(2)
開催が決まって昨日の今日じゃそんなにたくさんの人は集まらない、どうせ内々で済ませる規模の小さいものなんでしょ―――ってそんなわけがなかった。
「人多すぎじゃない?」
会場へ入って最初の言葉は球技ができるほどの広さへの驚きでもなく、豪華な建物への賛辞でもなく、ずらっと並んだ大量の料理への喜びの声でもなく、ただあまりの人の多さに対するルイスへの苦情だった。
「母様が声をかければ一日でもこれくらいは集まるよ」
「へえ・・・それはそれは・・・さすが王妃様」
白目むきそう。
太陽は沈んでいるというのに会場は明るく、人々は話に花を咲かせて雑談を楽しんでいる。しかし私たちが登場するなり皆は口を閉ざしてこちらに注目した。披露宴でもないのにとんだ見世物だわ。
緊張したけれど笑顔は崩さない。愛想、大事。
「ルイスー!やっと来たか!」
人集りの向こう側から大きく手を振るのは昨日お会いしたばかりの王妃様。彼女は胸が零れそうなほど胸元が開いて身体のラインが露わになる、それはそれは扇情的で妖艶な黒いドレスをお召しになっていた。それでもイヤらしくなくどこか神秘的なのは彼女の容姿そのものが芸術的だからだろうか。
私はここぞとばかりに王妃様の顔と身体をこっそりと見回した。眼福眼福。
「母様、こんばんは」
「こんばんは、王妃様。本日はこのような場を設けてくださりありがとうございます」
形ばかりのお礼を言うと王妃様はにっこりと大輪の花が咲くように笑って私を両手で抱きしめる。
「思ったよりいいじゃん、似合ってるぞ」
「はあ、ありがとうございます・・・」
・・・褒められてるんだよね?
何故か腰辺りを撫で回されて困っていると、ルイスが間に割り入って私の腕を引っ張り身体を寄せてきた。王妃様からは解放されたけど今度はルイスの腕が腰にガッチリと回って動けない。
「あんまり触らないでよ、僕が嫉妬するから」
「あはは、ごめんごめん。可愛くってつい」
こんなに綺麗な人に可愛いと言われるのは光栄なんだけど、恥ずかしいからあんまり大きな声で言わないで欲しい。
ところが私の願いもむなしく、王妃様は元々大きめの声を更に大きくして叫んだ。
「皆見て見て~、ルイスの彼女!可愛いだろ~!」
かんっぺきに晒し者だ。
みんなにジロジロ見られている私は心の中で羞恥に顔を真っ赤に染めながら、表面上ではにっこりと可憐に笑って周りの視線に応えた。仕方ない、これも仕事の一環だ、と自分に言い聞かせながら耐える。
「母様、あんまり見せびらかすのはやめてよね。ライバルが増えるのは困るし」
「大丈夫だろ、お前ら相思相愛なんだから」
「まあね。でも横恋慕されていい気持ちはしないかな」
「お前意外と嫉妬深いんだなあ。やっぱり恋愛は人を変えるもんだな」
こういう時ってどういう顔をすれば正解なんだろう。照れる?笑う?反応に困った色事に疎い私は結局誤魔化すための愛想笑いを選択した。
王妃様、その人恋愛云々の前にとんでもない性格隠し持ってますよ。
「じゃあ僕たちは挨拶に回ってもいいかな」
「ああ、皆待ってるからな」
失礼します、とルイスと私は王妃様の前から離れた。と言っても解放されたわけではなく他に挨拶に回るべき人々が大量に控えていたからだ。
城の官僚、軍人、貴族。最初はひとりひとりの名前を覚えるために必死になっていたが、私は途中から完全に諦めてただ粗相がないようにすることに全力を尽くした。まあルイスが付いているから名前を覚えきれなくても問題ないだろう。
そして周りの私に対する反応と言えば・・・微妙。
「シンシア様はグレスデンの姫君でいらっしゃるのですか。それはそれは・・・その、大変よくお似合いで」
「グレスデン?わたくしの記憶が確かならば北にある小国だったような」
