(2)
あ、でもお父様にはちゃんと事の詳細を報告しておいた方がいいわよね。
私はふと思いついた。ルイス王子との恋人ごっこに誰よりも疑いの目を向けそうなのは、私が色事にこれっぽっちも興味がないことを知っているお父様だ。私が一目惚れしただなんてグレスデンの友人が聞いたらお腹を抱えて笑うかもしれない。それくらい私には縁遠いことだったから。
部屋から出て行ってもいいかなあ。
ルイス王子をチラッと見つつ考えた。人前で愛し合っているフリをするのは今後の課題として、もうそろそろこの人の部屋を出て行きたい。これでも長旅で疲れていて、旅のせいでずいぶん汚れてしまった服を着替えて休みたかった。その後にお父様に報告ができれば・・・。
「ねえ、私の部屋はどこ?着替えたいのよね。荷物は衛兵が預かっているはずだから部屋に運ばれたと思うんだけど」
「さあ。ゲストルームじゃない?」
ルイス王子はしらっとして興味無さそう。
「じゃあそこまで連れて行ってくれる?」
「夕食前にはね」
「でも今すぐ着替えたい」
「もう少し我慢しなよ。そろそろ一仕事始まるから」
一仕事?と頭を傾げていると、廊下の方からドタドタと人の走る足音がこちらへ近づいて来た。城の中での威勢のよい走りに何事だろうと驚いていると、ノックのひとつもなくバアーン!と両扉が勢いよく開かれる。
「ルイス!恋人できたってホントか!?」
文字通り部屋の中へ飛び込んできたのは、美女―――いいや、どえらい美女。ドローシアの陛下のような完璧さとはまた違う趣の整った顔立ちで、私は彼女のあまりの美しさに思考を停止させて見惚れてしまった。
ずっと見ていると頭がくらくらしてくるような色気。顔だけでなく身体付きも整っており、髪と瞳の色は暗色が多い南部の人間でも見ないほど漆黒で神秘的だった。加えて妖艶な雰囲気に魅せられて、男じゃないのになぜかドキドキしてしまう。
「母様、いきなり現れたらシンシアが驚いてしまうよ」
ドローシア王妃―――!?
ルイス王子の母君、ドローシア王妃は私を見つけるなり目をキラキラと輝かせて近づいて来た。挨拶をするのも忘れてポカンとしているとその細い両腕では想像できないほど力強く彼女の胸の中へ抱き込まれる。
ちょ、おっぱいが!おっぱいが!
「可愛いじゃん!えらい肌白い子だなあ!ルイスってば普段はおっとりしてる癖にこういうときはちゃっかりしてんだから!」
「んぶっ!んんぅっっ!」
「母様、シンシア潰れてるから」
ルイスが引き離してくれたので私は息を思いっきり吸い込んだ。危機一髪、危うく豊満なおっぱいで窒息死してしまうところだった。
「あの・・・グレスデンの、第一王女シンシアと申しま、す」
驚きと酸欠でフラフラになりながらなんとか挨拶をすると、王妃様は口角を大きく上げてニッコリとゴージャスな笑みを返してくれる。
「ルイスの母のエルヴィーラだ。よろしく」
「よろしくお願いします」
「聞いたよ~!一目惚れなんだって!?」
そうか、王座の間での一目惚れ騒動が彼女の耳に入ってルイス王子の部屋まで飛んできたのね。王妃様はまるで少女のように瞳をキラキラに輝かせながらルイス王子に詰め寄った。
「一目惚れってどんな感じなんだ!?」
「そうだなあ。ビビッて来たかな」
「へえ!お互いに一目惚れなんて運命感じるよなあ」
良かった、王妃様は一目惚れ劇を信じてくれているようだ。彼女は息子の恋を心の底から応援しているような、そして一他人として面白がっているような感じだった。彼女が味方になってくれるとすごく有難い。
「あの・・・、このような状況でありながらルイス王子に恋をするなど不謹慎だとは承知しておりますが・・・」
「なーに言ってんの!大丈夫大丈夫!」
なんだか見た目と違って豪快な人だな。王妃様は大きく口を開けて笑いながら私の肩をバシバシと叩いた。結構痛い。
真剣な気持ちを伝えようとしたがあっさりと認められてしまい、続けようと思っていた言葉を持て余した私はとりあえず笑って誤魔化した。
代わりにルイス王子が口を開いて王妃様に話しかける。
「母様、まだシンシアと話したいことがたくさんあるから後にしてくれないかな」
「そうだな、邪魔して悪かった。
シンシア、ルイスは大人しくて頼りないかもしれないけど優しい奴だからよろしくな」
大人しい?優しい?
