香水と竜の鉤爪
入浴すると決めたのは良いが、エストは近代まで鉱毒の影響で真水が貴重だったため入浴施設が存在しない。
そもそもこのゲームは海外っぽい世界観なので大衆浴場自体が少ないのだ。以前借りた王都のコテージにはバスルームがあったけど、そのためだけに泊まるのもなぁ。
セイレンのカフェの近くでは湯屋と書かれた看板を見かけたが……それが真っ当な風呂屋かどうかは分からない。レーティングによっては店内が変わってしまう予感がする。
バスルームはホームにも追加できる設備ではあるのだが、香水で匂いを固定できるので高いお金を払ってわざわざ追加するほどのメリットも無いし……うーん、どうしたものか。
「カフェの土産物エリアで香水の販売も始めようかな。作れる人が少ないうちにブランド化したいなぁ」
コウが考え込んでいる内にマリは新しい商品案を練っていた。流行物は足が早いので最初に独占販売してネームバリューを作り、徐々に高級路線へと切り替えてゆくつもりのようだ。
高級品となれば購入者が限られてくるだろうが、アイテムは経年劣化しないので在庫を抱えていても問題は無い。
コウの錬成スキルがリセットされてしまったせいでアイテムを大量生産できなくなった今、作業時間の割に利益率の高いブランド戦略で行くのは理にかなっている。
「香水のレシピは分かるの?」
「アップデートで追加された『蒸留機』で作れるみたいだよ。アルコールと任意のアイテムを蒸留機に入れて『錬成』するだけだって」
それでは簡単すぎて作れる人がすぐに増えてしまうのではないかと心配になったが、蒸留機はホームの追加機能なのでハードルが高いようだ。導入できるのは工房付きのホームを持っていて、尚且つ購入費を支払えるほどの資産家に限られる。
「蒸留機は今のところ香水と蒸留酒のレシピしか無いから欲しがる人は少ないんじゃないかな」
「でも蒸留酒作れるならお酒好きの人が作りたがるんじゃない?」
「酒造法違反で捕まるよ」
「え、この世界に酒造法あるの?」
「あるよ」
あるんだ……。知らずに作る人いそうだな。
「蒸留酒は酒屋で普通に売ってるし、酒造法に引っ掛かるから作らないよう掲示板で注意喚起しておこうかな。これで蒸留機を欲しがる人が減ると良いんだけど」
マリは競合の芽を早めに摘んでおこうと策略を巡らせている。設備と錬成スキルさえあれば誰でも作れてしまうからな。
「予測できるライバルは『工房こすもす』くらいだね。あそこは薄利多売だから差別化のためにも高級路線で行きたい」
マリが警戒するように目を細める。
『工房こすもす』はおっとりした美少女プレイヤー(中身がそうであるかは置いておく)が経営する雑貨屋だ。
買う人に喜んでもらいたいという想いから良心的な値段設定をしている人気のお店らしい。マリとは真逆のスタンスだ。
マリは商売敵であるそこの店主を以前から警戒しており、度々変装したNPCスタッフを敵情視察に向かわせては経営状況を逐一チェックしている。
他にも競合店はあるのに何故『工房こすもす』ばかり警戒するのかと聞いてみたところ、マリ曰く「おっとりした人間がたった一人で店舗を切り盛りできる筈がない。あれはエンジョイ勢に見せかけた廃人プレイヤーだ」とのことだった。
言われてみれば確かに、生産と経営を両立させるのは簡単な事ではない。と言うのも商売はゲーム内独自の法律を守らないと逮捕されてしまうからだ。
申請書類を出したり設計図を書いたり、時にはNPCと交流して素材を安く仕入れたりと、マリもNPC従業員を雇うまでは忙しく動いていた。今では最終チェックをするだけで良くなったようだが。
件の店主は生産を熟しながら店を回しているだけでなく、なんと素材採取までもある程度は自力で行っているらしい。これは長時間ログインしていないと無理な作業量だろう。
