(1)
よほど疲れていたのか、それともグレスデンの城下で鳴り響く夜明けを知らせる笛の音が聞こえなかったからか、私はずいぶん長々と眠ってしまったらしく目を覚ました時にルイス王子の姿はなかった。代わりに侍女が一人扉の前で直立している。
「おはようございます、シンシア様。ルイス殿下はお仕事の為既にご出発なされました」
「え、嘘、今何時?」
「午前9時過ぎでございます」
大寝坊じゃないの!
「朝食の準備ができておりますがすぐに召し上がられますか?」
「ええ、お願いするわ」
「お湯の準備も整っておりますが・・・」
「いいえ、お湯は結構」
飛び起きて軽く身支度を整えるとゆったりと優雅な朝食をいただく。今回の食事は一人なので気を張り詰める必要もなく、ただ初めて目にする珍しい品々を使ったドローシアの料理を楽しんだ。見た目も味も豪華で美味しくて文句のつけようがない。
そして束の間のお姫様気分を味わった私は(本物の姫だけども)、膨らんだ胃を落ち着かせるために部屋でのんびりと過ごすことにした。こんなにゆっくりできるのは本当に久しぶりだ。
けど何故だろう、何か大切なことを忘れている気がするのは。
「お休みのところ失礼いたします。シンシア様、夜会のドレスをお選びいただけますでしょうか」
げっ!夜会!
そうだ、今晩は王妃様から夜会に誘われていたんだった。ゆっくり食事をとっていたからもう時刻は正午過ぎ、だらだらしている時間なんてない。
昨夜のようにゾロゾロとやって来た侍女たちが私に向かって掲げているのは眩いほど鮮やかなドレスの数々。それ、どこから調達したの・・・?
「いらないわよ、自分の物を着るから・・・」
こんなに立派なものではないけどそれなりに見栄えのするドレスなら一着は用意している。別にドローシアから支給してもらう必要はない。
しかし侍女は身を乗り出して食い気味に話を被せてきた。
「いいえ、今夜はルイス殿下との大事なお披露目の場ですから!シンシア様には夜会で一番の美姫になっていただかなくては!」
一番の美姫だなんて、んな無茶な。いくら着飾った所で元がコレなのだからたかが知れてるわ。
「でもドローシアから物を戴くわけにはいかないわよ。私たちは施しを受けに来たわけではないの」
我々はあくまで政治的な交渉をするためにやって来たゲストだ。ルイス王子とああなって様相は少し変わってしまったけど根本は同じだ。
強めに断ると侍女の目にジワリと涙が浮かんできて私は驚きに飛び上がった。
「えっ!?私なにかしたっ!?」
「いえ・・・いえ・・・、でもシンシア様にはとびきり着飾っていただきたかったから・・・。どんなに美しい姫君になるだろうかと私たちは楽しみにしていて・・・っ」
ぐすっぐすっとすすり泣きが木霊する部屋に気まずい空気が漂った。そんな泣くほど私にそのドレスを着せたがるなんておおよそ理解不能。
しかし人の好意を断るのは良心が痛むのも事実で・・・。
「わ、わかったわよ。そこまで言うなら今日だけ借りるわ。今日だけよ」
「はい!」
泣いていた侍女はあっさりと涙を引っ込めて、他の侍女と共ににっこりと笑った。
ん?もしかして騙された?
「さて、どれにいたしましょう~」
ここは主従揃って化け狸の巣窟かもしれない。私は一抹の不安を覚えながらも彼女たちにつられて半笑いをした。
肝心のドレスは侍女と何度も攻防を繰り返した挙げ句“赤”に決まった。本当は暗めで地味な色が良かったのに「似合いますから!」の一言で結局押し通されてしまった。
苦手なのよねえ、赤。肌が血色悪く見えそうで、しかも髪も赤っぽいから合わせ辛いと言うか・・・。
そしてドレスだけでなく彼女たちは当たり前のように靴や装飾品も勝手に選び始める。もう反抗するのも面倒だったので放っておくことにした。
時計を見れば時刻は3時を回っていて頭を抱える。今日中にお父様に報告をと思っていたけど時間的に無理だ。お父様も夜会の準備で忙しいだろうし。
「きっと白い肌に映えますわよ」
「ルイス殿下も目が釘付けになるでしょうね」
「楽しみですわね~」
キャッキャとはしゃぐ侍女たち。ドローシアの侍女たちは昨日の夕食の給仕ように寡黙でプロフェッショナルな仕事をするイメージだったけれど彼女たちは全く違う。
なんでだろうな、と思っていたその時、私の着ていた服が勢いよく剥ぎ取られた。昨日もこういうことあったなと激しい既視感に教われて思い出す、彼女たちが昨夜私を浴槽まで強制連行した侍女と同じ面々だということを・・・。
なるほど、この人たちはたぶん王妃様付きの侍女なんだろう。そして夕食のときに無言で手際よく給仕していたのがルイス王子付きの侍女たち。一口にドローシアの侍女と言っても仕える人によってそれぞれ個性があるらしい。
「くすぐったいから!くすぐったいから!自分でやるから!」
