(2)
「だぁかぁらぁ!真面目にやれって言っただろ!」
部屋に戻って昼食をいただいた後、私はルイスに説教を受けていた。彼曰く、温室での私の態度が良くなかったらしい。
「なんで?ちゃんと恋人っぽく見えたでしょ?」
頬にキスまでされたのに我慢したのよ。そんなに怒らなくてもいいじゃないの。
ルイスは大きな大きなため息を吐く。
「お前は常に受け身なんだよ。言い寄ってくる男をあしらってるようにしか見えなかった。僕たちがやっているのはお互いに一目惚れをした愛し合ってる恋人なんだよ?
なのにお前は直立不動でキリッとした表情してるし笑顔も愛想全開の義務的な笑顔だし」
ルイスは私の真似なのか背筋をピンと立たせて無理やり口角を上げた不自然な表情を作った。
―――もしかしてそれは私の真似なの?
ルイスの私の物真似は恋人に愛を語り合うというよりも政治で交渉事に挑むときのソレだった。緊張感と義務感満載で、愛想笑いもどこか痛々しい。
「そんな酷い?」
「酷いから言ってるんだけど」
「そっかあ・・・」
自分の姿って人に言われないと分からないものなのね。なんかごめん。
ルイスは再び盛大にため息を吐く。猫を被っていない素の彼は相変わらず感じが悪い。
「僕はあそこまでしたっていうのに」
「ナイスファイト」
「なんで他人事なんだよ!お前もやれよ!」
「ええ!?」
頬にキスまでしなきゃだめなの!?されただけで心のダメージが半端ないのに!
ルイスの頬にキスしている自分の姿を想像すると嫌な汗が吹き出してくる。脳がこれ以上は勘弁してくださいと拒絶反応を起こしているかのようだ。
頬にキス。親しい間柄ならともかく演技している私たちにとってとても勇気がいる行為だけど、先程のルイスは全く躊躇する様子が無かった。当たり前のようにベタベタ引っ付いてくるし、女性の扱いに慣れてるのかしら。
「ああいうのって経験がものをいうと思うの。私はルイスみたいに異性に慣れてないから無理だわ」
「僕が遊び人みたいに言うのやめてくれる?」
「違うの?オリヴィア嬢と関係持ったんじゃないの?」
「持ってないよ!ただの幼馴染!」
「そうなの。あ、そう言えばさっきあんたの幼馴染泣かせちゃったわ。ごめんね」
そう言うとルイスはマジかよ、とでも言いそうな顔で私を見た。そんなに引かないでよ、私そこまで酷い事言ってないのよ、少し強めに言い返しただけなんだから。そもそも喧嘩売ってきたのは向こうの方だし。まあ、一応今度会った時は謝るけど。
「慣れ・・・慣れかあ・・・」
ルイスは遠い目をしながらそんなことを言う。
「数日前に会ったばかりの人と恋人のフリするって難しいじゃない。友達じゃあるまいし、距離感掴みづらいのよね」
「言い訳だけは一人前だな、お前」
「どうも」
「褒めてないよ」
毒を吐きながらもルイスは真面目に対策を考えているようだった。演技もそうだけど意外とやるときは真面目にやるのね、と少しだけ感心する。ほんの少しだけ。
「その調子じゃあんまり僕から攻めたらボロが出そうだしなあ。あれ以上はまだ無理だよな」
「あれ以上って何。怖いんだけど」
「もう少し人前に出る機会を増やすしかないかな」
私の言葉は無視してルイスは何やら一人で納得していた。結局私はどうすればいいんだろう。
「後は一緒に過ごす時間が長くなれば嫌でも慣れるだろ」
「うーん・・・」
「だから、顔。思ったこと全部顔に出てるから、その癖も治して」
私ははっとして自分の顔に手を当てた。そんなに顔に出てるかしら。
「今日はもう仕事はないから、午後はお前の暇潰しに付き合ってやるよ」
「え・・・」
「顔」
ルイスと一緒だなんて嫌だわ、と思ったら顔に出ていたらしい。私は再び顔に両手を当てた。
「恩人に向かって随分だな」
「えーっと、午後は何して過ごそうかしら」
早く話題を逸らしたかった私は慌てて部屋を見回しながら考える。そんな私の思惑もルイスはわかっている様子だったけれど、彼はそれ以上文句を云うことはなく黙って私が思い付くまで待っていてくれた。
先ほど温室でやらかしてしまったからまた温室に行くのは憚られる。だからと言ってルイスの部屋で暇を潰すのも・・・と辺りを見回すと、腰高のチェストの上にあるチェスボードが目に入った。
