(1)
そして話は現在に戻る。
私に向かって「ブス」と言いくさったこの男は間違いなく先ほどまで私へ必死に愛を囁いていたルイス王子だった。
だったのに!
二人きりになった途端のこの変貌っぷりに頭がついて行けない。青いお目めキラキラの王子様はどこ行ったのー!?
混乱した私は頭を抱えて唸る。待て待て。グレスデンでもドローシア王家の噂は多々囁かれていたけれど、ルイス王子はドローシア王家の中でもかなり穏やかで誠実な人だって言われていたような。なんでも何かと突き抜けた方が多いご家族の中で唯一まともなんだそう。それから“ドローシア王家唯一の良心”とか真面目なのかふざけているのかよくわからない称号で称えられていると聞いたことあるようなないような・・・。
私はチラリと一瞬だけルイス王子を盗み見た。確かに先ほどまでの彼は噂に違わず、まあいきなり求愛し始めたことに驚きはしたけど、いかにも王子様然とした素敵な青年だったように思う。
ってことはだ。今私の目の前に居る人物は一体何者だ。
「あのー、つかぬことをお伺いしますが」
「なに」
「あなたはルイス王子でお間違えないですよね」
腕を組んで仏頂面をしている彼は、私の問いかけにハッと鼻で嗤った。感じ悪。
「お前、馬鹿なの?見たらわかるでしょ」
感 じ 悪 っ !
人を馬鹿にしたような態度にムカついて顔の筋肉をヒクヒクさせつつも、あまり感情的にならないよう冷静に質問を続けた。
「さっきまでのあんたはどこへ?まるで別人なんだけど?ってか何者?」
あの求愛はなんだったの?愛してるとか運命だとか言っていたのに。
私の矢継ぎ早に繰り出される質問にルイス王子は大きくため息を吐きながら答える。
「あのさあ、普通わかるよね、一目惚れが嘘だってことくらい。なんで君みたいな人にこの僕が一目惚れするのさ」
「ええ!?嘘ついてたの!?酷い!」
「お前、他人のこと言えないだろうが」
あ、そうだった。私も下心満載で求愛に乗っかったんだっけ。確かに他人のこと言えないわ・・・。
じゃあこのルイス王子が私に一目惚れをしたのは嘘だったのね。『敵国王子に一目惚れされたラッキー、イケメンだし利用させてもらっちゃおう』だなんて喜び勇んでたさっきの自分が顔から火を吹きそうなくらい恥ずかしい。
「な、なんで嘘ついたのよ」
ドローシアを敵に回したくなかった私はまだしも、ドローシア側からグレスデンとの友好のために王子自らひと肌脱ぐ理由がわからない。だってドローシアからしたらグレスデンなんて取るに足りない小国。目障りな害虫くらいにしか思われてないはずだ。
「なんで僕が責められるんだよ。嘘ついたのはお前もだろ?」
「私は!グレスデンは今ギリギリの状態なの!藁でも掴まなきゃならない状態なの!わかるでしょ!?」
「こっちにはこっちの事情があんの。ってかいいの?僕にそんな態度とって」
え、と目を見開いて固まる。
「僕がお前の恋人役止めたら一瞬で状況は元通り。せっかく頑張って休戦まで持ち込めたのに水の泡だね」
ルイス王子はにっこりと笑った。他人が見れば優しい王子様の素敵スマイルに見えたかもしれないけど、私には悪魔が底意地悪く嘲笑っているようにしか見えなかった。背筋がぞっとする。
「え、いや、それは・・・」
ここで恋人解消されては激しく困る。それではたくさんの人に見られながら一目惚れ劇をやり遂げた意味がない。
ということは、私はコイツにとんでもなく大きな弱みを握られたことと同じだった。
「それは勘弁してください」
「自分の置かれている立場を分かっているみたいだね。馬鹿だけど救いようのない馬鹿じゃなくてよかったよ」
ムカつくけど、すごくムカつくけど、国のために自分を押し殺さなければ。そうよ、今こそグレスデン王家としての責務を果たすのよ、シンシア。立派にこの人の恋人を演じてお父様の期待に応えてみせる。
私は自分にでき得る限りで最大限に可憐な笑みを作った。
「とにかく恋人になったのは私たちにとってお互いに利益があるようだし、これからよろしくお願いしますね」
「今更猫かぶらないでよ、気持ち悪い」
殴っていいかな!?
