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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

勇者と魔王の祝祭

作者:

 今代の勇者は長い旅路の果て、ついに魔王の元へと辿り着いた。


 道中で差し向けられた刺客たち、村や町を支配していた魔物ども。溶岩を吐く悪竜、瘴気を操る怪物、凶悪な魔族、果ては魔王直属の四天王。それらの障害をことごとく滅し打ち倒し、彼はついに魔王城へと足を踏み入れ、そうして玉座の間で尊大に腰掛ける魔王を前に、剣を構えて立っている。


 魔王は言った。

「よくぞ来た、勇者よ」

 配下のほとんどを失ったというのに、魔王は鷹揚であった。


「なんとも天晴れだ。我はお前のような若者が現れるのを待っておった」

 それはいつもの科白である。勇者が——玉座の間まで来ることのできる勇者が現れる度、魔王はその言葉を口にしていた。


 魔王自身の時間感覚では、やや久しぶりにだ。人間の暦でいうと、百二十年ぶりである。

 そして続く言葉もまた、百二十年ぶりの勧誘だった。


「どうだ? 我の配下にならぬか」



 ※※※



 己を倒しに来た勇者を魔王が誘惑するというのはままあることで、世界の半分をやろうだの我の片腕にならぬかだのと口八丁で言い寄ってくる。これは魔王が世界を支配し始めてから千年、ずっと連綿と続けられてきた、言わば伝統ですらあった。


 まったくこれはあからさまな罠であり、普通に考えれば頷く謂れなどないだろう。


 が、ここで疑問なのが、千年もの間、人間たちは常に勇者を魔王討伐に送り込み続けてきたという事実である。

そう——千年を経てなお、未だ人は魔王を討伐せしめていない。


 これまで派遣された勇者はおよそ三百人ほどにも及ぶ。創造神の加護を得た一族たる『勇者の血脈』から選出された、人の域を超える力を持つ者たちだった。

 無論、魔王の麾下ども、特に四天王などはなおも遥かに強大であるから、道半ばで魔物に敗れた者も多いにせよ、歴代の勇者たちの中に、魔王の前に辿り着いた者がこれまでいなかったかといえば、それは確実にいるはずである。実際、これまでの千年の歴史の中、魔物どもが大いに数を減らし、平和に近い時代が訪れたことが何度もあった。そういう偉業を成し遂げた勇者が最後の総仕上げとして魔王城に挑まない理由はなく、だが魔王城に赴いた勇者が凱旋を果たしたことは、この千年、ただの一度としてない。


 勇者が帰還せぬまま、魔王は健在のまま、魔物たちは数年の雌伏の後に再び現れ、国々を襲い始め——その繰り返しである。



 ※※※



 さて今代の勇者であるが、毅然たる態度で魔王の勧誘に即断した。

「断る」


 まさしく勇者ここにありといった態度で。


「貴様などに屈する膝を、俺は持ち合わせていない」


「そうかそうか」

 魔王はそれでも歪んだ笑みを絶やさない。

 お前の返事などは規定事項だ、というように続ける。


「ところで、ここに来るまでに我の配下をことごとく打ち倒してきただろう?」

「ああ、だが、それがどうしたというのだ」


 魔王は、にい、と笑った。


「お前は知るまい。我が配下の魔物たち……ことに四天王をはじめとした幹部たちはな、元はお前と同じ、勇者なのだ」



 ※※※



 魔王城に辿り着いた勇者たちは、その後、どうしたのか。

 うち半分ほどはあえなく魔王に敗れた。その圧倒的な魔力と力は、魔王城に辿り着けた勇者でさえも敵わなかった。


 問題は、もう半分である。


 彼らは戦いに敗れるのとは別の意味で膝を屈した。

 つまり、誘惑に負けて魔王の配下となったのだ。


 何故、勇者ともあろう者たちがそのような愚行に及んだのか。魔王の下僕として、人間をやめて魔族へと転生し、人を虐げる側へと堕ちたのか。配下といっても与えられるのは人間を襲撃する際の指揮権で、せいぜいが四天王の座に就ければ上々といった程度である。本来ならばそんな誘惑に心を惹かれる謂れはないだろう。


 だが、人の心につけいるものを魔といい、頂点に立つものを王という。ならば魔の王とは人の心につけいることに最も長けた存在だ。魔王が強大なのはただ力のみではない。その周到さにおいて、世界に無二であるのだ。



