(1)
温室で地図を借りてから帰る途中、今度こそはお父様に会いたいなと思いつつゲストルームを訊ねる。部屋にたどり着いてノックをすれば三度目の正直―――なんと中から返事が返って来た。
「お父様、シンシアです」
「ああ、入りなさい」
やったー!と心の中でガッツポーズをしつつ部屋の扉を開ければ懐かしいお父様の姿。目が合った瞬間に肩の力が抜けてホッと安堵のため息を吐いた。やっぱり私にとって家族の存在はとても大きい。
「ずっと連絡もできずすまなかったな」
「いえ」
「息災にしていたか」
「はい」
何を話そう。何から話そう。たくさん言いたいことがあったのにどれから話題にすればいいのか迷ってしまう。あれこれ考えている間にも先にお父様が口を開いた。
「ルイス殿下とは懇意にしているか」
「はい」
あ、思わず「はい」って言っちゃった。違うのに。本当はルイスと結託して交際しているフリをしていることを伝えるはずだったのにな。
打ち明けるにはあまりにも時間が経ってしまった。情けないことに、今更嘘でしただなんてとても言い辛い。
「これからも彼とは仲良くするように」
「はい」
あ、また「はい」って言っちゃった。お父様の有無を言わさぬ雰囲気に流されて返事をしてしまう私は真実を伝えるタイミングを失ってしまった。お父様は私とルイスが親しくするのを望んでいるようだから、そんなお父様の期待に応えたいという下心も相まって頷いてしまった。
座りなさい、と言われて私は促された椅子に座る。こうやってお父様の2人きりで過ごす時間は久しぶりだ。
「ところで、お父様はドローシアの陛下と共に城を出ていたと聞いたのですが」
「ああ、少し遠出を。陛下の古い知り合いを訪ねたんだ」
「そうですか」
何をしたかまでは教えてくださらないのか。
「ドローシアで不都合はないか?」
「ええ、大抵のことはルイスがなんとかしてくれますから、後は自由に過ごしています」
「本当に彼は頼りになるな。今回のことでもどれだけ助けられたか」
大好きなお父様まであいつに騙されているという事実がちょっとだけ悔しくて拳を握りしめた。違うんです、表向きは良い子ちゃんだけど本当はすごく口の悪い悪魔なんです、って言いたくて口を開くが勇気が出ず・・・。
「それにしても、グレスデンは今頃どうしているんでしょうね。収穫期ですし、仕事はちゃんと回っているかしら」
「ああ、そのことなんだが」
お父様は顔を上げ改まって話し始める。
「実はミランダから手紙が届いてな。私は一度グレスデンに戻らねばならん」
「え?」
全く思いもよらない言葉に一オクターブは低い声が出た。うむ、とお父様は深く頷く。
「すまないな、どうもミランダでは貴族連中を御しきれないらしい。私は明日にもドローシアを発つつもりだ」
「明日!?」
なんて急な!お父様がドローシアから出て行ったら私はここで独りだ。心の準備が全然できてない!
「すまない、今朝手紙が届いて急きょ決まったんだ。後でシンシアの部屋を訪ねるつもりだった」
「そうですか・・・」
どこまでもお父様にいい顔をしたかった私は冷静な様子で頷いた。本当は頭を両手で抱えたいくらいだったけれど、我儘を言ってどうにかなる事でもなかったため仕方がない。
「わかりました。道中お気をつけて。アディたちにもよろしく伝えてください、私は元気にやっているって」
「ああ、もちろんだ」
耐えろ、耐えろ私。茨の上でも背筋を正しなさい―――って最近こればっかりだわ。厄年かしら。
「シンシアもルイス殿下に失礼のないように」
私はひきつる顔で無理矢理にっこりと笑った。やはりお祓いが必要かもしれないなと思いながら。
頬に走った痛みで我に返った。
「イデッイテテテテッ」
私は慌てて摘ままれた頬を両手で抑え、上目遣いでルイスを睨み付けた。
「なにすんのよ!」
「お前の番なんだけど?」
え?と目の前にあるチェスの盤面を見れば私のターンで止まっていた。それよりもえらく酷い負け具合に驚いた私は身を乗り出し盤面を両手で鷲掴みにする。
「なんじゃこりゃ!」
私ったらいつの間にこんな悪手を!?
