(3)
唯一楽しみにしていた食事は味がよくわからなかった。胸中に色々な感情が渦巻いて正直食事を楽しむどころじゃない。
「ほら、これも食べてごらん。美味しいよ」
ニコニコしている良い子ちゃんモードのルイス王子はこれも食べろあれも食べろと笑顔で勧めてくる。そんな無邪気なルイス王子にクスクスと笑って微笑ましく見守っているのは給士の皆さんだ。
私は今、ルイス王子とテーブルを囲みたくさんの使用人の視線に晒されながら夕食を共にしている。晩餐会を開かれなかっただけマシだけど、今はそれよりも先ほどの一件を引きずっていた。だって私は声を大にして叫びたい。
プライバシーをください、と。
「グレスデンは普段どんなものを食べてるの?」
「普通はパン・・・かしら。冬は毎食スープが出るわね」
「寒いからね。ドローシアも冬はスープが多いよ。グレスデンはどれくらい雪が積もるの?」
「成人男性の2倍以上は」
へえ、とルイス王子は目を輝かせて話に聞き入る。年相応の純粋で無垢な瞳に相手も警戒心を解いてしまいそうな、今の彼はそんな人好きのする雰囲気の青年だった。
いい人だなあ、人前だと。ずっとこんな風だったらいいのに、なんで二人の時はあんなに残念になってしまうんだろう。
「へえ、見てみたいなあ。雪が積もったグレスデン」
「やめた方がいいわよ。本当つまらないから」
ルイス王子は器用に食べながら話しているけど、演技と食事と会話を同時にするのはとても難しい。どれか一つに集中させてほしいわ。
それでも食事を残すのは凄く勿体ないので最低限出された分は全て平らげた。
テーブルの上を綺麗に片づけられて、再び二人きりになった部屋の空気は重たい。
「お前ちゃんとやれよ」
そしていきなりクレームが来た。
馬鹿だなあ、とでも言いたそうな表情をしたルイス王子に私はキッと睨み返す。
「ちゃんとやってたつもりなんだけど」
「始終上の空だっただろうが。笑顔もひきつってて不自然だっただろ」
ハッと鼻で嗤う彼に一瞬心が折れそうになる。でも負けない。ここで引いたらドローシアで私は彼にずっとへり下ってご機嫌を伺いながら生活しなければならない。それは絶対に嫌だ。
「悪かったわね!明日からは文句言われないくらい完璧にやるわよ!」
「そうじゃなくちゃ困るよ。夜会じゃ人目もあるし、父様たちもいるだろうから」
「そうそう。夜会は―――・・・・ん?」
夜会?なにそれ。
首を傾げた私にルイス王子は盛大なため息を吐きながら、座ったままの身体をこちらの方へ向けて話し出す。
「お前、忘れたの?さっき母様が言ってただろ、明日は夜会開くから準備しろって」
「嘘!」
「嘘じゃない」
あれ!?そんなこと言ってたっけ!?
記憶をいくら掘り起こしても王妃様の言葉は思い出せなかった。同室の件が衝撃的すぎて聞き漏らしてしまったらしい。
「そんなあ・・・」
夜会って何するの?どうすればいいの。ドローシアの作法なんて何も知らないんだけど。
グレスデンでは集まって食事をすることはあれど、夜会と言われるような華やかなものはない。そんな右も左もわからない初めての夜会で上手くルイス王子の恋人を演じる自信もない。いつか人前に出る機会はあるだろうと思っていたけど、事前に練習すればいいからと楽観視していた。まさか明日行われるなんて。
「どうしよう、人前でダンスしろとか言われたら」
「できないの?」
「超、超、苦手」
ルイス王子の眉が八の字になった。
「まあ期待はしてなかったけど、そんなに酷いんだ」
「幼馴染に珍妙な雨乞いの儀式にしか見えないって言われたことがあるわ」
「ダンスは上手いこと断るしかないね」
そうね。生き恥を晒したくなければそれが正解だと思う。
「それで、夜会って他に何をすればいいの?」
「ほとんど挨拶周りだよ。それが済めばだいたいの仕事は終わり。
空いた時間で踊ったり、食事したり、雑談したり」
「へえ」
夜会って言っても王族貴族にとっては仕事場よね。少し規模の大きな晩餐会、そんな認識で合ってるのかな。
「・・・ちなみに病欠ってのはアリ?」
「医者に仮病がバレないならどうぞ」
「あー・・・了解」
出席しか選択肢はなし。どうにか無事に乗りきるしかない。
夕食が終わって少し休憩した頃に、再び侍女たちがゾロゾロとやって来て有無を言わさず私の服を剥ぎ取った。まるで追い剥ぎのような仕打ちに文句を言う間もなく浴槽に突っ込まれて身体の隅から隅まで泡だらけにされ、擦られ、何かヌルヌルするものを塗りたくられる。
「もう結構だから!一人でも大丈夫だから!」
