(1)
夜会の後は部屋で軽く食事をとり、お腹を満たしたら私はすぐに寝た。ルイスは仕事があるからと再び部屋から出て行ってしまい、私が朝起きてもベッドに彼の姿は無かった。侍女に聞けば昨夜遅く帰って来たが私が起きる前に出勤してしまったとのこと。
特にやることのなかった私は朝食をとってすぐにお父様が使っている部屋を訪ねた。客人の為の部屋はルイスの部屋からずいぶん遠く、十分程かけてようやく到着したのだがなんとお父様は留守。部屋前で見張りをしていた衛兵に訊ねればお父様は朝早くから出かけたらしい。
どうしよう、やることがなくなってしまった。
ルイスもお父様も仕事で不在。私は一人暇を持て余してぶらぶらと意味もなく廊下を歩き続ける。来たばかりのドローシアには知っている人なんてほとんどおらず、仕事もなく、話し相手も居ない。ドローシアでの私ってとんでもなく暇なのでは!?と今更気付いてしまった。
ああ、時間がもったいない。
困ったなあと思いつつルイスの部屋に戻るまでトロトロ歩いていると見知った侍女とすれ違う。よく食事時に見かける若い女性だ。
「あら、シンシア様、どちらへ向かわれるのですか?」
「それがやることがなくって・・・。花か、本でもあればと思っていたのだけど」
「でしたら温室へいらしてくださいませ」
侍女はにこやかに言った。温室って何。初めて聞く単語に興味をそそられる。
「なあにそれ」
「王妃様が数年前造られた、開かれた憩いの場です。そこでは年中色んな花が咲いておりますし、本もそれなりに置いてありますから有意義な時間を過ごせると思いますよ」
なにそれ素敵過ぎ。
「そこは私がお邪魔してもいいような場所なのかしら」
「ええ、もちろんです。元々お客人が気兼ねなく過ごせるように造られた所ですから」
「そう。ありがとう。行かせてもらうわ」
良かった、取り合えず暇を潰せそうな場所が見つかった。
温室と呼ばれる場所は私たちが居る本城の外にあるらしい。侍女に教えてもらった通り建物から出て南側へ向かうと見えて来たのは本殿と比べるとずいぶん可愛らしいサイズの建物。そうは言っても十分な大きさのものだったけれど、夜会の会場となったホールほどの広さはない。
何人もの衛兵が近くに居たけれど私を呼び止める者は一人もいなかった。身元確認くらいはされると思っていたのに、侍女が言うように温室はずいぶんと開かれた場所らしい。
田舎調の木の扉を開ければ一番最初に目に入ったのは高く空が透けて見える天井だった。硝子を使っているのか遮る物が一切なく陽射しが室内に差し込み、秋だというのに明るくて暖かい。そして室内なのに木や草花が所々に植えられていて、品の良い大ぶりのソファやベンチが至る所に置いてある。自然と調和した室内はどこに座っても居心地よく過ごせそうな、豪華絢爛な城内とはまた違った趣のある世界観。
奥の壁には一面に本棚が広がっており歓喜した。ここならいつまでも居座っていられそうだ。
ただひとつだけ気がかりなのは他にも人が居る、ということ。温室に居たのはドレスを着た令嬢たちで、開かれた場所だということは当然私以外の者も自由に使ってよいということだ。
昨日ひと悶着やらかしたからなあ。大人しくしておこう。
私は誰にも目もくれず本棚に近寄ってその背表紙に書いてある文字に見入った。この辺りに並んでいるのは詩集。これはまたずいぶんとお洒落なものが。
他には偉人伝、神話、哲学、考古学、天文学・・・・なんだか学術書が多い。だんだん右側に視線を移していけばついに私のお目当ての本を見つけて手に取った。中を開けば見たこともない花々が並んでいてニンマリと笑う。この中からグレスデンでも育てられそうな品種が見つかると嬉しい。それが薬効のあるものならばなおのこと。
本を手に空いていた近くのソファに腰を下ろした。柔らかいスプリングの効いたそれはルイスの部屋のソファとはまた違っていて、このままここでお昼寝をしたいくらい座り心地がよい。
「まあ、見てあのボロ・・・」
「あんなに酷いもの見たことないわぁ」
