(2)※ミランダ視点
私に宛がわれたドローシアの独房はごく普通の部屋だった。フカフカの布団が敷かれたベッドに、座ってもギシギシと音の鳴らない椅子、表面が綺麗に磨かれて月明かりを反射するテーブル。もっと酷い所に入れられると思っていた私は拍子抜けだ
食事も前ほど豪華ではなくともお腹を満たすには十分な量があり、とても罪人とは思えない生活が始まった。
「話が違うではありませんか。まさか盛る前に捕まるなんて・・・」
ああ情けない、と右に曲がった口で嘆く神官長。何故危険を冒してまでここへ来たのかは大体想像できていた。私が要らぬことを喋っていないか確かめに来たのだ。
声が震えそうになり唇を噛みながら反論する。
「だって・・・ドローシアの警備はとても固くて・・・」
とても毒を盛るなんて無理な状況だった。シンシア様と毎日食事をしていた私でさえ彼女の食べ物のひとつにも手が出せないほど厳重な警戒が敷かれていた。
「もう少し頭を使っていただきたかったですよ。貴女ならもう少し上手くやれるかと」
はあ、と大きなため息を吐く神官長。私は俯いて彼の目を見ないまま訊ねた。
「クラー様はどこにいらっしゃるんですか」
「そんなこと貴女が知ってどうするんですか?」
「教えてください」
「何度も言いますが、それは貴女には関係ありませんよ。教える義理もありませんしね」
「でもっ・・・、私はここまでやったんですよ!」
「それは貴女自身の所為でしょう?自業自得ってやつです」
言い返す言葉も見つからなくて、爪が食い込むほど強く拳を握る。
「しかも失敗するなんて、ハア、ここまで協力して差し上げているというのに使えませんね。もちろん私たちのことは誰にも他言していないと思いますけど」
「言うわけないでしょう」
「でしょうね」
神官長は私の周りを回るようにゆっくりと部屋の中をうろつき始めた。
「私にこんなことをさせて・・・本当に取り返しがつかないわ」
私の行いがシンシア様の耳に入った時、彼女がどれだけショックを受けることだろう。考えると罪悪感で打ちのめされてしまいそう。
「バレなきゃ問題なかったんですよ。しかし貴女がしくじったんです。誠に残念ですよ、シンシアが亡き者になればグレスデンとの開戦は待った無しだったのに。
ああ、心配いりませんよ。貴女方は丁重に扱いますからね。グレスデンを纏めるには王家の力が必要だから全滅させるつもりはないんです」
「私は貴方を信用なんてしません」
毒殺させようとする人の言うことなんて信用できるわけがない。
「ですが仕方ないでしょう?私たちの力を借りなければ貴女たちはとっくの昔に終わっていたんですから。
いいじゃないですか。クラー王妃、邪魔だったんでしょう?人気がありましたからね。側妃として辛い立場だったでしょう。
貴女はクラー王妃が居なくなって清々する、私はグレスデンを掌握できる、立派な共闘関係です」
「邪魔だなんて思ったことは・・・」
「でも殺したじゃないですか」
言い返す言葉が無かったのは真実だから。クラー様は私が殺したようなものなのだ。
「お待ちください!」
私はスカートの裾をたくし上げてクラー様の元へ駆け寄った。三階の外廊下から町へ降りようとしていた彼女を引き留め、大きな声で詰め寄る。
子どもたちも寝静まる、気候が穏やかな春の夜のことだった。
クラー様は私の声に気付くと振り返る。
「どうしましたか、そのように急いで」
「あの話は本当なんですか!?」
私は陛下の部屋から直接ここへ走って来た。ぜえぜえと肩で息をしながら手摺りに体重を預けて、自分とは思えないほど早口で喋る。
「シンシア様に王位を譲るなんて」
寝耳に水。その話を陛下から聞いた時には目の前が真っ暗になった。ずっと息子のアディが次の王になると思っていたのに、今になって何故・・・?
