(3)
翌朝。
今日も起きたらルイスは既にいなかった。昨夜は夜遅くまでチェスをしていたというのに、彼はちゃんと十分な睡眠をとれているんだろうか。
結局一度も勝てなかったなあ、と昨夜を振り返りながら唇を噛む。それをあまり悔しいと思わないのは、きっと私がルイスの思考を理解するまでに至っていないからだ。敗因を理解できれば納得できるし悔しがれるけれど私はまだそこまで辿り着けていない。
チェスは奥が深い。もっともっと先がある。
よし、今日も温室で本を読もう。
きっと温室ならチェスの本もあるはずだと、私は急いで朝食を摂って真っ先に温室へ向かった。ドローシアほど豊かな国ならばきっと為になる本はいくつもあるだろう。そして勉強を重ねて今度こそルイスをぎゃふんと言わせてやる。勝てなくてもいい、せめて一矢報いてやりたい。
温室の木の扉を押せば、今日は昨日よりも更にシンと静かな空間が広がっていた。小鳥ちゃんたちは居たけれど人が少ないのか全体的に閑散としている。その小鳥ちゃんも今日はかなり私を警戒している様子で大きな声で嫌味を言うこともなく静かなものだ。
温室へ入ると真っ先に奥の本棚に向かおうとしたが、私の進路に立ちはだかる人物が居たので歩みを止めた。くりくりの金髪少女―――オリヴィアさんだ。まさか報復に来たの!?と警戒したが、彼女は私の目を見ながらモジモジと手を合わせながら口を開く。
「あの・・・おはようございます」
「ええ、おはようございます。オリヴィアさん」
さて、何を言われるやら。泣かせてしまったことを先に謝罪してしまおうかと思ったが、私よりも彼女が先に話を始めたので私は開きかけた口を閉ざす。
「わたくし、貴女を待っていて・・・お姉さま」
―――私にこんな大きな妹はいない。
「はあ・・・。私に何か用かしら」
「わたくしの姉の物なんですけれど、お姉さまにどうかと思って」
何度も言うが私にこんなに大きな妹はいない。
彼女は頬を赤く染めてキャッと手を添えながら、もう片方の手で何枚かの布切れを差し出した。パッと見た感じでそれなりに上等な物だと分かる。
「それを私に?」
「はい。もう姉はいらないそうなので、お姉さまが使っていただけたらと思いましたの」
一体これは何事なんだろう。私は今、昨日泣かせてしまったご令嬢に頬を染めながらお古の服を差し出されている・・・らしい。
彼女にどんな心境の変化があったのかはわからないけれど、少なくとも私は彼女に気に入られるようなことはなにひとつしていない。この人はルイスのことが好きなんじゃなかったの?
物陰から覗いていた小鳥たちも大変困惑している様子。そりゃそうだ、誰だって困惑するわこんなん。
「有難いけれどそんなに良いもの貰えないわ。お礼ができないもの」
「まあ、お礼なんていりませんわ」
「でも売れば結構な値段になると思うわ。私にタダであげなくても・・・」
「服なんて大したお金になりませんから」
断っても彼女は食い下がってくる。
「どうせ捨てるものなんです。そう、勿体ないんです。だからお姉さまが使って下さると私も助かるしこの服たちも喜ぶと思うんです」
「はあ・・・」
私にとって施しは与えるもので受けるものではない・・・けどこの場合は貰っても問題ないだろう。彼女の熱の入った言葉に推されて私は差し出された服を受け取った。3着はありそうだ。
「ありがとう。大事にさせてもらうわ」
「はい」
にっこりと可憐な菫のように笑うオリヴィアさん。
「今度わたくしの靴と髪留めを持ってまいりますね。後、貰ったまま使っていない化粧品も―――」
「いいえ、もう十分だわ」
どれだけ私に寄越してくる気なのこの子。
「処分に困っているんです。貰っていただかないと捨てるしかないんです!いらないならお金に換えてもらっても構いませんから!」
ぐいぐいと身を乗り出しながら迫ってくるオリヴィアさん。こんなに押しの強い人だったかしら!?
