞き覚えのある元気な声が後ろから聞こえた。
「マ対お疲れ」
「ざっす、しっかり10番隊の手柄アピールしときました」
「えぇて、そんなんせんで」
「や、俺らは10番隊無しではなりたたないんで」
どうせあの爽やかな笑顔でカメラの前に立っていたのだろう。なんだか振り向きたくなかった。
すると、頭をトントンと叩かれる。
彼が私を呼ぶときの仕草だ。
「なに、峰」
「お前拗ねてんの?いい仕事してたのに」
「君にはわからないよ、私の気持ちは」
「なんかめんどくせぇ彼女みてぇなこと言ってんな」
ははは、と笑い飛ばしてくる。
今日に限ってこのデカい声が気に障る。
そっとしていてほしいのにそういう時ほど気にかけてくるのが、峰隆治という男だ。
「この後空いてますか?五反田くん」
「…」
「本部戻ったら談話室来いな、19時に」
そう言って彼の足音は遠ざかって行った。
「峰と同期なんだっけ、お前」
「はい」
「正反対なのに仲良いんだな」
「彼が優しいだけですね」
「お前ホントネガティブだな~峰のこと見習え~?」
「そんなんじゃモテんぞ?」
先輩方は私の心境に気づいてくれているからか、あまり深く入り込んでこようとはしてこない。そのぐらいが楽なのに、峰という男は本当にすべてに全力で、眩しくて、バカだ。
本部帰還後、報告書の作成に追われ数時間が経った。
気づけば先輩方は宿舎に戻り、部署には私1人。
手元の端末の充電を忘れていたことを思い出し、充電ケーブルを差し込むと画面には大量のメッセージ通知が並んでいた。何事かと思えばメッセージの主は「峰隆治」。
そうだ、19時に談話室と言われていたがすっかり忘れていた。「ごめん、端末の充電を忘れていて連絡見ていなかった」と返信しようとした時だった。
コンコンコン
入口へ目を向けると、
「メッセージ無視すんな」
ため息をつく彼がいた。
「ごめん、端末の充電が切れていたのに気が付かなかった。」
「ほーん」
「報告書に追われてたんだよ、悪い、ごめん」
「ならしゃーなしか」
彼は私のデスクの隣に腰かける。
「座学得意だったよな、五反田。なんでこんな時間かかってんの」
「うるさいな」
「なんだよお前、今日ずっと機嫌悪いな」
いたずらっ子のような表情を浮かべているのであろう。
長年の付き合いともなると顔を見なくとも想像ができる。
「気にかけないでくれ、本当に」
「なんで?」
生まれた時点で違う次元にいる私たちだ。
やれ親友だ、仲間だと思っていたのはただの夢であって、現実は雲泥の差がある。
優秀な能力者の彼と所詮補欠の私。
入隊してからというもの、彼を嫉妬の対象として意識するようになっていた。
「私は君みたいに強くない」
しばしの沈黙の後、力なくつぶやいた言葉は情けないものであった。
「はぁ?何言ってんだ?なに?お前俺になりたいの?」
こういう時に限って察しが悪い。腹が立つ。
キーボードに置く手を止めて、斜め上にある彼の顔に目を向けた。
「私は任務で何も役に立たない。一部の人しか救えないろくでなしなんだよ。」
シンと静まり返る事務室に、私の投げやりな声が響いた。
「君みたいに強くないし、君にいくら憧れようが嫉妬しようが君にはなれない。無能な自分にうんざりしてるんだよ。」
こんなことを言う自分に悔しくなった。
「五反田、まだそんなこと言ってんだな。」
呆れと苛立ちが混じったため息が落ちてきた。
「今日の現場、泣きながら感謝してる人たちばっかりでお前に直接お礼を言いたいって、お前のこと探してる人だらけだったのに何が無能だ、人救った野郎が言うセリフじゃねぇわ、呆れる。」
続けて冷たい音で彼は言った。