「グレスデンの王女殿下でしたか。まあ、お二人とも若いですからね。これも良い経験となりましょう」
上辺だけの分かりやすい世辞と、身分が低い私へのちょっとした嘲笑、ほとんどがそんな感じだった。ただ例外として、年頃の若いご令嬢たちにはしっかりと睨まれたけれど。
「まあ、その方本当に王女でいらっしゃるの?」
「へえ、殿下は変わったご趣味でいらっしゃいますのね」
ルイスの前だろうが思いっきり不満そうな態度を取られて心の中で苦笑する。中には遠くから暗殺者ばりの殺気を飛ばしてくる人も居た。憧れのルイス王子の恋人が私では力不足なのはわかっているけど、まさかここまでわかりやすく態度に出してくるとは。
挨拶周りで最重要としていたドローシア陛下にもご挨拶をして、そのドローシア陛下に連れられたお父様にも同時に挨拶を済ませてしまう。もっと話し込むものだと思っていたけど向こうも忙しかったようで形だけに終わった。お父様とはもっとお話ししたかったのに・・・。
「はあ、ったく疲れた」
少し落ち着いた頃、人がまばらなホールの奥に行くとルイスは誰にも聞こえないほど小さな声でポツリと呟いた。さっきまでニコニコと紳士気取ってたくせに、本当にこの人は人前じゃないとすぐに化けの皮剥がれるのね。
「夜会って何時までやるものなの?」
「適当だよ、そんなの。まあマナーとして主催が位が高い場合、その人が帰るまでは帰りづらいかな」
なるほど、じゃあ王妃様がお帰りになるまでは居なきゃダメなのね。肝心の王妃様はさきほどお見かけした時はまだ楽しそうにいろんな人と談笑していた。たぶんしばらくは終わらないだろう。
「まあ僕としてはもう目的を果たしたから帰ってもいいんだけど」
「目的?」
「恋人がいるって触れ回る事。これでしばらくは縁談も来なくなるだろうし」
「ああ・・・」
この人、私を縁談の風よけに使いたかっただけなんじゃ・・・。確かに彼ほど顔と身分が良い男性は引く手数多だろう。
「モテるのね」
私を見るご令嬢たちの顔つきが怒りと落胆に満ちていた。ドローシアの王子というだけでモテる要素は十分あるんだし当たり前なんだけど、こうやって目の前で若い娘たちが失恋する様を見るのは心が痛い。
「当たり前、この僕がモテないわけないだろ」
「ああ、うん、そうですね」
もちろんモテるのは良い子ちゃんモードの方のルイスだけども。多分本性の方だったら9割以上は逃げていくんじゃなかろうか。こんな唯我独尊男を心から愛せる人が居るのならその人は聖母かよほどの変わり者に違いない。
「何か食べる?」
「食べる」
ルイスの提案に私は二つ返事で頷いた。朝食兼昼食を食べてからロクに何も口にしていない私のお腹は激しく空腹を訴えてくる。雑音の多いここでは響かなくても私の耳にはバッチリと音が届いていた。
「持ってきてやるよ」
「私も行くわよ」
「こういうのは男性が取りに行くものだから」
そうなんだ、まあドレスが汚れたら大変だものね。じゃあお言葉に甘えて、と食事を取りに行くルイスの背中を見送った。
一人になった私は大きく息を吐き出して壁に背を預け、煌びやかな会場と着飾った人々を見て目を細める。グレスデンとのあまりの違いに、今更ながら私はとんでもない世界へ足を踏み入れてしまった気がして再び大きなため息を吐いた。
サラサラと肌触りが良いドレスも、僅かな光でも輝く宝石も、ただ身に着けるだけでお腹が膨れるわけじゃない。これをお金に換えることができたらどれだけの食料を得ることができるんだろう。
借り物をお金で換算するなんて最低なことだとわかっていたけど、私には相応しくない品々に込み上げてくるのは苦い感情。もっと心に余裕を持たせなければならないんだろうけどまだまだ未熟な私はお父様たちのような境地には達せていない。グレスデン王家の人間であることを誇りに思っているのに、こんな物で動揺してしまうなんて。
