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安眠枕 ~カミ×カミ原石~

作者: シャー芯

 いつものように静かな夜だ。 カーテンレース越しに浮かぶ三日月がとても美しい。 ウトルは叔母の揺り椅子に座り、何処からか聞こえるフクロウの鳴き声に耳を澄ましている。 手元に開いた本がある。 けれど、ページがめくられる事は無い。 

 「眠れないのかい、ウトル」

 「叔母様」

 ウトルは本を閉じ、小さく優しい声の主へと身体を向ける。 ゆっくりと左手を前へやると暖かい物に触れた。「これは」 そう尋ねると、叔母の冷たい手がウトルの指先を覆い包む。

 「暖かいミルクだよ、坊や」

 叔母はウトルのもう一方の手を取り、暖かいミルクが入ったコップを持たせた。 ウトルは「ありがとう」と言い、ミルクに何度か息を吹きかけ少しずつ音を立てて飲んでいく。 叔母はその様子をじっと、遠い優しい目で見つめている。 

 しばらく、そうして時を過ごした。 その時のなかで、なんどか流れ星が地上に向かって飛んでいった。 叔母は数や人の名前を覚えるのがめっぽう弱いのです。 だから、流れ星がもう何度空を飛んだのか分かりません。 けれど、流れ星が流れるたび叔母はロザリオをそっと握り、同じ願い事を繰り返しました。 

 そして、叔母はウトルを見張るようにして見つめます。 願いがいつ届くか分からない、けれど、きっといつか坊やの下へやってきて願いをかなえてくれる。 そう、ただ信じて待っているのです。 

 叔母の視線を感じたのか、ウトルはミルクの半分ほど入ったコップを胸の位置まで下げ、ゆっくりと静かに息を吸い込むと話しだした。

 「叔母様、今日は一段と静かで月が綺麗です。 なので、僕は眠ることが出来ないでいました。 だって、こんなにも神秘的な空間は珍しいでしょう。 こんな夜は、森のささやきとフクロウの歌声に耳を澄ませ、テサロニケへの手紙を読んでいたいのです。 だから、どうかあともう少し此処に居させて下さい」

 森のどこかにいるフクロウが小さく、ホーホーと鳴き空にはまた流れ星が舞い踊っています。 本当に今日は綺麗な夜です。 けれど、月はウトルが話している間に黒い雲へ飲み込まれてしました。

 空を見上げ、祈りながらウトルの話に相槌をうつ叔母。 黒い雲に視線を移し、明日は大雨になるだろうと予想した。 

 「ええ、ええ、かまわないよ。 坊や」 叔母はそう言い、ウトルの太ももの上にたたんで置いてある聖書に目をむける。 

 「叔母様、ありがとう。 暖かいミルクと優しい言葉、大きな満月に満点の星空。 今日は感謝したいんだ」

 ウトルは再び、窓の外へと身体を戻した。 

 「本当に今日は美しい、なんて綺麗な満月なんだ」 ため息まじりにウトルは言います。 その言葉に、叔母は心を誰かに強く締め付けられる思いで一杯になりました。 だって、今日は満月の日ではないのですから。

 黒い雲はすっかり月を飲み込み、星たちも徐々に消えていく。 流れ星も無くなってしまい、叔母は小さく頭を下げました。 今日も、星たちはウトルの元へ来てはくれなかった。 やり場の無い思いがそっと目に涙を浮かばせます。 けれど、ウトルにはわからないのです。 「ああ、本当に綺麗だ」 彼はそう繰り返し言い続けました。 時折、ぬるくなったミルクを口に運んで。  

 叔母はウトルに気付かれぬよう、物音をたてずに静かにソファへと腰を下ろしました。 そして、繰り返される行動と言葉を見守るのです。 月が消え、わずかな星の輝きで照らし出されたウトルの姿は、少し不気味でした。 まるで、良く出来た操り人形の様です。 

 そうして間もなく、窓の外の夜景は、どんなに口の上手い詐欺師でも綺麗とは言いがたい風景になってしまいました。

 「ねえ、叔母様。 暖かいミルクが月明かりに照らされて輝いてるんだよ」

 ウトルが言います。 さっきまで叔母が居た場所へと言葉を投げかけている。 もう、そこには誰も居ないのに。 叔母はソファに腰を下ろした自分が、とんでもなく悪い人間だと思いました。 ウトルの笑顔……きっと、一生懸命なのだ。 それと同時に、とても大変なことなのだろう。 なのに、自分は「疲れた」 と、ただそれだけで休んでしまった。 