「一部の助けられなかった人を数えて嘆くのもいい加減にしろ。お前は全知全能の神に何かになりたいのか?完璧主義もほどほどにしねぇとぶっ潰れるぞ、クソ真面目が。」
そう言って彼は手に持っていた缶コーヒーをゴンと音を立てて机に置き、部屋から去っていった。
まるで殴られたような気分だった。
突き詰める性格が精神的な強さに繋がっていると思い込んでいたが、今はそれが裏目に出ていて自分自身を潰す寸前まで心が病んでいた。
また、彼の言葉に救われてしまった。
悔しくて歯を食いしばりながら、報告書を提出し宿舎へ向かった。
宿舎ではトレーニングや座学に励む隊員がちらほら見受けられる。
10番隊は即出動が求められるため、本部からは遠く一般区域の近くに位置している。
自分の足音が響く長く広い廊下で、見慣れた姿が遠くに見えた。
育成生時代の教官で、現3番隊隊長の菅井さんだ。
菅井さんはこちらに気づいて、優しく微笑んでくれる。
立ち止まり踵を鳴らし、敬礼をする。
育成生時代の習慣だ。
「いい、やめてください。もう育成生じゃないんだから。」
「いえ。」
「君は本当に真面目だねぇ。」
語尾が伸びる独特の話し方をする菅井さんは、こう見えて日本唯一の現役女性隊長だ。
そして、私の恩師であり、同じ治癒能力者。
「今日の任務の話聞いたよ、救助300人強だって?久しぶりの現場でよくやったね。」
大きな任務だったこともあり、噂はすぐに広まったのだろう。
出動のなかった3番隊まで話が通っていたようだ。
「五反田君、私の話少しだけ聞いてくれる?」
そう言われて、自動販売機前の椅子についた。
綺麗な黒髪を耳にかける仕草からは儚さを感じられて、世間ではこういう人のことを美人というのだろうと、狭い社会の中で過ごすうえで学んだ。
「驚かないでほしいんだけど、現役除隊することになりました。」
「なぜ、ですか?」
突然の告白に思わず唾を飲み込んだ。
日本の部隊の中でもトップクラスの出動率を誇る菅井さんが?
私が10番隊に入隊が決まった時に、一番喜んでくれた菅井さんがどうして。
菅井さんは、数か月前から能力の出力が極端に弱まり、司令部からの勧めで精神診断を受けたところマイナス判定を受けたらしい。
原因は連日の現場出動による精神的なダメージ。
担当医からは治癒持ちは他人を癒すことができる代わりに、本人がすり減っていくものでその変化には気づけないものだと伝えられたと、そう悲しく微笑んだ。
そして、それについて私に話すために10番隊事務室に寄ったところ、私と峰が口論している声を聞いてしまったようで、私が宿舎へ戻るのを待っていたそうだ。
「ごめんね、盗み聞きしちゃって。」
「いえ。」
「教官として7年君を見てきた私からすると、君はこれからも多くの人を救えば救うほど心が壊れていくと思う。昔の私を見ているようで胸が痛むの。」
遠い目をして彼女が静かに言った。
「大丈夫です、私は。」
「大丈夫じゃない人ほど、大丈夫って言うんだよ。」
黒く大きな瞳がじっと見つめてくる。
「前線部隊だけがすべてじゃないの、私は除隊後は一般社会復帰して新しい人生を始めるわ。そういう未来も選べるから、若くから絶望しないで。」
視線を逸らすことなく、伝えてくれた。
自動販売機の白い光に照らされた菅井さんの表情から感情を読み取ることはできなかった。
目の下にクマを作り、少し頬がこけている姿からなぜか「死」を感じてしまった。
菅井さんと別れ、談話室を通り寝室のある自室へと向かった。
寝室は、私が極度の不眠症なことを気を遣ってくれた隊長が一人部屋にしてくれた。
今になってありがたく感じる。
魘される声を誰かに聞かれて、心配されることもない。
今日は特に魘されるだろうな、とため息をつき睡眠導入剤を飲み込んで目を閉じた。