ルイスは片肘をついて大きくため息を吐く。
「さっきからぼーっとして上の空じゃあそりゃそうなるだろ。ひっどい顔だったよ、ブス二割り増し」
「ご、ごめん・・・」
「ハア、まあいいけど、ハア・・・」
いいけどと言う割にはため息が多い。
「勝負の途中で集中力を欠くなんて私としたことが・・・」
「そんなに父親が居なくなったのが寂しいわけ?」
「うーん、寂しいっていうか・・・」
今朝、私たちはグレスデンへと帰還するお父様を、その姿が遠く見えなくなるまで見送った。ルイスの言う通り寂しいのは寂しい。だけどそれ以上になんだか心細くて物悲しかった。
「お父様、何も教えてくださらなかったの」
お父様がこれからグレスデンをどう導きたいのか、どうやってドローシアとの仲を改善していこうとしているのか。私だって政治に参加することはなくとも国の最前線で戦ってきたつもりだ。なのに、私には何も教えてくださらない。
私にももっとできることがあるはずなのに。
「やっとお言葉をいただいたかと思えば『ルイス殿下と仲良くするように』だし」
「僕と仲良くするのが不満だって?」
「そうじゃない。ルイスと恋人のフリするのは十分に上手くいってるでしょ。
そうじゃなくって、私が必要だから一緒にグレスデンに帰って欲しいとか、そういうことを言われたかった」
「へえ、拗ねてるんだ」
私は閉口した。そう、きっと私は拗ねている。グレスデンに居るミランダ様たちもお父様も大変な時に、私だけドローシアでのんびりと過ごすだなんて。
「もっとお役に立ちたいのに」
「重要だろ、恋人ごっこだって。グレスデンにとっては生命線だ」
「それはそうだけど・・・」
「それってグレスデンの陛下がお前を頼っているなによりの証拠だよ。他に代わりはいない、シンシアにしかできないんだから」
「そうかしら」
「もちろん。処分保留はシンシアあってのことだからさ。ドローシアに一人だけ残して自分だけ国に帰るなんてよほどお前のこと信頼していないとできないよ」
なるほど。一理ある。
私は嬉しくて緩んだ頬を誤魔化すために両手で押さえて隠した。そうか、私は頼りにされていたのか。そうよね、私だけドローシアに残らなきゃいけないっていうことは、こちらのことは任せたってことだものね。
ルイスはチェスの駒を片付けながらニッコリと笑った。
「陛下の期待にしっかり応えるよう頑張らないとね」
「うん!」
「じゃあ頑張ろうね、ダンスの練習」
「うん!・・・―――ううん!?」
ダンスって何!?
ルイスは先程の好青年な笑みを消してハンッとバカにしたような笑みをした。
「もうすぐ舞踏会なんだよ。シンシアがダンス下手だって言うから出席は断ってたんだけど、そこまで僕との仲を深めたいっていうなら一緒に出席するしかないよね」
「え?冗談でしょ?」
「一応ドローシアの公式行事だからね。大きなパーティでたくさん人が来るから僕たちの仲を見せつけるには最高の舞台だよ。あははは、頑張れ」
騙された!なんかおかしいと思ったの!あのルイスがやたら私を持ち上げてくるから!