綺麗なものでも見て心を落ち着かせよう。そうテーブルに生けられた珍しいピンク色の薔薇を見て思いついた。
雪が多いグレスデンでは花の種類は少なく、花を咲かせる時期は短い。せっかくこんなに遠くの国までやって来たのだからいろんな花を見てみたかった。
近寄ってよく見ると花弁の先が薄っすらと白いグラデーションになっていて目を輝かせる。可愛らしくて上品な雰囲気だが、花の大きさは成人の握りこぶしくらいはある存在感のある薔薇だ。白いクロスを敷かれたテーブルによく映えている。図鑑では見たことないけれど新種だろうか。
しげしげ、と見つめていたのも一瞬のこと。突然上がった悲鳴に驚き飛び上がる。
「きゃあ!」
何事?と一斉に周囲の人々が悲鳴の上がった方を向けば、濃い金の巻き毛の若い娘がスカートを両手で捲り青ざめていた。虫でも出たかしら?と思ったが違う。彼女のスカートがスッパリと真横に切り裂かれていたから。
伝線・・・?いやいや、そんなわけないでしょ。あんなにしっかりとした生地が何層も一気に裂けるなんてあり得ない。彼女を心配した友人らしき人が集まってくる。
「どうなさったの?」
「まあ、スカートがこんなに・・・。一体何が・・・」
怪我はしていないようだったから何かに引っかけたのかしら、と思っていたがスカートが裂けている娘は顔を真っ青にしてフルフルと小さく震えながら首を横に振った。
「わかりません。突然ドレスが裂けて・・・」
「何かに引っかけたのかしら」
「いいえ!だって私は動いていませんわ!ずっとここで立っていました」
騒ぎにざわつく周囲の人々。「オリヴィア様のドレスが・・・」とどこかの貴婦人が呟いていたので、おそらくあの娘の名前はオリヴィアと言うのだろう。名前は忘れてしまっていたが挨拶をした覚えはある。
育ちが良さそうなゆったりとした雰囲気はどこかミランダ様に通じるものがあった。優しくて穏やかそうな容姿はまだ10代前半の愛らしさがあり、深い青のドレスに金の巻き毛が映えてよく似合っている。そのドレスも今や一目で分かるほどしっかりと裂けてしまっているけれど。
「ではどうしてこんなことに?」
「わかりません。でもドレスが裂ける前、彼女が私の真横を通り過ぎましたの」
ビシッと彼女が指さしたのは他でもない―――私。
ん?と思ったけれど彼女の横を通り過ぎたのは事実だったので否定はしなかった。ただ横を通っただけ、何もしていないのにたったそれだけで周囲の視線は一気に非難の色を帯びる。
「確かに通ったけれど・・・」
「ほら、やっぱり!」
やっぱりって何。何故私が犯人みたいな空気になっているんだろう。
ドレスは何か鋭利なもので切られていて、偶然その直前に私が通り過ぎた。状況的に私が怪しいのは確かだけれど、私に彼女のドレスを裂く理由がない。
「何もしてないわよ」
「嘘!だってあなたしかありえません」
「初対面の貴女に何の動機があって私がしたと言うの?」
「私とルイス殿下の仲に嫉妬したに違いありませんわ!」
そうよそうよ、と彼女の周りから友人の助太刀が入った。
えー、ルイスと貴女の仲って何。何も聞かされてないんだけども。まったく、女性関係で何かあるならあらかじめ言っておきなさいよね。
ここにいないルイスに文句を言っても仕方ないが恨み言が出るのは当然だ。なんだかよくわからないけど面倒に巻き込まれてしまったのは分かった。
「誓って何もしてないわ」
「嘘です」
オリヴィアとか言う娘はそうきっぱりと私の言葉を否定する。
「してないわよ。そもそも貴女の固そうなドレスの生地を裂けるようなものは持ってないわ」
「嘘!ドレスの中に隠してるんでしょう!?」