「シンシアにではありません。シンシアに夫を迎えて王位を継がせようか検討している所です」
「そんなっ!じゃあ私の子どもたちはどうなるんですか!?」
「王家に必要ない子どもなんていません。もちろん王家の一員として働いてもらいます。これまでと変わらず」
酷い、と思った。今までずっと支えにしていたものを一気に失った気がして、喪失感で吐き気がするくらい。
こんな所に私が嫁いだのはクラー様を信じたからだ。なのにこの仕打ちはあんまりではないか。
「なんの為に私は・・・」
ジワリと目に浮かぶ熱い涙に気付いたクラー様は不思議そうに首を傾げる。
「これからの世代を担っていく子どもたちです。あなたが王家にとって必要な存在であることに変わりはありません。国を守るのは王位を継ぐだけではない」
「だけど・・・何故シンシア様なんですか!?アディだって十分にやれます!」
「今のグレスデンには外との繋がりが必要なのです。他所の国の、王家の人間か資産を持った貴族が適任かと」
「余所者に継がせる気ですか!?」
私は正気を疑った。国の外の人間がこんな奴隷のような生活に耐えられるわけがない。私だって何度挫けて何度逃げ出したかったことか。
国を愛し王家を尊敬する私でさえこれなのだから、全くグレスデンに愛着のない余所者にできるわけがないと思った。
「そんなの無謀です!グレスデンの王家にはそぐわない!」
外の人間に権力を与えたって好き勝手にされるに決まっている。
「あの子なら大抵の男は御せます。それに私たちもいるのですから」
「反発を受けますよ!民が受け入れるとは思いません!」
「それでも私たちは外の力が必要なのです」
クラー様は大きく息を吐くと、私の大声に対抗するように強い口調で続けた。
「陛下の代で内政は整いました。とても勉学に優れた婿を迎えることでグレスデンは最大限の知恵を得て政治ができた。しかしこの国は豊かになりましたか?毎年どれだけの民が飢えているか知っているでしょう?
私たちは自分たちの力だけでは貧しさから抜け出せないんです。北からの武力と冬の厳しさには打ち勝てない」
「だからって何も国の外から王を迎えなくても・・・!シンシア様を嫁にやればいいじゃないですか!」
「一時的な支援はその場しのぎにしかなりません。それは歴史が証明しているのですから」
見返りを求めて外へ嫁いだ王女は山ほどいる。けどその年の飢えをしのぐ小金は手に入れても、雪が降る量が減るわけじゃない。
だからってアディではなくシンシア様の夫に王位を譲るなんて、理解はできるけれど私にはとても受け入れられないことだった。貧しさと苦しみに耐えてきた意味がない。
「とにかく、まだ決まったことではありません。陛下もお考えがあるでしょうしこの話はまた今度に致しましょう」
「待ってください!私の話はまだ終わってません!」
背を向けて歩き出したクラー様に手を伸ばして飛び掛かると、私とクラー様は同時に膝からガクッと崩れ落ちた。とっさに手摺りを掴んだ私は、ゴロゴロと階段を転がっていくクラー様の姿を震えながら見ていることしかできなかった。
ガタンガタンと、まるで人形のように落ちていったクラー様。私は頭が真っ白になり、我に返ると慌てて階段を駆け下りた。
「クラー様!」
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
私は泣きながら彼女に縋りついた。
「ごめんなさい、私っ・・・!」
何故階段に気付けなかったの。私の所為でクラー様にこんな大怪我をさせてしまうなんて。
彼女の脚は変な方向に曲がっていて、頭から流れる大量の血に気付いた時には全身から血の気が引いて身体が凍り付いた。
どうしよう・・・!取り返しのつかないことをしてしまった。この国からクラー様を奪ってしまうなんて許されない。私と子どもたちは、死んでも許されない。