ルイス王子、母親にまで猫被ってんのか。
「はい」
そして王妃様が「じゃーなー」と片手を上げて瞬く間に部屋から出て行った。しっかりと扉を閉め切って。
「驚いたでしょ」
「ええ、いろんな意味でね」
ドローシア王家、噂に違わぬキワモノっぷりである。陛下にしろ王妃様にしろルイス王子にしろ皆凄い。いろいろと凄い。
王様は見たものに恐怖を抱かせるほど圧倒的な存在感があるけど、対照的に王妃様は視線が吸い寄せられるように離せなくなって彼女の姿に釘付けになってしまう。王様はもったいつけるように間を取ったゆったりとした話し方をするけど、逆に王妃様はとにかく早口でよく喋るから話についていくのが大変だった。
あの二人の姿と初めて見た時の衝撃を思い出しながら口を開く。
「ご家族みんなあんなに綺麗なの?」
「上の姉さんは顔だけは普通だよ。顔だけはね」
顔以外は?
「上の兄さんは父様と瓜二つだし、下の姉さんは母様にそっくり」
「あの顔がこの世に二つも・・・!?」
ドローシア王家の遺伝子、恐るべし。
私はルイス王子の顔をまじまじと見た。言ったら悪いけど陛下や王妃様に比べたらルイス王子はそこまで極端な美形ではないと思う。この人も十分美しい顔してるんだけどもね。私とは比べるまでもなく美しいんだけどもね。
「何?僕の顔に文句でも?」
「ないわよ。似てないなと思っただけ」
「そうだね。おかげで家族の中では落ちこぼれ扱いだから」
「いや、アンタは容姿以前に性格に問題・・・」
おっと、心の声が漏れてしまった。
「なに?」
「なんでもありません」
やばいと思った私はすかさず話を王妃様に戻した。
「信じてもらえてよかったわね、一目惚れの件。全く疑って無さそうだったわ」
あそこまで信じ込まれると逆に騙しているのが心苦しくなるくらいに。
ルイス王子は「うん」と王妃様の様子を振り返って頷く。
「まあね。母様は絶対に信じるだろうなと思ってたよ。あの人は頭がいい馬鹿だから」
「母親を馬鹿って言うんじゃないの」
「鈍いってことだよ。そのぶん、父様は無駄に勘鋭いからあの夫婦はあれでバランス取れてるのかもね」
なんでそんなに両極端なの。ドローシア王家にちょうどいい人っていないのかな、いないんだろうな。
一応私の立場としては彼らは敵になるんだけど憎めない。特に王妃様なんて凄く気さくでとてもいい方だったし。
「例え嘘が切っ掛けでも仲良くなれたら嬉しいわ」
「・・・それって僕のこと?」
「は?」
「もういい」
ふん、と鼻息荒くそっぽを向くとルイス王子。何をへそ曲げてるんだか。
「王妃様がああいう人だから、仲良くなったら意外と交渉上手く行くかも・・・?」
なんだか色々大目に見てもらえそう。贔屓してもらえそう。仲良くなったらあっさりグレスデンの棄教を認めてくれたりしないかしら。
下心満載の私の発言にもルイス王子は否定しなかった。
「そうだよ。王座の間で父様が言ってたでしょ「王子の恋人の祖国は攻撃できない」って。自分の子どもには甘いんだよ、あの人たち」
そう言ってニヤリと笑う彼は完全に悪役側の人間の顔をしていた。
・・・あれ?私仲間にする人間違えた?