そんな馬鹿な、と思うが周囲は完全に彼女の味方だった。
私はこっそりとため息を吐く。どうしたら彼女たちは私の言葉を信じるのだろうか。周りに味方は誰もいない。私は静かに目を伏せて、いかにこの状況を切り抜けるかを考え始めた。
疑われているなら身の潔白を証明するしか道はない。
「じゃあ調べたらいいわ。ドレスが裂けてそう時間が経ってないでしょう?隠す間もないのだから、もし私がやったのなら何らかの凶器を私が持っているはずよね」
協力するから好きなだけどうぞ、と言うと彼女は唇を噛みながら眉をひそめた。そこまで私に言われてしまっては彼女は頷くしか選択肢がない。
「ええ、そうですね。そうさせていただきます」
これでしっかり証明できれば変な噂を流されることもないだろう。
ところがひと段落ついて胸を撫で下ろすも、事は簡単に解決してはくれなかった。今まで一切口を挟んでこなかった外野から、大きな声を張り上げるのはそこそこの年齢の男。
「いいや、騙されてはなりません!この女はただ時間を稼ぐのが目的です!調べさせるなどと言って、協力者と結託して凶器を隠すかもしれませんよ!」
無実の罪を着せられて多少苛ついていた私はこめかみに青筋を作りながらその男を睨んだ。どこかで見たことあると思ったらその男、昨日王座の間で陛下の隣に居た神官だ。
誰も助けてくれる人はいなかった。当然だろう、この男は陛下の隣に立つことも許されるような地位の高い神官。対して私は初めて目にする遠い小国の小娘。立場は断然不利だった。
しかし私は潔白を証明するのが最優先。このまま相手に言いたい放題言われて終わるわけにはいかない。茨の上でも背筋を正しなさいシンシア。
「つまり貴方は私が凶器を持っていようといまいと疑わしいと言うのね?」
「そんなことは一言も言っておりませんよ。私はただ、“調べる”という過程に疑問を持っているだけなのですから」
「ではどうすれば貴方は納得するのかしら」
「そうですね・・・。では、今この場で凶器を持っていないことを証明すれば信じましょう」
神官の男はひん曲がった口を右に吊り上げてニヤリと意地の悪い顔をした。この場で取り調べを受けるだなんてできっこないのを分かっているからだ。そして私がこの提案を断ることで私が疑わしいという図式を成り立たせようとしている。馬鹿馬鹿しいけれど元々私に不利な状況、信じてくれる人なんて元から居ないのだから。
あらぬ疑いで責められている私は自分を落ち着かせるために大きくため息を吐いた。ここで取り乱したって何も解決しない。ここは反感を買わないように流れに身を任せながら出方を伺うしか。
「つまりどういうことかしら?」
「ですから、この場で、貴女のドレスの下に、凶器がない、ということを示して下さいと言っています」
―――裸になれと!?
私は猛烈に腹が立った。グレスデンという国の王女に対して、ドローシアの正式な客人である私に対して、なんていう辱め。馬鹿にするのも大概にしてもらいたい。
怒りで頭が真っ白になる。カッと顔が熱を持って全身に熱く滾るような血が巡る。
「あっそう!わかったわよ!わかりました!脱げばいいんでしょう!?」
どうせ誰も私の言うことなんで信じないんでしょ!別にいいわよ!それであなた達が納得するなら!
王妃様付きの侍女たちに着せられた赤いドレスは脇の下のファスナーを下げるだけで簡単に脱げた。
バサッと音を立てて足元に落ちる布の塊、私はそれを掴むと神官の男に向かって投げつける。全身の素肌を撫でる風は冷たかった。
「ほら、どうぞ。貴方の手で好きなだけ調べればいいわ」
誰も言葉を発さなかった。床に根が張ったかのように皆の足が動かなくなり、それはまるで時間が止まったのではと錯覚するほどだった。