 ※※※



 魔王は静かに、まるで母が子に言い聞かせるかのように語りかけた。


「なあ、勇者よ。ここに来るまで、お前は長い旅をしてきたであろう」

「それがどうした」


「我が幹部——それらはいずれも元はお前と同じ勇者どもであったのだが、まあそれはよい。奴らの討伐は、さぞ骨が折れたことであろう? 我が幹部たちはいずれも人間が足を踏み入れることのできぬ深山幽谷、瘴気立ち込める魔の領域を根城にしている。奴らの元までたどり着くのに、いったい拠点から何日の行軍をした? 森に迷い方向感覚を失い彷徨う中、どうやって食い繫いだ?」


 持ち込める食料にはどうしたって限りがある。幹部たちの根城はどれもこれも、手持ちの糧食が尽きる度に拠点へ帰るような生ぬるい旅程で辿り着けるような場所にはない。


 当然の帰結として、彼らは食料を現地調達する。

 即ち、


「お前たちがその中で命を繋ぐために食らった、魔物たち……悪竜、魔獣、怪物、そういった類の、知能なき獣ども」


 あの魔物たちは、魔王の軍勢であり、愛玩動物であり、そして、


「考えたことがあるか? 魔物がどこから生まれてくるのか。魔物の親子など見たことはなかろう? 魔物の卵や赤子など、見たことはなかろう? いずこからかふわりと発生してきて、成体しかおらず、雌雄の区別も怪しい。では、魔物たちはいかにして増えるのか。……なあ、知っていたか?」


「……なにが、言いたい」


 そして——、


「我は、人を魔へと変える力を持っている。我は千年の長きに渡り、同胞を、配下を、そうやって作ってきた。つまりだ……お前が旅路の中で打ち果たしてきた我が幹部たちが、元はお前と同じ勇者であったように。お前が旅路の中で殺し食らってきた魔物たちもまた、元は人間であったのだよ」


 魔王は静かに、己の『魔』たる手練手管を、勇者へと詳らかにした。


「お前はずっと、人を食い、人を殺してきたのだ。お前が斃すべき魔物たちは、どれもこれも元は人間だったのだ。なあ勇者よ。人を殺しながら、人の肉を食いながら、そうして我の元まで辿り着いた勇者よ。お前に勇者の資格が、果たしてあるのか?」



 ※※※



 結局のところ、歴代の勇者たちは例外なく、これで膝を屈した。


 今まで己が打ち倒してきたものの正体を知り。今まで己が食らってきた肉の味の正体を知り、例外なく心を折り、魔道に堕ちた。


 なにせ、変わらぬ。どちらについても、変わらぬのだ。


 人間の側にいても、魔王の側にいても。人を殺すことにはなにも違いはない。

 まして魔王を斃した暁には、魔物がいかにして生まれるものであったかは早晩、世に明らかとなるだろう。

 その時、勇者は果たして英雄のままでいられるのか。そんなわけはない。稀代の人殺し、人食いとして白い目を向けられることは明らかである。


 ならばいっそ、人ではない者に生まれ変わった方が楽ではないか——。


 まったくおぞましくも周到な仕掛けである。なにせ勇者が魔王を討伐する道程それそのものが、魔王が勇者を籠絡するための仕掛けそれそのものとなっているのだから。すべては魔王の掌の上であった。己を打ち倒すはずの勇者もまた、魔王が操る世界支配機構の一部であったのだ。



 ※※※



「さあ、勇者よ。我の配下となれ」


 かくして魔王は最初の命令を再び口にし、それから勇者を睥睨する。

 いや、勇者を待つ。


 時間はかかるだろう。それでもいずれこの者は膝を折り「わかった」と屈する。「あなたの配下となる。魔族にしてくれ」と懇願する。これまで例外なくそうだったように。


 勇者の決断を、人間としての最後の絶望を、魔王は待った。

 だがややあって、勇者は言った。


「断る」



 ※※※



「何故だ」


 魔王が問うてきたので、勇者は薄く笑った。


「逆に尋こうか、魔王よ。お前は変だと思わなかったのか。先代の勇者がお前に挑んでから、百二十年経つ。百二十年もの間、勇者はお前の前に姿を現さなかった。それまでせいぜいが三年、五年、長くても十年おきには現れていた勇者が、だ。それともお前にとって、三年も十年も百二十年もたいした違いはないか?」