 ウトルは休むことが出来ない、そして、許されない立場だというのに……。

 「ごめんなさい、ね」 

 なにも出来なくて、知らなくて。 叔母はロザリオを両手で包み、ウトルを元に戻してくださいと再び星に祈りを捧げるのでした。 

 叔母がウトルのことを知ったのは、つい最近のこと。 

 それは、ウトルがまだ少年としてこの地上で生きていた時の話――。

 ウトルは両親が戦争により死んでしまい、父親の仕事仲間だという男に連れられてここへ来た。 目の周りを真っ赤に火照らせて、恨めしそうにこちらの様子を伺っていた。 その姿はあまりにも幼く、まるで赤ん坊をみているような気持ちになったのが、今でも心のどこかでユラユラと見え隠れしている。

 私は何の連絡もなしに唐突に娘の死を知らされ、そして、その娘の子供を引き受けることになった。 もちろん、断ることも選択肢にはあった。 けれど、それは私には出来ないこと。 

 当時の私は、くぐもった気持ちでウトルを家へ招きいれた。 

 「……よろしく、おねがいします」

 ぽつりとウトルが挨拶し、お辞儀する。 その後ろで、頭をポリポリとかきむしる男。 私の視線に気づくと姿勢を正し、小さく頭を下げる。

 「どうも、ありがとうございます」

 「いえ……それじゃ、おれは帰ります。 よろしくお願いします、ね」

 男は何度も振り返り、小さくお辞儀しながら去っていった。 その男の背中をウトルと私はどんな目で眺めていたのだろう? もう、遠い昔の話。 思い出すことはできない。

 ――揺り椅子に座り、聖書を持っているだけだと思っていた!

 「おとうさん、おかあさん、ぼくのこころにすいこまれたんだ。 ころされたんじゃない。 ぼくが生かしてあげてるんだよ。 かんしゃするべきなんだ。 なのに、ぼくのなかでぼくのことをあくまだっていうんだよ。 へんだよ。 ぼくが、ぼくをしるのがもうすこしおそかったら、ふたりはばくはつでしんでいたんだ。 ぼくがたすけてあげたんだよ。 もっと、ひとはぼくを敬うべきなのに。 なんでかな? たすけてやったのに、えいえんの命をあたえてやってるのに。 ぼくのこと、憎い? そんなこといったら殺したくなるじゃない? ばかだな、ぼくのこと、おとうさん、おかあさんの子供だとおもってる。 ちがうだろ、ぼくは作られた。 ただの人形」

 一緒に暮らし始め、しばらく経った時。 ウトルという少年は覚醒したのでした。 それと同時に、この世界でのウトル少年という存在は人間ではなくなりました。 

 「あなたは人間なの?」

 そう、尋ねると、

 「ちがう」

 と言い、もう一度聞くと、

 「クラク」

 とだけ言い、遠いどこかをじっと見据えるのです。 そして、太陽が昇っていても「星空がきれいだ」と言い続けるのでした。 

 昔も、そして、いま現在も。

 「ねえ、叔母様、見えますか? いま、ひとつの流れ星がこちらへきましたよ」

 口もとが少し緩み、優しく悲しげな表情。 ウトルはいま何処にいってしまったのだろう。 その虚ろな視線の先には何があるというのだろう……。

 「叔母様、見てください。 とても綺麗です」

 「……」

 本当、綺麗だね、と喉まで出かけました。 が、叔母はぐっと弱った歯茎を噛み締めました。 ――確かめたかったのです。  ウトルの事を。 

 「……」 じっと窓の外へと視線を向け、手元に置かれた聖書の数ページがパラパラと風で泳がされている。 叔母の返事を待っているのか、なにも語ろうとしないウトル。

 窓ガラスが、強い風をうけてゴトゴトと軋み合う。 どこからか家の中へと風が入りこみ、カーテンレースと、暖炉の火を揺らす。 

 さっきまで夜空に少しばかりと輝いていた星たちは、どんよりと重たい雲の寝床へ潜ってしまいました。

 「……眠くなってきました、叔母様。 申し訳ないのですが、ベッドまで手を貸してもらえないでしょうか?」

 透き通るはっきりと静かな声。 ソファに腰掛けている叔母はその声の主がウトルだとは思いませんでした。 なぜなら、その声はずっと昔。 この人里はなれた場所で産声を上げたウトルの母。 叔母の娘の声だからです。