聞こえてきたクスクス笑いに一瞬手が止まったが無視した。私は絶賛大人しくする期間中だ。多少苛つくが直接話しかけられているわけでもないので気に留めないことにする。
「着る物を買うお金もないのかしら!」
ない。
「服は買えないのに紅はするなんて。しかも真っ赤で下品だわ」
紅なんて塗ってないけど。
呆れた私は大きくため息を吐いた。なんで知らない人にくだらない内容で見下され続けなければならないのだろう。こんなに陽射しが気持ちよいというのにいい気分が台無しだ。
私は無視して本を読み進めた。図鑑はきちんと生息している地域で種類別されていて探しやすく、絵付きなのでわかりやすい。こんなに良い本がタダで読めるなんて温室様様だわ。
「何故殿下はあんな女を選んだのかしら・・・」
「さあ。弱みでも握ったんじゃないの?」
聞こえなーい聞こえなーい。あれは小鳥の囀りだ。ピーチクパーチク喧しいがあれも自然の一部分だ。私は今大自然に囲まれながら読書している。あー快適快適。
無視して読み進めているとどこからともなく現れた侍女が無言でお茶を注いでサイドテーブルに置き、彼女は私に軽くお辞儀をすると静かに去って行った。
よく見ると周りでは食事をしながら談笑したり本を読んだりしている人も居る。
なんなのここ、無料の飲食付きなの。幸せ過ぎだわ。
「ほら、ルイス殿下って陛下たちのようなお顔に囲まれてお育ちになったから・・・」
「お顔の美醜の感覚が狂ってしまわれたのだわ」
「いいえ、きっと目新しいものが良く見えているだけよ!」
「ケーキを食べている時にお塩が欲しくなる感覚?」
「その例えならコーヒーに砂糖菓子でしょ?」
「何か違う気がするわぁ・・・。肥溜めに花?」
「掃き溜めに鶴って言いたいの?」
「それ意味違う」
小鳥の鳴き声にしては可笑しかった。笑ってしまいそうになってニヤついた口元を本で隠す。
そのまま彼女たちの話を聞きながら本を読みふけりたかったのに、目の前に突然人が現れてそれもできなくなってしまった。人影に顔を上げれば、金の巻髪を揺らしながら仁王立ちしている昨夜会ったご令嬢―――オリヴィアとかいう娘さんが口を横に引き結んで何かを言いたそうにしながらこちらを見下ろしている。私と彼女の対面に先ほどまでピーチクパーチク話し込んでいた小鳥たちもその喧しい声を潜めてしまった。
「あら、こんにちは。オリヴィアさんよね?
昨夜は大変だったようだけど、お加減はいかが?」
「あなた、一体どういうつもりですの?」
何しに来たかと思えば一言目でそれか。私は本を膝の上に置いて首を傾げる。
「何か問題でも?」
「人前で肌を晒すなんて、あなたどんな教育を受けてお育ちになりましたの?恥ずかしいとは思いませんの?」
「恥ずかしいわよ、そりゃ」
当たり前でしょ、と言うと彼女の眉間に皺が寄る。
「殿下を誘惑した挙句、あんな真似までするなんてさぞかしお尻が軽くていらっしゃるのでしょうね。あなたのお国とは違ってドローシアの女性は貞淑なのです。あなたみたいな・・・はしたない真似はご法度ですのよ」
「はあ、まあ、そうね。貞淑は求められないわね。グレスデンは娯楽が少ないから性行為は娯楽の一つとして容認されてるわ。冬ごもりの間って暇なのよね」
"性行為"という単語が出た途端に皆は顔を真っ赤にして非難めいた目で私に視線を集めて来た。え、何、その責めるような目は。先にその手の話題を振って来たのはそっちじゃないの。
オリヴィアさんは何かを言い淀んでいるのか口をもごもごさせて、しばらくしてから再び声を張って話しかけて来た。
「あ、あ、あなたにはやはり羞恥というものがないようですね。そんなボロの服なんか着て・・・驚きですわ」
「オリヴィアさんはグレスデンが貧しい国だって知らないの?」
「それくらい知っています!」
「じゃあ一体あなたは何に驚いているの?」
貧しい人間が高価な服を着られるわけないじゃない。
そう言うと彼女はワナワナ震えつつ一歩後退した。怒るか?と思いきやグズグズと鼻をすすりながら涙を流し始めて私は驚き飛び上がる。
「なんで泣いてるの!?」
私泣かせるようなこと言った!?