昨夜と同じく何かヌルヌルするものを全身に塗りたくられてそのくすぐったさに身を捩る。しかし抗議しても侍女は華麗にスルーして手を止める気配はない。
「コルセットはいかがいたしますか?」
「やめて、何でも着るからコルセットはやめて。苦しいのは嫌いよ」
「でもお身体のラインが美しくなりますし・・・」
「あら、コルセットは流行遅れじゃない?」
「そうねえ、最近は産前の女性には良くないって使わないのが主流だし」
「それは既婚者に限っての話でしょ?」
お願いだから真っ裸の私を囲んで喧嘩しないで。
コルセットを切っ掛けに侍女たちは水を得た魚のように喋る喋る。そのほとんどの意味がわからなかったので口を挟むこともできず、私はさながら彼女たちの着せ替え人形のようだった。
顔に何かを塗りたくられ、時間をかけて散々髪を弄んだ挙句、彼女たちの満足いく仕上がりになるまで一時間以上は経っただろう。窓の外を見れば陽が沈みかけ、別の侍女が明かりを灯すために部屋を訪れるまでになっていた。
「この出来ならヴィラ様もご満足なさるでしょう」
「いい仕上がりね」
私を眺めながら満足そうに頷き合う王妃様付きの侍女たち。
満足したのなら自分の部屋へお帰りよ、と言いかけた所でタイミングよく部屋の主であるルイス王子が帰って来た。
「あれ、もう準備終わったの?」
彼の到着に侍女たちは何故かきゃあきゃあと黄色い歓声を上げる。
「見てくださいませ、シンシア様、お美しいでしょう」
「うん、良く似合っているよ。白い肌に映えて、まるで雪原に咲く赤い薔薇のようだね」
笑顔の良い子ちゃんモードなルイス王子の返答に侍女たちは満足そうなしたり顔。
「ではわたくしたちは失礼いたしますわ」
「お二人の時間をお楽しみくださいませ」
「あ、でもドレスはできるだけ着崩されませんように」
それだけ言い残して侍女たちは突風のように素早く部屋から退出していった。
はあ、疲れた。
「ちょっと待ってなよ、僕も着替えるし」
「あ、うん」
良い子ちゃんモードが終了した彼はさっと真顔に戻り、クローゼットを開けて服を取り出し始めた。
あ、そうだわ、彼はここで着替えるんだ。
目のやり場に困った私は椅子に座って俯く。こういう時自分の部屋がないというのはすごく不便だ。裸を見られるのも嫌だけど見るのも恥ずかしい。
男って本当に楽で羨ましいわ。ルイス王子はものの5分で着替え終わると軽く髪を整えて支度を終えてしまった。一時間以上かけて準備した私のあの苦労を思うと、あまりの格差にため息が出てくる。
「じゃあ行こうか」
「え、もう行くの?」
「陽が沈むと同時に始まるのが通例だから」
「遅刻じゃないの・・・」
侍女が二人の時間をお楽しみくださいと言っていたのは一体なんだったのか。彼が仕事だったから仕方ないとはいえ、既に始まっている場へこれから入って行かなければならないなんてすごく目立つんじゃ・・・。
「どうぞ」
「あ、はい、どうも」
突然良い子ちゃんモードに変異したルイス王子は笑顔で腕を差し出してきたので、私は一応お礼を言ってそれを掴んだ。扉を開ければ腰に剣を刺した眼鏡の若い青年がいきなり現れて驚く。
彼は何故か無言で会場へ向かう私たちの後を一定の距離を保ちながら付いてきた。私がチラリと後ろを見たことに気付いたルイス王子が問いかける。
「どうかした?」
「あ、いえ、彼は部下の方?」
「ああ、彼は僕の騎士のフィズ」
「騎士って?軍人なの?」
「そう。王家の人間に直接仕える専属の護衛なんだ。フィズは昨日も居たよ」
え?そうなの?そういえば王座の間から部屋に行く時に後ろに居たような居なかったような。影の薄い感じであまり印象に残らない人なのでよく覚えていなかった。
にしても、衛兵だけでなく専属の護衛までつくなんて金持ちは違うわ。
夜でも多数の明かりに照らされて足元までしっかりと目視できるのはさすがドローシア。会場へ向かう途中の廊下は決して薄暗くはなく、ルイス王子の顔がはっきりと見えるくらいには明るかった。
「あのー、ルイス王子。ドローシアの夜会って何か特別な作法でもあるの?」
「作法はいいけど、その前にその呼び方止めなよ。なんか距離感じるし」
「そう?じゃあ親し気に呼ばせてもらうわ」
恋人のフリするなら呼び方も変えなきゃいけないのか。
「じゃあ、ルイス」
「うん、いきなり距離縮め過ぎじゃないかな。まあいいや。
作法は気にしなくていいよ、基本的に祭事でなければ無礼講だから。何かあればその時教えるよ」
「わかったわ」
ここは良い子ちゃんモードのルイスに頼らせてもらおう。人前だからたぶん親切にしてくれるはずだ。たぶん。おそらく。自信ないけど。
しばらく歩いていると、廊下はひと際明るい光に包まれた建物へと続いていた。少し距離があるここでもその賑やかさがよく分かる。
「着いた」
私は大きく息を吐くと、意を決して眩い扉の向こうへと歩を進めた。