07 バチェランチェの塔にて
「え? 今聞こえてきたのって悲鳴で間違いないよね。僕だけに聞こえていて、僕の脳みそがどうかしてしまったとかそんなことありませんよね?」
ついつい敬語になってしまうのも、恐怖のあまりからだ。
「はは。そんなアヒム執行官の脳波に異常は見られませんでした。音声認識記憶を確認。音声が確認されました。当機にも確認することが可能であったため、アヒム執行官が幻聴が聞こえた可能性は著しく低下しました」
「あ……そう」
「自動人形冗句です。わはははは」
いや、今この状況でジョークを言われても全然笑えないんですけど……
冗談好きなディアの性格は真面目過ぎて、つまらない自立型人形よりもマシだななんて考えていた自分が恨めしい。
こんないち早く逃げ出したいという状況なのにも関わらず、ディアは扉をノックしてしまっていた。
「どうぞ。扉の鍵は開いていますから、お入りください」
中から天女のような、心を懐柔するような甘い声が聞こえてきた。
「アヒム執行官の心音に変化あり。特別救命機能を開始します」
「強制停止。心音に変化あれど、僕の体自体にはなんの問題もないので、そのままでダイジョーブです」
ディアの思うがままにされていたら、やりたいこともできなくなってしまう。
ある意味では全て筒抜けなディアを横目に、天女の声に従うまま中に入っていく。
甘いにおいがする。
こんなにも気持ちが良くなることは初めてで、どうしても目がトロンと溶けてしまう。
「きっと悲鳴が聞こえてきたのだって、気のせい……ひっ!」
紫とピンクに覆われた怪しげなその部屋で見てはいけないものを見てしまった。
血まみれの大鎌に大人一人分は簡単に入ってしまう鍋。
しかも、その大鍋は火にかけられていて、よくわからない濁った液体がぐつぐつ音を立てている。
かさり、と物音がしたかと思えば、ディアが一瞬で僕の前に出てくる。
「生体反応を確認。身元不明のため、身分証明書の明示を要求します。要求に応じない場合は、すぐさま
一言を言い切るよりも先に、ディアの体が壊れた。
いや、壊れたというか――――一瞬のうちにして、体の一部が消え去ってしまっていた。
何が起こったのか分からない。
肌がひりひりする。
どうして、いや、なんで。ディアは……自立型の人形で……人形学会の博士たちが…………冥帝たちに選ばれた……最恐の兵器では。
色んな思考がまとまりもなく頭の中を駆け巡り、一気に出口を求めて右往左往する。
ディアを壊した向こう側からまた物音がした。
「ウフフ。自分で呼んでおいて失礼だけれど、悲鳴もなく消え去ってしまうだなんて所詮、人形なんて子供向けの玩具に過ぎないのね。お姉さんにはすこーしだけ、シゲキが足りなかったかもしれないわあ」
ふわっと息をのんでしまうほどの美貌がそこにはあった。
ディアの体が一部分、まるまる消し飛ばされている――と言っても体の破片がどこかに散らばっているというわけではないので体に穴が空いていると言うのが正しいのだが、そう言う状況なのに理性のタガが一気にはじけ飛んでしまいそうな気がした。
そして同時に悪寒も走った。
「今っ、」
口を開いてそれ以上言葉を続けようとするけれど、毒を吸ったように呼吸ができなくなる。
苦しい。死ぬ。助けて。
言葉にならないまま僕は意識を手放した。
壊れたディアの体が悲しそうな表情をしているように見えた。
しかし。
意識を手放したその瞬間、すぐに目が醒めた。
「あらあら姉さん。若い子を誘惑しちゃいけないわ。それにその子はアタシの客人よ?」
深紅の美貌の体が縦横無尽に暴れたかと思いきや、意識を手放させようと邪魔してきたナニカが和らいでいき、呼吸が楽になった。
安堵に胸をなでおろしてディアの方を見ると、まだ右半身から足にかけての「空虚な穴」はなくなっていなかった。
紫の甘いにおいがなくなって、今度は気が落ち着くようなにおいになった。
「なんだよこれは! 僕たちはここに、第十冥帝のバチェランチェ様に呼び出されて参上したのです。それなのに――っ、それなのになぜっ!」
