(2)
ランス王子と繋いだ私の右手が解放されたのはルイスの部屋に入ってからのことだった。
ルイスは既に部屋に帰ってきており、仲良く手を繋いで現れた私とランス王子を見たルイスの眉間に皺が寄る。
「ただいまー」
何故かランス王子は笑顔でルイスに向かってそう言った。ここはランス王子の部屋じゃないんだけどもね。
「迷子のお姫様連れてきてやったぞ」
「そうなんだ。悪いね、うちのが世話になったみたいで」
苦笑するルイスは若干の良い子ちゃんモード。私は解放されたまだランス王子の手の温もりが残っている右手を逆の手で包みながら頭を下げた。
「送ってくださって本当にありがとうございました」
「いいよ、別にそれくらい」
へらっと力みのない自然な笑顔を向けられて心がほっこりとする。ランス王子は癒し系ね。
それからすぐにランス王子は仕事があるからと手を振りながら部屋を出て行った。本当に素敵な人だったなあ。彼が既婚者じゃなかったら私は即座に告白してたかもしれない。
「まったくどこをほっつき歩いてたんだよ」
おっと、出ました悪態モード。
しかし私はまだランス王子とお喋りした余韻に浸っていてルイスの言葉は頭に入ってこなかった。
「ランス王子って本当に素敵よねえ。ドローシアの第一王子で、富豪、イケメン、性格良し、完璧じゃない?」
「・・・・・」
「お金持ちって聞くけどどれくらい資産持ってるんだろ。グレスデンの国民全て養ったりできるのかしら。
いいなぁ、愛人にしてくれないかなあ・・・。今度お会いした時にでも告白してみようかしら」
ペラペラと半分独り言を話していた私は、ルイスの凍てつくような冷たい視線にようやく気づいた。嫌味を言うときの小馬鹿にしたようなやつではなく、リアルに心の底から軽蔑したような視線。ちょっとだけ鳥肌が立った。
「な、なによ・・・」
「兄さんの愛人になった場合、実質僕との二股になるわけだけど?」
「あ、そうよね。でも私気にしないわ。大丈夫」
「少しは躊躇おうか」
この大馬鹿者、とルイスは深いふかーいため息を吐き出す。
いいじゃないの、ちょっとくらい夢見たって。最初から愛人になれっこないことくらいわかってるもの。ちょっと想像してみただけなのにそんなに呆れなくったって・・・。
無言で冷めたお茶を飲み始めたルイス。
「んで?迷子ってどこ行ってたの」
「え?ああ、それが・・・」
あの神官の話をルイスに伝えるべきか。
私はまだルイスをどこまで信用したらよいのかがわからない。同じ嘘を共有している協力関係ではあるけれど本来私たちの立場は真逆のはず。ルイスが私にドローシアの内情を話してくれないように、私も全てルイスに情報を筒抜けにするのはマズいと思う。
そういえば神官に馬鹿王子だって言われてたこと、もしルイスが知ったらめちゃくちゃ機嫌が悪くなるだろうなあ。面倒なことになりそう。
「あのね、聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
「グレスデンのクラー王妃がドローシアの神官と駆け落ちしたのは知ってるわよね」
「うん」
「その二人をドローシアの力を使って連れ戻すことはできないかしら」
ドローシアの資金と伝手があれば人探しは難しくない。もし2人を見つけて連れ戻すことができたら・・・。
「そもそもグレスデンの国民の怒りはクラー王妃の一件に対するものが大きいと思うの。もしドローシアがクラー王妃を取り戻すことに協力してくれたら、もっと言うと駆け落ちしたドローシアの神官を厳しく罰すれば、怒りは収まると思うわ」
怒りの矛先となっているドローシアが率先してグレスデンを助けることで、きっと敵はドローシアではなくクラー王妃を奪って行った神官の方だと気づくはずだ。もちろん全て順調に上手く行くとは限らないけれど、もしお母様が戻って来てくれれば貴族会を味方につけてドローシアとの関係を見直す切っ掛けにはなるだろう。
「だからクラー王妃を探すのを手伝ってくれないかな」
ルイスは私の話を静かに聞いた後、ゆっくりと間を置いてから話し始めた。
「あのさ、ドローシアが今まで何もしてなかったと思う?個人的な駆け落ちとは言え片方はうちの神官だよ?立派な不祥事でしょ。
当然うちの耳にも入ってすぐに現在進行形で探してるんだよ」
あ、そうよね。
当たり前のことに気付けなかった私は、良いアイディアを思いついたと思って上昇していた気分が急降下した。そんな簡単な話だったらお父様も既に手を打ってるわよね。ただ浅はかな自分を反省する。
「ごめんなさい、余計なことを言ったわ」
「捜索についてはグレスデンと話がついてるはずだけど聞いてなかったんだ」
「そうね・・・。グレスデンは、女性はあまり政治参加しないものなの。お父様もあまりお話してくださらない方だから」
はあ、とため息をひとつ吐き出す。結局あの神官の会話は何だったんだろうか。気になって気になって仕方ないけど確かめる術もない。
あの時あの扉の向こう側に行けていたらなあ・・・。
「何かあった?」
「あ、ううん、なんでもないの」