このままじゃ何されるかわからない。そんな恐怖心から断りを入れたが彼女たちは頭の上にクエスチョンマークを掲げながら手を止めた。
ってやめて。なんでそんなスケスケの下着をさも当然かのように用意してるの。本当やめて。
「しかし王妃様よりシンシア様のご準備を承っておりますので・・・」
「大丈夫だから、自分でできるから」
お願いだから一人にしてください。
そう頼みこむと彼女たちはしぶしぶ脱衣所から去って行った。素っ裸の状態で一人残された私は大きなため息を吐く。
王妃様の考えていることはなんとなくわかったけど、こんな明ら様に初夜のような準備をされたらルイス王子だって戸惑うわ。いや、あの人は鼻で嗤うかも。
気まずくなるもの嫌だしさっさと部屋に戻って先にソファで寝てしまおう。そう思い着替えようとして重大なことに気が付いた。
―――服がない。
侍女に流されるようにしてここへついてきてしまった私は着替えを一切持ってきていなかった。着る物と言えば先ほど侍女たちが残していったスケスケの・・・。
私はそれをプルプルと震える手で摘まむようにして持ち上げた。総レースで仕上げられた一級品だけど肌の露出が半端なく、大事な所も透けてしまうんじゃないかってくらいの扇情的な下着。いやいや、私がこれを着たらお笑いでしょ。王妃様なら似合うんだろうけどさあ。
これなら全裸で部屋に戻った方がマシというもの。
仕方なく私は他を探し始めた。大判のタオルでもあれば、と思ったがバスローブを見つけて「お」と声を上げた。少し寒そうだけど、ドローシアの温暖な気候ならこれ一枚でも平気そうだ。生地も分厚くて丈夫そうだし。
羽織るとフカフカで気持ち良かった。わざわざ部屋で私服に着替えなくてももうこれで十分だ。
意気揚々と部屋に戻り髪を梳かしていると寝支度を終えたルイス王子が部屋に戻って来た。彼は私の姿を見るなり一言。
「侍女は?」
彼は私が侍女たちに連れ去られる所を見たからね。
「帰ってもらった」
「せめて髪乾かしてからにしなよ」
「大丈夫よ。いつも一人でやってるんだから」
グレスデンの城で働いている侍女は3人。一人につき3人ではない、全部合わせて3人だ。だから当然自分の身の回りのことは自分でするし時には彼女たちの仕事を手伝うこともある。
ルイス王子はふーんと興味あるのかないのかよくわからない返事をすると、ドカッとソファに腰を下ろして足を組みながら無言で私が髪を梳かす様を見学し始めた。
え、なにこれ気まずい。
なんで見られてるの。私何も面白いことしてませんけど。いいからこっち見てないでさっさと寝なよ。私なんて待たなくていいよ、先に寝なよお~。
やり辛いことこの上なかったけど文句を言う度胸もなかったので黙々と作業を済ませる。鏡を見るとルイス王子と目が合いそうだったので俯いたまま。
あ、もしかして鏡台使いたかったのかしら?
「お待たせ、どうぞ」
私は立ち上がって席を譲ったがルイス王子は立ち上がりもしなかった。鏡台使いたかったんじゃないの?
「ちゃんと髪乾かしなよ」
「大丈夫大丈夫、自然に乾くから」
「ったく、だらしないなあ」
ルイス王子は眉間に皺を寄せつつも、私からタオルを奪い取って私の髪をわしゃわしゃと拭き始めた。ドローシアの王子殿下に侍女のような真似をさせて大丈夫か?と不安になったが抵抗する方が色々と怖かったので私はされるがまま。
「はあ、まったく手がかかる」
「それくらい自分でやるのに・・・」
「遅いからいい」
せっかちなのかしら。
ルイス王子によってタオルで拭かれ終えた私の髪は当然だけど先ほどよりずいぶんと乾いていた。とりあえずよかった、髪の毛引っこ抜かれたりしなくて。
「寝るよ。今日はもう疲れた」
「あ、私ソファでいい」
遠慮してそう言ったのにルイス王子は「は?馬鹿なの?」とでも言いたそうな目で私を見てきた。
「あのさ、別々に寝てるの見られたらどうすんの。不仲だって噂立つよ?一緒の部屋なのに別々に寝るくらいなら部屋分けてもらった方がマシだろ」
「えー・・・」
それはまあ、確かに。私だけソファで寝ている所を万が一王妃様や侍女に目撃されようものなら、なんで別々に寝てるの?と訝しがられるだろう。
だからと言って一緒にベッドで寝るのはいくらなんでも不健全すぎやしないか。
「あんたは気にならないの?さすがに同じベッドに寝るのは躊躇するでしょ」
「犬と寝るのに躊躇もなんもないだろ」
私は犬ですか。女扱いされていないことで安心するべきか悲しむべきか。
仕方ないか、と腹を括って大人4人は寝転べそうなほど巨大なベッドに横たわると、ルイス王子はものの3秒で寝息を立て始めた。早っ。