 ああ、やはり本当だったのね。 人の心に住み着き、そして、その心を自身の中で構築し、“セカイ”を造る――。 他者の魂、記憶をそのセカイに留まらせて、心を食する。 

 「ええ、いいわよ、ウトル。 もう、寝ましょう」

 叔母はソファから腰を上げ、ウトルの元へと歩み寄る。 その間も、ウトルは「星が綺麗だ」 とさかんにしゃべり続けていたのでした。

 冷え切ったミルクの入ったマグカップを近くにあるローテーブルに置き、小さく細いウトルの手を握った。

 「さあ、お部屋にいきましょう」

 ウトルはコクンとうなづき、何も見ることの出来ないであろう瞳を、暖かい叔母の手の方へ向けじっと見つめた。

 部屋に入り、ウトルをベッドへと導く。

 「叔母様、いつもありがとう御座います。 おやすみなさい」

 「ええ、お休み。 ウトル……いい夢を」

 「叔母様も」

 横になり、そういい終えるとすぐにウトルは眠りへと落ちたのでした。

 叔母はしばらくベッドに浅く座り、ウトルの寝顔を悲しそうに眺めるのです。 そして、ウトルのベッド脇にある小さな横長の本棚の上。 ……そこに置かれた花瓶から青いチューリップを、ひとつ取り、ウトルの枕元へそっと飾り付けたのでした。

 「ごめんなさい、ウトル。 いい子なのに、ごめんなさいね。 でも、もうこれ以上、苦しむ姿見たくないのよ……」

 ぽろぽろと零れ落ちる雫。

 叔母はウトルの柔らかな髪を何度も整えるように繰り返し撫で続ける。 そのもう一方の手で、ロザリオを強く握りしめながら。

 「ウトル、あなたはもうこのセカイに居てはいけない。 このセカイはあなたに不幸しか与えてはくれないわ。 私のことは気にしないで……いいえ、私のことは忘れなさい。 このセカイも忘れるのよ。 あなたがクラクだっていう事も! すべて、忘れるのよ……」

 いつの間にか、呟きが叫び声となってしまった事に叔母は気付きもせず、ウトルを強く抱きしめ、ただ涙した。

 ホットミルクに入れた薬草の効果が出てきたのか、ウトルの口から赤い一筋の液が流れ出てきた。 けれど、苦しんでいる様子はない。 

 「ウトル、幸せになるんだよ」 

 そう言いウトルの頬を優しく撫でる。

 その時。 口から流れ出た血が、叔母の手に付着した。 すると、叔母の手から小さな赤い虫が沸き出てきたのです。

 叔母は驚いてそれを振り払ってみると、掌の一部が無くなっているのでした。

 年老いた脳が、この予想もしなかった事に驚きを隠せずにいる。 それは事実。 出来れば、こんな恐ろしい事には関わりを持ちたくなかった。 それも事実だ。

 だけど、もうセカイは戻せない。

 私に出来るのは、ウトルを、人間として生かしてやることだけ。

 ウトルのわずかだが露出した肌には、幾つもの痣の様なものが浮かんでは消えてを繰り返している。 遠くで鳴いていたフクロウも、ガタガタと音を立てる古びたガラス窓も、暖かく、そこで絵本を読み聞かせるのが大好きだった……。 娘との思い出の暖炉。 そして、ただの少年だった、孫だったウトル。 マッチ売りの少女の話を聞くたび、泣いていたっけね……。

 セカイは消えようとしている。

 長寿だが、こんなことは初めてだ。 初めてだし、こんなすごいこと経験したことがないので、よくはわからないが、きっとそう。

 だれかの心から構築されたセカイ。 そのセカイで覚醒したウトル。 両親を亡くして、こんな頑固ババアの所へ急につれてこられた不幸な少年。

 「ごめんね、ウトル……もっと、たくさん思い出」

 ……創りたかったわよね。

 辺りは砕け、見えないどこかへと消えていく。 叔母の身体も消えて、もう胸から上しか存在していない。 それでも、叔母はウトルを撫で続けた。 ウトルに触れるたび、赤い小さな虫が宙を舞い、そして消える。 

 「ウトル、聞こえているかい。 わたしは一人このボロ家で、娘から手紙ひとつこない生活に飽き飽きしていたんだよ。 そんな時、ウトルがやってきた。 娘の死の知らせと一緒にね。 ふふ、正直面倒だと思ったよ。 だけどね、不思議と一緒に暮らしてみると毎日がいきいきしてねえ……」

 ――楽しかったよ。 ありがとう、ウトル。

 そう言葉を置いて、叔母は上も下も無い空間から姿を消した。


 静寂、――音を知らないセカイ。

 ウトルは新しく生まれ、そこで初めての音を創った。

 「……叔母様。 あり、がと」

 そして、新しいその世界で初めて人が死んだ。 

 ウトルは人間へと還ったのでした。

 青いチューリップと、満天の星空。 流れ星が輝く世界へ……。

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