「確かに、悠久の時を生きる我にしてみれば三年も百年もさして違いはないな。で、それがなんとなる」

「愚かだな、魔王。お前にとっては短くとも、人にとっては世代を五つは重ねるほどに長いぞ。勇者の一族はな、この百二十年間、ずっと作っていたのだ。……『真の勇者』を」

「真の勇者、だと?」


「千年。千年の間、俺たちはお前に負け続けた。勇者の一族が何度挑んでも、お前には勝てなかった。その果てに、誰かが思ったのだ。勇者の血、創造神の加護を受けたこの血を濃くすることで、勇者の力もまた濃くなるのではないかと。そして一族はそいつの考えに賛同した。千年間負け続け、頭がおかしくなっていたのかもしれんな」

「血を濃く? ……それは、どういう」


「俺の父と母は実の父娘だ。俺の父の両親は実の姉弟で、母の両親は実の母子だ。父の両親と母は更に親子でもある」


 魔王は目を見開いた。


「百二十年、そんなことをしてきた。近親婚を重ね、極限まで勇者の血を濃くしてきた。その集大成が俺だ。だがな、血を濃くすることで確かに勇者の力も増したかもしれないが……そんな生まれ方をした人間が、果たしてまともでいると思うか? まともなわけがない。俺はな、強大な力と引き換えに、ある精神疾患を持って生まれてきた」


 勇者は引きつった笑みを浮かべながら、大仰に両手を広げた。


「どうして俺がひとりでここに来たかわかるか? 仲間も連れず、たったひとりで来たか。勇者とは普通パーティーを組むものだろう? これでも旅に出た頃はひとりではなかったよ。屈強な男戦士、聡明な女魔法使い、敬虔な女僧侶、そして俺の四人パーティーだった。だがな、あいつらはもういない。何故かわかるか。魔物に殺されたのではないぞ」


「貴様、まさか……」


 勇者が抱える精神疾患とはなにか、魔王は察したようだった。

 さすが、似たような発想をするだけある、と勇者は嬉しくなった。


「ああ、どうしても我慢ができなかったのだ」

 魔王に一歩近付き、剣を抜き、


「最初は魔法使い、次いで戦士、最後に僧侶」

 陶酔したように朗々と、


「苦楽を共にした仲間は……苦楽を共にしたからこそ、えもいえぬ美味だった」

 語る。



 ※※※



「俺にはすべてわかっていたよ。初めて竜の肉を食った瞬間、ああそういうことか、とすべてを悟った。だって、俺がそれまで度々と、こっそり口にしてきた好物と同じ味だったからな。だが、魔物の肉は所詮三流だ。あれに……仲間たちの味に比べれば、どこの誰とも知れぬ者の肉など、劣化品に過ぎない。なあわかるか? 魔王。俺の気持ちが。最後の僧侶が、燻製にして大事にとっておいた腿肉がなくなった時の、俺の気持ちが。あれは三ヶ月前のことだったよ」


 勇者の目は絶望に満ちていた。


「俺は暗闇の底に堕ちた気分だった。もう、これより美味い者は食えないんだと。家族は旅に出る前に殺して食った。大事な仲間ももういない。魔物の肉など安い代用品にもならない。だったら、俺はもう二度とあの美味を味わえないのではないか、と」


 だがーー。


 瞳に、火が灯る。

 それは希望の光だった。

 生きる目標を持った、燦然と輝く道程を心の中にくっきりと描いている男の顔だった。


「たとえばだ。己の妻となった王国の姫。舅となった国王。俺を英雄と崇めて信奉する国民たち。それらはどんな味がするだろう? 俺は気付いたんだ、魔王。大事な人を失ったのなら、誰かの大事な人になればいいと。壊れてしまったものは、また築き直せばいいと。……そういうわけですまないな。俺はどうしても英雄にならねばならぬ。なのでお前を斃す。お前の配下になどなりはしない」


 勇者は剣を構えた。

「行くぞ、魔王。祝祭の始まりだ」


 今ここに、勇者の元に集いし生命の輝き、過去と未来を束ね、光となして魔王へと挑む。

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[良い点] 勇者が人格破綻して、ヤバイことやらかしてるのに魅力的に描かれている。 [一言] 短編なのに物語に惹き込まれた。
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