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(3)




 旅の間に天候が崩れなかったのは不幸中の幸いだった。休む暇もなく進んだのでお尻が痛くなってきたが、お父様がひとつも不満を漏らさないので休息を提案することはできなかった。


 南下するに連れてジワリと汗が出るほど暖かい気候に変わっていく。もう長袖で過ごしているグレスデンとは大違いだ。

 そして気候の他にもうひとつ、南下するに連れて変わったことがあった。それは農民たちの建物や彼らの着ている衣服。石造りのグレスデンとは違ってこちらは全て建物は木製、服は染色技術が進んでいるのか農民とは思えないほど鮮やかで私が持っているどの服よりも上等なものだった。


 一国の姫よりも庶民の方がいい暮らしをしている。口には出せないけれどとても恥ずかしくて誰にも姿を見られたくなかった。


 私は俯きそうになり慌てて顔を上げる。そういえばこんなことが昔あったわね、と思い出しながら―――。







「シンシア」


 お母様の声にはっとして顔を上げた。馬上でこちらに視線を寄越すこともなくひたすら前を向くお母様の姿に、私は小さく「はい」と返事を返した。

 彼女はこちらを向くことはなかったが口を開いて私に問う。


「何故俯くのですか」


 お母様の声色は厳しくて、怒っているのか心配になった私は身を竦ませる。しかし嘘をついてもお母様には通用しないのがわかっていたから私は正直に答えた。


「・・・見たくないからです」


 グレスデンの片田舎。何かが腐ったような匂いと陰鬱とした空気が漂うこの町の道を歩けば、至る所に寝転がっている物乞いたちが視界に入る。皆着る物すらままならず、手足は腕の枯枝ようにやせ細って、目に精気が宿っていなかった。中には生きているのか死んでいるのかわからない者までいる。


 その悲惨な光景は幼い私にはとても直視できるものじゃなかった。


 お母様の追及は続く。


「なぜ目を逸らすのですか」

「見ていられないから・・・です。痛々しくて」

「どうにかしようとは思わないのですか」

「・・・与える物を何も持っていません」


 施しなどできない。王家の人間であろうが私たちは自分たちが食つなぐだけで精いっぱいだ。どんなに幼い子が食べ物を求めて手を伸ばしてきてもあげられるものがない。その助けを求めてくる手を振り払うのが何よりも辛い。


「辛ければ目を逸らしていい現実などどこにもありませんよ」


 母様は前を向いたまま、凛とした表情を崩さずに言った。


「我々は王家の人間です。この惨状は私たちの力が及ばなかった結果です。俯くことは許しません」

「・・・はい」

「どんな時も顔を上げなさい。どんな時も現実を受け止めなさい。誰も私たちに同情などしてくれません」

「はい」

「これが王家に生まれた者の使命です」


 大雪の積もる貧しい国の、王家の人間に生まれた運命。人々の命が尽きるその瞬間からも目を逸らすことは許されない。


 それだけ大きなものを背負って歩かなければならない。誰も助けてはくれない。


「いばらの上でも背筋を正しなさい」

「はい」


 幼い私は唇を引き結んで顔を上げた。自分の運命と向き合うために。








 お母様のことは考えないようにしていたのに、こんな時に思い出すなんて。田舎とは思えないほど立派に舗装された道の馬上で思い出したのは、私がまだ幼く物心ついたばかりの頃のことだった。


 いや、こんな時だからこそ思い出すのか。


 馬に乗り誰よりも古い衣服を着た私たちは、あまりの変わった風貌に人々の注目を集めていた。好奇心、軽蔑、疑念、色々な感情を含んだ視線。貧しい人間が物価の高いドローシアを訪れることなどないからか、私たちの姿は彼らにとって大変物珍しいようだった。


 しかしどんな視線に晒されようとも、お父様は顔を上げたまま堂々たる風格で闊歩する。その威厳に満ちた存在に、あの日のお母様に、私はどれだけ近づけているのだろう。


 お母様は決して国を捨てて男と逃げるような人ではない。どんな事情があったのか、どんな想いで去ったのかはわからないけれど、お母様がどんな人だったかはよく知っている。

 しかしいくら推理しても真実がわからない以上、今はただこの現実を受け止めなければならない。あの日の母の教えのように。


「見えるか、シンシア」


 父様の声に何事かと彼の視線の先を追うと、西の山の合間から見えたのは巨大な青い―――。


「えっ・・・?」


 最初はそれがなんなのかよくわからなかった。見たこともない青い物体が山間から覗いていて、私は必死に思考を巡らせる。鮮やかな青いものは自然物にはとても見えない。だとしたら。


「え?城?」


 あれが?と口を開けたまま固まる。


 私は自分の目を疑った。だって想像したこともなかったのだ、青い屋根に白い壁のあれほど巨大な建物がこの世にあるなんて。

 どれだけの費用と時間と技術があればあの大きさの城が建てられるのだろう。考えるだけで気が遠くなるような、私には想像もつかないほどの別世界。


 今からグレスデンはこの国を敵に回すのだと思うと身体が竦んだ。それは初めて明確に恐怖を抱いた瞬間だった。庶民すら私たちよりも裕福で、天まで届きそうなほど巨大な城を持つ国。勝てないのは最初からわかっていた。それでも私が思っていたよりもずっとずっと国力が違い過ぎる。