「あらあらそんなに怒ったところで事件が解決するわけではないわ。時間は過ぎ去っていくばかりで、過去を取り残して未来に行けることなんてできないのよ。それに、第十冥帝のバチェランチェ様とはすなわち、アタシのことよ?」
「はあ?」
困惑しかない。
呼び出しに応じて部屋に入ってみれば急に襲われるだなんてとばっちりもいいところじゃないか。
いやこれはアタシなりの新人いびりなの、とでも言うのだろうか。
「御覧の通り、アタシの体にはアタシ以外の姉さんが住んでいるの。アタシだって好き勝手にされるのはとても不満だけれど、アナタたちが体感した通り、姉さんには尋常ない強さがある。調整不可の異常な強さがね」
壊れたディアは起き上がることもせずに、言葉を発するわけでもなくバチェランチェの言葉に耳を傾けていた。
話を要約すると、昔からずっと体の中にいた「姉さん」がいよいよ本当に調整が効かなくなっており、主神アステナの手ほどきも姿を消したことでなくなり、抑止力がなくなったせいで困っている、という事情だった。
「申し訳ございませんが、僕たちでは力になることはできません。ディアはこんなにぼろぼろになってしまったし、何より貴方様は冥帝です。私たちは冥帝直属の執行官。命じればそれで済む話ではないですか」
勿論、そんなめいれいを下されても従いたいかと言われれば否と答えるだろう。
けれど、一度引き受けた仕事を拒否するようなことはしない。
なぜわざわざ僕たちの要望を聞こうとしているのかが分からない。――聞こうとしているのなら、危害を加えないような方法だってあったと言うのに。
「それは最もな意見ね。けれどアタシだって考えなしにアナタたちを呼んだわけではないの。アナタのその様子じゃそちらのお人形さん――ええっと、ディアだったかしら、彼女には姉さんに勝てるかもしれない一縷の望みがあるの」
「そんなん、僕たちに関係ない。ディア、さっさと帰るから
「お待ちください、アヒ、アヒム執行官ん。――当機は、バチェランチェ様の願いを叶えたく思います」
「なんで」
バチェランチェ様の仰った僕の知らないディアの秘密が関係しているのだろうか。
折角、相棒になれたと思っていたのに、そう思っていたのは僕だけだったのだろうか、という寂しい感情が心にある。
「当機は自立型人形の中でも最良と謳われた人形です。当機はありとあらゆる全てを無に帰す人形なのです」
「無に帰す……?」
意味が分からない。
それがディアが秘密にしていたことで、バチェランチェ様が一縷の望みということなのだろうか。
「きっと、もしかしたら、当機ならバチェランチェ様のお姉様を『無に帰す』ことができるかもしれません。バチェランチェ様は民思いで、冥府の利益を最大限に考える方だと聞いたことがあります」
「あらあらそんなことはないわよ。私利私欲だらけで、公にいるときはその仮面をかぶっているだけなのよ?」
「いいえ。違うのです。当機には情報がありますから。バチェランチェ様が命令という形をアヒム執行官にとらなかったのは簡単です。アヒム執行官に拒否する余地を与えようとしたからです。きっと、当機とアヒム執行官を襲ったことは予測不能の事態だったのでしょう。部屋に入った瞬間、お姉様と思しき強い魔力反応を感じましたから」
ディアは自立型の人形であるだけに僕の知らないことを知っている。
僕には見えていないこともディアには見えている。
同時に僕には見えていることはディアには見えていなかったりする。
感情を識別する能力が若干低い、と博士から聞いてはいたが、相当なものだ。
きっとディアは、バチェランチェ様が涙を流していることなんて気付かないだろう。
そしてそれに僕も気付かないでおく。
「当機は人形です。この体はあくまでも仮初に過ぎず、本体は遠い世界、人形精神世界ディアノーレスに置かれているのです。はは。自動人形冗句です」
ディアがいいうと言うのなら僕に異存はない。
バチェランチェ様からのディアの体を復元するための支援を頂けることを条件に、バチェランチェ様の『姉さん』を無に帰す契約を結んだ。
壊れたディアはいつもより軽くて、なんだかいつもより温かい気がした。