そうよね。なんでもかんでも思い通りにいくわけないわよね。ドローシアの素敵な王子に見初められてグレスデンの宗教問題も一挙解決、私も愛されてめでたしめでたし・・・なんておとぎ話じゃあるまいし。
よくよく考えてみれば大して美人でもない私が大国のお坊ちゃんに一目惚れされるわけがなかった。なんで最初に求愛された時点で気づかなかったんだ、私のおバカ。
現実を受け止めよう。取り合えず直近の武力衝突は避けられた。それだけでもかなりの儲けものだ。例えクソ野郎、おっと失礼言葉が悪かったわ、二重人格男の恋人役を強いられたとしてもグレスデンの被害の大きさを考えたらなんてことない。ちょっとムカつくのを我慢さえすればいい。
そうよ、これは美味しい話。美味しい話。
「失礼します」
こんこん、と二回ノック音が響き、続いて扉が開いて侍女らしき人がサービスワゴンを押しながら入室してきた。
「お飲み物をお持ち致しました」
「ありがとう。シンシア、一緒にお茶しようか」
ルイス王子がにっこり笑って私に手を差し伸べるものだから全身に鳥肌が立った。なんでこんなに急に180度態度を変えられるんだろう。ここまで徹底されると怖いわ。
微笑みながら無言の圧力をかけてくる彼に拒否する勇気がなかった私は仕方なく手を取り、促されるままに椅子へ座った。
ルイス王子も向かい側の席をつくなり、侍女は手早くカップを取り出しお茶を注ぐとあっという間にサービスワゴンを引きながら退出する。入室から退室まで本当にあっという間でその手際の良さに惚れ惚れしてしまった。プロだわあ。
また用意されたカップが素晴らしい一級品なのはもちろん、お茶は吃驚するほど良い香りがして感動する。ドローシアはお茶まで高級品なのか。
「ここまで来ると嫉妬もしないわ」
異世界にでも来た気分だわ。
いただきます、と遠慮もせずに一気にお茶を飲み干した。味はよくわからなかった。
ルイス王子は侍女が退出した瞬間からテーブルに肘を着き目を半分にして遠くを見ている。侍女が居なくなったので良い子ちゃんモードは終了らしい。
「グレスデンなんかと比べるなよ」
「わかってるわよ。だから嫉妬もしないって言ったんでしょ」
ここまで格差があると別世界だって割り切れちゃう。彼は目を半分にしたままハッと馬鹿にしたように笑った。
「だからっていつまでも貧乏くさいのは困るよ。仮にも僕の恋人役をするならもう少しマシになってもらわないと。
でも一番はその演技力の無さが問題だな。お前、嘘つくの下手過ぎ」
「じゃあ王座の間で一目惚れしたって嘘ついたのバレたかしら・・・」
「皆じゃないだろうけど、何人かは疑ってるだろうね」
そうか。でも仕方ないじゃない、私は一目惚れとか一番縁遠いタイプだし。恋愛なんて超がつく初心者なんだからよくわからないんだもの。
「うーん、がんばるけど・・・」
私はまたルイス王子をチラ見した。サラサラな黒髪に父親譲りの宝石のような青い目。確かに見た目はかっこいいけどこの性格だもの、この人に恋してるフリなんて心のダメージが半端ない。乙女としての大事なものをすり減らす覚悟で挑まなければ。
ルイス王子はさすがの上品な仕草でお茶を一口飲んだ後に口を開いた。
「特に父様には気を付けてよ。あの人とにかく勘が良いから。
君の望んでるドローシアとの武力衝突回避も、あの人に懸かってくるだろうね」
「うん、・・・そうよね」
問題を一旦保留にすると決めたのはドローシアの陛下だ。あの方の一声で全てがあっという間に決まった。逆を言えばドローシアの陛下が決断すれば一瞬で戦が始まる。