「立派ですね」


 怖い、だなんて今更口が裂けても言えなかった。私の言葉にお父様は頷くだけの返事をする。


「先を急ごう」


 開けた場所へ出た私たちは馬を急き立てて城へ向かって駆け出した。
















 ドローシアの豊かさは城へ近づけば近づくほど顕著に見せつけられた。まるで別世界へ来たかのような活気。店先には見たこともない品々。人で溢れかえっているため田舎ほど私たちの存在は浮いていなかったけれど、例え綺麗な服を着たとしても私は馴染める気がしない。


 どの建物も立派だった。誰も彼もがお洒落を楽しんでいて笑顔で満ち溢れている。この人たちはきっと食料が手に入らなくて飢えに苦しんだことはないのだろうなと思うと、心の中に苦いような辛いような気持ちが溢れてきてあまり深く考えないようにした。


 商店街に気を取られているうちに城が目前へ迫っていて、しっかりしろ、と自分を叱咤し首を横に振る。よそ見をしている場合ではない。


「お待ち申しておりました、グレスデンの国王陛下、シンシア王女殿下」


 門の前では名乗る前に私たちの姿を見た衛兵の一人が頭を下げて出迎える。その衛兵の服がこれまた素晴らしい出来で、固く丈夫な生地に細かな刺繍、金の飾り物までつけている。よほど良い家柄なのかと思いきや他の衛兵たちも皆同じ格好をしていたので気が遠くなりそうだった。

 ただの衛兵で金って・・・。


「どうぞこちらへ」


 十メートル以上はある高い門を潜れば、中に広がっていたのは街ではなく綺麗に手入れされた広大な庭だった。ほどよく敷き詰められた白いタイルに草花が元気に生い茂るそれは、幼いころに夢で見た理想郷のような景色だった。背景にある白い城と相まって私の言葉では表現しきれないほどとても美しい。


 ここは天国かしら、なんて少々現実逃避した頭の中で呟いた。そしてもう何を見ても驚くまい、とも思った。


 蔦薔薇が生い茂ったアーチを潜り抜けて城へと向かう途中、私たちはすれ違った人々からジロジロと突き刺すような視線を集めた。しかし例え場違いだろうとも、ボロを纏おうとも、お父様の品格ある威厳だけは陰りを見せることがなかった。誰が見てもこの人が只者でないことが分かる。この人の娘として我が国の王としてなんて誇らしいんだろう。


「既に陛下がお待ちでいらっしゃいます」


 先導する衛兵は振り返ることもなくそう言った。到着して早々、休息もなく行き成り面通しさせられるらしい。

 建物の中へ入ると暗くなるかと思いきやすごく明るい。なんでこんなに明るいの?と不思議に思ったら採光用の窓の多さと床を敷き詰める大理石、そして城の白い壁が光を反射して室内を明るくしているのだとわかった。

 外から見た時の大きさで覚悟はしていたけど、数十人で走り回れるほどの広いエントランスは圧巻だ。シャンデリアなんてどれだけの量のガラスを使っているんだろうってくらいギラギラしていて、値が張りそうな絵画や珍しい芸術品がいろんなところに飾ってある。


 そして最後にたどり着いた大きな扉の前。ここはすぐに何の部屋かわかった。一階エントランスの最奥、見上げるほど大きな扉はグレスデンの城と同じ造りだったから。


 衛兵はゴンゴンと重い音を立てて巨大な扉を叩く。


「グレスデン国王陛下、並びにシンシア王女殿下、到着致しました」


 重い重い音を立てて開かれる扉。縦に長く敷かれた赤い絨毯に、広い部屋の奥にあるのは王座。ずらっと並んだドローシアの重鎮たちは王座の間に入った私たちを威圧的な面持ちで見下ろしていた。


 父様がすぐに歩き出したので私も慌ててその後を追う。


 そして極めつけはドローシアの国王。彼の容姿をひと目見た瞬間に私は腰を抜かしそうになった。ドローシア国王陛下はあまりにも容姿が整い過ぎていてとても人間には見えなかったのだ。

 どんな腕のある職人に作らせた絵画や人形でも及ばないほど人並みを外れた“完璧”さ。ドローシア国王は神に選ばれて王位に着くことから神と揶揄されることがあると聞いていたけれど、なるほどな、と心の底から納得した。この顔ならば人間よりも神だと言われた方が納得できる。


 王座の前までやって来たお父様と私。さあ今から挨拶合戦が始まるなと思ったその時、王座の隣に立つ黒髪の青年が私の顔を見て目を細めた―――。




 そして私はこの後、一生に一度あるかないかの情熱的な求愛を受けることになるのだった。







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