〈!〉
「…よし、記録開始。映ってるかな?」
錆まみれの大きな鉄製の廃屋、その前に立つ二人の男女。辺りを見渡し様子を伺う。時刻は午後三時半、人の気配の無い森の中にある廃屋へとやって来たようだ。
「先輩、これ終わったら飯行きましょうよ」
「気を抜くな、俺達は調査依頼で来たんだぞ。事の重大さを自覚しろ」
「そうよ。気を引き締めなさい」
二人は振り返り、撮影者を睨む。スーツの首元に掛けられたカードには名前なんて書いていない。只一つ、道路標識の写真があった。
『〈!〉』
「相変わらず、このカード変ですよね。社員証なら普通顔写真と名前じゃないですか?…なんて意味だろう」
撮影者は自身のカードを手に持って呟く。黄色い標識に描かれた“!”。免許取得のテストで見たことがあった。名前は確か…
「“その他注意”だったかな。俺はそう習った」
「なんですかそれ」
「道路標識では表せない危険を知らせる為のマークだそうだ。俺達の事務所の名前も“その他注意”と読むんだ」
「へぇ…」
何に注意すれば良いのだろうかと、撮影者は唸りながら考える。そんな姿を見て呆れながら廃屋へと歩みを進める女性。
「じゃあ、なんで名前も顔写真も無いんですか?」
「なんだ、お前は聞いていなかったのか」
男性は振り返り、笑みを見せた。マスク越しでもわかる、怪しげな笑みだった。
「しくじったら、居なかった事になるんだ。居なかった奴に、名前も顔写真も要らないだろう?」
…
映像は進み、廃屋の内部に入った。工場跡地なのだろうか、大型の機械や工具が残されたままであった。埃と錆にまみれた機械や工具はもう使い物にならないだろう。
「経過報告をする。内部に潜入、特筆すべき事象は無し。依頼にあった道具箱は未だ発見出来ず。これより内部を通過し、渡り廊下を通って隣接する木造建築物へ向かう。」
「…にしても、不気味ですね。何年人が入らなきゃこんなことになるんだか…」
雪のように積もった埃を払って、撮影者は呟く。余程長い間人が立ち入らなかったらしく、蜘蛛の巣等で不気味さが増していた。すると、撮影者の呟きを聞いたのか、女性は振り返ってクスクスと笑った。
「いや、立ち入っていた様だぞ。ほら、先客の痕跡だ」
男性が指差す先には、真新しい足跡があった。積もった埃の中にあった、靴の足跡。奥に向かって続くそれは、誰かが奥に進んだ証だった。
…
「経過報告をする。隣接する木造建築物に入った。内部に家具等は確認出来ず。先程の建造物と違い二階がある事を確認した。これより、二階へと進む。」
カメラを片手に自撮りのような姿勢で報告をする女性。手慣れた持ち方で淡々と報告を済ませ、カメラを前に向ける。明かり一つ無い暗い木造建築物の内部も埃が積もっており、所々見える床や壁は変色していた。腐敗しているようだ。
「あぁ、先程まで撮影していた彼は一足先に出た。私達より前にあった足跡を見せた途端に震えて動かなくなってな。全く、情けない男だ。」
呆れてため息をつきながら、奥にある階段を昇る。ギシ…ギシ…と軋む音に怯みも驚きもせずに先へ先へと歩みを進める。
「二階に到着した。部屋は…二つ。廊下の途中に一つ、奥に一つ。はは、生臭い。腐乱臭かこれは。生肉を放置した臭いが充満しているよ」
楽しそうに奥へと進む。足取りは軽く、まるで新築の内見に来たような、そんな気軽さすら感じた。そのまま廊下を渡り、途中にあった戸を開く。
「ここが手前の…うっ、げぇぇ…っ!」
戸を開けて直ぐ、女性は嘔吐した。カメラには映らぬようにしていたが、別のモノを映してしまった。
「げほっ…げほっ…はぁ…この悪臭の根元を見つけた…腐乱死体だ。縄を見るに、首吊りだろうな。見えるか、ウジも沸いている…相当時間が経っているようだ」
画面いっぱいに映る腐乱死体。皮膚は爛れ、肉は腐敗し変色している。全身に渡ってウジが蠢き、見るに堪えない状態となっていた。撮影していた彼女も、映しながらもう一度嘔吐した。
「はぁ…はぁ…いや、実に最悪なモノを見た。ははは。こうで無くてはな」
カメラには映らないが、彼女の表情は明るいだろう。そう思わせる程に、彼女の声は元気だった。
「突き当たりの部屋に向かう。道具箱は未だに見つからない。それと、先程から興奮が治まらない。公私混合するなんて、我ながらふざけているとは思う。けど、なんだろうな。とても…とても楽しい」
…
「経過報告をする。突き当たりの部屋には何もなかった。本当に何もなかった。カメラの映像が途切れていたが、そんなのは機材の不具合だ。本当だ。何もなかった。信じてくれると思うが、念のためだ。本当に、本当に何もなかったからな」
映像が再開すると、女性がカメラを両手で掴む姿勢で弁解していた。その後五分程取り乱した後、我に返って冷静さを取り戻した。
「…再度経過報告をする。突き当たりの部屋には、道具箱があった。これは回収出来た。部屋には他に、真新しい遺体があった。頭部を殴られたらしく、鮮血で床一面が染まっていた。先程の首吊り死体を見た後に見たので、少々取り乱してしまった。これより、帰還する事にしようと思う」
淡々と報告を済ませ、カメラに笑みを向ける女性。取り乱していた様が解るように、マスクやスーツは赤黒く染まっている。
「よし、そろそろ録画も終わりに…」
「…ぜん…ぱ…い」
録画停止しようとした彼女の背後から声が聞こえた。声を聞いた彼女は振り返り、何かを強く踏みつけた。何度も、何度も、何度も…やがて、ぐちゃりと音を立てて、静かになった。
そこで映像は終了している。
ーーー
調査依頼
依頼者:佐藤和明(47)
場所:群馬県某所森林奥地
内容:建物内に置いてある“道具箱”の回収
派遣人数:男性職員2名
総評
道具箱は回収されたが、職員2名は行方不明となった。今回の記録映像は道具箱と共に郵送されたUSBメモリに保存されていたものである。
映像内に映る女性について、我々〈!〉局員に該当する人物は居なかった。また、名簿一覧にも彼女の記載は無し。
失踪した二人に関連する人物として、現在調査中である。