「ううぅっ・・・だって・・・」
「泣かないでよー、私が悪者みたいじゃないの。言葉が強かったなら謝るから」
必死に慰めたけど彼女はハンカチで目元を抑えつつ重そうなスカートを引きずって走り去って行った。
私は頭を抱えながら再びソファに座りため息を吐く。私何か間違った事言ったかしら。ドローシアの人付き合いって難しい・・・。
温室中から集まる冷たい視線を浴びつつ私は考えるのを諦めて本に視線を落とした。さっさと読んでまた変な事に巻き込まれる前に部屋に戻ろう。
それからどれくらい本に夢中になっていたのだろうか。ハッとして現実に思考が戻って来た時、目の前にルイスの顔が現れたので驚いた。
「びっくりしたぁー!なんで居るの!?」
「昼食摂りに部屋へ戻ったらここだって聞いたから」
「ああ・・・」
温室を教えてくれた侍女からここを聞いたんだろう。それにしてももう昼食の時間だったのか、お腹が空かないから気付かなかったわ。ドローシアじゃグレスデンより出される食事の量が多いから感覚が狂ってしまいそう。
「ちょっと待ってて、もう少しで読み終わるから」
「うん、ゆっくり読んでいいよ」
ルイスはニコッと爽やかに笑った。
やけに優しいなあと思えば、至る所からこちらを盗み見る多数の視線を確認。彼女たちは私たちの会話を一語一句聞き逃すまいと必死に聞き耳を立てている。そりゃルイスも良い子ちゃんモードになるわけだ。
「植物図鑑?花が好きなの?」
「ええ」
ルイスは私の隣に腰を下ろして親し気に私の肩に手を回す。横から本を覗き込む分は構わないけど、私の肩に回した手で髪を撫でたりするのは集中力が削がれるのでやめて欲しい。でもここで嫌がったら後で文句言われるんだろうなあ。黙っておこう。
「気に入ったものがあればいくらでも取り寄せてあげるよ」
「ええ、ありがとう・・・」
今の私たちは恋人らしく密着状態だ。ふんわり鼻を掠めるルイスの香り。この人いつもいい匂いするんだけどどの花の香料を使っているのかしら。
ルイスの妨害を受けつつ必死に情報を頭に詰め込んでいく。
どうせこの人は犬とジャレている感覚なんだろうなあ。私はさながら蠅が頭の周りをうろついている気分だ。鬱陶しいから手で払いたいけどそんなことをしたら後で何言われるかわからない。やっぱり黙っておこう。
「よし!読み終わったわ!」
バタン!と両手で勢いよく図鑑を閉じるとルイスの顔が近づいてきてチュッと音が立ち、頬に柔かな唇が触れた感触があった。途端にキャアキャアとショックを受けた女性の悲鳴がそこかしこに飛び交う。
なによ、一番悲鳴を上げたいのは私なのに!
「じゃあ部屋に帰ろうか」
「ええ」
まあ口にされなかっただけマシか、と思い直す。人前でそんなことするはずもないんだけど、ルイスの距離感が今にも唇に口づけしそうなほど近いので内心では冷や汗ものなのだ。
図鑑を元の場所へ戻して差し出された彼の腕を掴む。こうして人前に居る私たちはきっと普通の恋人に見えるんだろう。まさかこれが全部演技だなんてほとんどの人は思わないはず。
「ここの本は借りてもいいんだよ」
「そうなの?先に言ってくれればよかったのに」
「欲しいものがあれば買ってあげるよ」
「借りられるなら十分よ」
この優しさが素のルイスに一ミリでもあればなあと思うけど、無いもの強請りしたってしょうがないか。
今日の昼食は何かしら。微笑みかけてくるルイスに笑顔を返しながらも、頭の中では全く別の事を考え始めるのだった。