何があってもドローシアの陛下だけは敵に回すようなことがあってはいけない。
「本当にすごいわね、ドローシアは。王様の権力が強すぎて。
グレスデンでは国王でも議会の決定に縛られるし、独断で国の方針を決める権限なんてないもの。常に国民の意志を汲み取らなければ貴族だろうが王族だろうがあっという間に倒れるし」
「お前んとこは国民がパワフルすぎるんだよ」
「そうかしら?」
「今回のことだってグレスデンの国民の頭に血が上ったのが発端だろ。ドローシアに勝てないのがわかっていながら幼児から老人まで農具振り回す覚悟なんて普通じゃないから」
褒められているのか馬鹿にされているのかはわからないけど、彼の言っていることは事実なので否定せずに話を続ける。
「皆が怒るのも無理はないわよ。クラー王妃は皆の憧れであり誇りだったんだもの。先王の第一王女でありながら裕福な貴族に嫁ぐのではなく、地方豪族の優秀な男性を婿に迎えて国王に据えたのよ。お陰で荒れていた内政はずいぶん安定して内戦はほぼ無くなったわ。
なのにどこぞの神官の男に奪われて・・・」
考えるだけでもやりきれないのに口にすれば更に苦しい。自慢だった私の母親が、不貞の上に国を捨てるだなんて。
「一緒に逃げたんなら同罪じゃないか」
「そんな簡単に割りきれないわよ」
怒りの矛先がドローシアだけに向かうのは正しくないとわかっているけど、感情は理屈だけでは納得してくれない。私たち王家はあまりにもこの問題を先送りにし過ぎて、その間に不満が溜まりに溜まってしまったのだ。こんな形で怒りが頂点に達する前に何もできなかった無力さが悔やまれる。
今私にできるのはグレスデンの国民とドローシアが納得するまで衝突を引き伸ばすこと。きっとその間にお父様が具体的な交渉を頑張って下さるだろうから。
「だからって誰にとっても“死”は恐いはずだろう」
「私たちにとって一番怖いのは死でないのよ」
こんなに豊かな国の人々にはわからないだろう。グレスデンにとっての命はきっとドローシアの人たちよりもずっとずっと軽いものだ。
やせ細った土地で作った作物も国民全員に行き届くわけではなく、冬に向けて必死に蓄えても北方からやってきた戦闘民族の襲撃を受ければ根こそぎ奪われる。雪崩が起これば一瞬で村は跡形もなく姿を消し、病気にかかっても医者に払うようなお金はない。民に為す術はなく天から与えられた災害は容赦なく人の命を奪っていく。
「グレスデンでは死は身近でごく当たり前のことなの。
怖いのは死ぬことではなく、何もしない、できないということ」
「何もしないまま悔しい思いをするくらいなら死んでも反抗する・・・って感じか」
「そうねえ」
「気持ちはわからなくもないけど」
しらっと言いながらお茶を飲むルイス王子に少し驚いた。この人にもちゃんと共感能力が備わっているのね、一応は。
「なに」
私の視線が気に食わなかったのか睨むようにこちらを見てくる彼に、私は「なんでもない」と答えて誤魔化した。
「お母様のことも、みんなもう少し冷静になってほしいけど、何かせずにいられないっていうのは私も分かるもの。
だけどドローシア相手に戦おうとするなんて国の存続に関わる。どうにかしないと」
そのためにもルイス王子との恋人偽装は絶対に上手くやらなければ。
「ってわけで恋人役は有難くやらせてもらうわ、共犯者さん」
「はいはい、ちゃんとやれよ、頼りない共犯者」
いちいち見下してこないと気が済まないのかしら?この人は。
額に青筋を浮かべながらも文句が言えない私はにっこりと笑った。