「わ、わかったわ、ありがとう。でも気持ちだけでも・・・」
「貰っていただけるんですね!良かった!今度部屋まで届くよう手配しておきますね」
再びにっこりと笑う彼女に私は力のない笑顔を返した。
「それより、昨日のことなんだけれど」
「はい。これからはわたくしお姉さまのことを応援してまいりますから。大丈夫、わたくしに任せてください」
何を?
「えーっと・・・あなたはルイスのことが好きだったんじゃないの?だからキツイ態度を取っていたんじゃ・・・。
キツイ態度と言えば私の方があなたに迷惑をかけてしまったみたいだけれど」
「いいえ、迷惑だなんてそんな。ルイス殿下のこともご友人として親しくさせていただいただけで恋というような立派なものでは・・・。
ただ、純粋に憧れていたんです」
純粋な憧れかあ。嘘でルイスの恋人のフリをしている私には胸に突き刺さる言葉だ。私さえいなければ普通に彼女がルイスに告白して今頃結ばれていた可能性だってゼロではないのよね。
「ごめんなさい」
「お姉さまから謝っていただくことなんてありませんわ」
だからそのお姉さまって何。この人、本当に昨日会ったオリヴィアさん本人で間違いないわよね?心配になってきた。
「そう・・・。とにかく服をありがとう。感謝するわ」
「はい。それでお姉さま、良かったらわたくしと一緒にお茶でもいかがでしょう」
こんなに物を貰っておいて断るなんでできない私は、ふたつ返事でお誘いを受けることにした。これもドローシアを知るいい機会だ。チェスの本は借りて部屋で読もう。
「ええ、いいわ。そこの小鳥ちゃんたちもご一緒にいかが?」
しっかりこちらに聞き耳を立てていたご令嬢3人組もついでに誘えば、彼女たちは大きく身体を震わせて恐る恐るこっちに視線を寄越してきた。盗み聞きするくらいなら堂々と話に混ざればいいじゃない、と思って誘ったんだけど彼女たちの目は点になっていた。相当驚いたらしい。
「そうですわね。たくさん人が居た方が楽しいわ。ぜひご一緒いたしましょう」
ね、とオリヴィアさんにまで誘われては彼女たちも断れなかったのだろう。しぶしぶ、というよりも戦々恐々としながらこちらへやって来た。
そしてこの奇妙なメンツでのお茶会が始まったのだった。
「そうなの!叔父が神官庁で働いているのだけどグレスデンにはとても困り果てていて!やはり陛下は穏便に済ませたいみたいなのだけど」
小鳥ちゃん3人組の中で一番お喋りで声の大きいミーシャという名の娘は、神官家系の子らしくとにかく内部の情報に精通していた。
嫌われているかと思いきや存外お喋りで人懐っこい彼女たちは、最初こそオドオドしていたが少し時間が経って馴染んでしまえば喋ること喋ること。先ほどまでの警戒心が嘘のように親し気に接してきた。正直、ドローシアの内情に疎い私には大変助かる。
「へえ、やっぱりグレスデンは嫌われてしまっているみたいね・・・」
「とはいっても、神官庁内の話ですけどね。信仰が薄い国なんて端の方にはいくらでもありますし、未開の地だってまだたくさん」
「ドローシアの政府は他国の内政に関与しない方針ですもの。神官庁さえ了承すれば特に問題ないのですけどねぇ」
その神官庁を頷かせるのが何よりも難しい。私は熱いコーヒーをふーふーと吹きながら口を開いた。
「信仰は薄くても、大々的に棄教を宣言したのはグレスデンが初めてなのよね」
世界は宗教を中心に協和を図っている。神を信じていないものも、不満があるものも、表面上は皆で仲良く手を繋いでいる状態。どこの国も和を乱して不興を買うのが怖いからだ。
「その点で言えば、グレスデンというお国はとてもとても特殊ですわね。突然暗黙の了解をブチ破ってしまったのですから」
オリヴィアみたいな育ちの良さそうなお嬢様でも「ブチ破る」なんて言葉使うのね。親近感湧くわ。
「神官たちはさぞかし大慌てでしょうね」
「そうなの!総出で政府の方に圧力をかけていると聞いているわ。武力で内政を奪ってしまった方が簡単だもの。そこまで徹底すれば他の国もグレスデンに続いて信仰を捨てる気にはならないだろうし!」
「神官たちもまさかロマンスが生まれてしまうなんて思わなかったでしょうねぇ」
皆は一斉に私を見た。何?と思ったけど、私とルイスのことを言っているのだと気づいて慌てて同意した。
「そ、そうね。まさかこのタイミングで運命の出会いがあるなんてね」
お願いだからそこあまり突っ込んでこないで!ボロが出そう!