陽が沈みようやく外が暗くなってきた頃。待ちに待った夕食の時間が迫り、ようやくこの人から離れられる解放に凝った首を回しながら立ち上がる。
「ハア、本当に疲れた。もう今日は誰にも会いたくない」
「どうかな。母様辺りが晩餐会でも用意してそうだけど」
「ええええ?」
晩餐会とかこれ以上ないほど最悪だ。この疲れた状態でニコニコしながらルイス王子とイチャつくフリなんてしたくない。愛想笑いするだけでも怠いのに。
「パスできないかなあ」
「王妃の誘いを断れるならどうぞ」
「・・・」
そうよね、強制イベントなのよね。
まあまだ晩餐会が行われると決まったわけではないんだし気楽に行こう。ドローシアに到着してまだそう時間が経ってないんだから晩餐会の準備なんて間に合わないだろうし。
「早く部屋に行きたいわ。どこなの?」
「は?」
「すみません、連れて行ってください」
怖い。
なんでこの僕が?と笑顔ながら迫力のある「は?」につい私は謝ってしまった。
ルイス王子はそれはそれは大きなため息をつき、肺にある全ての空気を吐ききってからようやく立ち上がる。
やった!やっと一人になれる!
そうご機嫌で意気揚々と歩き出そうとする私は気づかなかった。―――魔の手がすぐ側まで迫っていたということに。
「やっほー、お待たせー」
ガチャッっと扉が開き現れたのは何故かずいぶん前に退室したはずの王妃様。片手を上げている彼女のもう片方の手には何故か私の荷物があった。
大事な事なのでもう一度言うけど、王妃様の手には何故か私の荷物があった。
ポッカーンと口を開けて呆けているとルイス王子が一歩前へ出る。
「母様、それ何?」
「シンシアの荷物、持ってきてやったぞー」
「部屋は別に用意したはずだよね」
「いいじゃん、せっかくなんだからさ」
え、何。一体何が起こっているの?
理解できず置いてけぼりにされている私を置いて親子の会話は続く。
「それから明日に夜会やるから。準備しとけよ」
「明日?シンシア疲れてるんだから休ませてあげてよ」
「いいじゃん。早く息子の恋人自慢したいんだから」
「いつものホールで?」
「そ」
そして「じゃあまた明日なー」と王妃様はこちらに何度もウインクを寄越しながらフェードアウトして行った。
「―――おい」
呆けていた私は彼に呼ばれて驚きつつも返事をする。
「は、はいっ」
「なにボサッとしてんの」
「え・・・だって・・・なんで私の荷物・・・」
いまから部屋へ行って着替えるはずだったのに、その着替えが入っている古びた茶色のバッグはルイスの部屋の床に横たわっていた。衛兵に預けて私の部屋まで運んでもらったはずなのになんでわざわざ王妃様が?
「一緒の部屋使えってことだろ?」
「んな馬鹿な」
あはは、と笑う私はこの時は本当に冗談だと思っていた。あはあはと笑い続ける私だけど一向に表情を崩さないルイス王子を見てだんだん声が小さくなる。
「あは、あははははは・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・え、冗談でしょ?」
「んなわけないだろ」
「はあああああああ!?」
一体どうなってるのこの国は!出会ったばっかりの男女を普通同室に泊める!?あり得ないでしょ!!
「何考えてるの王妃様!」
「『愛し合ってる恋人なら一緒の部屋にしてやった方がいいだろ。あたしって気遣い屋だなー』って思ってるよきっと」
「いやいやいや、ないわ。普通にないわ。ドローシアって貞操に厳しいって聞いてたのになんなの。ドローシアってそういう国だったの?」
「いや、あの人が変わってるだけだから。普通未婚の男女を同室なんてしないから」
じゃあぜひ私も別室に・・・と言いたい所だけどあれだけ純粋に私たちの仲を信じて疑わない王妃様の気遣いを無下にしてよいものか。ルイス王子とは別の部屋がいいと言って恋仲を疑われても困る。
「どうしよ」
私は助けを求めて彼を見た。しかしルイス王子の目に精気はなかった。
あああぁ!あんたも嫌よね!そりゃそうだ!
「うん、諦めなよ・・・」
「嘘でしょ」
「いいよ、仕方ない。ペット一匹買ったと思えば」
「私は犬かなにかかな!?」
失礼なっ!