「じゃああれ」
私が指を差したらルイスはチェスボードをテーブルの上に広げてニヒルに笑った。
「へえ、僕に勝負を挑むなんて度胸あるね」
「何言ってるの。私が勝つに決まってるでしょ」
私はハンッと鼻で嗤った。
今までルイスには色々と言われっぱなしだったけれど、チェスならば負ける気がしない。最近ではグレスデンで随一の実力者であるお父様にだって勝つこともあるのだ。いい家に産まれただけのお坊っちゃんに負けるわけがない。
「ハンデあげましょうか?」
「冗談きついね。先攻後攻どっちがいい?」
「じゃあ先攻で。ルイスには黒い駒をあげるわ」
腹黒男にぴったりでしょ、と心の中で笑う。
お互い向かい合って座れば言葉をかけることもなく無言で駒を並べ始め、最初の一手を動かせば瞬く間にゲームが始まった。
太陽がもうすぐ沈みはじめる頃、私は盤面を前に大汗をかいていた。舐めるように駒を見つめても一体何が起こったのか理解できない。さっきのさっきまで私が大幅にリードしていたはずなのに、なぜかルイスの王手が目前まで迫っていたのだ。
おかしい。そんなはずない。何度頭を横に振っても駒の位置が変わるはずもなく私は途方に暮れた。
「ま、負けた・・・?いや、そんな馬鹿な」
「まだ粘るの?時間の無駄だよ」
「うっさい!ちょっと黙ってて!」
どうにか打開する策はないものか。脳みそを絞っても何も思いつかず、私はようやく諦めて大きく天を仰いだ。
勝利を確信したルイスは余裕そうな笑み。
「自信あったのに・・・・」
「まあ思ったよりも強かったよ」
「そういうの逆に苛つくわ」
本来ならば悔し涙を流しているルイスを前に高笑いしているはずだったのに。
大敗した私はゲームの流れを振り返って敗因を探ったが頭が追い付かない。悔しいけれど実力差があり過ぎるのだ。
「これだけ強いならドローシアでも有名な名手なんでしょうね」
「いいや、別に」
「へえ。あんたでも謙遜することってあるのねえ」
謙遜するなんて意外だなあと感心していたがルイスは首を横に振った。
「いや、ほんとに」
「え?」
「こういうのは父様が圧倒的に有名だよ」
「確かにドローシア陛下はチェスの腕でも有名だけど、あんたが勝てないほど強いの?」
「別に」
どういうことだろうかと首を傾げていたら、ルイスはチェスの駒を弄りながら話し始める。
「だって真面目にやったってつまらないだろ?やる時はたっぷりと時間をかけて、いい勝負を演出した上で相手を勝たせてあげないとね」
一瞬何を言っているのか理解できなかったが、徐々に理解が追い付いて来た。この人、接待プレイをしているらしい。
頬の筋肉が引き攣る。
「し、真剣にやるからこそ面白いんでしょう?」
「その勝負が簡単に勝てるようなゲームだとつまらないんだよ」
つまりこの人は、どいつもこいつも弱くて勝負にならないからまともに相手をせず、自分を気に入ってもらうために相手を立てるプレイしかしないのだと。
文句を言ってやりたかったが勝負がついたばかりの盤面を見て閉口した。この実力ならばまあ・・・確かに常人の理解を超えているかもしれない。チェスが盛んなグレスデンでほとんど負けることのない私でさえこの負けっぷりなのだから、きっとドローシアでも似たようなものなんだろう。
「感心すればいいのやら、気の毒やら。楽しくないでしょそんなんじゃ」
「別に問題ないよ。僕は最終局面を最初に決めるんだ」
ルイスは駒を動かしてあと一歩でキングを奪える局面を作った。
「それから始める」
「どういうこと?」
「最初に決めた駒の位置が最終的な形になるように相手を誘導するんだよ。これなら普通に勝つよりもずっと難しい」
「でしょうね!」
誰もできるわけないわ、そんなこと。相手よりも一歩先を考えるだけでも必死なのに、さらに相手の思考を読んで誘導しながら戦うなんて。
ルイスのことをただの猫かぶりナルシスト野郎だと思っていたけれどそうでもないらしい。きっとルイスは私たちと見えている世界が全く違う。この人には一体どんな世界が見えているんだろう。
「もう一回勝負!」
「いいよ。懲りないねえ」
「ハンデもらうわ!」
「どうぞ」
私は意気揚々と駒を再び最初の位置に戻し始めた。