双子の少年NPCを雇っているようだが、子供NPCは店番と資材運び程度の仕事しかできない。
マリが言うには「子供のNPCは賃金が安く済む代わりに書類作成や他のNPCとの会談などの業務を任せられない仕様になっている」のだとか。無理にやらせても失敗するようだ。
「香水だけじゃなくアロマとか石鹸とか、入浴剤とかも一緒に販売できれば集客に繋がるんじゃない?」
経営のことは分からない、と黙って聞いていたユキがふと思い付いた案を披露する。
「良い案だけど、そのアイテムが存在するのかどうか……」
「お香なら神殿で見たことあるよ。たしか何かの儀式で使う小道具だったと思う。どこで作ってるのか聞いてこようか」
「俺も王都のコテージに石鹸が置いてあったのを見たな」
マリの懸念にユキとケイが目撃情報を寄せる。
そういえば先日暴走した運営スタッフは【アーティファクト】以外のアイテムならレシピが存在するようなことを言っていたな。試してみる価値はありそうだ。
僕も何か役に立ちそうな案を……と思いながら視線を彷徨わせていると、現在僕達が歓談している談話室の壁に掛けられた額縁が目に入った。中には【リトルパンテラのたてがみ】が飾られている。
そういえば以前リトルパンテラのおでこの匂いを嗅いだ時はバタークッキーみたいな良い匂いだと感じたな。
「出血ネズミの毛で誘引クッキーが作れたみたいに、リトルパンテラの毛で『猫の匂いの香水』とか作れないかな?」
猫好きには売れるんじゃないだろうか。
コウは今頃セイレンのカフェで稼いでいるであろう猫達を思い浮かべた。素材は毎日のブラッシングで容易に手に入る。
「……ッ、採用!!」
ガターン!と椅子を蹴倒しながら立ち上がったマリが、音に驚いたのか倒れた椅子を見て目を丸くしていた。君が倒したんだよ。
「喜んでもらえたようで何より。石鹸はどうする? 王都で流通してるなら作るより仕入れた方が早いかな?」
コウの問いに、椅子を立て直したマリが顎に人差し指を当ててふぅむと思案する。そのまましばらく悩んでいたが、良案を思い付いたと微笑んだ。
「皆で温泉に行くのはどう? で、旅行がてら入浴グッズを探してみようよ。地方なら王都よりも物価が低い筈だし安価で良質な物を仕入れられるかも」
温泉旅行か、いいなぁ。
コウが悩んでいた入浴施設の件もこれで解決だ。マリの言うように掘り出し物も見つけられると尚良いのだが。
でも温泉が沸いてる場所なんてあるのだろうか?
「エストは鉱山に囲まれてるけど活火山じゃないから温泉沸いてないんだよね。確かフィートが温泉街だったはず」
そんな細かい設定まであるのか。
マリの言葉に少々驚きつつ、マップを開いてフィートを探す。しかし馴染みの無い地名なので中々見つからない。
ユキはメニューを開くのが面倒なのか自力で探すのを諦めたのか、マリのウィンドウを横から覗き込んでいた。要領が良いな。末っ子だからか?
「んー、どの辺?」
「セイレンの西から北上した……ほらココ、爪先だからフィートだよ」
フィートは爪先から踵までの部位を示す言葉だ。以前ユキから聞いた竜の伝承を引き合いに出して教えるマリの声に、記憶と記憶が結びつく。
竜、爪先……竜の鉤爪。
「竜の鉤爪!」
謎が解けた爽快感に思わず声が大きくなる。一瞬キョトンとしたマリも、直ぐに「成程!?」と叫んだ。
コウは呆気に取られていたケイとユキに向かって言う。
「ハロウィンイベントで魔物が最初に出現するのは竜の鉤爪だ!」
──間違い無い。イベントは竜の鉤爪、フィートから始まるのだ。
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