さて、これからどうしよう。部屋では借りてきた本を読もうと思ったけれど、せっかくルイスが居るんだからチェスの相手をしてもらおうかな。あ、でも時計を見たらもうすぐ夕食の時間・・・。
時計を見てウンウン悩んでいるとルイスが立ち上がって口を開いた。
「夕食まで少し風にあたろうか」
「え?外出するの?」
「すぐそこだよ」
庭の散歩でもするのかな。
でももうすぐ陽が落ちるのにと不思議に思い突っ立っていたら、ルイスに「早く来い」と言われて私は慌てて彼の後を追いかけた。
連れてこられたのは屋上だった。ただの屋上ではない、ドローシアの城の中で一番高い塔の屋上。景色はまるで山の上から見下ろしたように広くて空が近く感じる。城下の街も見えて裏手の山々も見える絶景だった。
それにしても、今日は風が強い。ビュウビュウと木の間を吹き抜ける音を立てながら背後からやってくる風で私の長い髪が煽られ大変なことになっていた。まるでどこからともなく現れた妖怪のような私の姿にルイスはプッと小さく吹き出して笑う。
「すごいね」
「だって風が・・・」
「今日は風が強いからね」
ルイスが背後に周り、懐から取り出したハンカチを縦に折りたたむと私の髪を束ね始める。
う・・・。なんだか緊張するなぁ。典型的な良い子ちゃんモードでもないけれどいつものように嫌味っぽくもない。周りに人はいないけれど階段の踊り場に眼鏡の騎士の人が待機しているから、ルイスも少し警戒気味なのかもしれない。
「はい、結べたよ」
「ありがとう」
ルイスのお陰でとりあえず私のボサボサになっていた髪は一つに纏められた。これで風で煽られても問題ない。
そう言えば昔お母様もこうして髪を結んでくれていたっけ。
「・・・恋って、どんな感じかしら」
あの置手紙が本物ならば、今まで大切にしていた家族や国を捨ててまで駆け落ちをするなんてどれだけ強い感情なのだろう。お母様は先代国王の第一王女で、お父様とは恋愛結婚ではなく政略的な結婚だ。きっとお母様の経験したものは今までの自分の人生の常識を覆すようなものだったはず。
「ん?」
「あ、いや・・・」
独り言を聞かれてしまい焦って誤魔化そうとしたが、風が強いにも関わらずルイスの耳には届いてしまったらしく彼は答える。
「恋?生殖に必要な本能の副産物じゃない?」
「ロマンの欠片もないわ。そういうんじゃなくって」
「まあ、生殖を理由にするなら種をばら撒きたいだけの男では理由はつかないよね。操を立てるなんて本能に逆らっているわけだし。その点で言うと女の場合は恋に落ちて盲目になるのは相手を見定める点で不利だからね。やっぱり優秀な子孫を増やすという点では疑問が残るよね」
「だからそういうのが聞きたいんじゃなくって」
生殖とか本能とかどうでもいいわ。私が知りたいのは経験したことのない感情のこと。もし私が恋をしたら自分が変わってしまうかもしれない不安とか、胸をときめかせることへの期待とか、そういうことを言っているんであって。
「そんなの、結局感情なんだから理屈で言ったって無理だよ」
「諦めないでもうちょっと考えてよ」
「人によるって。強い人も弱い人も。すぐに冷める人も居れば、一生愛し抜く人も」
愛し抜くかあ。お母様が経験した恋はきっとものすごく強いものだったんだろう。でもいつか覚めるかもしれない。そしたら自分の意志で戻ってくるという可能性もあるんだろうか。
「難しいわあ」
「こればっかりは経験しないとわからないよ」
「何よその経験者みたいな言い草は」
「まあね」
まあね!?
私は驚愕のあまり顎が外れんばかりに口を開けてルイスを凝視した。この捻くれ野郎が、ナチュラルに人を見下してくるような腹黒い男が、他人を好きになるなんてことがあり得るのか。この男に純情がひと欠片でも残っていたのか、と。
「プッ、冗談だよ」
「んなっ」
よほど私の顔が可笑しかったのかルイスは肩を震わせて笑う。
もう!ルイスが恋愛なんておかしいと思ったわ。こんな奴の言葉なんて真に受けるんじゃなかった。
「あ、始まったよ」
そう小声で言うルイスの視線の先を見ると、地平線にゆっくりと沈む大きな太陽が見えた。夕焼け空は私が知っているものよりもずっと赤っぽく、太陽は空から落ちて来たのではないかというほど大きい。ゆらゆらと陽炎を纏いながら沈んでいく夕日はグレスデンで見慣れたものとは違う。
「すごく綺麗ね」
グレスデンで皆は元気にしているだろうか。早ければもうそろそろ初雪が降ってもおかしくない時期だ。皆ちゃんと冬ごもりの準備はできているだろうか。食料が足りなくて困っていないだろうか。北方民族の襲撃はどうだろう。今年は被害が少ないといいけど。
ドローシアは確かに裕福で恵まれているけれど、やっぱり私はあの国が恋しかった。
綺麗な景色を見ているのになんだか物悲しくなってくる。
夕日を眺めていると突然後ろからガボッと包み込まれる。ルイスのジャケットごと包まれて抱きしめられているらしい。
「なによ、恋人ごっこ?」
「そうだよ。早く慣れてよね」
そっけない言葉もルイスの暖かい体温の所為かいつもより冷たく聞こえない。
いくら恋人ごっこに慣れる為とはいえ、こんな時に抱きしめるのはちょっとずるいな、と思った。