ルイスの笑い声を聞きながら私は奥歯をギリギリと噛み締めた。そうだ、この悪魔が優しく慰めてくれるなんてあり得なかったんだ。ちくしょう。
「その舞踏会、出席を見合わせてもらいたいのだけど」
「へえ。今の今まで頑張るって言っていたのはどこのどいつなのかな。お前の覚悟ってそんなもんなんだ」
「キーッ!」
私は金切り声を上げて歯軋りした。ハンカチを噛んでいたら噛み千切っていたかも。
「陛下の残した最後の言葉をさっそく守らないなんてね。根性無さすぎて驚きだよね。この分じゃあ陛下の期待には応えられそうにないねえ」
「わかったわよ!出るわよ!言っておくけど恥をかくのはあんただからね!」
精々皆から笑われるといいわ!私もだけど!
ルイスは今の今から私が踊っている姿を想像しているのか笑っているばかり。ほんっとに、この鬼!悪魔!
いち、にっ、さーん。いち、にっ、さーん。
パンパンと手で拍をとりながらリズムを確認する。
「ずれてますわ」
「んんん?」
ステップに夢中になれば拍が取れず、手の拍に合わせようとすると今度は足が絡まりそうになる。
「なんか・・・タコがエネルギッシュに踊っているかのよう・・・」
「タコ!?」
オリヴィアさんは今日何度目かの大きな大きなため息を吐く。彼女は最初こそ「ルイス殿下のお部屋に入れていただけるなんて!」と感動していたものの、いざ私のダンスの練習が始まれば彼女のテンションは駄々下がりした。この有り様では仕方ない。
ちなみにルイスはゲラゲラ爆笑するばかりで微塵も役に立たなかったので早々に追い出した。
「ステップは基本通りに出来ているのですけど、やはりリズムがどうにもなりませんね。
わたくしには荷が重すぎます」
「そんなこと言わないでオリヴィアさん!講師の方にも匙を投げられるし、今頼れるのは貴女だけなの!」
最初は人気の講師を招いてレッスンを受けたものの、彼女はものの一時間で諦めて次の仕事場へ向かってしまった。ダンス講師にとって今は舞踏会前の一番忙しいシーズンのため捕まえられる人材が他になく、仕方なしにルイスの幼馴染だというオリヴィアさんを頼ったのだけれど。
「覚えは悪くないんです。ステップも悪くないんです。だけどリズムに合っていないから別のなにかを行っているかのように見えて」
「運動神経はいいのよ?」
「そしてリズム感はない」
その通り。
オリヴィアさんは首を傾げてふむ、と考え込む。
「こういう場合は男性のリードがつけば少しは良くなると思いますわ。ルイス殿下はお上手ですし、相手さえいれば意外となんとかなるかもしれません」
「どうだか」
「物は試しですわ。殿下をお呼びしましょうか」
「やめておきましょう。あの人笑うだけで何も出来ないわよ」
さっきのあの人の姿見たでしょ。人前だっていうのに良い子ちゃん振る舞いを忘れて私を指差しながら大笑いしていたのよ。
「殿下ってばお姉さまの前では意外とやんちゃなんですのねえ」
私は笑って誤魔化したがルイスの性格は言わずもがなやんちゃなんてものでは済まない。
いいわよ、手取り足取り教えてもらえるなんて最初から期待していなかったし。
「とにかく、本番まではステップの確認だけしておきましょう。ダンスはただ楽しめたらいいのですから上手く踊る必要はありませんわ」
「そうね。楽しめるかどうかはわからないけど、適当にやり過ごせたら嬉しいわ」
多少の恥は覚悟の上。幸いパートナー(ルイス)が私が踊れないのを知っているわけで、後は誰に笑われようが既に裸を披露してしまっている私に怖いものはない。
「ところで、お姉さまは当日何をお召しになりますの?もし必要でしたら私の姉のお古がたくさん―――」
「ああ、大丈夫、大丈夫よ」