「殿下とはどのように愛を育みましたの!?」
「やっぱりそこ気になるわよねぇ」
ひいいいと心の中で悲鳴を上げた。やはりその話題は避けて通れないらしい。皆の期待の籠った瞳に私は観念して話し始める。
「お互いに一目惚れなの。初めて会った時にね。こんな状況だから私は心の中で留めるつもりだったんだけれど、ルイスはすごく情熱的で積極的な人だから・・・」
「へえ、意外ねえ!殿下ってもっと大人しくて消極的な方だと思ってたわ」
それ、騙されてるわよ。
「実際にお付き合いしてみていかがです?」
「そうねえ・・・。まだまだ戸惑うことが多くて、どちらかというと私の方が振り回されてると思うわ。素晴らしい経験ができるし、毎日が新鮮で楽しいわ」
「素敵ねぇ」
皆は頬を染めてキャッキャとはしゃぎ出す。こうして見ているとごくごく普通の女の子達だ。昨日まで敵意剥き出しで嫌味を言っていた子たちとはまるで別人。
「あなた達はいいの?私がルイスの恋人で」
挑発とも受け取れるような問いかけでもオリヴィアさんは何故かニコニコしていた。一方で小鳥ちゃんたちはお互いに顔を見合わせてから口を開く。
「なんか思ってたのと違ってたのよねぇ」
「そうですわね、私も。もっとこう・・・鼻持ちならない感じの方だと思っておりましたわ」
「我儘というか、自然に他人を見下してくる方なのかと」
「第一印象は肌白っ」
小鳥ちゃんたちはクスクスと笑う。
「そうそう!向こう側透けて見えてる!って思ったわ!」
「なのに唇だけ真っ赤だから伝説にある吸血鬼みたいね、って」
「見慣れたら平気だけどねぇ。最初はアンバランスでびっくりしたわぁ。ドローシアには居ないタイプだから」
私は苦笑いをした。
私の唇は生まれつき血色が良く、肌が白いのはグレスデンが雪国だからだ。日光に恵まれない環境だから肌が焼ける機会は少ない。
「最初はね!私たちあなたがルイス殿下のことを利用していると思ってたのよ!」
そうそう、と彼女たちは頷く。私とオリヴィアさんは同時に首を傾げた。
「利用って?」
「叔父が言っていましたの。シンシア王女はルイス殿下を使ってドローシアを懐柔する気だって!」
「そうそう。だから私たちとっても警戒していたのよね」
うわぁ、ほぼ当たってます。ごめんなさい。
「でもシンシアさんを見てたら媚び売ってる感じでもありませんし、聞いていたのと違うな・・・って」
「むしろルイス殿下の方がシンシアさんを溺愛してる感じよね!羨ましい!」
「思ってたよりクールで漢らしかったわぁ、シンシアさん」
その後も小鳥ちゃんたちはぴーちくぱーちく喋り続ける。
にしてもそうか、やっぱり私とルイスが本当は恋仲じゃないことに気付いている人は居たのね。それが神官ってところがまた嫌な予感がするのよねえ。
私はコーヒーを一気飲みしてから再び小鳥ちゃんたちの話に耳を傾けた。