「目を開けてくださいっ」
必死に揺すったけれどクラー様は目を開けない。絶望に打ちひしがれて泣いていると、突然信じられないくらい強い力で手首を掴まれた。
「こどもたちを、おねが・・・」
「―――えっ?」
私はそれきり動かなくなったクラー様を前に呆然とする。
『子どもたちをお願い』
子どもたち?シンシア様だけではなく私の子どもまで守れと言うの?許されないことをしてしまった私が、どうやって子どもたちを守ればいいの。怒り狂った民が押し掛けてくるというのに、どうやって子どもたちを守れば・・・・。
「お願い、目を覚まして・・・。独りにしないで・・・っ」
私に一体何ができるの。ただ子どもを産むことしかできなかった私に王家を守るなんてできない。クラー様なしに民に認められることも、国を守ることもできない。
「私にはできないよぉー!」
「おやおや」
ハッとして後ろを振り返れば階段の上から私たちを見下ろしている神官が―――。
何故ここにいるの。ドローシアから派遣されてきたこの神官は横柄な態度で素行も悪く、子どもたちの教育に悪いから城の出入りは断っていたはずなのに。
それよりもこんな所を見られてしまった恐怖で身体がガクガクと震えた。それは真実を誤魔化すことはできない、と悟った瞬間だった。
「大変そうですね。お手伝いしましょうか?」
手伝い・・・?
私は力の無いクラー様の手をぎゅっと握って彼を睨む。
『子どもたちをお願い』
クラー様、本当にいいんですね。子どもたちを守るために何を犠牲にしたとしても。王家の存続のために身を削っていた貴女なら、きっと私の行いを許してくださいますよね。
「力を貸して差し上げますよ」
魂を捧げても構わない。子どもたちを守る道はこれしかない。
―――私は全ての覚悟を決めて悪魔の手を取った。
「貴女がクラー王妃を殺さなければこんなことにはならなかったんですよ。自業自得でしょう。
我々の助けを借りなければ今頃貴女と子どもたちは生きてはいなかったでしょうね。むしろ幸運じゃないですか、私たちという協力者が居たおかげでグレスデンはまだ平和だ」
悪魔はまだ私に付きまとい悪事を囁き続ける。あの日の行いを忘れるな、バラされたくなければ命令に従えと。
「その平和を無くそうとしているくせに何を言うんです」
「少しの犠牲で済みますよ。グレスデンはあまりにも・・・ハッ、相手にもならないんでね」
神官長は心底馬鹿にしたように笑って言いのけた。
彼らの目的は最初からわかっている。今持っている美味しい権力を手放したくないから、自分たちに一番歯向かいそうなグレスデンを見せしめにしたいだけ。例え貧しくて搾り取るものが無くても、自分たちの権力が盤石になればそれでいいのだ。
だけどひとつだけ彼らは思い違いをしている。いくらグレスデンに戦で勝とうと信仰を強制しようと、グレスデンの民は絶対に神官には従わない。あの燃え盛るような情熱とプライドを抱える民は自ら認めた人にしか従わないことを神官たちは理解していなかった。死よりも尊いものがあるなんて、私利私欲に塗れた彼らには一生理解できないだろうけど。
「まあまあ、仲良くしましょう。我々は争っても意味がない。
陛下は貴女の所業が外部に漏れないよう手を打っている。命拾いしましたねえ」
私だってグレスデンの人間だ。魂は売り渡しても人形になんかなるものか。
「出て行ってください。もう私に用はないでしょう」
「まったく、可愛いげのないことだ」
可愛い可愛いと言われて大事に育てられたのはとうの昔のこと。今の私は重い罪を背負って鬼になった、貧しくて寂しいグレスデンの王家の人間。そして母。守るためならなんだってできる。
きっとあの日、殺したのはクラー様だけじゃない、王家の気質に苦しむ甘えた根性の自分自身も殺してしまったのだろう。