オリヴィアさんが話題を変えていきなりドレスの話を始めたので私は慌てて彼女の言葉を遮った。ところがまだ彼女は諦められない様子。
「でも以前差し上げたのは普段着ですし・・・」
「それがね、ルイスが既に用意してたみたいで」
「あ、そうだ、着ていく物がなかった!」と大声でアピールした私に、ルイスはものの10秒で舞踏会用のドレスや靴を用意した。「あるよ」と悪魔の笑みを浮かべながら、「いやいやそんな上等なものいただけないわ」と遠慮する私に対して「あげるなんて一言も言ってないけど貰えると思ってたの?強欲だなあ」という嫌み付きでだ。
あの人はよほど私の下手なダンスを見て笑いたいらしい。
私はクローゼットを開けてルイスに渡されたドレスをオリヴィアさんに見せた。深緑色の大きくスリットが入ったタイトなドレスで、その他の靴や装飾品は全て赤色だ。ちょーっと私には大人っぽ過ぎるのではないだろうか。
「まあ、さすが殿下!お姉さまによく似合いますわ!」
「少し露出が多い気がするんだけど・・・」
「舞踏会ならばスリットや肩出しが主流なので露出は多めになります。動くと汗をかきますから」
「へえ」
じゃあこれを前から用意していたってことは、私を舞踏会に連れて行く気満々だったってことなのね。そして私は上手い事彼の口車に乗せられて出席をする約束をしてしまった。このしてやられた感、非常に口惜しい。
「まあ、この宝石すごく素敵。ルビーかしら」
宝石、という単語にビクッと震えあがった。そんな高級なもの失くしてしまったら取り返しが付かないので本当は借りたくないのに。
オリヴィアさんはネックレスを優しく手にとってウットリと眺める。
「ここまで深い赤色は大変珍しいですのよ」
「なんで皆揃いも揃って赤ばかり身につけさせたがるのかしらね」
「それはもちろん!似合うからですわ!」
彼女が拳を握りしめてズイッと身を乗り出したため、私は驚いて少し後ろに仰け反ってしまう。
「そう?髪は赤毛だけど言うほど赤くないわ。どちらかというと茶色のような・・・」
「いいえ似合いますわ。唇なんて羨ましいほど赤くて・・・」
私は思わず彼女の視線の先にある自分の唇を指で触った。生まれつき私の唇は真っ赤だったらしく産婆が大変驚いたと聞いている。幼い頃はあまりのアンバランスさに気持ち悪いと言われることもよくあったが、最近は見た目の年齢が上がりようやくマシになってきた気がする。
「血色がよいのは良いことだけど、ここまで赤いとどんな紅を塗っても色が乗らないらしいの。夜会の時に化粧を担当してくれた侍女が困ってたわ」
「わたくしは羨ましいですわ。もちろん不便なこともあるでしょうけれど、その自然な発色は化粧品では再現できませんもの。お姉さまは肌もすごく白いから余計に目立ってお綺麗です」
なんだか久しぶりにベタ褒めされて悪い気はしない。それにルイスと違って裏の意図の見えない純粋さはすごく癒される。
「オリヴィアさんって可愛い」
「へっ!?急に何を仰いますの!?」
「可愛い可愛い」
真っ赤になって照れるものだから、私は彼女を抱き寄せて胸元に引き寄せると頭を撫で繰り回した。
「可愛い可愛い」
「お姉さまったら・・・」
「ねえ、何してるの?」
タイミング良く帰って来たルイスは扉を開けるなり私たちの姿を見て歩を止める。
「ダンスの練習は?」
「今休憩中なの。っていうかしばらく外に出てって言ったのに」
「仕事終わったんだから自分の部屋に戻って何が悪いの」
で、それは何?とルイスは私の胸の中で真っ赤になり固まっているオリヴィアさんは指さした。
「ちょっとしたスキンシップよ」
「へえ」
ダンスを教えてもらっている恩もあるからね。私はルイスが止めに入るまで念入りにオリヴィアさんの頭を撫で回し続けた。





